| + 風来日記 de 2003年4月 + |
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2003年04月30日(水)雨のち曇り 早い 明日から5月。本当に早い。とにかく毎日が猛スピードで過ぎていく。珍しくグロッキー気味な私。はぁ。 2003年04月29日(火)晴れ みどりの日 今日は祝日。だから、電車もバスも祝日ダイヤに注意して出勤。職場を出たのは22:30。 平日ならまだバスがある時間なのに、祝日の最終は出た後。タクシーで眠りそうだった。 2003年04月28日(月)晴れ 憂鬱 あぁ、また一週間が始まった。 2003年04月27日(日)晴れ 日焼け 洗濯するには絶好のお天気。昨日十分に眠ったおかげもあって、上機嫌で洗濯物をベランダに干した。 そして散歩に出発。まず、道草をしながら選挙会場に行き、投票を済ませて駅へ。 明日からの定期を購入。そこで定期券購入申込書の記入に悩む、ポルトガル人の青年と出会った。 スペインとポルトガルは地理的にも文化的にも非常に近い。もちろん言語にも共通点が多い。 彼はポルトガル語と片言の日本語、私はスペイン語を話し、どうにか申込書を埋められてちょっと嬉しかった。 それから小田急線の線路脇のタンポポを眺めつつブラブラと歩いて、あちらこちらのお店に立ち寄る。 気分が良い分、いつもより長く散歩した。そして、、、今ごろになって、日焼けをしたことに気付き後悔。 そろそろ日焼け止めの季節なんだね。それより先に、ノーメークで外に出る習慣を治さなければ。。。 2003年04月26日(土)曇り 睡眠 午前3:00過ぎに眠りに就き、目覚まし時計で8:00に起きた。外を眺め、強風で洗濯物が干せないと判断して再び眠る。 そして14:00過ぎにふと目を覚ました。少し迷ったが、実家に電話をする。 12日に訪問して以来、連絡していない。そろそろ母がシビレを切らす頃だから。 予想通り、「まったくアンタはいつもそうやって、電話もして来ないんだから!あっそうだ、 タケノコが沢山取れたから食べに来なさいよ。それから〇□と☆△(甥と姪)がオバチャンに会いたがってるわよ。」 と、話が飛び飛びのマシンガン・トークが開始される。先月入院していた人物とは思えない勢い。 その一つ一つに返事をしながら、彼女が快復しつつあることを確信。電話を切り、安心してまた眠った。 2003年04月25日(金)曇りのち雨 姿勢 職場を移転した。今までの狭いオフィスの荷物を箱詰めすると、実は広かったと感じた。 引っ越した関係で通勤時間が長くなるのが悔しい。それでも他の方々よりはずっと近いのだが。 引っ越し先ですぐに作業を再開。開発者と繋がった電話の受話器を、左肩と顎で挟み両手でキーボードを打つ。 私が嫌いな姿勢の一つだが仕方がない。なぜなら、状況を説明できるのは私だけなのだから。 このプロジェクトに入って今日で9日目。既に指名で電話をしてくる人もいる。 「これでいいの?」と思いつつ、期待に応えるべく必死で作業した。 最後に一日分の「問題報告書」をまとめて書く。毎日のことだが、この頃になると疲れがドッと押し寄せる。 それでも今日は、22:00に職場を出られた。あぁ、これからもっと大変になると思うと気が重いよ。 2003年04月24日(木)曇り 説明会 現在のプロジェクト主催者による、協力会社向けの説明会が大和市で開かれた。 私が契約している会社の部長、課長代理、営業担当者と私は、会社代表として出席。 他の男性3名とかなり年の違う私が、先頭を歩きながらお客様に挨拶する様は、かなり滑稽に映ったに違いない。 そんな中、正社員ではない私の名刺を社名入りで作る予定だと聞いても、特に驚かなかった。 世の中は複雑な人間関係の上に成り立っている。 ニカラグアに行くまでは、その中で生きるためには皆と同じに振る舞わなければいけないと思っていた。 