九州には学会や川崎医大の地域同窓生会の口演など仕事がらみで、数度足を運んだことがあるものの完全な遊びの旅は今回が始めてである。今まで見て見えなかったものが見えてきたのは不思議だ。 
 新幹線を博多で下車し、JR九州の守備範囲である在来線のプラットフォームに移るとすべてが変る。L特急は正面から見ればブルドック風短鼻で落着いた黒鼠色だが、普通車は前面が赤と黒のぶち犬スタイル、ジュラルミン製丸だしの車体、ドアの外側が赤で内側が黄などカラフルだ。まだ他のJRでは見かけぬ車種もあるようだ。車両の側面の画などガラス窓の中まで奔放に筆を伸ばして描かれているのが面白い。関西の合理精神の権化か、あるいは単なるケチ精神か、阪急電車が昔ながらの鉄粉いくら付着してもどーってこともない鉄錆色の車体を走らせているのと大違いである。鉄道員の制服も明るい空色だ。おおらか南風気質の反映かも知れぬ。
 鹿児島本線を走るL特急有明9号に乗換えると車窓からの風景も鬱蒼と茂った広葉樹と竹薮が多いのに目につく。九州は松が少なく、海岸沿いにしか見られないようで、個人の邸宅にもあまり松を植える趣味はないらしい。田園は麦の刈入れどきに近いのか一面の枯草色で秋を思わせる風景、なるほど麦秋とはこれかなと思ったものだ。
 二時間弱で熊本に着いた。出迎のM君の車はなんとポルシェのコンバーティブルであった。ポルシェに乗せてもらうのは初めてだ。
 M君は私の川崎医大時代の教え子である。私の指導小グループの学生であるO君が我家に連れてきたのが縁の始まりであった。O君は日本拳法部の猛者で、彼女はその部のマネージャーとのことだったが、車のトランクにいつも木刀が積んであるとの物騒な噂もあった男と楚々たる美人のM君とはまさに美女と野獣の取合わせでの御光臨と感心したことを昨日のことのように覚えている。
 M君は現在熊本の精神病院に勤めており、故郷の群馬への帰路我家に立寄った時、私が循環湯などではなく、掛け流しのなるべく鄙びた温泉に入りたいと言ったことから今回の旅が生まれたのである。 
 彼女は私の希望の沿うよう黒川温泉と指宿温泉の二ヶ所、しかも離れを予約してくれた。早速パソコンで調べてみると二軒ともまさに私の望み通りで温泉街の雑踏から離れた閑静な場所にある旅館であった。  
 女房は余り温泉に興味が無く、若い女性との二人旅にも機嫌よく送出してくれ、M君も離れを予約してくれたぐらいで、二人とも私を信頼してくれていることは有難いが、男性としてはなにやら欠陥製品あるいはオシャカ製品として扱われた感じがしないでもない。     素人女性とは一線を画する学生時代のフアイティング原田かペッティング原田から、卒業後の現代ならセクハラで即刻馘首間違いなしのおさすり原田と渾名が替わったところで大學教員となり、ヘンシーンを決心し、清く正しく美しくの宝塚風の聖ハラダとなったものの、ついには何もセント・ハラダと下落した訳で、うつせみの世のはかなさがしみじみと身に沁みたことであった。
 M君の勤めている病院の院長が同じ川崎医大出身だというので敬意を表しに訪問し、病院を見学させて頂いた。掃除おばさんが作業服を着ている以外、医師も看護婦も皆私服姿で、木目を生かした暖かい感じの病棟は従来の精神病院とは全く異なる印象を受けた。
 たとえ遊びの旅でも、O欲は種一変じて種無し、「実の一つだに無きぞ悲しき」と欠乏状態になっても、知識欲はまだあり、旧弊外科医の私としては専門外の精神科情報を存分に吸収し、午後かなり遅い時間に大津、阿蘇経由で黒川温泉に向けて出発した。途中大観峰に立寄ってくれたものの、生憎の霧で視界が全く利かなかった。しかし元山男としては御無沙汰していた霧の山稜に身を置けただけでも嬉しかった。
 宿泊予定の黒川荘は、黒川温泉のとばくちで田の原川沿いの峡間にあった。麻布だかの白くて長い暖簾が下がっている玄関が茂った雑木の間から現われ、一目で気にいった。本館より「湯もりの宿」と掘ってある石を見ながら坂を下って離れに案内される。百姓家風の藁葺きで荒壁造り、土間に入ると上がりかまちに囲炉裏がきってあり、炭火がすでに赤々と燃えていた。旅館規定の食事時間をかなり過ぎていたので、残念だが風呂は後回しにしてただちに食事とする。
 なにはともあれ、生ビールを一杯頼んで献立に目を通すと 
