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2001年1月・2月分  3月分  4月分  7月・8月分  10月分  

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2004年1・2・3月分  2004年4月分  2004年5・6月分

 

 

2004年9月3日

 昨日、ウチの研究室の助教授夫妻に子供(♀)が誕生した。おめでとうございます・・・・。助教授氏も、これで「オヤジ」か(笑)
このことで、同一生年月日&血液型の元同僚T吉と話をしてたんだが、もし、誕生がもう1日前(すなわち9月1日)だったら、ギャグだったよなあ、と言い合っていた。

 阪神の代打の神様・八木様が今季で引退だそうだ。日本一(1985年)の翌年に入団し、ずっと暗黒時代の阪神を支えてきた功労者。昨年、夢だった優勝を成し遂げたことで、引退を決心したとか。。。今のクソコーチ陣を一掃して、和田(現二軍野手総合)コーチとともに一軍コーチしてくれへんかなあ。これに伴って久慈も、、、という情報はあるが、久慈はまだまだ必要なんじゃないかい? あと、藪がFAでメジャー行き確実と報道されているが、これだけ阪神で頑張ってきたんだかた、気持ちよく送り出してやりたいと思うのは私だけだろうか。。。

 球界再編で揺れているが、渡辺恒雄はエエ加減にしろや。テメェ、不正の責任取って球界から去ったんやろが! だったら球界に口出しすんな!この痴呆老害が!!!

 

2004年9月1日

Happy Birthday! to Me!!!

などと言ってみる。一応、今日は私の誕生日である。

何歳になったって? ・・・知らん。忘れた。

この日になった瞬間に彼女がお祝いの電話をくれた。年齢はどうでもいいとして、やっぱ嬉しいものである。
誕生日になった瞬間(9月1日午前0時0分)に研究室に居るのはブルーだから、無理矢理ドライブに出かけていた(笑)

あとは、弟子(予備校の昨年の教え子。現大学生)からその類のメールが来ただけ。

その他は、誰も相手にしてくれねえ。研究室も予備校(の生徒ら)も。フンッ!

・・・おまけに、私の誕生日だというのに、阪神はナゴヤドーム7連敗を飾る始末。

 

2004年8月30日

 とほほ・・・・・。やってもた。

コンタミやってもたぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!

 朝、昨日の朝7時に継代したHEK293T細胞がまだ浮いてるし、底にくっついてる細胞も広がってないし、と思って、イヤ〜〜〜な予感をさせながら、夕方までインキュベータ内で経過観察(という名の放置)をして、夕方に位相差顕微鏡で覗くと・・・・

ぼんっ

ってかんじでバクテリアども増殖してが培地内をウヨウヨ・・・。(汗)

・・・・・即刻処分しましたです(泣)

 先月だっけ、先々月だっけ、、、、Jurkat(ヒト白血病性Tリンパ球)の培養してる培地内でコンタミってもた時なんか、バクテリアどもがJurkatをワッセワッセと押しのけてたもんなあ(汗汗) (Jurkatは浮遊性細胞なので底にはくっつかない)

 コンタミって何って?コンタミネーション(contamination)の略。直訳は「汚染・汚濁」なんだけど、ここでは細胞培地がバクテリアで汚染されることを言う。

 

2004年8月29日

 朝7時に作業を終え、帰寮。12時台の「アッコにおまかせ」と、1時台前半の「新婚さん!いらっしゃい」を見た後、就寝。20時には起きてNHK大河ドラマ「新選組!」を見るはずだったが・・・・。しまった!20分オーバー。20分経過したところで大慌てでTVをつけると、、、、ありゃ!近藤勇(香取慎吾の役)の正妻・つね(田畑智子の役)と妾・深雪太夫(優香の役)が寺田屋で鉢合わせ〜〜(爆)・・・なんてシーンだった。一瞬、TV消してしまいそうだった(笑)
 その後、「行列のできる法律相談所」を見たら、ここにも香取慎吾が(笑)。香取はどうでもいいとして、香取とともにゲストだったいとうまい子(伊藤麻衣子)を(久しぶりに)見たけど、レギュラーで出てる磯野貴理子と同じ年(40歳)!!!・・・・なんて信じられなかった(笑)。スゲー・・・。40を超えた大人の美女と言えば代表格が黒木瞳。元ピンクレディーのMie(未唯)は・・・最近急にフケてきたか(笑)。渡辺満里奈は・・・失礼!まだ34か(でも美人だね。私的には元おニャン子の中では1番)。ほかにそれなりに思い当たるけど、これらの「大人の妖気を醸し出した美女」って感じじゃないんだな・・・。25に見えてもおかしくなかった。しかし、あのルックスで40?!(何度も驚く)。司会の島田伸助には「40にもなって子供みたいな顔しやがって」とツッコまれてたが(笑)

 

2004年8月27日

 結局、徹夜して採点を終えた。終えたのが朝8時。10時からの研究室セミナーには余裕で間に合ったが、セミナーの2人目の発表時は眠くて眠くて仕方なかった。 しかし、今回採点したのは、全部、どう見ても現役生と思えるものばかりだった。まぁ、まだ入試問題に対して慣れてないのもあるだろうけど、ホントに日本語がメチャクチャである。 このことは、私が普段、非常勤で働いている予備校でも講義時間に口を酸っぱくして言ってることだが、論述するときに日本語が成ってない文章が多すぎる。 もっとも、答案(用紙)に向かって説教こくのは無駄だけど、(いつも出講してる)予備校でこんな答案発見したら、教官室に呼び出して「この文章、声出して読んでみろ」というトコから説教モンである(笑)。 受験生物を解くのに生物学力だけじゃアカンですよ。理系だけど国語力も必要。

 半分寝そうになりながら実験しちゃアカンね。今日、大腸菌からプラスミド精製するとき、大腸菌の(菌は遠心で落とした後の)上澄みを少し、膝にこぼしてしまった(核爆)。 まぁ、病原菌でもなければ、病原遺伝子を形質転換させてるわけでもなく、この類の大腸菌は自然界では生き延びれないくらい弱体化させているものなので、放っておけば勝手に死ぬのだが、やっぱ気持ち悪い(笑)。 ズボンの上から、膝の直にも、3回、エタノールスプレーをぶっかけて消毒・・・・(爆)。
 まだこの程度だったからよかったが、学部3回生のときの実験中、濃硝酸を左膝から左脛(すね)にかけてブッこぼしたことがある。 その時、500ml褐色ビンに3分の1ほど残ってた濃硝酸がほとんどなくなるくらい(左足に)浴びた。さすがにすぐさま激痛が走り、トイレに駆け込んで左足を洗面器にドカッと乗せて水道水をひたすらかけまくった。 左足の皮膚は赤くなって3日間ヒリヒリ(どころじゃない超激痛)するし、この時はいていたクリーム色のズボンは、左足部分がピンク色に変色(要するにニトロ化したんだな)してしまっていた(泣)

 

2004年8月25日

 某K塾の全国模試の採点依頼(というか、答案引き取りに来い、という催促)が来た。どうやら引き取り日が前日の24日だったようだが、その連絡はなかった。 某K塾側は私に、前日か当日に電話連絡入れると言ってたのに、何の音沙汰もなく、引き取り日を1日過ぎて、どうなってんの?って尋ねられてもねえ・・・。 仕方ないから引き取りに行って採点作業したのだが、この締め切りが2日後の昼。かなり無茶である・・・・。

 