だからこそ、息苦しくて辛かったのだろう。しかし、日本に帰国してからは自分自身の個性を閉じ込めることを辞めた。 そんなことににエネルギーを費やすのが馬鹿馬鹿しくなったのかもしれない。 背が低いこと、周りの日本人と考え方が違うこと、機械的な物より自然が好きなこと、仕事に対する割り切り。 それら全てが私の個性。変える必要もないし、そのつもりもない。 自分が自分であるために、むしろ大切にすべきことだと思う。 「説明会」という名の「方針再徹底会議」の席で、スケジュールや責任問題などについて議論をする人々の表情を見て、 「人生の中で、仕事ってそんなに大事な物かしら。。。」などと思った。 説明会後に入った駅前の中華レストランで、 「今ごろコーディング規約の話なんかしてる場合じゃねぇだろ」と部長がおっしゃり、皆が賛同した。 その発言によって、現場の私たちがどんな状態なのか、把握してくださっているのがわかり、少し救われた気がした。 2003年04月23日(水)晴れ ギリギリ 23:30に本日の作業が終了し、引き続いてミーティング。 お客様の人事担当の方と、上司に当る女性との3人。今後のスケジュールと人材について。 昨日参画した男性の評判は上々で、私も一安心。私とその男性の仕事振りを見て、我が社の人員を増やして欲しいとのこと。 どうやら戦略は成功した模様。ただ、新しい人が増えれば増えるほど、私の管理責任は重くなる。 ま、いいか。あんまり深く考えないようにしよう。そんなことを思いつつ、0:00過ぎにタクシーに乗った。 2003年04月22日(火)晴れ やっぱり 予想はしてたけど、やっぱり。。。29日の出勤が決まった。 多分来月5日も出ることになるだろう。私たちにゴールデン・ウィークなど関係ない。 理由は簡単、スケジュールが押しているから。このプロジェクト、リリースできるのだろうか。 2003年04月21日(月)晴れ 交代要員 先週月曜まで通っていた職場(つまり私が契約している会社)へ、今の職場の交代要員を連れに行った。 今度の人が長続きするといいけど。先週金曜日に退陣が決まった男性は、明日からは来ない。 この先どうなるかわからないけど、現在の大火事プロジェクトが終わるまで、責任の重さを感じない日はないだろう。 2003年04月20日(日)雨 ボー 一日中雨だった。憂鬱な明日からのことを考えながら、外を眺めて一日を過ごした。 気がついたら、また家から一歩も出なかった。 2003年04月19日(土)洗濯日和 再会 タイ王国のバンコクで働いている、一時帰国中の日本人の友人に会った。半年前と同じ、新宿駅の某所で待ち合わせ。 今日の夕方のフライトでタイに戻るため、キャリーケースを引いての登場だった。 久々の再会で会話もはずむ。国際チャットもいいけど、やっぱり直接会うと違うよね。 それと、新宿の雰囲気にも刺激を受けた。いつも神奈川の中央と西部を行動範囲としている私にとって、かなり違う世界だ。 静かな生活が好きだけど、時には出かけるのも悪くないね。 楽しかったね。今度は帰国する前に知らせておくれ。もしかして、直接オランダへ引っ越すの? > 悩める管理者さん 2003年04月18日(金)晴れ ちょっと早い 今日は、早く帰宅できたから機嫌が良い。そう、20:00には自宅に到着したのだ。 それにしても、今週の月曜日までは毎日定時あがりだったのに、この差は一体。。。 ま、仕方がないよね。覚悟はしてたし。忙しいからこそ、私が借り出されたのだから。 それにしても、まさかこんなに早く、一緒に参画した男性がギブアップするとは思わなかったよ。 初日から、そんなに長続きはしないと予測してたけど。とにかく怒涛の一週間が終わった。 週末はゆっくり過ごそう。 2003年04月17日(木)晴れ 痛い出費 毎日の作業が午前0:00を過ぎる。小田急線は動いているけど、駅までは巡回バスかタクシー以外に手段はない。 