      皐月のお献立
 一 食前酒 梅酒
 一 先附  クレソン大徳寺麩護摩和え
 一 小鉢  タラバ蟹と八朔霙 
 一 椀盛  グリーンピース擂り流し
 一 向付   天然鯛 他季節もの盛り合   
        せ 
 一 煮物   長茄子とポロ葱のオランダ 
        煮粒蕎麦あん
 一 御凌ぎ  かぐや姫
 一 洋皿  オマール蝦のグラニテソース     
       アメリケーヌ
 一 中皿  馬刺し
 一 強肴  肥後牛炭火焼
 一 揚げ物 稚鮎天婦羅
 一 止椀  鯛潮汁仕立て
 一 食事  小国米
 一 香の物 季の物盛合わせ 
 一 甘味  抹茶アイス ガトーショコラ

 今風の表現では目が点になったというのか、ウッソーと言うべきなのか、滅多とない超豪華版メニューである。谷間の旅館なのでクレソンを使った先附、近傍でとれた小国米の御飯というのも心憎い。しかもそれらも一つ一つタイミングよく、遠い母屋から運んでくれる。よくある旅館の坐る前から冷たくなったおかずが並んでいるのと大違い、お運びさんに渡すポチ袋に慌てて一枚追加したことだった。
 離れにも屋内と露天の温泉風呂が付属しているが、離れ客専用の家族用露天風呂があるというので、食後先ずは探検を兼ねて、彼女とは家族ではない私は一人で訪ねてみる。やはり田舎舎造りの脱衣場があり入口の看板を入浴中とひっくり返せば、他の家族は遠慮する取決めとなっている。
 この当たり特有の柱状石が頭上に迫るかなり広い露天温泉で、風呂の奥は巨岩の下部が抉られた洞穴となっており野趣満々、湯の中央には丸い鼻に丸い目をかっと開いたやや漫画風地蔵のお顔が鎮座している。お湯は乳白色で匂いは殆どない。湯に体を沈めると視点が下がって、地蔵の下まぶたは見えず上まぶたのみが目に入り、浴客に半眼で慈悲深く微笑みかけるのお顔に変ったのが面白い。黒川温泉ではすべての旅館の風呂に入れる入湯手形を出しているが、当館は他の旅館とは離れて建てられており、我々は出掛けるのも大儀でまたその欲求も起こらず、畳敷きの奥の二間で襖を隔てて互いのプライバシーを尊重しつつ、ゆっくり寝ることとなった。
 朝食前に離れ付属の風呂に入る。内外二つともが掛け流しで豊富な湯がどんどんと縁石の間から流れ出ている。露天風呂の方は「この向うは高さのある石垣です。落下に注意して下さい」と浴客が落下するのか、上から何かが落下してくるのか文法上明確を欠く注意書があった。四つ目垣の向うは川に面する断崖である。笹の葉らしい数枚の枯れ葉が川面に沿って川下にゆっくりと飛んでいく。湯上りに絶好な風だった。
 朝食は母屋の食堂でとる。酒飲みの私には酒の肴としか見えない美味そうな小皿が数多く並べられ、またもやビールを一杯との成行きとなった。運転はM君まかせなのが有難い。
 食後九州自動車道を通り、指宿の悠離庵へと向う。鹿児島湾を望みつつ、武家屋敷の面影を残す知覧の街を通り抜け、人影のない山道にかかる。山頭火好みの「分け入っても分け入っても青い山」の曲りくねった林道をひたすら分け入って進む。このあたりは温泉の湧出が豊富のようで道端に蒸気を吹き上げている湯元らしきタンクをニ、三通り過ぎて道を間違ったのかと心配になった頃ようやく遊離庵の駐車場にたどりついた。
 何処からともなく現われた作務衣スタイルの番頭風の男に、前庭に鶏や山羊が遊んでいる萱葺きの母屋に案内された。ここにも土間の中央には囲炉裏があり、生木が燻っていた。一本の大樹の幹から掘り出した椅子が四つほど置いてあった。お値打ちものだ。そこでチェックインを済まし、山合いに田植えを終えた棚田が三枚ほど見え、「蛙の鳴声を聞いて下さい」との立札のある東屋を通って十軒ほどある離れの一つに案内される。ここまでは前庭、母屋ともども昔の田舎風景再現の趣向だ。昨年11月の開業なのでまだ芝居の書割りじみ、少々演出過剰の気味がせぬでもないが、いずれ裁月を経ると落着いて、よい味を出すのに違いない。
 しかし、黒川荘とは異なりここの離れは明るい近代建築であった。洋風と和風の部屋、ベッドル−ムと浴室からなっている。
 なんと寝室にはダブルベッドがしつらえてある。昔ならしめこの兎とにっこりとしたかも知れぬが人畜無害ナチュラルフードかキンチョールおじんには目の毒だ。M君が慌ててフロントに電話し、彼女は隣の離れの寝室に泊まることで一件落着した。 
