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中国の中国西南部に位置する貴州省は97パーセントが山岳地帯で平均標高1000メートル、それほど暑くも寒くもなく年間平均気温17度ですが雨がよく降り、農業、林業以外たいした産業もなく「天に三日の晴れなく、地に三里の平地なく、民に三分の銀なし」と貶されている地方ですが、また多数の少数民族が住んでいるので有名です。
「寄れや寄って来い安曇の踊りに、
田から町から野山から、
チョコサイコラコイ」
同省の山深い小村、台江県施同の祭、姉妹飯の会場である清水江の河原で、ミャオ族の渦に巻き込まれたとき、周囲の山また山の風景と相俟って咄嗟に思い浮かべたのは安曇節の一節でした。
旧暦三月五日から三日間行なわれるミャオ族−漢字では苗族−の祭「姉妹飯」も、遠い山道を徒歩で或いは船を利用して田から山から、野山から陸続としてこの施同に同族が集まって来るのです。
姉妹飯とは、少数民族の一つであるミャオ族の血を絶やさぬために生まれた知恵で、一種の集団見合い途も言うべき祭なのです。したがって祭の主役である適齢期の娘は期待に胸を膨らませ空身で歩き、母親はその後から祖先伝来の20キロを超えると言う冠や首飾りなどの銀製品その他の重い祭衣装一式を天秤棒に担ぎ、不平も言わず幸せそうな表情で、遠い村からは夜の夜中に出発して一日がかりでこの村に集まって来ます。
ミャオ族は、当地方の山の中腹から山頂にかけてそれぞれが小部落を形成して住んでおり、部落周囲の急峻な山をそれこそ一分の隙間もなく利用した見事な棚田で米をつくってひそやかに暮をたてているのです。
少数民族としては人口が750万と多いもののお互いに離れた山中に住んでおり、同じ部落内では同姓が多く、同姓との結婚はできぬ不文律があるため良き伴侶を見付ける機会が少ない上、漢族との結婚は偏見や経済的格差が大きすぎて相手にしてもらえず、同じ山中でも川傍近くに住む他の少数民族スイ族−水族−との結婚にはこれまた相手がより貧しいので敬遠するという理由もあるにせよ、結婚は同族間でと言う不文律があるからでしょう。
そこでミャオ族の年頃の娘を持つ親達は一計を案じ、おこわでつくった握飯などをご馳走をすることにより若い男を周辺の村から集めて娘の伴侶を探す機会をつくったのが姉妹飯の起りだということです。
昔はその握飯の中に詰め物をし、糸が入っていれば結婚しても良い、唐芥子が入っていれば友達でいましょう、石が入っていれば脈なしという意思表示をしていたそうです。あからさまな求愛表現よりも、また嫌いな場合にも相手の面子を人前で潰さぬ東洋的な味のある方法と言えます。
今回も招待した彼等を管轄する地方政府のお偉いさん、トップはすべて漢族の御光臨に対するお世辞的サービスが主目的だったのかも知れませんが、揃いの民族衣装を着けた女連中がずらりと村に通じる道の両側に並び、ミャオ族特有の大きな被り物その他祭衣装で飾りに飾った本日の主役娘達が村の入口で道を塞ぐように訪問客を待ち受け、水牛の角に満たされた歓迎の酒を飲み干した人のみ村に迎え入れという伝統儀式を行なったのも、やはり婿探しである姉妹飯本来の目的の表現かと思われます。七十過ぎた耄碌爺、招かざる客uninvited
guestの典型に違いない私もそこは抜け目なく乙女達から一杯飲まして頂き、その後村の広場で振舞われた黄、赤、紫などで色着きおこわやおかずもちゃっかりとお相伴に預かりました。勿論糸などが入っている筈もなく、あまり清潔でない食器で供されるので、肝炎ビールスが入っていないかと心配したのみでした。
ミャオ族の木造の家は決して立派とは言えず、まあ、おしんの実家程度、伝統建築の遺風か、経済的事情のためかガラスさえ嵌めていない小さな窓の薄ぐらい家から掃溜めの鶴よろしく、現代、すべてが簡易化に向っている文明社会ではもう滅多と見られぬ百鳥衣と称する絢爛豪華としか譬えようがない重厚な祭の衣装娘が現われるのですから、そのアンバランスにはまさに驚き桃の木、山椒の木です。
彼女らの顔立ちは、漢民族よりも目鼻立ちが大きく、くっきりとして立体感のある現代風、枯れたおじんの血が騒ぐほどの美人が多かったことは事実です。ミャオ族は流亡の果て、海を渡って台湾の山岳民族や日本民族の祖先となったという説があり、「血は水よりも濃し」と親類の娘を見るような近親感があります。
