≪5ランダム5≫
旅☆好き!
旅☆好きっ! Ring master taka
神奈川名水めぐりに投票する
旅行・地域ランキング
鎌倉五名水の碑
上之宮神宮
下之宮神宮
下之宮神宮
上之宮神宮
海蔵寺の十六井
海蔵寺は、臨済宗建長寺派に属し、開山は心昭空外。足利氏満の命により、上杉氏定が建立したとつたえられています。”十六井”は本堂左手道筋の崖下の、鎌倉期様式のやぐら(洞穴)に清水をたたえた”十六の井”があります。
英勝寺の井戸&湧水
英勝寺は鎌倉では唯一の尼寺で、水戸中納言房卿の准母である英勝院尼の創建で、寺域は広く風致極めて幽静といわれ、寶珠殿と呼ばれる仏殿には徳川三代将軍家光公寄進による運慶作の”阿弥陀三尊如来像”を安置している。仏殿・鐘楼・祠堂(廟・水戸光圀建立)唐門などの建築様式は、他の鎌倉諸山とは異なりそれは室町末期桃山系統を象徴する江戸初期の名建築で、県指定文化財として異色を呈している。境内には数多くの井戸があり、お茶会に利用されているようです。
名水処一覧表へ
底脱ノ井(鎌倉十井)
海蔵寺境内にあり、鎌倉十井の1つです。中世の武将の安達康盛の娘・千代能が、ここに水を汲みに来た時、水桶の底がすっぽり抜けたため、「千代能がいただく桶の底脱けて、水たまらねば月もやどらず」とうたったことから、この名がついたといわれています。井戸の底でなく、心の底が抜けて、わだかまりが解け、悟りが開けたという投機(解脱)のうたです。
和賀江島
”六角ノ井”の井戸端は八角形、二角は逗子の分で残り六角は鎌倉分なので”六角ノ井”という説があります。また、この井戸は別名”矢の根井戸”。伝説には、鎮西八郎為朝は保元の乱で敗れ伊豆大島に流罪になっていましたが、あるとき海辺で腕ためしの為に鎌倉の天照山を的に弓を射た。強弓で有名な為朝は流罪にあたり腕の筋肉を切られていたが、その強弓は衰えず18里を超えてこの井戸に落ち、村人が矢を抜いたが矢の根が残ってしまい、のちに、村人が矢の根を抜いて”住吉明神”に奉納したが、水が腐ってしまったので井戸に返したと伝わっています。
頼朝公は神仏の加護を願って、日夜お祈りを捧げたのです。 文治元年(1185)の巳の月の巳の日に不思議なことが起こりました。一人の老人が頼朝公の 夢枕に現れて、「ここから西北の方向に仙境があり、きれいな泉が岩の間から湧き出してい ます。 そこは清浄な地で福の神が住んでいて、その水を使っています。この水こそは真の神の 霊水なのです。この水を絶えず使って、神仏をまつれば、人々は自然に信仰心を起こし、 悪魔や邪鬼も退散して、国内はすぐに平穏に治まります。私こそは隠里(かくれざと)の 主である宇賀神です。」というとその姿を消しました。夢のお告げの通りに西北の谷に泉を 見つけました。そこに岩窟を掘らせ、宇賀神をまつり、その水を使って神仏の供養を続けると 国中は静かになり、人々は富み栄えるようになり、これがここの起こりだといわれています。 その後、正嘉元年(1257)巳の年の中秋に、時の執権北条時頼公は、頼朝公の信心を 受け継いで、隠里の福神を信仰しました。その時、公は「辛巳(かのとみ)」「なる」 「かねの日」がすべての人々に福徳が授けられる日だと調べ、この日に人々が参詣することを すすめたということです。 また、この時弁財天を信仰する者が、持っている金銭をこの水で洗い清めると同時に、 心身を清めて行いを慎めば、不浄の塵埃が消えて、清浄の福銭になるといい、率先して 持っている金銭を洗って一家繁昌、子孫長久を祈りました。以来七百余年銭洗井は 鎌倉五名水の一つとしても天下に聞こえ、四季の参詣者は絶える事はありません。                 御由緒より
