日本

|| TOP | |

日本(Nippon)
ある男の旅立ち

カシュガルという町がある。遠くタクラマカン砂漠の果てのオアシスの町である。古くは隊商が行き交い、多くの勇気ある冒険家が立ち寄った、いわゆるシルクロードの秘境の地である。
すでにこの世界はおおかた調べつくされてしまった。テレビをつければ、この世のあらゆる秘境の映像が流れ、我々はコーヒーなどをすすりながら眺めることが出来る。もはやヴァスコ・ダ・ガマやマルコ・ポーロの様な冒険は不可能といえる。
それでも“秘境”という言葉には人を引き付ける魔力があり、多くの日本人諸君も内実そのような所への逃避願望があるはずだが、むろんのこと実際に行くこともなく、今日も今日とて仕事に勉学に、あるいは家事に励むのである。 それはとても喜ばしいことで、そうでなければ我が日本社会は滅びるというものだ。
しかしながら、ある時頭の中の真空管(?)がピシリと音をたてて切れてしまった男がいる。結果、常識を司っている回路が働かなくなり、かのオアシスの町めざして旅立ってしまったのである。
この反社会的男の行動は速かった。長年勤めた会社をやめ、アパートを引き払い、駐車場代は踏み倒し、話を聞きつけてやってきた友人が持ってきたバックパックに、方位磁石やら釘ヌキやら目につくガラクタを片っ端にほうりこみ、あれよあれよという間に日本国からいなくなってしまった。
それでも異郷の地へたった一人で行くわけである。それなりに予習を試みてはみたらしい。 まず、カトちゃんの所へ行った。カトちゃんとはドリフとはもちろん関係無く、彼の知るところの中国人留学生なのであった。カシュガルまでは中国国内を汽車に乗り、バスに乗り、大河を渡り、山を越え、砂漠を這いずって行くのである。この思いつきは実に的をえているように思われた。
ところがこのカトちゃん、中国人を20ん年もやっているにもかかわらず、てんで中国事情にうといのであった。そのかわり食べ物の事になると知識豊富で、蘭州のラーメン、上海の臭豆腐、中国点心の数々、新彊のハミクワ、さらには天津の狗不理、上海の清真飯店といったレストランの名前などの話をうれしそうに延々と続けるのであった。
カトちゃんのおかげで中国料理についてはいささか博識になった彼が次に行なった事は、テレビの中国語講座を見る事だった。
その頃彼が知っていた中国語といえばシェーシェー、ニーハオとあと二つの言葉のみであった。実は彼が中国に行くのはこれが初めてではなかった。その前年、北京へ行っていたのである。その時持って行った中国人と渡り合うための武器がその二つの言葉であった。
一つは『ミンテン・テンチー・ハオ(明日は天気が良い)』というもので、これは北京で知り合いの張さん達と夜飲んでいたときに簡単に出番があった。ところがもう一つの武器『ニイ・ビイ・メイクイホア・ピャオリャン』の出番がなかなか来ない。そうこうするうちに四日間の滞在も終わり、帰りの空港まで来てしまった。
北京空港の中の免税店の一角に、ちょっとしたスナックカウンターがある。そこからは駐機中の飛行機が良く見え、ビールをぐびりとやるのにとても良いのだが、そのカウンターに色白のポッチャリした美女がいた。てきぱきと仕事をこなしている彼女に彼が見とれていると、ある瞬間、目があった。彼はそこでやおら第二の武器を使用したのである。
「ニイ・ビイ・メイクイホア・ピャオリャン」 これがどうも通じた様で、彼女は狼狽した。そしてやや間をおくと彼女は笑みを浮かべ、自分の胸の名札を見せて名前を教えてくれたのである。
  ―趙冬梅―
なんと可憐な名前であろうか。
しかし悲しいかな、それ以上中国語の話せぬ彼は、後はニコニコ笑う事しか出来なかった。
そして飛行機は北京空港を後にした。
第二の武器の意味とは?

          『君は薔薇より美しい…』

さすがに今回のカシュガル行きにこの二つの武器だけでは心細かったらしく、彼はブラウン管に噛りついて、
『ノン・プ・ノン・ピエンイー・イーデアル(ちょっとまけて下さい)』
『ウォー・ダ・フーチャオ・プー・チェン・ラ(私のパスポートがなくなった)』
さらには、
『チンウェン・イーシャー。コー・プ・コーイー・ゲイ・ウォー・ジエシャオ・イーシャー・ジョ・フージン・ダ・ビンゴアン(ちょっとお尋ねします。この近くのホテルを紹介してくれませんか)』
といった言葉を必死で覚えた。もっともこれはあとになって、
『ビンゴアン・ツェンマ・ツォー(ホテルへはどう行くの)』
と言えばよいことがわかった。
この甲斐あって旅立ちの日には、彼は以前の5倍もの語学力を身につけていたが、二つの言葉の5倍であるからして…、まあそんなもんである。
次に彼はNHKの“シルクロード”のビデオを観た。喜多郎の、次元の狭間から流れ来るような旋律と、ウルトラマンでおなじみ石坂浩二のナレーションが、敦煌を、タクラマカン砂漠を、そしてカシュガルを、ドラマティックに描き出す。これはもう夢に見る場所ではない。すぐにその地をこの俺は踏みしめるのだ。彼はそうつぶやきながらポテトチップをかじるのであった。
さらに彼の気を高揚させたのは、あるロックの名曲であった。
レッドツェッペリンといえば世界の頂点をなしたハードロックバンドである。その楽曲にはヘヴィーなロックンロールの他に大空間を創造するようなイマジネーション溢れる曲も多い。あるとき『ツェッペリン』に針を落として聴いていると何度となく聴いていたある曲が頭の中でカシュガルの印象と結びついた。“THANK YOU”という曲である。人間の想像力とは大したもので、映像からうける刺激の数倍もの広がりをもってそれは彼を包みこんだ。そして彼はこの曲をDATに入れて旅行中持ち歩くことになる。
ついでに言うならば、さすがに喜多郎を持って行くのはあまりにも安直と考え、他にはサンタナの“キャラバンサライ”やちょっとした旅行には必ず持って行くビートルズのホワイトアルバムなどを持ち物とした。
このような準備を電光石火で終えると彼は横浜港へ向かったのである。
この反社会的男の彼とは、つまりこの私のことであった。

旅立ちである…




|| TOP | |