北京市街と郊外

瑠璃廠の街角とお茶を売る姑娘

和平門から南に下がると清代の町並みが残る瑠璃廠がある。文房四宝の
筆、墨、硯、紙、骨董品の店が軒を並べている。その他印材、篆刻、古
書などの店もあり此処での買い物は値切る楽しみもある。噂によると開
発の波に押されて近い将来町並みが消えるという。



 
万里の長城(八達嶺)

紀元前5世紀、周の時代に北方騎馬民族の侵入を防ぐために築いたのが
始まりで、秦の始皇帝が30万の軍兵と数百万の農民を動員して、全長
約6,700qの長城を完成させた。その後も歴代の皇帝が拡張、修築
を行い現在の八達嶺は明時代に築かれたものである。入り口から左が男
坂、右が女坂で、男坂の方が急坂なので登る人が少ない。
パンプスで登った人が、後日3日も歩けなかったことがあるので必ずス
ニ−カ−で登ること。
多くの観光客はバス又はタクシ−で往くか、北京北駅から八達嶺行きの
観光列車もあるのでゆっくり走る列車の車窓を眺めながら往くのも楽し
い。




頤和園

北京市外の西北約15q万寿山と昆明湖からなる清朝の離宮中国最大規模の
皇室庭園である。アヘン戦争の頃1860年英仏連合軍のよって焼き払わ
れたがその後、清代光緒帝が帝位を承継した時に、西太后は清国海軍の経
費を流用し、西太后専用の避暑別荘として修復した。頤和園シンボルとな
っている佛香閣と長廊(写真中央)は観る価値がある。現在は北京市民の
公園として親しまれており、正面の昆明湖は冬になるとスケ−ト場として
賑わっている。



 


                                 円明園
北京市の北西にある清朝の離宮跡。もともとは長春園、万春園を合わせ
た3つの園の総称である。
1709年から清の政府は全国から名工、名石を集め、宣教師らの指導によ
って150年の歳月を費やして完成させた。
それはヴェルサイユ宮殿を模した絢爛豪華なものであったと言われてい
る。
1860年アロ−号事件によってアヘンを合法化する条約の批准を迫る英仏
連合軍によって徹底的に略奪、破壊が行われた。現在徐々に修復が行わ
れているが、中国人の心の中に歴史的被虐の事実が忘れ去ることがない
ように現状を残すことを望んでいる人が多い。教育の一環として必ず遠
足や修学旅行には立ち寄る。





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