大理2

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大理2(Dali)
座観浮雲 古城の時はとまる


翌日からは、いよいよ怠惰な生活が始まった。

紅山茶賓館の中庭には、ドレミレストランという店があり、外にテーブルが四、五台置かれているが、私はこのテーブルが気に入ってしまって日がな一日ここで過ごすことが多くなった。

空は来る日も来る日も快晴で、西洋人の女の子たちはTシャツ一枚で手紙やら日記やらを書き綴っている。

私は午前中からここに陣取ってコーヒーなどをちびちびすすり、やはり日記などをちょろちょろ綴り、さらに鼻の穴をぼそぼそほじった。

私の自慢は親指が鼻の穴に入ることで、これは上海雑技団の何者もまねは出来まい。これで金儲けが出来るのならこんな良いことはないのだが、今のところこの目論見はまだ成功していない。

このようにあまり有意義でない事を考え、そして通りがかる顔なじみを捕まえては世もやま話しに明け暮れた。天国とはまさにこの事で、この世に出現してこのかた、こんなに充実した日々を過ごしたことはかつてなかった。

大理城南門。この内側に街がある。
昨夜の旅人風がやって来た。彼は北陸でアジアの民芸品屋を2軒も経営しているという実業家で、名を大山といった。
今回の大理行は商品の調達が目的で、だが、控えめに言っても43%はやはり個人的な楽しみで来ている様だ。最もそんなことを口にすると奥さんに来させてもらえないので名目はあくまでもビジネス100%。

彼は10年も前、解放されたばかりの大理に既に訪れていて、彼の話してくれる当時のエピソードや、奇人変人の話は本書の10倍は面白い。彼に言わせればこの10年で大理は様変りしたという。今は当時を見る陰もないとのことで、少しオーバーな気もするが、しかしおそらく変貌を遂げたのは間違いなかろう。出来ることなら私もその頃の大理を見てみたかったものだ。

だが、変わったのは町だけではなかった。当時大山青年が知り合ったペー族の乙女は、今やヌカミソおばさんになり、子供を連れて歩いているのだ。

時間が止まっている様に見えるこの大理も、やはり確実に時の流れに支配されている。時間とは残酷なものだ。

“Time Waits For No One”

4時頃になって顔見知りの学生達がぞろぞろ帰ってきた。今日は30キロ程北の沙坪で週一回開かれるバザールを見に行ったという。早朝出発して今帰って来るのか…。まっぴらゴメンである。

夕刻、大山氏とホテル周辺の外国人向けレストランを離れて、他で飯を食おうということになり、二人で町に出たかけた。

復興路にはよく見てみるとイスラムレストランが何軒ある。やはりカワリモノとみられる西洋人が数名、店内でその好奇心を充たしている。

どういう歴史の経緯かは歴史学者でない私にはわからないが、ここには西方のイスラム系の回族も多い。城内にはモスクもある。

細い路地へ少し折れたところに中華レストランらしき店を発見して入ってみる。建物の二階に通されると大きな中国風丸テーブルが六台ほど並んでいて、しかし広めの店内はがらーんとしていて客はゼロ。

大きな水墨画の壁画などあり、その雰囲気からしてどうやら高そうな店で、お互いにしまった!と顔を見合わせて狼狽したものの、もはや出るのもままならず、仕方なく諦めて席についた。

少し日本語を話す女と二人の娘が、ばたばたとまるで三年振りに客が来たかのように動き回る。そして我々の前に厚めのメニューが出された。

恐る恐る開く。一品20元位の料理が並んでいる。
ギクリとして次々とページをめくってゆくと、あとのページには安いものもあって二人して胸を撫で下ろした。

落ち着きを取り戻して一人の娘にオススメはどれかと聞くと、最初のページに戻って高いヤツを示す。このあたりはどうしてしっかりした仕事人である。

メニューをアワテテ安いページに戻し、4、5元くらいのを何品か注文した。

思えば上海のジャズバーで一本40元のビールを苦もなく飲んでいた私もずいぶん変わったものだ。

上海上陸当時、1万円を両替すると780元程くれたものだが、二月中旬に日米なんとか協議が決裂したしたとかで一日、二日で猛烈な円高になり、この頃には820元位になっていて、ずいぶん得をした気分になった。だが私は日本を出る時分には旧ソ連に行くつもりでもあったため、ドルを多く所有していたから、本当は損をしていたのである。もっとも海外で使ってしまう分には変わりはないが。

この店では冷えたビールを、娘がちゃんとお酌をしてくれる。こんなことは今旅行中、後にも先にもこの店のみであった。
だが、我々二人が食事の最中ずっと傍らで直立不動で立っていられるのはなんだか落ち着かない。懸命に“外国式”サービスに努めてくれているのだ。

青椒肉絲に似た炒めものに、白菜のあんかけ、トマトと卵の炒めものが出てきた。それにご飯。

食べる。

二人で顔を見合わせた。

う、旨い!何だこれは。旨すぎる!