しかし、バスは22:00ごろで終了するため、どうしてもタクシーを使うことになる。 これって、かなりの痛い出費。誰かなんとかしてー。 2003年04月16日(水)晴れ Go ahead 布団から這い出て、定刻の9:30少し前に職場に到着した。すると、みなさんが驚いた。 「昨日、あんなに遅かったのに悪いですねぇ。もっと遅く来てもいいんですよ。」と。 だけどそうおっしゃている方々も、私と同じか、もしくはもっと遅くまで働いていらしたのだ。 さすがにここで生き残れるかちょっと不安。。。(苦笑) 2003年04月15日(火)雨のち晴れ ・・・ 大変な状態のプロジェクトに、別の男性一名と本日より参画。 そして、家にたどり着いたのは翌日3:30過ぎ。そう、初日から職場に朝3:00までいて、タクシーで帰宅したってこと。 予想をはるかに超えている。「火が着いてる」どころか、「ボーボー燃えている」のだ。 チームメンバーが当たり前のように深夜残業しているのを見ると、毎日この様子らしい。うー、助けてぇ。 2003年04月14日(月)曇り 撤収 先月の10日から勤務していた場所から撤収した。つまり明日から別の所へ行くってこと。 かなり火が着いているプロジェクトの助っ人。とりあえず1ヶ月だけど、そうはいかないだろうな。 でも、作業が肌に合わなければ予定通りに抜けよう。そんなことを考えながら職場の私物をまとめた。 2003年04月13日(日)いいお天気 選挙 神奈川県知事選挙に行った。即日開票され、元民主党員だった松沢成文氏が当選。 予想通りの当選だが、意外だったのは事実上自民党推薦の宝田良一氏の善戦。 さて、これからの県政はどのように変わるのかしら。きちんと目を見開いていなければ。 2003年04月12日(土)曇りのち雨 初体験 実家に置き去りにしてある愛車に別れを告げるため、実家を訪問した。 10年間、本当によく働いてくれたお気に入り。考えてみれば、この車と供に私の10年があったようにも思える。 大切な思い出が詰まっている分、手放すのが寂しい。素直に「長い間どうもありがとう」と言った。 さて、初めての体験もした。そう、姪をこの腕で抱いたのだ。彼女はまだ生後1ヶ月にも満たない。 1歳7ヶ月のワンパクな甥を抱え慣れた腕には、あまりにも小さく、危うく感じられた。それにしてもよく寝る。 お兄ちゃんになって、妹が可愛くて仕方がない甥が「いい子いい子」と言いながら顔に触れてもビクともしない。 さすが、我が一族。私の腕の中で1時間ほど眠っていたが、むずがったり笑ったりはしたが、泣くことはなかった。 微笑むとエクボができることを発見した時は、無性に嬉しかったよ。 それから、故郷の南足柄で起きた通り魔事件が「狂言」と判明してホッと一息。 それにしても、日本も物騒になった。かつてのような平和を取り戻すことは可能なのだろうか。 甥や姪の顔を見ていると、今後の総合的な地球環境に不安を抱かずにはいられない。 2003年04月11日(金)晴れ 投函 昨日作ったエアメール文書を職場のマシンで開き、休み時間に大急ぎで便箋に書き取った。 しかし悲しいかな、手書きをしているそばから文法のエラーを発見する。 「単語も忘れてるけど、文法も崩れ始めてるなぁ」と実感。 そこでもちろん「この現実を食い止めるためにも、旅に出る時期」と考え始めた。 一旦”出発フラグ”がオンになると、どうにも止まらない。既に「どこに行こうかなー」と検討中。 本当に私は、根っからの風来坊らしい。いいのさ、それでこそ私なのだから。 そんなことを思いながら、3通の手紙を投函した。 2003年04月10日(木)曇りのち雨 手紙 頼んでおいた写真の焼き増しを受け取って帰宅。夕食を手早く済ませて、このパソコンに向かった。 そして、辞書を片手に手紙を書いた。2通は英語、1通はスペイン語。 