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現在の日記

 

2004年9月

[G−T戦(野球観戦)]

 ボスと私が東京へ下り(東京嫌いというか東京一極集中主義が大嫌いな私は、決して「東上」とか「東京へ上る」「上京」というコトバは使わない)、後輩K沼とW辺と合流して、東京ドームの読売−阪神戦の観戦を行った。
 私は前夜に仙台を出発して、ひたすら国道4号線を南下し、朝8時頃に熊谷市内のK沼の家に到着、しばし休憩していた。昼過ぎ、JR高崎線を使って大宮経由で水道橋まで移動し、W辺、ボスと合流。ボスは悠々と新幹線で東京へ。
 さて、試合開始。(この記事を書いたのは、この試合の半年後ぐらいなので、詳細は忘れたが)2回表までに12−0という(もちろん阪神が12点)、序盤で勝敗が決したような試合展開だった。日テレは19時から放送開始だけど、この開始時刻にはすでに12−0の状況ということになる(笑)。その後、阪神には点が入らなかったのだが、結局、阪神の大勝で終わった。
 新宿に移動して、4人で飲み会。研究室のウラ話や本音トークで花が咲く。23時過ぎにボスをお送りして、さて、我々も熊谷へ帰ろう、、、と思いきや、この時間では熊谷まで帰れないことが判明(泣)。結局、新宿・歌舞伎町近辺のカプセルホテルに入ることにした。K沼、W辺の後輩2人はカプセルホテルというものに入ったことはないという。私は大阪、東京、仙台、札幌と、いろんなとこでカプセル泊しているが・・・(笑)。

 翌日、3人で熊谷まで北上し、K沼家では後輩2人はプレステのサッカーゲームに熱中、私はいつのまにかK沼のベッドを占領して眠りに就いていて、気がついたら21時だった(爆)。21時頃、熊谷を発車して、往路と同じくひたすら国道4号線を北上し、翌朝、仙台着。

 

2004年10月

[栃木周遊]

 2週前に、クルマでひたすら下道(国道)を走って東京方面へ行ったばかりなのに、また下道で東京へ行くことになった。行くことになった、というより、元々そのように予定を組んでいたわけであるが、今年(2004年)だけで、東京へクルマでひたすら下道(国道)を走っての往復をしたのは3度目となる。自分でも、よくやるよ、と、つくづく思う。

 いつもは国道4号線をひた走っていたが、こんどはちょっと変えて、国道6号線を南下してみようと思い、岩沼市内から国道6号線へと入った。たんなる気分転換だけでなく、福島県いわき市内の小名浜漁港近辺で旨い寿司を食ってみたかった、というのもあった。
 ところが、しばらくして、国道6号線を使ったことに大きく後悔し始める。国道6号線は、片側1車線の対面通行なのだ。しかも、ド田舎を貫いている国道でもあるから、いかにも田舎の軽トラが、制限時速の50キロを(アホみたいに)守って走ってるから、遅い遅い。国道4号線はトラックが多いものの、常時時速70〜80キロで流れているから、フラストレーションは溜まることはない。こっち(国道6号線)はイライラが募るばかりで、何とかスキを見て追い抜いても、すぐに(トロトロ走ってる軽トラのケツに)つかまってしまう。高速に乗ってしまいたかったけど、常磐道はいわきまで行かないと無い。いわき市内には遅くとも17時には到着予定だったのに、着いたのは2時間遅れ。しかも、いわき市の面積は、全国市町村の面積で第1位なだけあって、市内で1時間も迷子になる始末。おまけに雨足が強くなってくるし。(もう2度と国道6号線は使うまい、と思った)
 小名浜には着いた(というか迷い込んだ)ものの、寿司屋を探す余裕は全くなく、さらに、ここから茨城県内を国道6号線で南下すると、大きく遅れることは必至なので、ここから常磐道を突っ走った。常磐道から首都高速につながっているのだが、首都高速は迷路のようなものなので、首都高速に入るまえに降りた。ところが、この選択がまた大失敗。大雨だったせいで、下道が渋滞していた。当初、TDLのある舞浜駅に22時に着くつもりだったのに、すでに22時を過ぎている。だが、道は混んでるし信号という信号は、すぐに赤になって停車、停車を余儀なくされる。この時、石原慎太郎をマジで殺したいと思ったもんなあ。こんなふざけた信号を設置するんじゃねえ!ってばかりに。
 ようやく舞浜についたが、時刻は23:30を過ぎていた。彼女はこの日の日中、TDLで遊んでいたのだが、大雨の中ズブ濡れになりながら、、、だったらしく、さらに、私の到着も遅れたので、風邪引く寸前の状況だったそうだ・・・。