瓶ノ井(鎌倉十井)
鎌倉十井の1つ、あじさいで有名な「明月院」境内にあります。岩盤を垂直に堀り貫いて造ったとみられ、その内部が水瓶のようにふくらみがあることから「瓶ノ井」と呼ばれ、鎌倉十井の中でも現在使用できる井戸としては数少ない貴重な存在である
太刀洗井
太刀洗水
泉ノ井(鎌倉十井)
鎌倉十井の1つ、泉ケ谷”浄光明寺”近くの個人宅(飯田様)の門前にあります。
石清水井
由比若宮の近くにある井戸。
星ノ井(鎌倉十井)
鎌倉十井の1つ、別名、星月井。昼なお暗いこのあたりで、井戸を覗くと昼間でも水面に星が見えたという伝承が名前の由来という。江戸時代には”星月井”は有名になり、極楽寺切通しを往来する人の為に「かけ茶屋」が建ち、井戸の水を売っていたが、関東大震災後には「かけ茶屋」も廃業した。
銚子ノ井(鎌倉十井)
鎌倉五名水”日蓮乞水”近くにある鎌倉十井の1つ。
六角ノ井(鎌倉十井)
小坪トンネルに入る手前の路地に入ってしばらく行くと、鎌倉十井の1つ”六角ノ井”の前にでます。途中”和賀江島”前の(碑がある)海岸に降りる道があります。
鉄ノ井(鎌倉十井)
鶴岡八幡宮の近くにあり、鎌倉十井の1つで水質清冽甘美にして、盛夏といえども涸れることなし、その昔この井戸より高さ5尺余りの鐡観音を掘り出したので”鐡井”と名前が付けられた(銘文より)。その鐡観音は鎌倉の新清水寺にあった観音像でしたが、鎌倉時代の火災で崩れてしまいました。江戸時代に頭部がこの”鐡井”から掘り出されました。なお、鉄観音は明治初年の神仏分離の令に際し、明治9年に東京の”大観寺”へ移され以後”大観寺”の本尊として今日に至り、昭和47年4月東京都の指定有形文化財に指定されました。
銭洗水(鎌倉五名水)
正式名は銭洗弁財天宇賀福神社。源頼朝に、巳年の1185年(文治 1)、巳の月、巳の日の夜、「この福水で神仏を供養すれば天下泰平に治まる」という夢のお告げがあり創建されたと伝える。その後、北条時頼が霊水で金銭を洗い、一家繁栄を祈った。それが今日の銭洗信仰の始まり鎌倉幕府の始祖源頼朝公は治承7年(1183)幕府を樹立しましたが、永い戦乱によって国民の 生活は苦しくなっていました。
日蓮乞水(鎌倉五名水)
現在の横須賀線名越坂踏切り近くに井戸があります。この井戸は”日蓮乞水”、”日蓮水”と呼ばれている。日蓮上人が建長5年(1253)鎌倉に入られたとき、水を求められると、ここから湧き出し、以後日照りのときも水が涸れることなく流れ出たといわれています。
甘露水(鎌倉五名水)
北鎌倉山ノ内地区にある”浄智寺”参道入口の石橋のほとりにある”甘露ノ井”は鎌倉十井の1つとして名高いです。文献によると”甘露水”とは、「観音菩薩が所有している浄瓶(じょうへい)に湛えられている水で、どのような仙木でも生き返らせる事ができる」と記載がありました。。
太刀洗水(鎌倉五名水)
横浜金沢と鎌倉を結ぶ”朝比奈切通し”の途中にある。高さ4〜5メートル・幅2メートル位の小さな滝から流れ落ちています。梶原景時が千葉上総介広常を暗殺したときに刀を洗ったと伝えられています。尚、”太刀洗井”は滝から十二所方向へ30メートル位先にあります。
鎌倉五名水と鎌倉十井