彼女らの被り物を含む祭の銀製品は細工が細かいだけに非常に高価で、先祖代々から伝わった家宝であり、代を重ねるごとに少しづつ買い足していくとのことでした。被り物は各部落によりその様式がかなり異なるのですが、基本的には、鳳凰か水牛の角かのデザインが主流だそうです。ミャオ族は鳥と楓の子孫という言い伝えもあり、また水牛は今こそ使い様のない山中に逼塞していても、遠い昔は長江農業の担い手であったことに由来しているようです。施同の村では鳳凰でした。首飾り、といっても直径何センチもあるリングを繋いだネックレスやブラーメン型ペンダントを顎が埋まる程ぶら下げ、その上赤地に四角と丸の銀細工を格子状に張付けた飾りスカート風のものを前下がりに腰に巻いています。また、それらの装飾品の各々にいろいろな銀製の下げ飾りがぶら下っているのですから文字通り「めくるめく」ばかりです。それらは娘達が歩く度にお互いにぶつかりあってシャンシャンシャンと極めて涼やかな音をたて耳まで祭気分を楽しませてくれます。ただし足もとまでには手だか金だかが廻らないと見えて、近代風ビニール靴など貧弱なのがご愛嬌でした。
このような祭の通過儀礼をとっくの昔に過ごしたオバハン達も、揃いの縦縞の入った赤地の幅広の布切れをヘアバンド風に頭に巻き、ミャオ族が得意とする細かい刺繍だの染め模様だのの入った赤と黒を基調とする衣装を着用、やはり洒落者だか、金持ちだかはこれまた豪華な銀製のペンダントだのネックレスをぶら下げています。髪形もほぼ一定で豊かな黒髪を頭上で髷様に纏めており、パーマネントをかけた婦人は一人も見受けませんでした。
これらの銀製品は、複雑な細工が施されているにも拘わらず、銀製品特有の酸化して黒ずんだ錆が隅々まで全く見られないのは余程磨き方にコツがあるのか、錫など他の金属がかなり混ぜてあるのかのどちらかでしょうが、そんな失礼なことは祭の最中に聴けるものではありません。また大げさな被り物なしで簡単な飾りを頭上に付けた娘もいましたが、彼女らは売りだし前か、売りだし後のバーゲン娘か、あるいは家宝の被り物などを持っていないプロレタリア階級の娘なのかは定かではありませんでした。
先祖代々立派な銀装飾品を持った家族が経済的に没落した場合、それらを他の家族に渦り渡して換金することもあるのか、死んでも話さないのか、あるいはこのような平穏無事、天下泰平の部落ではそのような経済的変動そのものが起り得ないのかも、氣になるところです。まあ、他人の疝気をおじんが氣にやむことはありません。
我々の泊った民宿の主人呉さんは、これからの政府の観光促進政策を先取りして民宿を副業として始めた頭脳明晰オジサンで、本職は銀細工師であり、この地方の銀製装飾品製作を一手に引き受けており、しっかり儲けているのか、村一番の金持ちと見受けました。
ところが姉妹飯の目的である肝心の若い男性の方はとみれば、盛装どころか全く見栄えもせぬ普段着姿、特に娘に積極的にアッタクする様子もなく遠まわしに娘の品定めをしているだけのようで、なんとなく腑抜け風なのは、日本と同じく現代若者気質の一端かもしれません。孔雀でも発情すればオスが派手な色彩の羽根を広げてメスの氣を惹くものなのですが、期待している盛装娘に対して失礼千万な話です。祭での男女の服装の大差には中国政府が少数民族の独立精神を助長するのを恐れ、男性は民族衣装を着用することを禁じた御触れをだしたことが影響しているとのことでした。
男女の氣が合えばそのまま祭から抜け出して彼等特有の健脚利用で遠い山の中に隠れて愛を囁いたと言うのは今は昔の話、今夜は村の小学校の校庭で1対1の口説き交渉大会?が始まるという噂が飛び、これを見物せねば祭の価値が半減するとばかり、阿波踊りよろしく「見ねば損、損」と一杯機嫌で随行の運転手に大枚のチップをはずんで物好きにも出かけてみましたが、校庭はがらんとして熱烈口説き、熱烈抱擁、熱烈接吻などいう風景は陰も形もありませんでした。何処か街の片隅など人目につかない所で口説きが行なわれていたのかも知れませんが、そのような場所を覗きに行くことは、最早聖人近いおじんの趣味ではありません。
