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インドはカオスの国であり,混沌の国です。
カオスはギリシャ人が、混沌は中国人がともに頭の中で組み立てた天地開闢時の、文字通り世界が明日海のもとも山のものとも知れない万物流動、万物混迷の状態を想像した状景です。インドはそのカオスと混沌をたして2で割らず、その侭おっぽらかしたような国なので、東からのツーリストも西からのツーリストも、どう考えたらよかんべかと首をかしげざるを得ないような理解不能現象がなんの不思議もなく、次々と起こる土地柄となったのです。その上、亜大陸と呼ばれるのっぺらぼうの大国だけに群盲象を撫すのたぐい、カオス・混沌大好き人は徹底的にハマッテしまい、カオス・混沌大嫌い人は二度と訪れる気にならぬというツーリストにとって魔可不可思議な国が出来あがってしまいました。
この記録はラクノウで学会があり,招待を受けて出かけた3度目のインド旅行の経験で、学会前に無理なスケジュールをたてて初めてヴァラーナスイーに立ち寄った時とアグラへの汽車旅行のお話です。
ガンジス河の日の出は一見の価値ありというので、夜明け前にホテルを出ました。ガートに向かう道にははやくも日の出を拝みつつ沐浴しょうとする人々で相当な混雑、乞食も既に出揃ってそれぞれに細い手を差出し、手のない者はカンカラなど地面に置いて喜捨を乞いいます。
ガートに達する道は何本もあるのですが、細い道は泥と、人やら牛のウンコ、小便でぬるぬるしていて、滑って転んだりした時には目も当てられぬ姿になりそうで、慎重に歩かねばなりません。牛とすれ違った時には汚い尻尾で顔をなでられました。
道路沿いの店や露店には巡礼者がガンジス河の水を土産として持ち帰るガンガージャリーという壷を売っています。聖なるガンジス河の水はいつまでたっても腐敗しないというのですが、もし、それが本当ならば、遂には全人類の破滅を来す世界終末戦争のように、汚水中に含まれている無数、無限の黴菌がお互いに生存競争のために殺し合いをして、最終的に無菌状態となるのかも知れません。
ガートに着いて河を眺めながら一息つきます。ガートとはもともとは岸辺から階段になって河に降りる堤を言うのです。岸辺近くは丸い饅頭型の傘が犇めいており、その下にはチャイを売る店や縁台が並んでいます。女性の脱衣小屋もあります。生憎空は薄曇で、楽しみにしていた日の出は拝めませんでした。小舟を雇って河からガートを眺めることにしました。
ガートは5キロ以上延々と続き、その数は60ほどもあるそうです。ガートの後には壮大な宮殿風の大建築もあれば、倒れる寸前の傾いた寺院もあり、バックパッカーの間で有名な「久美子の家」と大書した壁も見受けられました。
さすが暑いインドも12月、とくに早朝は、相当肌寒く、沐浴している人はそれ程多くありません。みんな真面目に手を合わせたり、瞑想に耽ったり、口を濯いだり、なかには洗濯している者もあります。同じ聖なる川、日本の流れも清き五十鈴川で褌を洗っておれば、「野朗はなんだ。キ印か。」と非難轟々と言うことになるでしょうが、濁り切った茶色の水、浮いているかなりの量の塵芥を見るえるこの国では、それ程の違和感はありません。しかし、我々がこの水を口に含んだら、即日この水そっくりの者を体内で製造、排出する結果になることはまず確実でしょう。
川下にあるマルカニカ・ガートの火葬場では薪は盛大に積み上げ、次々と担架で運び込まれる遺体を要領よく焼き上げていきます。遺体は綺麗な着物を着せられ、白い布に包まれていました。薪は相当に大ぶりな木で、需要が盛んなため、ガート近くに停泊して薪を夥しく積んで船からどんどんと運び込まれていきます。薪のみで焼くと1500ルピーとか、当地にすればかなりなお値段ですが、お手軽に石油をぶっ掛けて焼くと500ルピーで済むとのことでした。ここでも万事が金の世の中で、金持ちは高価な香木で丁寧に焼かれ、あまりに家族が値切り過ぎた貧乏人は半焼けのまま河に流されるそうです。遠藤周作の「深い河」にあるように、写真撮影厳禁、撮れば必ず誰かに見付けられて、トラブルとなるそうですが、これは遺族以外の専門家が見張っていて金を稼いでいるのかもしれません。藤原新也はどのようにして写真を撮ったのでしょう。
