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三月末に八十一歳で始めて北海道の土を踏み、残雪の上を走るからっとした微風の心地よさに魅せられて、同じ三万九千円也の北海道安旅ツアーを見つけ、腰痛持ちの身で、よろよろとしながらも二ヶ月後再訪したことだった。
今回は有難いことに、神戸空港発で、むっとする湿気の多い梅雨空だったが、2時間後新千歳空港から戸外に出ると、待ち望んでいた、からっとした微風が青空の下を吹いていた。これだ、この風こそ待ち望んだ風だ。来道した甲斐があったとすっかりご機嫌になった。「北海道には梅雨とゴキブリが存在しない」というのは本当らしい。ゴキブリの存在は、旅行者には確認が難しいが、梅雨は天気予報から北海道が外されているので確かだろう。バスで直ちに札幌に向かう。前回訪ねた時には雪で覆われていた高速道路の両側は、排気ガスにも負けず原色の緑の壁が続いていた。
札幌市内に入り、大通り公園や時計台などを車上からちらりと見て、17時には今夜の宿である札幌プリンスタワーホテルに到着した。今夕の食事は旅行料金に含まれていなので、ホテル室内に置かれたパンフレットを見て、適当に調べて薄野の炙屋という居酒屋を目指した。北海道だ、まず焼きたらば蟹を注文する。蟹は焼いて食うのが一番美味いと言うのが僕の持論だ。このたらば蟹にはずっしりと中身が詰まっていて炙屋と言う屋号通り、炙り具合いも絶妙だった。次いで帆立を僕はバタ焼き、女房は刺身で頼んだが、地物で美味いのではとの期待に反し、身が軟らか、でれっとしていてがっかりしだ。僕の不満顔に気がついたのか、板さんが一見の旅人客にも関わらず季節物の真烏賊そーめんを無料サービスしてくれた。
翌朝8:00ホテル発で小樽にむかう。今日も好天気で例の心地よい微風が吹いている。小樽は前回も訪れていたので僕には興味が無かったが、女房は娘と自分のアクセサリーをベネッツア美術館VENINIとやらで買い漁っていた。時間潰しのため隣接したアイスクリーム屋で道産子娘の可愛い笑顔に惹かれて生まれて初めて三段重ねのソフトクリームを注文し、席まで自分で運んでいるうちに、慣れていないのでお重ねの塔状部分を床にどさりと落としてしまった。すぐに店員のおねーさんが、始末してくれ、可愛子ちゃんに再注文すると無料だった。昨夜の板さんと言い、道産子は本当に親切だ。元首相だった方がこともあろうに自分の選挙区の小樽とかで鳩が豆食ったにも拘わらず最終的には「小樽の女よ。さようなら」となったものの、そもそもの馴れ初めはこのような親切が仇になったのかも知れぬ。もっとも彼はCO2削減や普天間基地の県外移転だの出来もしないことを宇宙人的眼付きで述べたてて國益を損じ、その尻拭いもせず首相を辞めた男だから、女の後始末もいい加減だったに違いない。
今日の観光はウイスキーで有名な余市を通って229号線に乗っての積丹半島めぐりだ。シャコタンとはアイヌ語で夏の家と言う意味で、狩猟民族である彼等は、夏季にはここで過ごす習いだったそうだ。
広大な北海道では道路が大事なことは前回の旅行でよく理解しているが、半島で一番大きな積丹町でさえ、人口は2500人余に過ぎぬ過疎地帯に観光客誘致の目的が主目的とは言え、大金をかけて、立派な舗装道を造る北海道庁は豪気なものだ。特に突端の神威岬の辺りは道路造成が困難で、現在の一周道路が完成したのは1996年のことだと言う。どこかは聞き漏らしたが、あるトンネル造成には300億円以上の費用が掛かり、完成までに6年を要したとガイドの説明があった。ある所では、大正と、昭和に掘られたトンネル二本が、平成に完成した現在のトンネルより海側にほぼ並行して残っており、出入り口はコンクリ−トで塞がれていた。アフリカ小母さんが聞いたら勿体無いというに違いない。
