
夢生観
長い人生を生き抜いてきたお互いです。
老境という現実に追いつめられた今、脳裏に浮かぶ往生観について思いを馳せます。
反面で、往生という縁起でもないことを書くことに、些か躊躇しています 。
しかし、夢生観と題することによって、いくらか気楽に読んでもらいたいとの念願です。
この問題が頭に浮かんだのは、マスコミに老人の安楽死のことが書かれていた 為です。
人生には生まれたときが最初の祭典。そして、最大の祭典とは大往生です。
大往生するためには、安楽死は最大の条件、 これぞ現代医学の迷路です。
人間の神経回路には複雑な感覚があって、医薬のみでは解決しない問題があります。
それを補うのは所謂精神感覚です。信仰は感覚を超越して人間を麻痺します。
この問題と取り組んだのが、なんと2500年前、インドの釈迦尊です。
爾来 仏教はこれを受け継いで、人生を指導してきました。
「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」ご承知の名句です。
祗園とはインド中部コーサラ国金衛城の南方祇陀苑林(祗園)のことです。
釈迦の教えを慕って多くの僧侶が集まり 、ついには病人が出来る有様で、
そこに精舎(寺)無常堂が建てられた。
無常堂の軒先に釣り下がる瑠璃の鐘は、常日頃より経声に応じて揺れ動き,病僧の命終わらんとするや、
この四鐘、自然に響きを発し、諸行無常の四句の偈、即ち仏力を称える詞経を説くに至る。
病僧これを聴けば忽ち苦悩は消え去り、清涼な楽しみ生じて極楽浄土へ往生することが出来たという。
この不思議なる鐘の音は天理を示して自ら鳴り響く。
今 現世に立ち返り四囲を眺むれば、菩薩の姿見る能わず、錦の法衣 雅を競う。
人生行路は波瀾万丈、伸るか反るかの渡る世間、なんぞ天国に相見えようぞ。
多くの人に見送られ導師の鐘の音に送られて、さては天国か地獄か夢幻の境地に旅立つ。
地獄の世界も金次第、 宗門もお布施で成り立つ世知辛らさ。あの世のことは二の次か。
墓で成り立つ特別世界こそ、檀信徒に課せられた天国行きの片道切符。
されば、安楽死に関係は程遠い現世の名残にすぎぬ。
案ずるよりも生みが易しとは生誕の境地、されば大往生もまた宇宙に極まる夢幻の世界。
今生に思い残すこともない人生行路の夢の終演。

人生わずか五十年とは戦前のこと、
世界一の長寿とは苦しみの体験を、より長く味わう独特の股旅人生行路としか思えない。
仁義を切れば肩の荷物が重みをまして、広い世間が狭くなる。
故郷離れた冷たい人生、泣くに泣かれぬ男の胸の内 。思うに任せぬ世渡り三昧。
疲れた体を癒す辺とて見あたらず、さては忘れぬ己の山河に身を隠す。
立志ならずと雖も男の意地が、天下国家を向こうに回し、立ち振る舞いの夢と消えぬ。
この世で案じた想いの数々、書斎に残る紙片の屑籠、捕らぬ狸の皮算用。
得難い遺稿と人はいう、これ程までとは知るよしもなし。この世に残した夢ならん 。
夢生観
長い人生を生き抜いてきたお互いです。
老境という現実に追いつめられた今、脳裏に浮かぶ往生観について思いを馳せます。
反面で、往生という縁起でもないことを書くことに、些か躊躇しています 。
しかし、夢生観と題することによって、いくらか気楽に読んでもらいたいとの念願です。
この問題が頭に浮かんだのは、マスコミに老人の安楽死のことが書かれていた 為です。
大往生するためには、安楽死は最大の条件、 これぞ現代医学の迷路です。
人間の神経回路には複雑な感覚があって、医薬のみでは解決しない問題があります。
それを補うのは所謂精神感覚です。信仰は感覚を超越して人間を麻痺します。
この問題と取り組んだのが、なんと2500年前、インドの釈迦尊です。
爾来 仏教はこれを受け継いで、人生を指導してきました。
「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」ご承知の名句です。
祗園とはインド中部コーサラ国金衛城の南方祇陀苑林(祗園)のことです。
釈迦の教えを慕って多くの僧侶が集まり 、ついには病人が出来る有様で、
そこに精舎(寺)無常堂が建てられました。
無常堂の軒先に釣り下がる瑠璃の鐘は、常日頃より経声に応じて揺れ動き,
病僧の命終わらんとするや、この四鐘、自然に響きを発し、諸行無常の四句の偈、
即ち仏力を称える詞経を説くに至る。病僧これを聴けば忽ち苦悩は消え去り、
清涼な楽しみ生じて極楽浄土へ往生することが出来たという。
この不思議なる鐘の音は天理を示して自ら鳴り響く。
今 現世に立ち返り四囲を眺むれば、菩薩の姿見る能わず、誰に見せるか錦の法衣。
人生行路は波瀾万丈、伸るか反るかの渡る世間、時刻は人を待つことなし、
郷里で鳴かぬ犬は無い。意地と人情に挟まれて気心わかつ友の声、意見を肴にコップ酒
仁義を切れば肩の荷物が重みをまして、広い世間が狭くなる。
立志ならずと雖も男の意地が、天下国家を向こうに回し、立ち振る舞いの夢と消えぬ。
泣くに泣かれぬ男の胸の内 。思うに任せぬ世渡り三昧。
疲れた体を癒す辺とて見あたらず、さては忘れぬ己の山河に身を隠す。
今生に思い残すこともない人生行路の夢の終演。
己の幕引きに注文をつけるのも己の役目か。
簡略な儀式に委ねる前に、生前の総決算としての自分流を披露して、
客観的に批評してもらうことも大切では無かろうか。
広い世間から見れば、人生の評価は微々たるもの、
郷土にはお国の見識があり、風習がある。それに打ち勝っての人生行路。
人生わずか五十年とは戦前のこと、
世界一の長寿とは苦しみの体験を、より長く味わう独特の股旅人生行路としか思えない。
DNAも寿命を刻む、なんぞ天国に相見えようぞ。
多くの人に見送られ導師の鐘の音に送られて、さては天国か地獄か夢幻の境地に旅立つ。
地獄の世界も金次第、 宗門もお布施で成り立つ世知辛らさ。あの世のことは二の次か。
墓で成り立つ特別世界こそ、檀信徒に課せられた天国行きの片道切符。
されば、安楽死に関係は程遠い現世の名残にすぎぬ。
案ずるよりも生みが易しとは生誕の境地、されば大往生もまた宇宙に極まる夢幻の世界。
この世で案じた想いの数々、書斎に残る紙片の屑籠、捕らぬ狸の皮算用。
嗚呼,儚きものは 人生行路。
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kanzii.abe@ma5.justnet.ne.jp login kanzii.abe 阿部閑爺 2002.4.15