ガイドが船賃はツアー料金に含まれているから下船時に船頭に150ルピーだけチップとしてあげてくれと言われ、えらく高いチップだとは思いましたが日本円にすれば大した金額ではなく言われる侭に渡してやりました。
上陸後、やや広い道で、茶色のスカートにセーターという制服らしい小奇麗な服装、瞳の綺麗な上品げに見える小学生と行き会い、写真を撮らせて貰おうとすると彼女は近くの露店で売っていたピンクの蓮の花を取り上げてポーズをとり、撮影後花を僕に差し出すのです。花を貰っても始末に困るし、大人が子供に花を只で貰うわけにもいかず、撮影後彼女に10ルピーを進呈したものです。すると、花をもとの露店に返し、我々が当地でもめったにお目にかかれぬパイサのビタ銭を店番のオッサンにさっと投げ与え、とっととどこかに消えてしましました。 彼女はたった1分ほどの間に9ルビー何パイサのお金を儲けたのです。まさに手練の早業です。
翌日は自由行動で、不浄とされる対岸に渡るため、ガイドを連れずもう一度舟を雇ったところ、なんと150ルピーの請求でした。昨日ガイドにチップをと言われて船頭に渡した150ルピーは、船賃そのもので、会社負担の150ルピーはガイドの懐にすっぽりと入ったことになります。インド人の商売上手は世界中で有名で、各地で成功し、かつ土地の人に嫌われる傾向があるのも無理もないことと納得したことでした。
ラクノウでの学会終了後,主催者のM教授が我々日本人4人をアグラに案内してくれることになりました。彼が何度もなんども「ファースト・クラス」を予約してあると強調するので、前回この国を訪れた時、デリー、アグラ間を清潔で設備のよいタジ・エキスプのスリーパーコーチの快適な旅行を思い出してとても楽しみにしていたのです。案内してくれるM教授一家はセカンド・クラスに乗車するというのでなんだか申し訳ない気持ちになったものでした。
列車は予定通り走っているとの通知を受け、引越し程の大荷物を抱えている教授一家と駅で待ち合わせをすることにしました。 そこでファースト・クラスの予約切符が実は2枚しか取れていないことが判ったのですが、教授は駅長と交渉するからノー・プロブレムだと言われます。この国ではノー・プロブレムの許容範囲が極端に広く、ハブ・ア・プロブレムを意味することがあるのはこの国を一度でも訪れた者にとっては常識なのですが、プロブレムが起こっても何時の間にか何とかなってまたノー・プロブレムに変るのがこの国の不思議なところなのです。
駅は旧植民地時代に建てられた英国風の威風堂々たる建築でした。しかし、その構内の雑踏振りは、日本の終戦後よりも酷く、フォーム中央に大きなボロ切れの塊みたいなももが積んであり、もう少しでふんづけそうになってよく見たら寄り添って寝ている家族の一団でした。その雑踏の中を大荷物を頭上に載せた荷物運びのオッサンが巧みにスルスルと駆け抜けていきます。揚げ物などを売るスナック屋、おもちゃ屋、チャイ屋など各種の露店が並んでおり、犬が2、3匹ウロウロして食い物の残りを掠め取ろうと隙を窺っている間を鼠がサッと敏捷にその脚もとを駆抜け、天井では得体の知れない鳥がギヤーと鳴き、線路上に牛が悠然と散歩しているという有様です。さすが駱駝だけ見当たらなかったのが不思議なくらいでした。
定刻到着の筈の汽車はやはりこの国の「予定通り」1時間遅れて到着しました。数えるのが面倒なほど長々と連結された切れそうで切れない金魚のウンコ式百足列車です。-到着した途端にチャイ屋,スナック屋その他の売り子が一斉に最大の声量で売り込みを始め、その騒がしさといったらヤクザ兼国粋団体の街頭宣伝車も裸足で逃げるほどです。
乗客はデッキまでぎっしりと詰まっている上、まだ降車客が降りない間に乗り込みが始まり,その上彼らの荷物ときたら彼らの躯よりも大きいぐらいで、もう押しくら饅頭の状態です。しかし、不思議なことに阿鼻叫喚の巷とはならず、粛々と無言で押し合っているのです。日本では戦後の混雑時に窓から乗り込む手合いもあったのですが、御当地では窓に檻のような頑丈な鉄格子が嵌まっています。もし,火事でも起きたら大惨事でしょう。