我々は歓喜の声を上げた。

これは決して大げさではなく、本当に旨いのだ。

さらに鍋ものが運ばれた。土鍋と下に敷いている皿の間に酒か、アルコールを含ませており、娘がボッと火をつけて、そしてふたを開ける。湯気がほわーと立ちこめ、中に、山芋、糸こんにゃく、白菜、豚のベーコン、菜の花などがぎっしり詰まっている。お碗にとって、食べる。
涙が出てきた。

気が遠くなるくらいに、旨い。

これで、ビールもいれて、ひとり一二元くらいなのである。
世界では様々な種類の料理があるが、「食は中華」と私に認識させた瞬間である。
もはやまがい物の日本食を求める理由はなくなった。

すっかり満足しきった我々がホテルの前まで戻ると、ハッピーレストランではいつもの顔触れが今日もカツドンを食って騒いでいる様だった。


「ハオ・プ・ハオ」

紅山茶賓館の門の前には外国人目当ての民族衣装を着たみやげもの売りのおばさんや、靴磨きのオヤジがいつもたむろしている。この名文句を口癖にしている靴磨きのオヤジは当ホテルの名物男になっていて、通る客を捕まえては、

「ハオ・プ・ハオ(磨かせてくれんかね)」

と、連呼する。その積極的な営業精神は見上げたものだが、これまでの経験からいくらフッタクラレルかわかったものではないので、しばらくの間は完全に無視していた。
最初にこのホテルに来たときには、門のすぐ脇にある売店にまで付いてきて、人の靴をつかまえてやれ汚れているだの、やれひびが入っているだのとしつこくつきまとうので、

「ディス・イズ・メイド・イン・ジャパン。グッドよ、グッド」

などと、わけのわからない英語で断わっていたが、なおもしつこく食い下がるオヤジに最後は怒鳴ってしまった。後で部屋に帰ってから靴を良く見ると、それは中国製であった。

それでも顔を合わすごとに、

「ハオ・プ・ハオ」

と性懲りもなくやって来るので、私は呆れ果ててしまい、そのうち妙な愛着さえ湧いてくる様になった。

ついに、オヤジに靴を磨かせるときがやって来た。

「ハオ・プ・ハオ、ウーマオ、ウーマオ」

ウーマオというのは5角、日本円で6円である。

「絶対ウーマオだな!」

私は念を押すと靴をオヤジに預けた。オヤジは、やっと営業の成果が花咲いたと喜び、ブラシで靴の汚れを丹念に落とし、クリームで磨きにかかった。今日も良い天気である。と、一瞬油断していると、すり減ったかかとにゴムをあてている。
私は驚いて靴をひったくった。

「余計なことをするな。ウーマオ、ウーマオだぞ」

するとオヤジは、こんなにすり減っている、ほら、ここにはひびが入っている、と力説する。
今度は私がウーマオ、ウーマオと連呼する。
あきらめてオヤジはクツミガキのみで靴を返してよこした。

私はウーマオを渡す。

するとオヤジは、片方ウーマオ、両方でイークワイ(1元)と言う。色々考える男だが、そんなことは知らない。私は靴をはいてオヤジの前を離れた。

オヤジは、困ったなー、どうしようかなーという表情で半ベソをかいている。さすがに私もオヤジが気の毒になり、もうウーマオ渡した。

とたんにオヤジの顔が明るくなる。私はこのオヤジが好きである。

大理から耳海へ行く途中の道で
馬車とすれ違う
日は昇り、そして日は沈む。ドレミレストランの私のテーブルには、顔見知りが入れ替わり、立ち替わり現われては、いろいろな面白い話を聞かせてくれ、そして貴重な情報を与えてくれる。

ヨーグルトシェーキはうまく、カレーがこれまた旨く、さらに大理ビールを飲むとこころよい酔いが回ってきて、うつらうつらと昼寝。
さすがに手持ちぶたさになると、耳海湖畔などに赴き、ペー族の夫婦の洗濯を眺めたりして過ごした。

ある日などは、絵葉書一枚をしたためるという大仕事を成し遂げると、驚いたことに、日が暮れた。

罰金100元氏がやってくる。

「いやきのう寝違えて肩が痛くてね。これはどうすれば直りますか?ほっといてもいいんでしょうか」

アンマに行けと回答する。

初日に会った例の学生三人組のうち、二人は兄弟なのだが、兄の方が昆明からバンコクへの飛行機があるという情報を聞きつけ、急遽昆明に戻ることになったという。弟はこの兄の発案にたいそう不満なのだそうだ。