2004年8月24日

 金メダルと取るために結成したアテネ五輪・野球日本代表・プロだけのドリームチームが、準決勝でオーストラリアに(予選に続いて)負けた。しかも0−1の完封負け。 7回の日本の攻撃で、二死走者2人のときに打者は阪神・藤本。ここでオーストラリアは、我らが阪神タイガースの守護神、ジェフ(ウィリアムス)を投入。 ・・・・負けたな。ここでもう悟った。藤本はポップフライに打ち取られ、残り2イニングも(予想通り)完璧に抑えられ、最後の打者、ゴミ売の高橋(由)は、これまた予想通り無様な空振り三振でゲームセット。 五輪の試合じゃなく、普段のセ・リーグ(阪神戦)の試合を見てる感じだった。そりゃあ、普段ジェフを攻略できないセ・リーグ打者の面々が五輪でジェフを打ち負かせれるわけねえだろ。

 

2004年8月22日

 いつの間にか、朝になっていた。前夜、3時過ぎまで飲んでいて、4時くらいから、この日記を更新しつつ、科学エッセイの作成作業をやっていたら、朝8時。・・・一睡もしてない。大丈夫か、私?と思いつつ、宿泊部屋の撤収作業(案の定、散らかしていたから、片づけるのに20分を要した)、そして、朝食。朝食は9時までなので、8:50に何とか駆け込み、9:10に食事終了。9時過ぎたあたりからか、K嬢が寝ぼけ眼でノコノコと食堂に(笑)。3時までの飲みの後、オリンピックをTVで見てたらしい・・・(汗)。

 この日の朝の、というか、今回最後のワークショップ・・・・出席した講座を見誤ってしまったと思った。「科学コミュニケーション」という題材だったから、「コミュニケーション=対話」という図式の先入観でその講義が行われている研修室に入っていったが、想像とは全然違った。日本科学未来館というところのスペシャリスト(学芸員みたいなもんか?)が、その館についての話をしてただけだったので、眠くて途中で爆睡。・・・で、気がつくと、いつの間にか討論の時間になっていた。私は状況が全然把握できず、何が行われようとしてるのか、理解できなかった。しばらくして状況が理解できたが、「RNA」というお題で、一般人向けに「出版」という手段でのプロデュースを討論して発表せよ、、、というものだった。いきなり「はぁ????」な状況で、睡眠不足も手伝って何も頭に浮かんでこなかった・・・。
 このワークショップの後半は、東大の院生でありながら、2002年に「有限会社リバネス」を設立(今年、増資して株式会社化)してその代表取締役社長をやっているという26歳の青年の講義だった。でも、言っていることは非常に理解でき、納得でき、賛同できる内容だった。いわゆる「小中学生の理科離れ」がよく言われているが、小中学生が理科(実験)が嫌いなわけではない、大人(教師)が実験をやらせないだけ、実験指導能力が欠けているだけ、授業(喋り)だけで理科を叩き込もうとするから理科離れが増えている・・・。そこに目をつけ、小中学校へ行って児童・生徒に「研究をさせ」て「生命科学への関心を高めさせる」ことを事業にしている・・・。しかもこの会社の役員はみんな大学院生でバリバリ研究しながら・・・らしい。すげえバイタリティだな。

 ワークショップも終わり、昼食時間。眠気覚ましのコーヒーのせいで胃モタレを起こし、不味い昼食を摂る気にはなれなかった。昼食後、総会(夏の学校の役員やオーガナイザー一人一人の挨拶、しかも新旧の!!)がメチャメチャ長く、眠くて仕方なかった。そんなの一人一人に喋らせずに代表がまとめて挨拶すりゃ早よ終わるのに・・・。来年の夏の学校は京都らしい。行ってみてもいいかな、来年も・・・。総合すると、楽しかったし。

 その後、科学ライティング講座の集会があった。前日、林衛先生が「昨年は参加者の半分くらいは、最終日までに(1度目の)完成させてたよ」なんて言うから徹夜でエッセイを作成したのに、私以外誰も完成させた者はいなかった・・・・(泣)。で、結局、私はその(一応の)完成文を読まされ、、、(汗)。前半は自画自賛級の出来と思っていて後半がなんかシックリ来ないなあと思っていたが、その通り指摘された。「こうこう、こうすればいい」とは言ってくれず「(後半部分を)もう1回練り直してみなさい」とアッサリ。

 ようやく撤収。この日のTシャツはタイガース(背番号6入り)Tシャツだったので、これもしっかりとツッコまれた。そう、この後、高校の同期ハニハニを伴って神宮球場へ、ヤクルト−阪神戦を観戦しに行く予定だったからだ。バッグの中には応援用カンフーバットも入っている(爆)。いったん新宿へ戻り、バスターミナルのコインロッカーに荷物を放り込んで、、、と思いきや、コインロッカーが全部埋まってる(泣)。そこから、コインロッカーを探して何十分と彷徨ったことか。おかげで肩を痛めた。ようやく東口のルミネ横の空きコインロッカーを見つけ、荷物を一旦放り込む。300円入れて施錠をしたあと、あることを忘れているのに気がついた。しまった、神宮球場のチケットをカバンから出すのを忘れてた(核爆)、、、、ということで、カギを開け、チケットを取り出して再び300円入れて施錠(泣)。既に疲れ切っており、千駄ヶ谷まで行って球場まで歩く気力は失せていた。ハニハニを落ち合ってすぐ、タクシーに乗り込み、タクシーで球場へ乗り込んだ。

 初の神宮球場である。阪神にとって、ナゴヤドームと並んで鬼門の球場。昨夜は延長12回で1点差勝ちだったが、その前の日は負けて6連敗を喫していた。その6連敗になった日、試合後の岡田(監督)が3塁側ファウルゾーンを歩いて撤収中にカンフーバットや日本酒が岡田をめがけて投げ込まれて「辞めろ」コールが起きていたらしい・・・。さすが、神宮の虎党は噂通り過激やなあ。昔の野村時代、神宮で負けた時にスタンドから投げ込まれたビールで野村(当時の監督)がズブ濡れになったこともあるらしいからなあ。
 先発は、阪神が2年目の三東(初先発)、ヤクルトがベバリン。初回、いきなり岩村に2ランを被弾して重苦しい空気になったけど、この日はすかさず同点に。2回表、矢野が倒れた後、この日のスタメン葛城が三塁打!鳥谷が歩かされ、一死1,3塁で投手の三東。ここでスクイズだろ、と誰もが思っていたのに、強攻策。これが何と初打席初安打初タイムリー!! そして相手の失策(暴投)などでもう1点。2回裏からは三東が立ち直り、ピンチを背負っても0封に。
 3回表、金本兄貴が倒れて一死走者無しで桧山。キターーーーー!!!一死走者無し男!桧山フラグ!! すなわち今季の桧山は、「一死走者無しの打率が6割強、二死走者無しでもかなりの打率。ただし、無死1塁の時のゲッツー率も最悪。無死1塁と一死1塁時は最悪」。その桧山は一死走者無しで案の定、二塁打。矢野がタイムリー打って桧山生還、3対2。
 4回表は先頭打者の三東がまたまたヒット!(この時点で打率10割) さすがに、投手が2安打してるのに、野手が凡打じゃあカッコ悪い、と感じたのか、続く1番・赤星、2番・関本が連続ヒットでさらに1点、3番・今岡は不運のセカンドライナー、4番・金本がピッチャー内野安打で満塁!!さて、一死満塁で5番・桧山。ライトに打球は飛んで、我々の陣取るレフトスタンドは湧いた・・・・が、フェンス直前失速。最低限の仕事(犠牲フライ)に終わった。6番・矢野はサードゴロ。
 7回表、風船上げ。関東の球場ではジェット風船禁止な球場が多い中、神宮だけは許可されている。7回に(不振でスタベン(スターティングベンチ。スタメンに対する造語)の)ジョージ・アリアスが代打で出るも三振。7回まで点が入らず、7回裏から、ルーキー桟原(さじきはら)がリリーフ。
 8回表、猛虎の猛攻。一死後、今岡がホームラン!! 金本兄貴も!と思われたがフェンス前で失速。そして、前打席満塁でミスショットの桧山二死走者無しでまた何かやってくれると思ったら、今度はホームラン!! 矢野四球、7番・葛城の代打立川がクリーンヒット、ここで8番・鳥谷。レフトスタンドは「KO!KO!スワローズ」の合唱からチャンスマーチになって押せ押せムードだったが・・・・・鳥谷三振。予想してたとはいえ、情けないのう。9回表、赤星が猛打賞となる3本目のヒットで出て今日2個目の盗塁成功。後続は続かなかったが、9回裏、(1点失うも)「あと1球」コールの中、最後の打者・岩村が三振でゲームセット!7対3で圧勝した。ロードなので今夜のヒーロー三東(初先発初勝利&初打席初安打初タイムリーなど2安打)のインタビューは聞こえなかったが、久々の六甲おろしの大合唱。途中、雨にもさらされたけど、いやあ、気持ちよかったねえ。しかし、神宮球場、狭いなあ。初回の岩村に浴びた被弾だって、甲子園じゃあライトフライだよ。・・・声が嗄(か)れた。