さすがファースト・クラスの入口は少し空いていました。乗客名と座席番号が、昔は読むのに苦労したという手書きではなく印刷はされているのですが、入口近くの適当なところに糊でべったりと貼ってあるのです。座席予約が取れていない同行二人の先生方は取り合えず隣の車両に乗り込みます。こちらがまだまごまごしているうちに、セカンド・クラスに自分たち一家の座席を確保したM教授が舞戻ってきて僕とT君を指定席に案内し、急いで同行二人の指定券確保のため忙しく消えてしまいました。M教授はいかなる手を使ったのか、結果的にはノー・プロブレムでファースト・クラスのもう2座席が無事に確保出来たことでした。ファースト・クラスの座席は進行方向に向い合って上下2段,軽4名のコンパートメントです。ところが我々のコンパートメントはすで田舎から出てきたらしい貧しげな一家6人に占領されており、我々が乗ってきても動こうともしません。M教授は彼らと一言三言喋った後、彼らを退去させるこもなく車掌が来るまで待っていて下さいとまたどっかへ行ってしまいました。やがて車掌が検札に来,僕たち二人の上下の席は空けさせたものの、それ以上彼らの乗車券を調べても何も言わず次のコンパートメントに移っていくのです。やがて,M教授が僕達のためにと、態々家から持参してくれた毛布とシーツを届けてくれました。あの大荷物の中には彼の親切が包まれていたのです。2駅ほど過ぎて今度はどうやらファースト・クラスに相応しい服装の尊大なインド人が乗り込み、自分の指定券も見せずに自分の席であることを声荒く主張すると、図々しく居座っていた彼らは一言も抗弁せずすごすごと退散していったものです。
指定券も持たず、クラスの違う席に平然で居座っている一家、我々の座席のみを空けさせて,あとはあえて彼らを追い出さない車掌、指定券も見せず自分の席だと主張する紳士、そうなるとすごすごと退散する彼らなど、どういう仕組みで世の中が動いているのか、まったく異国の人にはチンプンカンであり、やはりこの国はカオ沌の国であると改めて感心したことでした。まさか、カースト制度の余波とは考えにくいのですが。
なにしろ億を数える人口で、インドの紙幣を見ても判るように十何種類の言語が使われており、多くの人種と宗教が並存し、貧富の差が極端である上、カースト制度が厳然と存在しているのですから、この国を治めるのは大変なことだと思います。昔むかしの大昔に0を発見し、現在シリコン・バレーに沢山の人材を移出するほどの頭脳を持ち、コンピューター産業では世界に一頭地を抜いており、世界有数の金持ちが金殿玉楼に住んでいるのもインドなら、都会にはロクな教育も受けられず、ロクな仕事にも有りつけず、一日数ルピーで生活する路上生活者が満ち溢れ、地方には電気もロクに通ぜず、たとえ通じていても停電が日常茶飯事というのもまたインドなのです。まことに不思議、不条理な国と言わざるを得ませんが、この不思議、不条理国がまたある人にはこの国の魅力なのでしょう。
最後に一つおまけ話をします。この国にはアンバッサダーという国産車が走っています。政府の庇護の下に有名なTATA財閥が製作したセダンで、すこぶる頑丈、何十年前に作ったか判らぬような車が駱駝や水牛を動力とした荷車に混じって時速100キロぐらいで「ハイウエイ」をぶっ飛ばしています。この車は英国で開発,設計された車なのですが、おそらくインドで現地生産をする時に設計図を読み間違えたのか、雑な製造過程のためのミスなのか、すべての車でハンドルの車軸がやや右に傾いて取付けてあるのです。そのような仕掛けの英国車はインド以外にみたことがありません。なんで真っ直ぐに取り付けるように改めないのだろうとドライバーに聞くと、昔からこうだし、この方が上半身をドアに預けて運転できるのでらくちんだからこれでよしという返事が戻ってきました。いかにもインドに相応しい話だと思って妙に納得したとでした。
驚き、桃の木、カレーの木、やっぱり条理と不条理が背中合わせで一致する不思議な国です。インドは。
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