そういえば、ヒマラヤ男はあれから顔を見ないが、どうしたのだろう。蒼山を諦めて他へ旅立ったか、頂上で氷づけになっているのか、どちらとも大いに可能性がある。

大山氏登場。奇人変人の話。

『ボクはコメットさんと言います。君はいい人だからボクのお友達にしてあげよう。はい、これがお友達カードです』

大山氏が貰ったそのカードは、No.503であった由。

このコメットさんはこの世界では有名人だったそうで、彼は奇妙な俳句を創出する才能を有し、その名句は、東南アジア各地の安ホテルの部屋の壁に時折見られたという。ただ、ここ五年くらいは彼の噂を聞かなくなったとのこと。

他にも、ツルッパゲの老名主の話、ココム違反の運び屋女の話、昆明で朝ジョギング中子供が一人行方不明になり、夕方の昆明テレビに出演した家族の話、などなど。

そうこうするうちに、さらに一日、二日と日は過ぎて行き、なじみの顔触れも少しづつ変わってゆく。しかし私は旅立つことなど考える気にもならなかった。

貴陽での宮本の言葉が甦ってくる。

『あなた、大理へ行ったらビザの期限全部使い切ってしまうかもしれませんよ』

最後の部分はデジタルリバーブがかかっている。

ある午後、復興路より一つ山側の道沿いにあるJim's Peace Cafeでコーラを飲み、愉快なマスターと談笑していると、ここ数日顔だけは知っていた北海道から来たという三人組がやって来た。中和寺へ登ろうとしたが、この日は風が強くて引き返してきたという。

その後ろから入ってきた一人の男がすっとんきょうな声を出す。

「あれっ、あれっ!あなた船で一緒だった人じゃないですか」

よく見ると確かに見覚えのある顔である。ウルムチへ行くと言っていた斎藤である。斎藤は続けた。

「あなたウルムチへ行くと言っていたじゃないですか!」

「そっちこそウルムチへ行くと行っていたじゃないか。お互いに『それじゃあ、ウルムチで会えるかもしれないね』と行っておきながら、なんで大理で会うんだ?」

大爆笑である。

他にもう一人河口という人類学専攻の学生がいた。さすがの文化人類学の専門家である私の知識も、10年の歳月を経てことごとく風化しており、現役の彼にはかなわなかった。

話は進み、例のバカウマレストランの事を私が持ち出すと、それでは今夜はみんなで行こうということになった。

夕方、大山氏の部屋へ行くと、あいにく留守。また彼のみぞ知る穴場にでも出かけたらしい。

約束の時間にホテルの門へ行くと、話が広まったらしく人数が男女合わせて十名になっていた。彼らを引き連れ、総勢11名の日本人が大理のメインストリートをカッポする。
おそらくこの日大理にいた日本人ほとんどであったに違いない。

料理はこの日も旨かった。

その後、5、6名で再びJim's Peace Cafeに飲みに行く。北海道三人衆のリーダー格、須田が店にあったギターで“Stand By Me”を弾きだす。

この須田という男も妙な男で、実は私はこの旅行を終えた三カ月後、何の因縁か怨念かわからないが、再度中国に赴くことになり、今度は内モンゴル自治区の大草原へ行くことになるのだが、この時は今旅行の様な風来坊ではなく、ネクタイを締め、スーツに身を包んだジャパニーズビジネスマンとなっていた。
その途中、北京のホテルで(このホテルがたまげるほど超一級のホテルで、一泊の宿泊料がこれまた天文学的数字で、今だにいくらであったのか理解できていない)日本の衛星放送を観ていると、この須田が相変わらずの風貌でタコヤキを食っている様子がブラウン管に写し出されていた。

この時の中国行きが、これまたケッタイなエピソードに満ち溢れているのだが、それに関しては本書で触れるつもりはない。

話をJim's Peace Cafeに戻すと、北海道三人衆の中でも特にうるさい、かつ愉快な男が中野であった。
常に話題をふりまき、不可解な行動を起こす男で、そして酒を飲むと講釈をタレる癖があった。

ここ雲南は例の“ゴールデントライアングル”に近いせいもあって、マリファナ目当てに来る者も少なくない。私は今回はやらないことに決めていたので勧められても吸うことはしなかったが、ちょうどその話になった。