海上には、窓岩、蛸岩、乙女岩、ローソク岩などの奇岩怪石が乱立している。海上に屹立する尖塔状の岩が多く見られたが、どのような地質学的条件で形成されたのだろう。海水の透明度は抜群であり、岩礁の多い潜るには絶好のスポットと併せて多くのダイバーを惹き寄せているのも無理はない。道路沿いに、突然小奇麗な村があると感心していたら、原子力発電所のある泊村だった。昼食に出たホッケの焼き物は、下賎な魚だが脂がのっていてさすが地物は違うと感心するほどの味だった。地ビールで、舌を洗いつつ食べると絶好だ。神威岬へ通じる路のある駐車場に着く。皆は坂道を登って絶景だと言う岬まで歩いて、屹立する乙女岩を見学に出掛けたが、僕達年寄り夫婦は居残ってひたすら気持ちよい風が頬を撫でるのを楽しんだ。昔はこの岬は女人禁制だったとのことだ。女が岬に来ると、海が荒れて沖を行く船が遭難するとの言い伝えがあったそうだ。裏山一面の熊笹が、多方向から吹いてくる風によって優雅に右に左に上に下にと波打つのを眺めて時を過ごした。
半島を一周後、京極町の吹き出し公園に向かう。明治39年に京極高徳子爵が未開地800ヘクタールの払い下げを受けて「よきに計らえ」と管理人をおいて開拓させたのが町名の起こりだ。湧出する湧き水は羊蹄山で約60年前の雪解け水の伏流水であるとのことだ。水量が豊富で一日8屯、6.5度の冷たい水が、備え付けられた樋の側孔から、あるいは直接に水流から汲み取れる。久し振りで美味い山の水を飲む。此処の水は大腸菌その他の細菌数がゼロというお墨付きで、このような水は本州では探すのに苦労するだろう。北アルプス梓川の水などは一見清流に見えるが、登山者や山小屋の増加を考えると、とても飲めたものではない。人里離れたネパールの水も透明で清らかそうだが、油断して飲むと肝炎に罹る。蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山の秀麗な姿を背景にまたもや微風を心いくまで楽しんだ。今日も青い空だった。
伊達市北湯沢温泉名水亭に5時に到着。このツアーは早めに宿に着くので我々老夫婦にとっては助かる。洋風ベッドルームに和室が付いた部屋は結構スペースがあり、和室部分はかなり凝った造りだ。夕食バイキングは期待していなかった通りのお品だった。なにしろ正規料金で神戸北海道の往復航空運賃は八万円を超えるのに、三万九千円也のツアー料金では贅沢は言えぬ。むしろ、この低料金で、どのようにして旅行会社が利益をひねり出すのか不思議なくらいだ。地ビールの味の良いことが有難い。地元の牛乳を使っている所為か、デザートのアイスクリームは結構なお味でした。
少々疲れが貯まってきた最終日は洞爺湖見学から始まった。大きく幽玄な湖ではあるが、中島をはじめとして平凡な島が五つほど浮いているだけの存在だった。展望台での根元から枝別れした白樺が珍しかった。仕分けの誰かさんのように、「二番ではいけない」訳ではないが、北海道には大きさにも水の透明度にもそれぞれ上手をいく湖があり、ウリには欠けている。ただ湖の中央にある5万年ほど前の噴火で出来た中島には湖岸から渡れるはずのない距離なのに、ガラバコス現象を起こした小型の鹿が住んでおりて、かなり小型化しているとのガイドの説明だったが、大小2匹の同じ毛並みの鹿を並べてみても観光の売り物にはなるまい。洞爺町は「戦争ほど悲惨なものは無く、平和ほど尊いものは無い」ので「非核平和の町宣言」をしている。人口一万人一寸の地方の町がこのような宣言をして、どのような意味があるのか、不思議なことだ。むしろ中国人の土地の買占め防止宣言でもしたほうが余程実利的だ。当地では、世俗を忘れてザ・ウンザーホテル洞爺スパ&リゾートにでも泊まり、バーで一杯やって美味い料理を堪能し、温泉につかり、ゴルフも楽しみ、その暇にロビーからちょいちょいと湖の風景を愛でつつ、北海道まで来て贅沢三昧をしているのだと言う感覚を楽しむのが正解だろう。ただし、二、三泊で数十万円は覚悟せねばなるまい。
