| + 風来日記 de 2010年1月 + |
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「ナンダカンダ言って、結局笑ってます」 四歳児クラス 小背村 コナン 去年の11月、お母さんは仕事に行かなくなった。だって、仕事がなくなっちゃったんだもん。 お母さんは”こじんじぎょーぬし”だから、プロジェクト単位の契約が終わると、”むしゅーにゅー”になる。 よくわかんないけど、お金がもらえなくなったということ。だからって生活が大きく変わることはなかったけど。 唯一変わったのは、保育園のお迎え時間。それまではいつも最後の一人だったけど、今はみんなと同じか少し遅いくらい。 嬉しかった。だってそれは、早くお母さんに会えるということだから。 でもね、いつでもお母さんが好きってわけじゃないの。私が眠い時とか、疲れている時にグズグズになると、お母さんは怖〜い顔して怒る。 だから私は「お母さんなんて大嫌い!」「アタシ、この家から出て行く!」と言ってしまう。 その言葉を口に出した瞬間に後悔するんだけど、ついつい意地を張る。 お母さんは悲しそうな顔で「コナン、今の言葉は、お母さんの気持ちを考えてから言ったの?」と聞く。 私は大泣き。お母さんは「ホラ、おいで」、、、「ちょっとだけ間違えちゃっただけだよね?」。 しばらくして落ち着いた私が「ウン。ごめんなさい。」と言いながら、お母さんにしがみついてビエーとまた泣く。毎日これの繰り返し。 お母さんは保育園の先生に、「私が外で仕事してないから、甘えてるんだと思います。一過性の現象でしょうから、特に気にしてません」と言ってた。 お母さんはなんでこう、私の変化に鈍感なんだろう。というか、無頓着。これはもう「細かいことは気にしない」というレベルではないと思うな。 でも私以外のことでは、ちょっとは気になることもあるらしい。 例えば”ドバイショック”とか「ビーズ用のワイヤーを買うから、ダイソーで言って。お母さんは忘れるから。」とか。 全く調子がいいんだから。ま、いいか。今さら騒いでも変わらないし、そもそも変える必要もないし。 仕方がないから、お母さんに付き合ってあーげよっと。それにしても私って、孝行娘だわ♪ 12月は、なんと言ってもクリスマス♪ 私の家にはトントゥが住んでるの。 いつでも私のそばにいて、12月になるとサンタ・クロースに私の一年間の様子をお知らせする。その内容で、サンタさんが私の家に来るかどうか決めるのよ。 クリスマスの朝は早く目が覚めたのに、私の枕元にはプレゼントがなかったの。私、とってもガッカリした。 お母さんは「そんなこともあるよ。だってコナンは『私の所には来なくてもいいから、お家もなくて、お母さんもいない子にプレゼントをあげてください』 ってサンタさんに頼んだでしょ?だからだよ」と言いながら起き出した。 それでも私は悲しかった。そしたら隣の部屋から、お母さんが何かにつまずいて「痛い!何だコレ?」という声が聞こえた。 そうです!プレゼントは寝室ではなく、テレビのお部屋にあったのです!私は何もお願いしなかったのに、私がもらって嬉しい物がたくさん入った袋がそこにあったの。 私は「トントゥはやっぱりよーく見てるんだ!」って思ったよ。お母さんからのプレゼントも素敵だった。ビーズで作った ティアラを始め、かわいい小物がいろいろ。 先月買ったビーズ用ワイヤーは、ティアラを作るためだったんだ!あー良かった。ダイソーでちゃんと思い出して。 サンタさん、お母さん、どうもありがとう。きっとサンタさんは、お家もお母さんもない子にも、プレゼントをあげたと思うな。 その少し前に、デンマークのコペンハーゲンって所で、温暖化防止のための国際会議(COP15)が開催されたんだって。 お母さんは「今ね、地球がお熱を出しているの。そのお熱をもっとアッチッチーにしないためにはどうすればいいか、 世界中の偉い人や先生が話し合ってるんだよ。コナンが大きくなっても、今と同じようにお水を飲んだり、 お山の木や動物が元気でいるためには、今からみんなが気をつけなくちゃいけないんだよ。」と教えてくれた。 私はすぐに、保育園で使った教材に「お水の大切さ」をテーマにした題材があったのを思い出したの。 「お母さん、これのことでしょ?」とそのページを見せたら「そう!これこれ。コナン偉いよ。よくわかってるね。」といい子いい子してくれた。 どうやらCOP15では大きな成果は得られなかったみたいだけど、 お母さんの言うには「今の体制のままでは、いくら話し合っても平行線だと思うなー」とのこと。 難しいことはゼンゼンわかんないけど、とにかく電気、お水、紙、クレヨンなど、何でも無駄使いはいけないってこと。 つまり「物を大切に」だね。