(現在編集中)

 

2004年11月

[就職活動]

 

2004年12月

[就職活動]

[最初の最終面接]
 T鵬薬品工業の最終面接のために、仙台から大阪(実家)を経由して徳島入り。約10日前に最終面接の案内が来たとき、「申し出ていただければ宿の手配をいたします」とあったので、担当人事(S木氏)にメールで宿の紹介(および手配)を依頼したのに、結局この日まで、何の音沙汰もナシ。仕方ないので、仙台を出発する前日に、こっちで勝手に宿を手配した(宿代は出た)。
 徳島・・・。久しぶりだ。5年ぶりか。5年前に入った海鮮居酒屋に久しぶりに入った。相変わらずやや高め。翌日朝8時にはホテルを出るよう準備して、タクシーでいざ決戦の地、徳島工場・研究所へ。守衛でこの日の最終面接参加者名簿を見たが、14人。この日と翌日と実施だったので、最終面接参加者は全部で30人弱か。募集が10人だから、約3倍・・・。これを勝ち抜けなかったら恥かな、なんて変な緊張を抱きつつ、控え室に入った。
 最終面接の案内には更に、当日の予定として面接試験以外に「研究所・工場見学」とあった。にもかかわらず、人事のS木氏から発せられたセリフが「案内には見学も、と書いてましたけど、今日は日曜で従業員はほとんど出社しておりませんので、申し訳ありませんが見学はナシとさせてください」。・・・・・おいおい。宿の手配依頼も無視な上に、見学もナシかよ。嘘八百でエエ加減やなあ・・・と思いつつ、面接の順番を待っていた。私は2番目。呼ばれて面接室に入って、圧倒された。学生1に対して、面接官が13人!!しかも、会議用TV電話で飯能(埼玉県)研究所と本社に生中継されている・・・。
 面接終了。面接試験の中に、プレゼンテーションもあった(こっちはソツなくこなした)が、そのことについてはあまり触れられなかったが、後から考えると、明らかに失敗したと思える内容(質問に対する返答)が2ヶ所以上あった。最終面接だからと思って少しは期待していたが・・・・「残念ながら」のメールが7日後に届くことになる。。。
 面接試験が午前中で終わったため、徳島駅にタクシーで戻った。まだ午前11時。早っ・・・。昼食までまだ時間があるので、徳島駅の裏手にある小高い丘(徳島城址)の散策をして(スーツ姿で!!)、丘を下りてきた。徳島駅を反対側から見ると、何かショボい。しかも上を見上げると・・・。電線がない!ここは電化されていないのか(笑笑笑)。徳島そごうでソバを食った。「鴨なんば」を食べてみたのだが、最初、どう食べるのか戸惑った。ざるにのせられたソバと、大きな鉢にダシと鴨が入ってて、それが熱い。しかも、その鉢の中身が、そのまま飲むダシ、すなわちスープと勘違いしてたため、ソバにどうやって味付けをするんだろうお・・・と思って最初は何の味もないソバを食っていた。さすがに何の味気もなく、スープ(と思しきダシ)を口にすると・・・・。しょっぱい!!!・・・ここでやっと気がついた。ソバをこのダシに入れて味付けするんか・・・。どこかに説明書きしといてくれよ。とんだ恥かいた気がした。。。食事の後、大阪に戻るバスの時刻まで3時間あった。鳴門まで行こうか迷ったけど、さすがにそれだけの時間の余裕もなく、他に時間をつぶすアテもなく、仕方なくネットカフェで時間をつぶした(爆)