ついで昭和新山を真近に見える駐車場立ち寄る。この駐車場は珍しく有料だ。昭和新山は昭和18年に、平坦な麦畑が突然むくむくと隆起して出来た山で、有珠山の側火山である。噴火による溶岩がデイサイトのため、粘性が高く、溶岩として流れ落ちず、噴火を重ねるごとに溶岩が火口の中でどんどんと堆積して所謂円頂丘となり、周辺の火口壁よりも盛り上がってより黒みを帯びた円塔状を呈しているのが珍しい。まだ水蒸気があちこちで吹き上がっているが、最近は冷えるに従い山全体が縮み傾向にあるとの話だ。歳をとると縮むのは人間だけではないらしい。20世紀になってからでも金毘羅山地点が噴火して明治新山と呼ばれ、次いで東山麓で昭和新山が形成され、その後有珠山火口原、同山西麓の西山が火を噴くという具合で、ほぼ30年間隔で4回も噴火を経験している。どうやらこの辺りのマグマは相当に強力な欲求不満があり、隙あればヒステリー発作を起して所構わずどーんと発散するらしい。住民達も慣れたもので、平成の噴火では、噴火予報に従って避難し一人の死者も怪我人も出さず、火の山と住民は見事に共生している感じである。今回の東日本大震災では三陸地方地震に伴った津波によって多大な損害を受けたが、防災会議の中間報告では、今後堤防重視より、住民避難を柱とする対策に移行する政策を勧めているが、ここでは既に自然現象による災害に対し正面から立向かうよりも減災に徹する計画に切り替えていた。We
are powerless against nature だ。三十六計逃げるにしかずである。自然現象には想定外のことが起こりうるので、これが正解だろう。
有珠山の麓よりロープウエイに乗る。僅か6分ほどの乗車で往復2500円は高いように思えるが、何時またどかんと噴火してすべてがおしゃかとなる可能性を含めての値段だとすれば納得できる。終点駅周辺では昭和新山の頂上付近の有様や、また山麓から荒れ果てた地肌を伝って除々に植物が次第に山頂に向かって這い登る可憐な努力を続けているのが眺められた。
これをもって「見るべきものは見つ」で一路新千歳空港に向かう。空港のある場所は、旧名アイヌ語で窪みのある場所との意味のシコツだったのを、死骨では縁起が悪いと千歳と改名したと言う。最後まで気持ち良く吹いてくれた北海道の微風に別れを告げて、空港内食堂の札幌ラーメンで腹を満たす。黄色い卵麺がよく汁にからんで中々の味だ。定時にANA404便に乗り込む。機内は満席だった。最近のキャビンアテンダントは容貌よりも、体格を基準に採用すると見えて、大柄な女性が多く、空港などで先頭をきって威張って歩いている機長、副操縦士が貧弱に見えることが往々にあるのは気の毒みたいだ。
今回は期待した微風と共に底の石までくっきりと見える透明無色な海水を眺め、清流のせせらぎの音を耳に、同じく無色透明しかも細菌数がゼロとの当局御墨付流水を甘露甘露と飲むことが出来、八十余歳の人生でかなり汚れた心が洗われる心地気がしたことは望外の幸せだった。
追記
テレビ嫌いの僕ですが、今朝は3時半から起きて女子サッカーの日米対抗の優勝決定戦を見ました。女子サッカーという、日本では不毛の分野で、特別に目をかけてくれる有名保護者、支持者も少ないまま、世界一の栄光に輝いた彼女等の姿が、あの昭和新山の瓦礫上を頂上に向かって這い上がっていく可憐な植物の姿と重なって映ったことでした。
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