 このあと、神宮球場から新宿へタクシーで急行した。もう1人と合流して近くの飲み屋へ。もう一人とは、「夏の学校」に来てたK嬢。このK嬢とハニハニを引き合わせ、後日、K嬢のグループとハニハニのグループで合コンをさせるための、第1回顔合わせだった。さて、今後、どうなることやら(ニヤリ)

 3日間(いや、木曜の飲みと泊まりも入れたら4日間か)、非常に充実した日々だった。K嬢からは(私が)マジメで研究熱心な姿が感じ取れる、と(たぶんお世辞だろうけど)言われ、こんなことウチの研究室の連中に聞かせたら親指下げてブーイングもんだろうけど、イメージというのは大切なんだなあ、と実感もしてみた(爆笑)

 

2004年8月21日

 朝、起きれなかった(爆)
 起床7時、9時までに朝食を済ませ、9時から12時までワークショップに出席・・・の予定だった。だが、起きたのは12時過ぎ(核爆)。あーあ、久しぶりにP450(薬物代謝に関与する酵素)の話を聴こうと思っていたのに・・・。
 昼からシンポジウム。これは選択制でなく、全員参加で、タンパク質のフォールディングやタンパク質の一生(誕生つまり翻訳)からフォールディングを経て、やがて死(分解)に至る話を、4人のお偉いサン方が4時間かけて講義してくださった。1人目の阪大・後藤教授は、私が阪大の院試説明会に行ったときも説明してたのだが、その時に使っていたアニメ(?)をまた使っていた。その絵、好きやなあ・・・と思いつつ。アミロイド沈着(痴呆や狂牛病などの原因)の話、2人目、3人目とユビキチンの話(すんません、あんまし覚えてない)、4人目が細胞周期の制御に関わるタンパク質の話・・・。

 夕方5時、ここから6時45分まで夕食時間&自由時間である。こんな早い時間に夕食なんて・・・・と思いつつ、宿泊棟に戻って、シャワーを浴びた。昨夜、飲みで遅くなりすぎてシャワーを浴び損ねてたのだ。ここのシャワー使用時間が17時から23時まで、とあったからだ(だが、東大医科研D3・K嬢は、夜中3時に堂々とシャワー浴びたんだそうだ。しかもフツーに湯が出た、だと・・・)。夕食前にシャワーを済ませ、夕食。先日もそうだったが、ここの食堂、1回500円分くらい(それ以上?)のくせに(私は前払い済)、東北大の学食だったら300円台程度の分量しかない。ふざけんな!(と思って憤慨していたら、サラダバー付きでその値段らしい。知ったときには、全「食事」日程を終えた後だった)

 夕食後、ポスターセッション&懇親会。ポスター参加希望者がポスターを出していたが、参加人数の割にはあんまりなかった(という私もポスターは出さなかったが)。で、「懇親会」だから、また酒が入る・・・。で、酒が入って一番やかましかったのは、教授陣だったりするから、こういう会って何でもありなんやな(笑)。しかし、実際の学会で、ビール片手にポスター会場で質疑応答があったら、どんな光景なんだろうか(笑)
 ポスターセッション&懇親会(という名の飲み会)の最中、東京理大B3のJ嬢と喋っていたが、来年の研究室配属では(東京理大の)某T研究室(わが研究室と関わりの深い、知るヒトは知る研究室)を希望、、、、するべきかしないべきか悩んでた。マスターから外に出るか、そのまま上がるか、というのも悩んでたので、私なりの(おふざけ一切なしでマジメに)アドバイスだけしておいた。まぁ、間違ったことや悪いことは言ってないから、大丈夫じゃろう(笑)。まぁ、あと、J嬢も「科学ライティング講座」参加者だったので、構想練れたかどうかの話をしたり・・・
 その後、その講座参加者だけ別の研修室に集められて討論会。また余計なプレッシャーかけられるし・・・・。

 この日も午前0時頃、中央広場で約20名程度か・・・?集まって、夜空の下、さらに酒を飲んでいた(爆)。私も科学エッセイの構想を練らなければならないのに・・・。

 

2004年8月20日

 朝何時頃か、何となく目が覚めたんだが、いやに気持ちいい。そうだ、久しぶりの布団で、しかもクーラーがちょうどよく効いていて・・・。T吉の実家だったことを、寝ぼけ眼で思い出しつつ、やはり二度寝。やっぱりT吉に起こしてもらった。7:30。
 この家に泊めてもらったときは、いつも親切に、朝食が出る。しかも大量に(笑)。朝から豚カツあったし(笑)。当のT吉は、もう朝食済ませたのかな、と思って尋ねると、「おれ平日は朝食わない」と一言。私一人、T吉家で朝食をガッツリと食べていた(笑)。しかも、8:30にT吉は出発すると言い、T吉も親御さんも、昼までゆっくりしていけ、というが、T吉本人がおらんのにさすがにノンビリしてられんし、第一、ここ(T吉家)から駅までの道程がわからん、ということで、大慌てで朝食を全部平らげた。今回もまた、昼食分も含めた量も食ったな・・・(笑)。ご馳走様でした。

 途中まで一緒に行き、私はそのまま新宿を経由して、バスで代々木へ向かった。目的地は国立オリンピック記念青少年総合センターである。いつだったか忘れたが東京五輪が行われたときに選手村だったところだ。今は、宿泊研修施設になっている。今回、東京に来た目的はこれである。「生化学若手の会」が主催する「夏の学校」。生化学系の若手研究者(と言っても年齢制限は無く、自分が若手と思えば誰でも参加可能)が合宿しながら、お偉いサン(どっかの大学教授)を呼んで講義を聴く(いわゆるワークショップやシンポジウム)ものである。研究室の後輩C嬢が昨夏参加したらしく、ちょっと興味持ったので、今年は私が参加してみた。・・・・しかし、昼間はクソ暑い。東京のヒートアイランド現象、何とかしやがれ。

 昼に開講式(と言っても各ワークショップの宣伝だったが)があって、その後、1つ目のワークショップがあった。1つの時間帯のワークショップ数は3つ。どれか選んで、その研修室に行って、という形である。「科学ライティング(書くこと)講座」というのがあったので、ちょっと興味半分で顔を出してみた。日経サイエンスの編集者やら、科学雑誌の編集者の方々の講義。ふんふん、なるほどね・・・と思いつつ、時間が来たところで、「科学エッセイ」か「科学インタビュー記事」のどちらかを書いてみろ、という宿題が出された。別にやらなくてもいいのだが、どこまで書けるもんやら、と思いつつ、科学エッセイを書いてみるほうを選んだ。というか、選んでしまった・・・・。で、この後、強烈なプレッシャーに晒されることになった。