[クリスマス]
 イブの日は宝塚で一泊。翌日、阪急宝塚駅から三宮方面に向かうべく、宝塚駅に向かった。途中、宝塚大劇場(宝塚歌劇の本拠地)の前を通ったのだが、雰囲気が異様だった。この期間、大劇場自体は改修工事で休業中なのだが、宝塚のスター(女優)たちはレッスンのために通ってくる。それを今か今かと待ちかまえているファン(女性ばっかり。しかも中年か、中年になりかけの。男性は一人もいない。)ががぎょうさん群れている。黒塗りのベンツが近づいてくると、統制の取れた群れ、というか、獲物に一直線に向かうように、静かに(無言で)ササーッとクルマの方に移動する。クルマからでてきた宝塚の女優にむけてカメラのシャッターが切られる。ここでも無言である。女優は数秒立ち止まったあと、劇場内に消えていくときに、ファンの連中が「行ってらっしゃい」を連呼する。決してバカ丸出しのコギャルどもみたいにギャーギャー言わない。何とも異様であった。

 

2005年1月

[正月]
 2年ぶりに地元関西で正月を迎えた。例のごとく、毎年恒例の紅白歌合戦を見た。毎年同じことを言うようで申し訳ないが、どんなにマンネリしようが、どんなにNHKが不祥事まみれになろうが、私としては、紅白歌合戦を見ずして年越しはあり得ないのだ。小林幸子が新潟地震のことを理由にド派手衣装をやめる上に、紅組はこれといってピンと来るものはなかった。それに対して白組は最大の目玉は、やはり「マツケンサンバII」だろう(爆)。あと、冬のソナタのテーマソング。あれを歌っているRyuという韓国人、日本語も上手で驚いた。私の判定では、明らかに白組勝利で、視聴者や観客席の判定も圧倒的に白組だったのに、何故か審査員票で紅組勝利になった。今年の審査は納得いかず。
 紅白歌合戦の後、彼女と京都・北野天満宮に夜中初詣。午前2時頃、京都市内は霙(みぞれ)が激しくなり、あわや雪が積もるとこだった。北野天満宮は菅原道真を祀っており、受験生がどっと押し寄せる。私は受験生ではないが、就活中の身であり、必勝祈願・合格祈願をこめて北野天満宮を選んだ。京都と大阪の境に石清水八幡宮(八幡宮は勝負事の必勝祈願をするところ)があり、そこに行くことも考えたが、正月の夜中から山登りは大変だということで却下。阪急四条大宮を下りてバスに乗ってしばらくすると、ガキの集団が乗ってきた。バスの中で騒ぐわ暴れるわ・・・・正月からウザい限り。引率のオヤジ(塾の先公か何かだろう)!黙らせんかい!!・・・霙まじりの雪の中、騒ぎ暴れるクソガキ集団を横目にした初詣は、なかなか大変であった。
 大阪・梅田に戻り、彼女は帰宅したあと、露天神社(通称「お初天神」)に御神酒をもらいに行こうと思ったが、午前4時で終了してた。トホホ・・・。仕方なく、阪急東通を怪しいゾーンの方向へ歩き、綱敷天神社に御神酒をもらいに行った。その神社の所在地がまた怪しい場所にあり、神社の外ではホスト?らしきバカどもが正月の朝っぱらから大声張り上げてケンカしてたし・・・。アフォちゃうか。

[就職活動] 

 

2005年2月

[内定1つ目]

「バレンタインデー」

[最後の最終面接]

[内定・こんどこそ]

[実験・本格的に再開]