最近、東南アジアの少数民族たちがなぜ彼等特有の民族衣装を、お祭など特別な日のみなら話は判りますが、日常衣としても着用し続けているのか、疑問を持つようになりました。
例えばミャオ族の場合、彼等は漢民族の圧力に耐えかねて生活に便利な長江流域から、不便な山間僻地に追い上げられたと推測される非圧迫民族の後裔です。その敗者である彼等が、その存在を誇示するべく旧時代から伝わる民族衣装をそれぞれ日常にまで身に着け続けている習慣は不思議と言えば不思議なことと言わねばなりません。
勿論、他民族との交流の機会が少なく、他民族の影響を受けにくい山間僻地に孤立して住んでいることも大きな原因ではありましょう。しかし、敗戦後すぐに「come、
come every body」と英語の日常会話の放送がNHKで始まり、旧来の習慣を簡単に捨て去って、服装を含め生活すべてがアメリカナイズされ、伝統的衣装である着物さへ日常生活から瞬く間に姿を消した日本民族とは、なにか根本的に気質の違いがあるように思えてなりません。
祭を例にとっても、日本では観光客目当てを除き、皆で楽しむという雰囲気は次第に少なくなり、乗り気もしないが、近所付合いでやむをえず参加している気配が窺えるのに較べ、老弱男女、村人たちのすべてが祭を伝統行事として村中総出で愉しみながら行なっている感じが濃厚なのです。
同族との交流もままならぬ僻地にお互いに離れて住み、単純ながら棚田を昇り降りして行なう重労働の農作業を毎日繰り返し、娯楽の少ない彼等としては、このような大掛かりな人の集まる祭は、数少ないハレの日であり、伝統衣装で着飾ることは何にも増して大きな愉しみであることは間違いありません。
アニミズム、シャーマニズムから生じた多神教は先祖もまた神になる訳で、祖先崇拝、擬似血縁集団の色彩の濃い宗教です。その意味で、姉妹飯の起りが婿探しという俗な理由から起ったとは言え、祖先を同じくする民族が、伝来の衣装を身に着けて彼等の結束と団結を再確認し、しかも同族結婚促進策のこの祭は、多神教としてはドンピシャリ、祖先が満足されること請け合いの行事で、伝統として定着したのに違いありません。
異端は常に排除される世の中で、あえて異端であることを示す特異な民族衣装を部落内のみならず他の民族との接触の場である街のマーケットに出掛けるときにも着用するのもこのような考え方の延長線上にあり、祖先の遺風を護り、彼等の誇りとアイデンティティを保つ手段と考えると納得がいきます。また同じミャオ族でも、彼等の衣装がある一定のパターンを護りながら、部落によってそれぞれ差があるのも、日本の祭で、各町内毎に神輿や山車の華やかさを競うのと同じ心理、それぞれの部落の誇りとアイデンティティを示す感覚に由来すると思われます。
この祭の身分不相応と言える銀細工衣装も、この旅で祭のあと立寄ったトン族の数百年前に建てられ鼓楼、風雨橋など自分達の住居とはかけ離れた立派な建造物を大事に保存しているのも「今でこそ山間僻地で豊かとは言えぬ生活を営んではおれど、我々は過去既に高度の長江文化を築いた民族の後裔なるぞ。有為転変は世の習い、少数民族とてこけにするでない。漢族がなんぼのもんじゃあ!」と一寸の虫にも五分の魂、彼等の気概を無言のうちに示していると解釈できるでしょう。他の東南アジアの少数民族も同じ感覚で民族衣装を着続けているのでしょう。
しかし、彼等は血統と伝統の純粋さを保っためには,或いは保っているが故に、他文明に目と閉ざす外光拒否症となり、ただひたすらに旧套墨守の弊に陥り、彼等の生活上の改善進歩は未来永劫望み薄となる恐れがあります。
現在単一民族といっても、多数の異民族の混血である日本人は、同化と移り身の速さが特徴で、民族のアイデンティティも誇りもニの次、ひたすら経済的繁栄のみを追求する民族におちぶれたのも問題ですが、彼等もこのままでは将来観光客の見世物的存在に堕する恐れもあることを彼等自身が弁えているかどうか、他人事ながら心配なことです。
後記。この写真にある地坪の風雨橋は、我々の帰国後洪水のため流失したそうです。
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