 講師の林衛先生にエッセイの書き方とかをそれとなく質問してたときである。「ああ、○○くん(私の姓)、東北大の院生なんだね。そういえば昨年この講座に出てエッセイを書いて、最優秀賞を取った東北大の院生がいたよ。そう、この子この子」と言って見せられたのが、、、、、、そう、後輩C嬢の(昨年の)作品(の冒頭)だった。そこで黙ってりゃよかったのに、すぐ口に出してしまう私の悲しい性なのか、「あ、私の研究室の後輩ですよ、これ・・・」と、つい口に出してしまった。それから、最終日の解散まで、この講座の小集会があるたびに、強烈なプレッシャーをかけられるハメになる。「後輩さんが最優秀作品を作ったんだから、先輩のキミも・・・」とか、「最低でも優秀賞取らなければ・・・」とか、逐一言われる。林衛先生や、日経サイエンス編集部の詫摩さんだけでなく、東大・理D2生のS嬢、東京理大のB3生J嬢、その他諸々にまで・・・・・。うっさいっつーの!(笑)。でもとにかく、恥だけはかけない状況に追い込まれてしまった。でも、ネタは浮かんでこないんだよなあ(泣)

 夕食後、「研究交流会」と称して、近い研究をしている者同士(あるいはB3でまだ研究室配属してない者は、興味ある分野)で分かれての研究紹介&質問会があった。私のグループは「アポトーシス・シグナル」。だが、班長の鳥取大M2のK君以外、他にアポトーシスをやってるのはいなかった(笑)。かと言って、私のように「シグナル伝達&細胞骨格・細胞運動」をやってるのはいなかった、、、、いや、東大・医科研M2のS君は今年から、私とよく似た感じの研究を始めてそれを紹介してたので、けっこういろいろ聞きまくってしまった(笑)。でも、他にもいろいろおもろいことやってるんだなあ、と実感。

 その後、科学ライティング講座の簡単な打合会を経て、飲み会・・・・。途中、宿泊棟の他の宿泊者から苦情が来て、中央広場に夜な夜な(ビール持って)移動して夜中2時まで飲んでいた(汗)。そういえばこの日、研究室に出入りする業者に粗品でもらってた「インビトロジェン」のTシャツを着ていたため、飲み会の時に「インビトロジェンの回し者かと思った」と何度言われたことか(笑)

 

2004年8月19日

 昼前に仙台をバスで出発し、夕方に新宿に着いた。最近、長距離バスでいわゆる「観光バスタイプ」ばかり乗せられてるせいか、新宿到着時は尾てい骨がマジ痛かった。長距離高速バスは嫌いではないが、3列独立シートのバスに乗りてえ・・・

 久々に東京医科歯科大のドクターコースに在籍してる元同僚・T吉と会い、秋葉原の飲み屋でひっかけながら積もりに積もった話をしまくる。私はビール生中1杯と日本酒一合で、酒はギブアップ。なんかだんだん酒に弱くなってきたなあ、と感じた。それともこの日、朝食も昼食も摂ってなかったから胃が縮んでたんかな? この日、カネ出してどこか泊まるのもアホらしかったので、T吉の実家に泊めてもらった。しかし、東京は暑い!!

 

2004年8月16日

 学部時代の後輩(♀)から半年ぶりに携帯メールが入った。ん?携帯変えたんか、だから新メアドと新電話番号を送ってきた。・・・あと、もうすぐ入籍する、なんてことを書いてあった。一応それとなく返信しつつ、結婚願望なんてカケラも無かったヤツが、何で急に?と思っていたが、ふと、1つの事象が浮かんできた。まさかね・・・・と思いながら、返信の返信が来た。 ・・・・やっぱし(汗)。世間では流行ってるからって、別にそんな流行はマネしなくていいよ、後輩嬢(汗汗)っつーか、ゴム着けろ。。。

 

2004年8月15日

 終戦記念日。甲子園では正午の1分間の黙祷が行われて、世間ではいわゆる「お盆休み」である。だが、私には一切関係ない、というか、あんまりピンと来ない。何気なくいつも通り研究室に来て、それとなく作業していた・・・
 いや、お盆休みの恩恵どころか、学食が閉まっていて使えないという被害を被っているだけである。

 で、ここ数日、コンビニ弁当、たまには「かまどや」「ほっかほっか亭」と、何とも身体に悪そうなもんばかり食べている。というか、某セブンイレブンと某ローソンの弁当は、すでに飽きた域に達している。ここまで来れば、解脱完了か?(核爆)

 

2004年8月13日

 天罰は下った!!!(笑)

 ゴミ売虚塵群は13日、ドラフト注目選手・明大の一場靖弘投手に対するスカウト活動で金銭を提供する行為があったとし、老害・渡辺恒雄(78)のオーナー職引責辞任を発表した。
 一場投手に対し、ゴミ売・吉田編成部長が昨年12月から今年7月までに、「栄養費」として小遣い約200万円の現金を渡していた。同部長は「他球団の攻勢が強く、情勢は厳しい。交渉を有利にするため、対策を講じたい」と球団幹部に相談、土井球団社長、チンピラ三山球団代表らも裏金の授受を了解していたという。学生野球憲章では金銭の受け取りは禁じられている。一場投手は自由獲得枠での巨人入団が確実になっていたが、巨人は同投手の獲得を断念する。

「虚塵群(巨人軍)たるもの、紳士であれ」とほたえてきたが、ここで一転、球団史に残る汚点を残したもんだ。最近、1リーグ化推進や「たかが選手が」発言で世間の非難を一身に浴びていた老害・ナベツネがここにきて、矢面から隠れるように表舞台から身を引いたとしか思えない。しかも、ゴミ売グループの主筆・会長は続けるというから、院政を敷いて影から新オーナーを操ろうと企んでいるのは、おそらく間違いないだろう。

 しかし、現金を受け取った一場も悪いが、球界のガン、いや、日本国のガン細胞・ナベツネの引退劇に一場を利用したのは、もっともタチの悪いことであろう。一場の野球生命を潰しかねないのだから。やっぱりナベツネは、死刑になるまで許されるべきではない。イラクでは、サダム・フセイン元大統領に対する処遇は、「最も軽い刑で死刑」と言われているように、日本球界をここまで堕とし、ファン離れやパ・リーグの経営難に至らせたあげく、自分の身を引くのに将来ある若者を利用した最大戦犯ナベツネに対する処遇も、やっぱ「最も軽い刑で死刑」であろう。

 

2004年8月12日

 非常事態、というか、非「情」事態である。そう、我々の普段のメシ食い場である学食が、今日からお盆休みするだと。こっちはお盆休みなんてないんじゃ、ふざけんな(笑)。・・・・ということで、夕食は「かまどや」のビビンバ弁当なり。

 