一旦Word文書にしてから手書きをするのは、文章更正が容易なことと、スペルチェックができるから。 しかし残念なことに、スペイン語のスペルチェック機能は持ち合わせていないのよね。 だからこそ、必死で書くのかも。言語は生もの。使わないとドンドン忘れてしまう。 こうして手紙を書くのが、ちょうど良いリハビリになってるよ。 写真入りの手紙を受け取った時の友人たちの笑顔を思いつつ、苦労をも楽しみながら書いた。 2003年04月09日(水)晴れ 花見 客先に出向いた。広大な敷地に様々な植物が植えられ、よく手入れされている。 あまりにも広いため、巡回バスが最寄駅から出発し、構内をグルっと回ってまた駅に行く。 私の用事は15:00に終了したが、一緒に行った人には別件があった。もちろん私は「先に帰社します」と言って別れた。 そして、、、駅とは反対方向の巡回バスで楽しいお花見。だって、桜があまりにもきれいなんだもの。 こうして私のささやかな、たった10分のエスケープは完了した。というわけで、ちょっと機嫌が良い。 23:15からNHKで「神奈川県知事候補者演説」を見た。今度の日曜日は投票日。きちんと考えなくては。 そうこうしているうちに番組は終わり、ニュースが始まってすぐの23:49に、バグダッドのフセイン像が倒される映像が流れた。 私はベルリンの壁の崩壊を思い出した。東西ドイツの統合と同様に、今後のイラクも混乱が続くだろう。 戦争も続いているし、バグダッドは無法地帯と化している。本当に大変なのはこれから。 歴史の目撃者の一人として、きちんと目を向けて行かなければならない。 2003年04月08日(火)雨 とうとう バグダッドにある、各国メディア関係者が滞在しているパレスチナホテルに合衆国軍のミサイルが命中し、 2名のリポーターが命を落とした。病院も飽和状態。その映像を見て、とうとうこらえていた涙が溢れた。 悲しい。なぜ人類はここまで残虐になれるのか。合衆国は昔から、戦争に勝つことで領土を拡げてきた。 メキシコから奪ったカリフォルニア州は、西海岸なので特に日本人にも馴染みが深い。 しかし、いつも勝利を収めてきたわけではない。戦力では圧倒的に優位だったベトナム戦争では屈辱の敗退を喫した。 通常の人は「勝ち試合」よりも「負け試合」の記憶を強く残す。 日本人が第二次世界大戦を良く覚えているのに対し、 合衆国人はもっと小規模なベトナム戦争に強い印象を抱き続けるのはそのため。 「悔しさをバネに強くなる」のは結構なことだが、合衆国はベトナム戦争から何かを学んだろうか。 そして、日本人には何ができるのか。心の中でフツフツと燃える何かを感じ始めた。 2003年04月07日(月)曇り 驚嘆 昨日の夕方起きた事件を、NHKニュースで知った。私の生まれ故郷、南足柄市で通り魔が出たとのこと。 一連の連続犯行の模倣犯らしい。41歳の女性が無事だったのが不幸中の幸い。 それにしても許せない行為。一体誰が、何のためにこんな残虐な行動を起こすのか。 ここで忘れてはいけないこと。 平和な町で人を刺せば「殺人犯」。だけど戦場で敵を撃てば「英雄」。どちらも殺戮に変わりない。 2003年04月06日(日)小春日和 誰か。。。 昨日とは打って変わって、うららかな一日。洗濯するのも楽しかった。 張り切って出かけた先は、もちろんスーパーマーケット。手早く買い物を済ませて帰宅。 やっぱり家でボーっとするのが一番好きだよ。 ニュースで「昨日、イギリスのロンドンで、イラクからの亡命者が『フセインを国際法で裁くべき』 と主張する集会を開いた」と報道した。 ヨルダンに出稼ぎに出ているイラク人や、ロンドンの亡命イラク人は比較的発言の自由を許されている。 しかし、ただそれだけの理由で、自国にいるイラク人は「フセイン万歳」と唱え続けているのだろうか。 本当にイラク人はフセインの脱却を望んでいるのか。明確な意思表示をした人を見たことがありますか? 