プロローグ
大学卒業直前の1994年2月から3月にかけて約1ヶ月のマレー半島縦断の旅をしました。何気なしに行った旅なのですが、今までの人生においても忘れなれない出来事がたくさんあります。
この話を書いたのは1996年の事で、それをリライトして発表する事にしました。これを読んで当時の僕と一緒に旅をして頂ければ、とても嬉しく思います。
1994年2月9日 日本→バンコク
12時20分発のエア・インディア305便は定刻通りに成田空港を後にゆっくりと宙に浮き始めた。所要時間が6時間以上もあるのにも関わらず、僕は「地球の歩き方 タイ」を開いては、タイの首都バンコクのドン・ムアン空港から市街地に路線バスで行く方法を何度も覚えようとした。出発前から紙に穴が開くほど読んでいたのだけれども・・。
僕の座席は進行方向に向かって左側の3列の席の一番通路側だった。隣の席には、「これから出張です」と言った感じの50歳くらいの日本人男性がタバコに火をつけ始め、もう1つ左隣の席には、20代半ばくらいのインド人男性が、ぼーっと何かを考えては空を眺めていた。だが、周囲を見渡してみると、
乗客のほとんどが日本人バックパッカーで、後はサラリーマン風の日本人とインド人がちらほら見られるだけであった。
これから3月9日までの28日間もの間、僕はマレー半島から抜け出せないんだと考えると、周りの人達が眠り始めても、嬉しさと不安と緊張と興奮が頭の中で入り乱れて眠れない。これでももう3回目の海外旅行なのに。
話は出発の約1ヶ月前に遡る。バブル経済崩壊後の苦しい就職活動の末、何とか大手食品メーカーに就職が決まっていた僕は、楽しかった学生生活と決別する前に卒業旅行の計画を練っていた。3月半ばには新入社員研修もあるので、着の身着のままという旅は出来ないが、計画を立てるという行為自体が、旅に出る実感が湧いて非常に楽しいのだ。
候補地を2つに絞った。1つはタイからインドネシアまで国境を越えてマレー半島を縦断するコースで、もう1つは、アメリカのロサンゼルスを拠点に観光地を周遊するコースであった。
次に予算の問題であるが、貯金は全部で25万円。学生最後なので全て使い切るのには抵抗がない。それぞれの物価から考えると、この金額では、マレー半島なら1ヶ月、アメリカ西海岸なら2週間のプランになった。
こうなると迷いはなかった。長く旅したいし、前に行ったフィリピン旅行で東南アジアの人々の明るさに魅了されていたからだ。
「地球の歩き方」で市街地の行き方は完璧に覚えた。しかし、1人では心細いという不安材料があった。前回のフィリピン旅行も1人で行ったのだが、その時はマニラでビジネスをしている日本人男性に声を掛けられ、街まで一緒に車に乗せてもらい、おまけにその日は彼の家に泊めてもらったのだ。だけれど、今回はそういう訳にはいかない。隣のおじさんも、その隣のインド人青年も、経由地のバンコクでは降りずにそのままデリーへ行くと言っているし、通路を挟んだ右側の日本人学生5人組旅行について行くほどの図太さはない。
僕は更に辺りを見回した。
一人旅の日本人を見つけた。僕の後ろ斜めの席に座っていた。何だか体調が悪そうである。だが、僕は彼に声を掛けた。
「すみません。どちらへ行かれるのですか?」
彼は疲れた感じで答えた。
「バンコクです」
これはチャンスだと思った。
「バンコクでは泊まる所は決めていますか?」
「いえ、まだ決めていないんですが、とりあえずカオサン・ロードのどこかに泊まるつもりです」
カオサン・ロードは、バックパッカーの溜まり場として、世界的に有名な安宿街である。僕も同じくそこへ向かおうと考えていたのだ。
「もしよかったら、一緒にカオサン・ロードまでいきませんか?その方がお互い心強いでしょう?」
「あっ、はい。そうしましょう」
ようやく彼は少し笑顔になった。
彼、T君は慶応大学の2回生で、海外旅行は中国に次いで2回目だそうだ。T君はバンコクで安い旅行代理店を探してそのままインドへ向かうそうだ。偶然、日本に帰る日も僕と同じであった。
そうこうしている内に、機内アナウンスが聞こえてきた。
「当機は間もなくドン・ムアン空港に到着致します。只今のバンコクの天気は晴れ、気温は摂氏35度です」
やっぱり熱帯地方は違うねえ、と思いながらセーターを脱いで飛行機を降りた。
タイに入国し、T君と2人でバス停を探していると、1組の日本人カップルに声を掛けられた。
「僕達、カオサン・ロードまで行くんですが、海外は初めてなので、一緒に行ってもいいですか?」
カップルで旅行なんて羨ましいな、と思いつつ結局4人でバス停まで行った。バス停は空港のすぐ近くにあったし、バスも15分くらいでやって来た。乗るとすぐに、ブリキの料金箱をガチャガチャ言わせて振っているお兄さんにバス代を払うと、彼はブリキの筒の蓋をパチっと閉めて、鋭く切れ目の入った切符を僕に渡してくれた。3.5バーツ、約14円である。バスの乗り心地は悪くはなく、ねっとりとした黄色い空気と風景が新鮮であった。
カオサン・ロードに着き、バスを降りた。僕はすぐに「地球の歩き方」を取り出して、予めマークしていた宿を指差して、
「この宿が評判いいらしいよ」
そう言って早速その宿を探して見つかったものの、もう午後7時を過ぎていた為、どのゲストハウスにも空き部屋がなかった。4・5軒目でやっと、
「ツインが一部屋だけある」
と言われたので、僕とT君はカップルに譲ろうとしたが、男の方が、
「せっかくここまで来たんですから、4人で同じ所に泊まりましょうよ」
なかなかいい奴なのである。
およそ10軒目で空き部屋のあるゲストハウスは見つかった。1階には宿の家族の雑魚寝布団があり、階段を上った所に部屋があった。小さなベッドが2つに、大きなベッドが1つ・・。誰がどこに寝るかはすぐに決定した。
荷物をその部屋に置いて、全員で散歩がてらに食事に出かけた。
こうして卒業旅行の第一日目は無難に終わっていった。
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