2004年8月10日

 大阪滞在中、研究室用メールアドレス宛のメールにほとんど目を通してなかったのだが、昨夜、久々にそのメアドを開くと、昨日から学部生用の基礎生物学実習が始まってたらしい(しかも学部生にとっては夏休みで、お盆直前!!)。で、その手伝いをするように、とのお達しが含まれていた。・・・寝耳に水。まぁ、午後の夏期講習の時間前に中座させてもらえれば、別に朝からは(実習の手伝いを)やっても支障はなかったので、実習補助をやった。しかし、実習と言っても、参加学生はたった8人。何のための実習?って尋ねたら、教職のための実習なんだとか。お盆直前にご苦労なこったね。
 キットを使っての、大腸菌(あらかじめ形質転換済)からのプラスミド(環状DNA)の回収。これはお手のもの。とっとと回収。さて、ここからであるが、私はまたもや大ボケをかましてしまった。用意したプラスミドは、以下の5種類。
 YFP-actin
 CFP-C1
 CFP-LK
 CFP-SSH(WTおよびCS)
(解るヒトには解り、解らんヒトには解らんだろうが)コントロール(CFP-C1)、LK、SSHを細胞内で発現させたときの、actinの動きを観察するのである。だから、細胞内への遺伝子導入(transfection)は、
 YFP-actin + CFP-C1(組み合わせAとする)
 YFP-actin + CFP-LK(組み合わせBとする)
 YFP-actin + CFP-SSH(組み合わせCとする)
の組み合わせで行わなければいけない。遺伝子導入の際、細胞と混合する前に、遺伝子導入の薬剤(今回使用はLipofectAMINE2000)と、上記の組み合わせであらかじめ混ぜるわけなのだが、ここで大ボケをかましてしまったのだ。
 要するに、YFP-actin + CFP融合品、という組み合わせで薬剤と混ぜなければいけなかったのに、YFP-actin単独と、YFP-actinなしの各CFP融合品、、、という感じで薬剤と混ぜてしまった。
 あとで「しまったぁぁっぁぁ」と言って気がついたが、これがもし、細胞と混合した後では時既に遅しの状態になってしまっていた。間一髪セーフ・・・・(汗)
(「結局、何を失敗してたの?」と首を傾げられたかたは、それ以上詮索するべからず(笑)。とにかく、学生実習での久々の大ボケをかましただけである。)

 

2004年8月9日

 午前中、高速バスで福島に到着。まず、怒りがこみ上げてきた。

暑い!!!!

 東北へ帰ってくると、大阪よりは涼しいことを、非常に期待していた。なのに、蒸し暑さが大阪とほとんど変わらない、って、どーゆーことやねん!ゴルァ!!!(怒) 東北である意味がねえ、というか、東北の価値が無い!(というと言い過ぎか。しかし今年は異常気象が多すぎ。)
 そして、ケツが痛い。腰が痛い。おまけに眠い。・・・私は夜行高速バスには慣れっこのはずだが、乗ったバスが悪かった。臨時便と称して「観光バスタイプ」のやつに乗せられたのだ。通常、これくらいの長距離夜行バスは、独立シートで、背もたれもかなりの角度まで倒せる。座り心地も断然違う。この手のタイプのバスで慣れてはいるが、2列並びの、背もたれもあんまり倒せない観光バスは、ハッキリ言ってキツイ。しかも、何故、福島に到着したかというと、仙台行きの便が早くから満席になってしまっていたのだ。京都駅八条口バス乗り場で、福島行きに乗る前に出発していった仙台行きは、4台運行だったが、空席がチラホラとあった。ゴリ押しで乗ってやろうかと思ったくらいだ。しかも、仙台行きは4台とも独立シートタイプ。それに比べ、福島行きは冷遇されてるんだろうな、2台運行で、1台はマトモな独立シートタイプ、もう1台は観光バスタイプ・・・・。ふざけんなよ、近鉄バスのヴォケが。ほんまに、近鉄グループって最悪中の最悪でしかない。電車も最悪(学部時代に通学に使わざるを得なかったが、不便極まりないわ、ダイヤは少ないわ、夏場は冷房をケチるわ、あらゆる融通は利かないわ、車掌は傲慢やわ、難波−名古屋間のアーバンライナーもサービス最悪やわ、で、二度と乗りたくない電車である)。今回の合併騒動で、球団も最悪。で、バス(の配車)も最悪。近鉄バファローズが合併で消えるんなら、近鉄グループごと消えてしまえ!(笑)
 福島で朝食(何が悲しゅうて、東北に戻ってすぐマクドなんか食わなアカンねん!)を摂り、しばらくして(腰やケツの傷みも癒えた頃に)仙台行きのバスに乗車。肩もこってしまった。

 仙台に戻ってきたのが、昼を随分過ぎた後だった。東北大の本部キャンパスに放置していた自分のクルマを取りに行き、いったん寮へ戻る。すぐに出発し、今日から行う夏期講習のために予備校へ出講。疲れた・・・・

 夜になって、やっと研究室へ顔を出した。翌日の実験準備をし、途中、天然温泉「コロナワールド仙台」へ行き、戻ってきて準備を終えたのが午前3時。嗚呼、またこの生活が始まるんやな・・・・(研究室泊。いずれにせよ、暑くて寮では寝れない。)

 

2004年8月8日

 日曜だが、母親は朝から仕事に出かけ、私は寝ていた。12時に彼女に電話で叩き起こされるも、不覚にも13時まで二度寝。この日は仙台へ出発する日なので、当然、荷物も多い。しかも、非常にクソ暑い。最寄り駅までの間にニッショーストアでまたもや身体冷却するハメに(笑)。とある駅で14時に落ち合う予定が30分ほど遅延・・・。JR京都で荷物を全部コインロッカーに放り込み、手ぶらの状態になったところで、山陰線(嵯峨野線)に乗り込み、嵐山へ。嵐山も久しぶりだった。京都は、今やっている大河ドラマ「新選組!」のおかげで、新選組一色。京都のあらゆるところで、水色地に白字で「誠 京都 新選組」の登り旗が立っていた。私は朝食も昼食も摂っていなかったので、とりあえず(身体の冷却も含めて)食事の店に入り、彼女が宇治金時かき氷を食している間にきつねうどんセットとかき込み、時々、かき氷の「抹茶」部分だけ分けてもらったりした。当然、私は「金時」の部分は天敵であるので口にはしない。
 食後、嵐山の竹林へ散策に出る。暑い・・・(笑)。でも、竹林の中を歩くと、いい香りとちょっとした清涼感。いいねえ。秋くらいにここへ来たいなあ、とふとつぶやいた。竹林の中に野宮神社があった。ここは有料なので入らなかったが、昔、皇女(天皇の娘)が斎宮(伊勢神宮に仕える者?)になる際、直前に身を清められた場所であるらしく、源氏物語にも載っているそうだ。それと、彼氏・彼女が欲しいヒトや受験で合格したいヒトのための神が祀られているらしい(笑)
 竹林散策を終え(この時も「暑い〜」を連呼してた気がする。こればっかやなあ。だから夏は嫌いじゃ)、久々に嵐電(京福電鉄京都線の愛称?)に乗り、四条大宮へ向かった。嵐電は一律、200円だったが、以前乗ったときって、区間毎に料金違ってた気がするが、気のせいか???
 四条大宮に来た理由は、壬生寺を拝観したかったためである。壬生寺と、その近辺は、新選組発祥の地であり、一度見ておきたかったのだ。しかーし!!!・・・・時既に遅し。閉館後だった。壬生寺も、旧八木邸(新選組の屯所)も。この時、17:30。来るのが遅かったか・・・・。まぁ、四条大宮から近いし、いつでも来れる場所でもある。
 早めにJR京都に到着。関西滞在中に「どて焼」を食べておきたかったが、その願いは叶わずにいた。最後の抵抗として、JR京都近辺の店(飲み屋)をいろいろうろついてみるが、どて焼を置いている店はなかった。やっぱり、大阪・天王寺のジャンジャン横町に行かないとアカンのかな・・・。仕方ないので、天ぷらを食って、バス出発前までの1時間、京都駅ビル内の屋上や遊歩道を散策していた。

 