2005年3月

[阪神タイガース]
 ある「ヤ」系の私設応援団のせいで、今年から選手のヒッティングマーチが「ゴロッ」と変わるハメになった。せっかく覚えていたヒッティングマーチを覚え直さなければいけない。この「ヤ」系応援団の著作権違反が発端であるが、今のヒッティングマーチの大半が、この応援団が作詞作曲したものらしい。で、この応援団の色を払拭するためにも、約10選手の応援歌が変わるハメになった。一応、紹介すると、
 53 赤星憲広    シャープな打球 グランド突き抜けろ 走れレッドスター  「Let's Go ! 」 赤星 チャンス切り開け
  3 関本健太郎   勝負をつけろ 今こそ 頼むぞ 健太郎 みなぎる力 燃えたぎらす 根性魂
  4 A・シーツ   起こせ ジャスト レヴォリューション ネオ ヒーロー アンディシーツ チャンスだ ヒットだ Here We Go Oh! アンディ Here We Go !
  6 金本知憲    鍛えたその身体 あふれる気迫 さぁ ここまで(そーれ むこうへ)ぶち込め ライトスタンドへ
  7 今岡誠     今、胸に 秘めた 誠の 闘志を 大空に向かって 炎と燃やせ 虎になれ
 24 桧山進次郎   この一打にかけろ 気合いで振り抜けよ 誰もおまえを 止められぬ 桧山よ突っ走れ
  1 鳥谷敬     夢乗せて はばたけよ  鋭いスイング魅せてくれ さあ君が ヒーローだ  鳥谷 敬
  9 藤本敦士    運命を 背に受けて 決めろよ 「かっとばせ」 夢こえて 飛び出せ 藤本 ナンバーナイン
  8 片岡篤史    いぶし銀のかまえは 血と汗の勲章 片岡 浪速ド根性 速球を運べ
 39 矢野輝弘    湧き立つ 大地に 輝(ひか)る男 猛虎の 要 矢野  狙い打ち
 31 濱中おさむ   不死鳥が舞降りたら この勝負征す時 濱中 濱中 俺たちを導け
 41 S・スペンサー 炸裂グレイトパワーで とどけよ天までボール 待ってたU.S.ソウル 一直線だ スペンサー レッツゴー

 とまあ、こんなところだ。桧山と矢野を除いて全員変わってしまってる。上坂と秀太はどうなるうやろ・・・。正直、あんましカッコイイと思えない曲調のが多い気がする。ウ〜ン・・・。ちなみに、ヒッティングマーチの紹介しているサイトはここ

[休暇]
 3月13〜15日に休暇を取った。彼女がこっちに半年ぶりに来ることになったためだ。3日間の日程で、
(初日)空港→亘理のいちご農園(いちご狩り)→宿にチェックイン→買い物→夕食(宿の部屋内で牡蠣鍋)
(中日)ホテル→牛タン→(東北道)→田沢湖温泉
(最終日)田沢湖→盛岡市内(じゃじゃ麺)→空港
とまあ、3日間「食いっぱなし」の日程だった。
 13日は東京で、研究室の同窓会があったようで、是非とも参加してみたかったけど、どっちが優先かは、言わずもがな(笑)
 初日の牡蠣鍋なんて、私がこっそりとカセットコンロとホーロー鍋を持ち込んで、宮城県産の牡蠣と鱈、野菜を買いだしして、念のために熱感知センサーにラップまでかける念の入れようだったからなあ。宿は、晩翠草堂の真向かいにあるシティホテル・・・と言えば判るヤツは判る。いやいや、報知器を鳴らさずに済んでよかったよかった。翌朝、3月14日ということで、一応、ホワイトデーの贈物を渡した。菓子会社の戦略には乗らず、私が最近愛用している英国紅茶「Benoist」のアッサムとオレンジペコー、その他諸々、、、にした。2日目は、温泉宿に向かう途中、田沢湖駅に寄った。駅の時刻表を見て、唖然。時刻表のほとんどが赤数字、すなわち新幹線こまち号のもので、各停は1日に4本程度・・・・。まるで、新幹線を使わないヤツは来るな、と言わんばかりのダイヤだ。。。温泉宿は、きりたんぽ鍋がメイン(で出食される)と考えていたのに、きりたんぽはたったの2本・・・・と思いきや、タラバガニが丸ごと一匹ずつだったので、それだけで満腹、きりたんぽの追加注文をする気力は失せた(笑)。最終日は1年ぶりに、盛岡城の近くの、じゃじゃ麺の草分け「白龍」にて。

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