2003年04月05日(土)強風と雨 一体どこへ 寒い一日だった。冷たい風が肌を刺し、加えて強い雨が四方八方から降ってくる。 できれば家から出たくないのだが、「雨の日セール」をしているデパートへ出かけた。 目的の物を購入し、そそくさと帰宅。本当に寒かった。 夜「世界ふしぎ発見!」でマヤ文明を取り上げていた。 中米ホンジュラスの南端にあるコパン遺跡は有名だが、そのすぐ南にあるニカラグア共和国はあまり知られていない。 ホンジュラスのように、銀が取れたり遺跡が残っていれば、ニカラグアも違う歴史を歩んでいたのだろうか。 メキシコのチチェンイツァー遺跡の映像が流れ、そのピラミッドに登った時のことを思い出した。 そして考えた。「もしもニカラグアでマヤ文明の遺跡が見つかったら、発見国に牛耳られていただろう」と。 他国の侵略に対し、強い反撃をするパワーも精神もあの国にはない。その点がイラクとは大きく違う。 その根源は宗教への信仰心と、統治者への服従レベルの差だろう。イスラム教への興味が深まった。 それから神奈川県連続通り魔がこの1週間に3人を刺した現場の映像を、ニュース番組で改めて見た。 大井町や松田町は、私の生まれ故郷にほど近い、静かな田舎町だ。 平穏なはずの見慣れた場所が、残虐な犯行現場としてテレビに映るのを見て、無性に悲しかった。 最近の世の中は、一体どこへ向かって突き進んでいるのだろう。その答えは誰も知らないし、知るのも恐ろしい気がする。 2003年04月04日(金)曇りのち雨 スピード 2月まで同僚だった仲間と、久しぶりに顔を合わせた。 離れてから1ヶ月少ししか経っていないのに、妙に懐かしく感じた。 職場の様子を聞くに連れ、状況が変わりつつあることを知ったからかもしれない。 世の中は時々刻々と変化している。どうやら私は、そのスピードに付いていけない人間らしい。 偶然の再会、嬉しかったよ。日記を読んでくれててありがとう。来月あたり会おう。 > アンコール・ワットさん Happy Birthday. > 雲の上の人 2003年04月03日(木)晴れ ダム 仕事を休んで兄の勤める小学校に出向いた。 山に作られた人工ダムに突き出た半島の先端に浮かぶ、全校生徒が約40人の小さな学校。 校庭では、カナダガンが我が物顔で自慢の鳴き声を披露し、ダムの水面には空を流れる雲の影が映る。 平野部とは気温が違うため、桜はつぼみを固く閉ざし山間の春をじっと待っている。 静かだ。 日々の生活では味わえない安らぎに、身を包まれたような気がする。「心のダムをもっと大きくしたいものだ」と感じた。 2003年04月02日(水)雨 偶然 いつもの様に定時で職場を出て、本厚木駅まで5分の距離を、傘を差して歩き始めた。 すると、先月 友人のウェディング・パーティーへ一緒に行った元同僚と、 彼女の友人にバッタリ会った。 同僚も退職したが、同伴の友人は現在アノ会社で働いているとのこと。かくして女性3人で夕食を摂ることに。 私よりだいぶ若い二人だが、自分をしっかりと持っていて、見習うべき点も発見できた。 あまり多くの人と交わらないからこその、友人のありがたみを実感した。 2003年04月01日(火)晴れ April Fools' Day 今日から新年度。 だからと言って心を入れ替えるつもりもないし、必要もないけれど、ここ数日 気合いを入れていたことがある。 しかし当日の今日、悔しいことに忘れてしまったよ、「嘘をついてもいい日だ」ってことを。 昨日まではどんな嘘をつこうかと考えてたのに、一つも言わずじまいになってしまった。 まぁ、世界には嘘で塗り固めたような人生を歩む人もいれば、この瞬間を息を呑んで過ごしている人もいる。 それを思えば、大した問題ではないよね。 | m |
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