2004年8月7日

 朝起きたのは10時頃だっけ・・・。ちょっと寝不足気味。相変わらず、真夏の大阪・梅田の日中はクソ暑くてたまらん。すぐに地下街に入って、モーニングとランチを兼ねて、これまた大阪在住時代に時々行ってたコーヒー店を訪れた。ここは「ピッコロ」という大阪のカレー屋系列の店だが、コーヒーショップになっている、結構狭い、カウンターだけの店がある。何故ここがいいのかというと、コーヒーをストレートで出してくれるからである。ブルーマウンテン、コロンビア、モカ、キリマンジャロ、ブラジル(サントスと混ぜてブラジルサントスになっていた)・・・。紅茶のほうもこだわって選ぶことができる。別にコーヒーはストレートでなくても、ブレンドやオーソドックスなアメリカンでも、いい豆を使っているから、結構美味い。私は、2番目に好きなコロンビアを選んだ(当然、1番はブルーマウンテン)。彼女は何気なくアメリカンだったが、好評だった。これとサンドイッチで、朝昼兼用。

 昼過、彼女は、夕方から学生時代の友人が泊まりに来るからということで(自室の片づけをしに)帰っていき、私は近辺のネットカフェで、この前の日曜に見損ねたNHK大河ドラマ「新選組!」の再放送を見て、その後高校野球をボーッと見て、梅田LOFTに行ってみたりして夕方まで過ごした。
 昼間、後輩K沼からメールが入っていた。9月末の東京ドームでのゴミ売vs阪神戦のチケットを確保したらしい。当然(便乗させてもらう)二度返事のメールを返信した。先日は甲子園で虚ヲタ群団の横で無様な惨敗試合を見せつけられてたので、格好のリベンジ観戦となろう・・・。

 夕方、久々に高校時代の同期であるハニハニと落ち合い、次いで、高校時代の同期連中H松、O槻、T口らとも久々に落ち合った。ハニハニとは普段からメールでいろいろ他愛ないことをやりとりしてるが、直に会うのは昨秋ぶりか・・・。大阪・難波の風風亭という焼肉屋で食べ放題飲み放題。私はビールと焼肉に集中していたが、ハニハニ以外の他の連中は、ポテトサラダやらビビンバに手を出し、それだけで腹が膨れてしまっていたようだ(笑)。私は後で胸焼けしないように、他のモノはシャットアウトしてた(笑)
 その後、梅田に移動し、カフェで談笑(といいつつ、寝不足気味の私は途中、寝てしまっていた)。久々のプチ同窓会はお開きとなった。

 

2004年8月6日

 朝早く起きて、出かけた。先日(3日)までは、真夏の大阪らしからぬ涼しさ(と言っても蒸し暑いのには変わりないが)があったのに、この日、無風な上に朝から30℃超、蒸し暑い、と、最悪だった。駅まで徒歩15分、それだけで汗だくである。駅までの途中、ニッショーストアがあり、そこに入って3分ほど身体を冷却する始末(爆)

 この日は、久しぶりに叔母(親父の妹)の家に行った。ただ単に「久しぶりにおいで」と言われてたのをヒョコっと行ってみただけである。以前行ったのは18年前か・・・。まだ、従兄弟姉弟も小学生だったころだ。コイツラ(従兄弟姉弟)の顔もほとんど覚えてない・・・。だから、叔母の家近辺の記憶だって、全くない。ただ覚えているのは、滋賀県の草津にある、ということだけ。草津もクソ暑かった。
 とにかく他愛のない話で時間が過ぎていった。私が、従兄弟の姉か弟(どっちも私より年下で、姉は私の2つ下、弟はもう2つ下)の最近の写真あったら見せてくれ、とお願いした。え?直に会えば、って? 姉にほうは函館に、弟のほうは新潟に居るから、ここには居ない。で、(姉のほうの写真しかなく、それを)見せてもらったが、・・・・・変わってねえなあ、18年前と(笑)

 叔母の旦那が仕事から帰ってきて、私もそろそろお暇(いとま)しようかと思ったら、駅前に(夕食を)食べに行こう、と言われる。実は、この日の夜9時に彼女と待ち合わせて、そのついでに晩飯も、というつもりだった。時間は午後6時前。断り切れずに、夕食をご馳走になった。一応、ビールは1杯だけに控えておいた。それでも結構腹一杯。それが午後8時過ぎ。

 午後9時過ぎに、待ち合わせの大阪・梅田に到着。彼女は彼女で、昼間に食べた昼食と間食がまだ胃に残ってると言って、あんまし夕食を欲さない模様。じゃあ、久しぶりに行ってみようと思って、大阪在住時代のちょっとした行きつけのショットバー「THREE FIELD」に行ってみた。・・・・満席。ツイてないなあ、と思っていると、「系列店」を案内する、とバーテンが言う。「へ?系列店なんて、あったん?」と尋ねると、4年前に系列店を6軒作ったらしい。4年前と言えば、私が仙台に来た頃だ。つまり、私が仙台に来てから、店を拡大したわけか。。。5年前のマスターは?と尋ねても、その頃のスタッフのことは全然知らないらしい。じゃあ、その頃にマスターに作ってもらってたオリジナルカクテル「いつもの・・・」も、知らないだろうなあ。テキーラベースで、妖しい緑光を放つ、ドギツいカクテルだ。まだ酒に強かったその頃でも、ウォッカトニック2杯の後にそれを3杯も飲めばコロッといくカクテルで、今飲めば、1発KO級か・・・。
 結局、系列店(店名忘れた)に案内されたが、雑居ビルの6Fで、下の階がキャバクラという何とも言えん場所だった。以前のように朝までバーで過ごすことは考えていなかったので、私はいつも通りウォッカトニックで喉を潤した後、ホワイトレディで締めた(気分によってはXYZで締める場合も。ジンベースかラムベースの違いで、あとはホワイトキュラソーとグレープフルーツという、これまたキツイ系のショートカクテル)。

 

2004年8月4日、5日

 ただひたすた、自室で寝てた。

 

2004年8月3日

 朝遅くに起き、出発。そのまま直接、六甲トンネルを抜けて神戸市街に入ろうかと思っていたけど、クルマで再び六甲山上に向かい、朝(と行っても昼に近かったが)の六甲山上の光景や、そこから見える下界(神戸市街)を堪能。六甲山カンツリーハウス近辺に、「回る十国展望台」といういかにもショボい名前の場所があったんだが、思い切りリニューアルされて「六甲ガーデンテラス」に様変わりしていた。ここから夜景を見ても絶品だっただろうなあと思わせる感じだった。ガーデンテラス内の展望レストラン「六甲ビューパレス」にて朝昼兼用の食事を済ませ、久しぶりに「神戸御影アイスクリーム」を堪能。このアイスは格別で、とくにバニラが美味い。牛乳タップリ、バニラはコッテリと、メチャメチャ濃い。さすがに私1人では平らげるのは無理なので、彼女にも手伝ってもらった。
 神戸市街に出るか、六甲山上の「六甲山牧場」に行くかを彼女に選択してもらい、六甲山牧場へ向かった。六甲山牧場の見学(遠足?)に、幼稚園時代に来たことがあるはずだが、当然、そんなの記憶にはない。そこの駐車場に着くなり、いきなり羊が数匹出迎えてくれた(笑)。そう、やたらに羊が居るトコなのだ。ほかには馬が数匹、山羊が十数匹、乳牛は十数匹、あとは羊が100匹は下らないだろう・・・・。ブラブラと歩いて回っていたのだが、午後3時頃になると、暑くて暑くてたまらず、汗が出るわ出るわ・・・。私は言わずと知れた、超暑がりの耐寒性抜群人間。それに対して彼女は、暑さもそこそこ、寒さもされなりに耐えられるユーティリティープレイヤーと言ったところか(?)。私は何百回、「暑い〜暑い〜」を連呼したんだろう・・・。この牧場での目的が、「しぼりたての新鮮牛乳」を飲むことだった。場内売店に売っていた。1杯150円。美味い!