その点では、お母さんはなかなか優秀だと思う。 だって、お母さんはおばあちゃんの娘だからね。つまりそれは、お母さんの娘である私も、似たような考え方になるってこと。 だからお母さんがテレビの主電源を切り忘れてると「お母さんテレビのデンゲン、点けっ放しだよ!」と教えてあげる。 そうするとお母さんは「あ、ありがとう!お母さんはすぐ忘れるから、コナンが覚えててね。」と言いながら消す。まったくお母さんは、世話が焼けるよ。 30日には年末恒例行事の、おじいちゃん家お餅つき。おじいちゃんは平たく伸ばしたお餅を上手に四角く切る。私は横で待ってて”切れっぱし”を貰って食べる。 お母さんは「そんなに食べたらお腹が爆発しちゃうよ」と言ったけど、おじいちゃんは「そんなことないよな。ホレ、もっと食べろ」と言って私にくれる。 無碍に断るのも失礼だし、おじいちゃんが可愛そうだから、”付き合い”で口に入れる。。。を繰り返した。 かくして、たった一日で1.5kgも太ってしまった。大人なら笑ってられるけど、私は子供。いつもの体重は15kg。つまり、一割増しってこと。 マズイ。。。 年が変わって今年の1月1日。生まれて初めて、除夜の鐘を突きに行ったの。大晦日の23:30にお母さんは私を起こした。 暖かい服をたくさん着て、マフラー巻いて、耳あてと手袋をしていざ出発。お母さんは「さあ!行くぞー!!寒いけど。。。」と、 竜頭蛇尾の掛け声とともに玄関を開けた。思ったほど寒くなかったよ。それよりお母さんったら、除夜の鐘を突くお寺の場所を知らないで出発したんだよ。 でもね、いつも声を掛けてくれる近所のおじさんが外で煙草を吸ってて、道を教えてくれた。お母さんと手をつないで、夜の道を歩くのはなかなか楽しかった。 それに私、星空を眺めるのも大好きだし。ちょうどお天気が良かったから、私の知ってるオリオン座がハッキリ見えたよ。 お母さんは綺麗なお月様を見上げて「明日は満月なんだよ」と教えてくれた。しばらく行くと、さっきのおじさんの奥さんと娘のお姉ちゃんに会った。 また道を聞いた。そして二人でルンルン散歩。懐中電灯を持って行ったけど、一回も使わなかったよ。 600mくらいの道のりを15分くらいかけて歩いた。 やっとお寺に着いたら急階段。その上にお寺の門。除夜の鐘を突くため、石段を数えながら登ったの。 でもね、私は30までしか数えられない。だから、全部で何段だったのか不明。そんなこと、どうでも良かった。 行列に並んで待ちながら、振る舞われた甘酒を飲む母。幸せそうだった。鐘を突いた後は豚汁を頂いた。私はそれで、すっかり除夜の鐘が気に入ったわ。 それから自宅近くの神社まで歩いて行って、おそばをご馳走になった。神社の扉が開いてたから、初めて内装を見たの。金ピカでキレイだったー。 14日には同じ神社でどんど焼きをした。お母さんったら、すっかり忘れてたんだよ。心配した隣のおばさんが「コナンちゃんが焼くお団子ある?」と聞きに来てくれて、 「あっ、すっかり忘れてました!」と答えたお母さん。おばさんは「丁度良かった!いーっぱい作ったから食べて」と、快く分けてくださった。 お母さんは「ウーン」とうなりながら家中を探し回り、「これだ!」と叫んで物干し用の竿上げを持って来た。 そして持ち手部分にアルミ箔を厚く巻いて、お団子焼き棒のできあがり。もらった団子を針金で結わき付け、アルミ箔で巻いていざ出発。 お隣のご夫婦と共に神社へ。私はほっぺを桃色に染めながら、大きな炎でお団子を焼いた。そしてもちろん、楽しくおいしくたくさん食べました。 お母さんは「そんなに食べたらお腹がお団子になっちゃうよ」と言ってた。うーむ、なんでこう、おいしい物がいっぱいあるんだろう。困ってしまう。。。 その日は、お母さんも12日に起きたハイチ大地震のことを口にしなかった。お母さんの住んでたニカラグアの近くだから、少し気になるみたい。 仕事に行ってないから特にボランティア魂がうずくらしいけど、さすがに私を連れて渡航するほどチャレンジングではないらしい。 いつか、私がもっとずっと大きくなってから行くかもしれないけど。 30日(土)に保育園のお遊戯会があった。例年通りアイアイお姉ちゃんが、ビデオ撮影のために駆けつけてくれた。観覧席で許されるのは写真撮影のみ。 だから私の出番になると、お姉ちゃんはお母さんのビデオカメラを持って、最後列のビデオ撮影席に行って撮ってくれる。 去年の年少さんでは、合奏&歌とダンスの2演目だけだった。でも今年は、合奏、歌、ダンス、 劇の4演目。すごいでしょ。 結局、ナンダカンダといいつつ、最後は笑ってる。今までずっとそうして来たし、これからもそうだと思う。それでいいはず。お母さんの仕事が見つかればの話だけど。。。 | x |