「あのね、ニイサンがどんなにいい人であってもね、もしそんな物を吸うなら、俺は付き合わないよ」

あれで案外正義感があるのだ。さらに酒が入って饒舌になる。

「酒を飲んで吐いたりする奴は、酒なんて飲む資格なんてない。自分で自分の管理も出来ないんだよ、そういう奴は」

その夜中、ホテルのトイレで彼の嘔吐の音がこだました。

三人衆のもう一人、小室は一番常識を備えた口数の少ない男で、暴走する他の二人を巧みに制御する役割を負っている。実に素晴しいトリオである。

この夜は他に人類ガクシャ河口と、中国語学科の学生、長戸らがいた。

須田のギターは続き、興に乗った私は調律の狂ったピアノでビートルズナンバーなど弾き始めたりして、会は大音楽会となった。

次の日も夜はやって来たが、今度は嘘のようなことが判明した。

この夜はJim'sの並びの、おばさん一人でやっている店で食事をしたが、福田という和歌山から来た学生が私の横で料理をほうばっていて、その彼との会話。まず私。

「いやね、俺は本当はカシュガルへ行くつもりだったんだけど、上海で妙な男にそそのかされてね、それで大理に来ることになったんだ」

「僕も本当は上海から北京へ行くはずだった。だけどやっぱり人がこっちの方が面白いと言うので…」

そこへそのとなりに座っている斎藤が話に加わる。

「僕もそう。変なオヤジがウルムチなんか行くなと言うから」

私に不気味なヒラメキがよぎった。

「斎藤君、キミ、浦江飯店にいたって言ってたよね」

「そう」

「あれ、福田君、キミ、海佳飯店にいたっていうけど、いつ?」

三人の頭にある共通の思いが湧き起こったようであった。

「あっ!」

「あっ!」

「あっ!」

私が他の二人を制し、あと一つ、二つの事柄を確認した。結論に到達した。

「竹ノ内さんだ!」

何としたことであろう。上海のあの竹ノ内は、近くにいる旅行者を片っ端から大理に送り込んでいたのだ。

その三人が、今ここで椅子を並べて飯を食っているのだから、すごい。

福田は私が上海を早朝発ったその日の午後、あの六人用ドミトリーにやって来て、そして、私のベッドの後に入ったというのだ。彼は明神とも会っており、そして私のウワサも聞いていたらしい。
事実は小説より奇なり。

おそるべし、タケノウチ。


喜州の踊り子たち。
ポーズも決まっているのだ。
ガクシャ河口と大理の北にある喜州というやはりペー族の町へ行く。ここでペー族の音楽や舞踊が観られるというのだ。
私はDATを持って勇んで出かけたのであるが、この催しは結局取材の対象になるほどのものではなかった。
完全に観光客用の見世物で、テープで流す音楽をバックに、わざと仰々しく着飾った民族衣装の娘がバタバタ踊る。三道茶をすすり、いくばくかの金を払ってそこを出ると、何だか見てはいけないものを見た気がしてドッと疲れが出てきた。

次にもう少し北にある周城という部落まで足を延ばしてみる。割合大きな、石造りの部落で、趣のある家並みを二人でぶらぶら歩いていると、一軒の家から喜州の踊り子がふらっと出てきた。

いや、あの踊り子ではない。地元民だ。
こっちは演出なしのザ・ロストワールド
頭には白く大きなティアラのような布製のかぶりものをかぶり、使い込まれてははいるものの、赤や白のあのあでやかな衣装。 ここでは、日常生活にはきわめて不向きと思われる、あの仰々しいフルコスチュームで生活している!。
傍らでは別の女がやはり、フルコスチュームで洗濯をしている。

石造りの家並みと民族衣装。まるで映画の撮影所である。ロストワールドと呼んでもいい。貴重な体験であった。

ホテルに戻ると大山氏がいつもの彼らしからぬ浮かない顔をしていた。
注文しているパーカーのサンプルがまだ出来ないらしく、それで店に行ってみると、店主は居らず、仕方なく使用人のミシンがけの娘と話していたら、彼女らの一日の給料が3元であることが判明したというのだ。

3元。

朝8時から夜9時まで、一ヵ月休みなく働いても90元。日本円で1080円。私は朝食だけで毎日6元は使っている。

「俺は、俺は、彼女らの健気な労働を踏台にしているのだ」

大山氏はそう言って声を震わせた。

そうなのである。世間では対中投資だ、東南アジア進出だ、などと浮かれているが、所詮先進国の人間は、このような開発途上国の人々を踏台にして自分たちの生活を維持しているのだ。

彼らの身を切るような労働のおかげで、OLは海外旅行に明け暮れ、オヤジは家のローンを払う。
私も後ろめたい気分になってきた。

人間は皆平等だなどと、誰が言ったのだろう。


夜、Jim'sでガクシャ河口達と酒を飲んだ。北海道三人衆はすでに麗江に発ってしまい、何だか場が静かになった。

「やつら、今頃麗江でサムイサムイと震えているぜ」

誰かがそんなことを言う。また彼らと会ってみたいものだ。

河口が言う。

「僕と福田と二人であさっての朝、麗江へ行きますけど、一緒にいきませんか」

この頃、私の頭にも一つの考えが現われ始めていた。

この、のんびりした日々は楽しいが、私はリゾート地に保養に来たのであったろうか。私は何を求めて旅に出たのであったろうか。

この河口の一言は、私の気持に区切りをつけた。

私は大理を発つことにした。


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