 六甲山を下山するために表六甲ドライブウェイ(ここも以前は通行料100円だったが、料金所がなくなっていた)を下り、六甲山麓のバス道を、新神戸駅方面へ走った。そう、このバス道は、私が高校時代に通った通学路で、途中、なつかしの母校もあった。19時には戻らなければいけなかったので、あんまり時間も残っていなかったが、神戸・北野の異人館街近くにクルマを停め、ブラブラと散歩し、カフェに寄ってケーキとコーヒーを口にした。私はチーズケーキを口にしたのだが、あまりにも久々の「甘いモノ」で、甘いモノの免疫が薄れていたせいか、このチーズケーキのせいで、帰り道の車内で(運転中にもかかわらず)胃モタレと車酔いを起こす始末・・・・(泣)。しかも帰路を急いでいるのに、カーナビの案内はメチャメチャ。仙台から関西道路地図を持って帰ってこなかったのが誤算で、私が地図を見た方が、カーナビなんかに頼るよりもよっぽど早かったのは間違いにない。金輪際、カーナビの道案内は信用しねえ。カーナビは現在地情報と渋滞情報だけで十分!!!!!!

 

2004年8月2日

 昼過ぎまでマターリと、クーラーの効いた自室ですごし、夕方から出かけた。トヨタレンタリースにレンタカーを手配しておいた。レンタカーを借りるのは久々である。以前は、たまの運転もあってか、調子こいてマークIIばかり借りていたが、現在は毎日運転(普段乗っているのはトヨタ・カレン)しているせいもあって、借りる車種は何でもよかった。結局、借りれたのは「bB」という、コンパクトなワゴンタイプのクルマだった。今時のレンタカーは、CDプレイヤー搭載は当たり前、さらに、カーナビも標準装備なんだってね・・・。驚いた。
 なぜ、レンタカーをって?夜から、神戸・六甲山に、久々に「神戸1000万ドルの夜景」を見に行くためである。彼女の仕事が終わり、彼女を拾って、阪神高速に乗る。5号湾岸線に入り、湾岸線からの神戸・大阪の夜景を楽しみながら神戸方面へ。
 カッコ悪いことに、クーラーのかけすぎで、神戸・御影に着いたあたりで、お腹を壊してしまった。ちょいとファミリーマートに駆け込んで・・・(爆)
 神戸・東灘から国道2号を芦屋へ向かい、芦屋から山のほうへ。芦有道路(芦屋と有馬温泉を結ぶ有料道路)へ入るのだが、少なくとも5年前までは、この芦有道路、夜11時くらいを過ぎてからは、料金所が無人になり、事実上、フリーウェイ状態になっていた。それを期待したが・・・・、期待はハズレた。いつからかわからないが、「24時間営業」になっていた(料金所は24時間営業しますとかいう看板が出てた)。料金所にはジイさんしかおらんのに、ジイさんを夜中に働かせる必要もなかろうて(笑)。
 芦有道路の途中、ちょうど中間地点に、下界・大阪方面を見渡せる展望台がある。5年前まではちょこちょこクルマで来ていたが、久しぶりである。やっぱ、夜景がスゴイね。仙台の夜景はショボいけど、余計に(仙台のは)ショボく感じてしまう。よかった、晴れてて。山の中腹でもあり、夜でもあったので、結構涼しかった。

 そこを後にし、有馬温泉方面へ。神戸電鉄・有馬温泉駅の駅前の炭酸煎餅屋が開いていたら、久々に炭酸煎餅を買おうかと思っていたが、さすがに夜12時、閉まっていた(炭酸煎餅は有馬温泉名物)。浴衣姿で外をウロチョロしてるカップルもチラホラ・・・。温泉街やなあ、と思わせる光景だった。
 有馬温泉街から唐櫃台方面に出て、途中の「裏六甲名物・ラブホ街」を抜けて再び六甲山上へ。トヨタ・Bbは1300ccか、やっぱ山道でのパワーは無いなあ。裏六甲ドライブウェイ(以前は通行料100円だったが、料金所も消えていた)を登って六甲山上へ。そして、1000万ドルの夜景を見れる展望台へ、久しぶりに行った。

 

2004年8月1日

 親父の一周忌。これがあるために、帰省していた。親族も数人チラホラと来ていたが、若人は私一人だ。あとは50を過ぎたオッサンオバハンばっかである。そりゃあ、私もあんまし楽しくない。昼過ぎにクソ坊主が来て、ヘンテコリンなイントネーションの下手くそな経を上げること1時間。親父の法事とはいえど、眠くてしゃあなかった。途中、クソ坊主のほうから「休憩」とか言い出して、煙草をプッカプカ吸うわ、ありがたい説教話どころか、どうでもいい下らん話をするわ、袈裟をかぶったとんでもないオッサンだ。少なくとも私にはそのようにしか見えない。それでもって、○○料やら△△料と称した高額なカネは取るし、最悪千万。ただでさえ宗教や坊主は嫌いな私が、余計に毛嫌いしてしまった。
 やっとインチキ坊主が帰り、法事用(?)の寿司盛り合わせ(計10人前)を食って、昼間からビールをガンガン飲んで・・・(笑)。親父の妹夫妻が中座し、母親の一番下の妹夫妻も、中部地方から来ているので、夕方で中座。あと、親類が2人ほど、母親含めて夜まで何かやたら話しこんでたが、さすがに私が聞いていてもワケわからん状態だったので、私は隣の部屋でナイター中継を見ていた。

 鉄人・兄貴、金本知憲。連続フルイニング出場701試合! 歴代1位おめでとう!!
 これまでの日本のフルイニング出場は700試合が最高だった。その記録を持っていたのは、元・阪神タイガースの三宅秀史氏。記録はいつか破られるというものの、阪神の選手が持っていた記録を、阪神の選手が塗り替えるというのは、やっぱ気持ちいいもんやね。
 しかし、ゴミ売に負けて、金本の偉業達成に花を添えられなかった。ゴミ売の初先発というヘンテコゴーグル佐藤を打てないのは、いただけないね・・・。しかし、久々にナイター中継を見るも、キモすぎるウナギイヌ阿部をドアップで見るのは堪えられないものがあるな。コイツをドアップで映すな、というか、モザイクかけとけ!

 

2004年7月31日

 午前中に電話で叩き起こされ、昼から出かけた。台風が接近していたせいか、風が吹き、真夏の大阪にしては結構涼しかった。台風接近だったが、雨はほとんど降らず(午前中は降っていたらしい)。わが「晴れ男」パワー炸裂やな、と言っても、笑顔ながら「たまたまや」と全否定してくれる優しい方が横に・・・(笑)

 何年ぶりだろうか、海遊館に行ってみた。前回行ったのが何年前だかで、全然覚えていなかった。でも、ジンベエザメはしっかり生きていた(後で、研究室の後輩G嬢が「以前いたジンベエザメはこの前死んで、今のは2代目」と言っていた)。全部回るのに2時間は要したかな。しかも、「週末」と「夏休み」が重なってるもんだから、ガキ連れの家族が多いこと多いこと。しかも、ガキどもがじゃかましいことこの上なし・・・。
 その後、岸壁というか、公園(ここに「日本最低峰・天保山(5m)」がある)でたたずんでいたら、対岸のUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)から大音量のライブ音が聞こえてきた。聞いていたら・・・どうやらGLAYだ。20時近くまで、GLAYのライブを「タダ聴き」していた(爆)

 今日は甲子園では、阪神がゴミ売を下していた。あーあ、しまったなあ。甲子園行くのを、今日にしとけばよかった、と後悔(笑)。んで、海遊館へは誰と行ったんかって?そりゃあ、私独りで行くワケないし、野郎同士なんて絶対行かねえ。ならば、残る選択肢は?(笑)