 今日は早着きなのでまず一浴する。内風呂から庭の露天風呂まで踏み石でつながり、裸のまま移動出きる。どちらも掛け流しで竹筒からお湯が惜しげもなく注がれている。露天風呂は周囲に数メートルもあろうかという幹の長いボルネオ熱帯樹林風巨木に囲まれている。透明な塩味の濃い湯だ。若い女性が惜しげもなく豊かな白い裸身をさらして身をくねらせば画になる風景だが、縁石に少し薄くなった後頭部を枕に醜い老人斑が目立つ太鼓腹を湯から浮き出させても、ポンポコ狸が現われて腹鼓の打ち方を教えてくれる訳でもなく、鳥さえも振向かぬ。空を見上ると雨上がりの夕焼けの空に白い雲が静かに流れていく。近くの知覧には陸軍の特攻基地があり、今この平和な空を、轟々とエンジンの音を響かせた特攻機が開聞岳を祖国の見納めとして飛んでいったかと思うと、こうして温泉にのんびりと湯に入っているのが申訳ない気がして、なにか切ない思いがする。明日は是非知覧特攻平和会館に立寄ろうと思う。
 食事は車で運ばれてきた。前菜の生野菜は新鮮で、葉附きの細長い大根を一本縦割りにして出されたのが面白かった。ドレッシングがやや薄味に過ぎた。メインディシュは名物黒豚と薩摩牛のしゃぶしゃぶである。黒豚の生産量と街での小売量との間には大きな差があるという話を何かで読んだが、ここでの黒豚は本物に違いなく、確かに味が濃くて、廉い飼料で飼われた豚特有の嫌な匂いがない。ポン酢醤油と胡麻だれで食べたが、イタリアンドレッシングを使うのも面白いかも知れぬ。名物きびなごも出た。さより同様味の薄い淡白な小魚だが、こんな小さい魚を生きのよい姿のままの骨取りして食膳に供するのは技術を要する仕事だろう。御飯は蟹入り釜飯だった。
 帰路、知覧の特攻平和記念館を訪ねる。入口近くに特攻隊員が寝泊りした三角兵舎が再現してあった。館内には特攻機や彼等の遺影と遺書などが陳列されていた。もう現代日本の若者とは人種が違うようなきりっと引き締まった顔立ちで、字も達筆だ。遺書の日付を見ると終戦間近な6月を過ぎてからの出撃が多かったのが悲しかった。「戦争を知らぬ子供達」M君には特攻機がいかにも貧弱に見えたようだ。敗戦近くの日本では資材も欠乏、旧制中学生の私達も学徒動員で切り余りのブリキ板から慣れぬ手付きで飛行機の蝶番を工場で造っていたぐらいだからチャチなの無理はない。
 遺書の中に、慶応の塾生のものがあった。枢軸国として日本と組んでいたドイツ、イタリーがすでに降伏したのも全体主義国の運命として当然であるとし、同じ主義の日本もまた同じ運命が目前に迫ったいることを言外に述べながら、一人の自由主義者として死んでいくと書かれてあった。あの時代にこれだけ冷静な現状分析をする知性と曲げぬ信念を持ちつつ、祖国への義務として死地に向った彼の心中を察すると、思わず遺書の字がぼやけてみえた。M君も始めて垣間見るらしい戦争中の壮絶な男の世界の生きざまに、かなりのショックと感慨を覚えたようだった。特攻隊員達はもはや決死隊ではなく必死隊だったのである。決と必の間には天地ほどの差があるのだ。この記念館も特攻平和記念館とせず、特攻鎮魂館とするべきで、なんでも平和とつければよいと言うものでもないだろう。
 今日は天気がよく、車をオープンにして走る。M君は、レースカーのエンジンをそのまま載せたような暴れ馬ポルシェを巧みに操り、快適にかつ安全に走らせてくれて、夕刻前に無事熊本に帰着した。ホテルで少憩後桜M君の案内で桜肉専門店に出掛ける。馬肉のまたの名を桜肉と称するのは
  咲いた桜になぜ駒つなぐ、
       駒が騒げば花が散る
に由来したと聞いたことがあるが、これはややペダンティックに過ぎた解釈で、ただ単に空気に触れると酸化して鮮やかな桜色となる肉を愛でてのことからだろう。この店にはいろいろな馬肉料理のメニューにあったが、なんと言っても馬肉特有のあの甘さを味合うには刺身に限る。熊本焼酎と馬刺しを腹一杯飲んで食って、今まで経験したことのない贅沢三味の湯の旅は楽しくその幕を閉じたのであった。
 このような旅のスケジュールを組んでくれたM君に心から感謝して擱筆する。 
 
今回はカメラを持参しなかったので、劈頭の写真は悠離庵のパンフレットから借用しました。