 

2004年7月30日

 久々の大阪である。やっぱ、暑い、蒸し暑い。
 今日から8月8日まで大阪に滞在する予定。親父の一周忌と、その他諸々・・・。7月2日以来、違和感の続く右耳の(違和感)緩和のための療養も兼ねて、クソ暑いけど、実家で休養、ということにあいなった。
 蒸し暑い、といっても、仙台もここんとこ30℃近くになるわ、おまけにスコールみたいに短時間の雨は降るわ、で、例年にあり得ない蒸し暑さだったが。

 今日は昼から、鳴尾浜に行って阪神の二軍戦(阪神vs近鉄)を観戦した後、そのまま甲子園に移動して阪神−ゴミ売戦の観戦予定だったが、昼間はあまりにも暑すぎて二軍戦の観戦を断念。夕方から甲子園に出かけた。向かう途中に大きな雨粒が降ってきたが、すぐにやんだ。

 さて、甲子園に着いて、券面の指定席に行ってみると・・・・・

うそやろ!?何で私が、虚ヲタ(ゴミ売ファン)群団の中で座らなアカンねん!!??

 チケットの発売方法を、ちょっとは考えてほしいものである。阪神ファンと他球団応援団、特に虚ヲタ群団とは水と油の関係みたいなもんやのに(怒)。でも運良く(?)、阪神ファンの中で座ってて虚ヲタ群団のほうに来たオネエチャン(ゴミ売法被を着ていた)2人組と交渉し、チケット交換(すなわち指定席交換)に成功。それでも、各回表のときには虚ヲタ群団のキモい応援は相当耳障りだったが。
 ゴミ売の応援は、サッカーのパクリも混じって、相当キモいという話は聞いていたが、マジでキモイ。何がキモいかと言うと、「野球の応援」に「サッカーの応援」が混じり、その他訳のわからん応援もミックスされたあげく、橙色のキタナイ雑巾を振り回す光景は特に目障り千万だった。
 応援はサッカーのパクリ、キタナイ雑巾振り回すのは、元々ロッテファンが白いタオルを振っていたのをパクったもの、そして、究極のパクリが、7回の攻撃前(いわゆるラッキーセブン)のジェット風船飛ばし。どこまでパクれば気が済むんやら・・・

 ただ、試合の途中で、ゴミ売のファンが、阪神ファン虚塵ファン関係なく、「合併反対」のボードを配っていたので、これを掲げることには協力してみた。さらに、ちょっと(虚塵ファンに)話を聞くと、やっぱりほとんどが「ナベツネには早く死んでほしい」とか「ナベツネのせいで自分たちまで世間から敵視されて大迷惑」と言ってた。なるほどね、約1名の老害のせいで大多数の人間が迷惑被ってるんやなあ・・・

 試合はボロ負け。ゴミ売の先発、ケツ出しを攻略できないどころか、拙守三昧。赤星はセンターフライの落下点の目測を誤るわ、ジョージは邪飛をこぼすし一塁ゴロをはじくし、三遊間のゴロをセキモンとフジモンが交錯して、虚塵を助けるプレーの連続。そんな試合を見せられて屈辱の何者でもなかった。

 

2004年7月7日

 なかなか日記の更新がはかどらず滞っていたなあ。

[実験編]
 ある脱リン酸化酵素Sの研究をしており、その中のアミノ酸残基のうち、ある箇所のTrpを潰す(Alaに置換)すると、その機能がガクンと落ちることを(私が)すでに発見しているのだが、その機能のin vivo(細胞レベル)での応用に、8割方の決着がついた。5月6日付の日記で書いた、MCF7という乳癌細胞で応用しても、いまいちその機能差(Sの野生型との)が出ず、ここんとこずっと、白血病性TリンパであるJurkatで、siRNAも用いてその化学走性的浸潤性(chemotaxix migration)を計測しており、先週、決着がついた。今月は、これまでの貯めてきたデータ整理と、残りの必要な追加実験をやって、今月末の帰省までには、論文執筆作業にとりかかれるようにしたいと思っている。

[野暮用編]
 この前の日曜、月曜と、5月末にできた彼女が仙台に遊びにきてたので、松島や蔵王(エコーラインの真ん中にある「お釜」と、ミルクファーム蔵王。後者は、駐車場で夜空を見てただけ)、次の日は青葉城址・・・・と連れ回した。・・・仙台近辺って、ホントに遊ぶトコや観光地少ないなあ、と改めて痛感した。

[野球編]
 6月29日〜7月1日に甲子園で阪神対ゴミ売の3連戦があり、3連勝!!! それまで中日に2連敗してたのが嘘のようだ。1戦目が8−5で、金本アニキの2ランと選手会長・今岡のソロアーチが出た。2戦目は6x−5で、またもやアニキのサヨナラタイムリー。でも、吉野がダメダメ。昨年のような左キラーぶりが全く影をひそめてしまっている。3戦目は、11−0の完封勝ち。福原がジャスト100球の無四死球完封勝利を飾ると、8回裏、ノコノコと出てきた虚塵の高卒ルーキー・西村を公開処刑。投手西村に対し、、、
まずは藤本がセンター前にシングルヒットを打つと、
福原は送りバント(ここで一死)。
今岡がセンター前にヒットを打って藤本生還。(1点目)
赤星がレフトへ二塁打を放つと、
関本は中堅・無免許の頭上を越える走者一掃の三塁打。(2,3点目)
金本アニキがライトへ引っ張って二塁打、関本生還。(4点目)
そして、西村へのトドメは、桧山のバックスクリーン左へ2ラン・バースデーアーチ!!(5,6点目。この日は桧山の35歳の誕生日)
その後出てきた條辺に対してもジョージの復活弾(7点目)と矢野の安打で、この回7連続安打、打者11人の猛攻を加え、虚塵群を完膚無きまでに叩きのめした。そして、開幕以来、虚塵に初の「完封負け」をつけてやることができた。
 インターネットラジオで、大阪・ABCの「おはようパーソナリティ・道上洋三です」の録音を翌日に聴いたのだが、そこで、この日のナイター中継の録音が流れていた。そう、西村の公開処刑の部分。7連続安打の後で、名物解説のふくもっさん(福本豊)が「フリーバッティングやん、全部(バットの)芯に(ボールが)来てるやん」とボソッと言ってたのが印象的だった(笑)
 終わってみれば、虚塵や中日に5ゲーム差くらいあったのが、いつのまにやら、虚塵を抜いて2位浮上!!貯金1!!! 虚塵の貯金は無くなりました。
 その後、また、岡田が要らんことを言う。「期待してください」だと。テメェ、就任会見でも同じことほざいて期待裏切ったやないか。テメェが一番浮かれてるんじゃねえのか??そのせいで、今日(7日)まで、その後の試合は一進一退の繰り返し。

[もう1つの顔編]
 私が講義している予備校の第1学期が終わった。7月は2回ほど補講があるものの、8月の夏期講習5日間までは、出講はない。
 この予備校には、研究室の同期であるチンピラT村も、私と同じく生物科の講師として出講している。同期と言っても、こいつは私より2つ下である。今日、生徒(♀)の1人と話をしてて、私が今年2●歳になることに驚いていた。まだそんな歳には見えない、と。そして、そのチンピラT村は私より2つ下なのだが、「T村先生は30歳を超えてると思ってました。ええーっ?! センセ(私のこと)より若いんですか? ・・・(そのようには)見えない。。。」
 ワッハハハハ。私は普段、このチンピラT村にはジジイよばわりされているのだが、この証言を本人に聞かせてやったら、どういう反応が返ってくるだろうかなあ(爆笑)

 

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