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1994年2月11日 マレー鉄道の少女(バンコク→)
同じゲストハウスに泊まっていた僕達4人はチェックアウトを済ませ、僕を除いた3人の新しい宿を探しに出かけた。午前中という事もあってすんなりと見つかり、昨日知り合ったO君とY君の2人に合流して29番のバスに乗ってファランポーン駅に出た。僕はそこで荷物を預け、マレー鉄道出発の時間までみんなでチャイナタウンに足を向けた。
普段は華人やタイ人で賑わっているのだろうが、旧正月ということもあって金行と呼ばれる、金ショップを中心とした店はほとんど閉まっており、人の往来も僅かなものであった。特に見所というものがなかったので、日本人旅行者には名前の通った安宿、楽宮旅社とジュライホテル(ジュライホテルは1995年10月に閉鎖された)を見物に行った。楽宮旅社は谷恒生氏の小説の舞台になった所で、その本によると、いつも売春婦が辺りをたむろしているらしいが、その様な人達は見当たらなかった。記念写真を撮った後、ジュライホテルに向かった。楽宮旅社とは違って、外見から判断するとなかなか綺麗で立派な建物であった。
「T君、O君。バンコクに戻ったらこのホテルで再会しようか?帰国日は同じだしね」
「いいですね。そうしましょう」
再会を約束した所で、駅の近くにある屋台で紅茶を飲むことにした。これが6人揃っての最後の時間となるので、互いに写真を撮った後、住所交換をした。
生まれた場所も、過ごした時間も全く違うし、ほんの少し前に偶然出会ったばかりだけれどすぐに仲間になれた。これからも心の中の友達で居続けて欲しい、本当に知り合えて良かった。
そんな想いを胸に1人1人と固く握手をして、大きく手を振りながらマレー鉄道に乗った。
列車内に入り、自分の座席を探した。チケットと照合して2車両程度渡り歩くと見つかった。結構清潔で快適そうだったので嬉しかった。早速荷物を荷台に上げ、辺りにいつ人達を見回した。通路を挟んだ向かいの席には30歳位の好色そうな男性とその彼女か奥さんらしき女性が座っていた。目が合うと、男の方から話し掛けてきた。
「ハイ!どこから来た?どこまで行くんだ?」
「日本から来ました。終点のバタワースまで行って、最終的にはシンガポールまで行くつもりです。あなたはどこまで行かれるんですか?」
「俺はランカウイ島まで行くんだ。バンコクで洋服屋をやっているからビジネスとリゾートを兼ねてね。君も行かないか?あそこは全て免税だし、最高だぜ!」
声が少し聞き取りにくかったので、通路を越えて、男の横にしゃがんで話を聞こうとしたら、いかにも困った顔をしてこう言ってきた。
「下から見上げるのはやめてくれ。俺はムスリムなんだ」
「ごめんなさい」
僕は再び自分の席に戻った。
もう一度辺りを見てみると、少し裕福そうなタイ人や年老いた欧米人が多く、今の所、我等日本人の姿が確認出来ない。まあいいか、と思っていると、空いていた僕の席の前にタイ人らしき若い女性が座ってきた。
女性?女の子?1人でどこへ行くんだ?英語は通じるのかな?等と考えている内にマレー鉄道はゆっくりと動き始め、従業員はサービスのミネラルウォーターを配り出した。
およそ20時間の列車旅である。何はともあれ、僕の目の前に若い女性が座っているのはラッキーなことだ。髪はショートでボーイッシュなタイプ。顔も日本人に近くてまあまあ可愛いし、服装も長袖のワイシャツにブルージーンズと清潔感があってこざっぱりしている。その内、彼女の方から声を掛けてきた。英語であった。
「どこの人?」
その一言が長い列車の旅を楽しいものへと変えるきっかけとなった。
「日本人だよ。君は1人で何をしに行くの?」
「ボーイフレンドとペナン島に住んでいるの。私はタイ人なんだけれど。彼との間に1歳の男の子もいるのよ。まだ私は18歳なんだけれど」
僕はがっかりする以上に驚いた。どう見ても子持ちとは思えない、真面目な感じの普通の女の子だからだ。
「お前、『振られてしまった〜』って思っただろう?」
向かいのムスリム青年が口を挟んできた。僕はただ笑うしかなかった。
彼女の名前はマユラ。ボーイフレンドは45歳のブラジル人で、タイで知り合ったそうだが、今は子供と3人でペナン島に住んでいる。彼女は一時的にタイ北部にある実家に里帰りしていたということだ。
この列車は全席禁煙なので、僕は席を立ち、喫煙者の溜まっている、車両の連結部分まで行った。みんながプカプカと煙をくゆらせている中に日本人も混じっていたので声を掛けた。
彼、U君も卒業旅行でタイに来ていて、目的地は僕と同じシンガポールであった。彼も関西人だし、何かと奇遇である。結局シンガポールまで一緒に行こうということになり、タバコを吸いに行く度にU君と話をした。
3度目のタバコを吸い終わって席に戻った後、本を読んでいたマユラは相変わらず無表情で半ば呆れた様に言った。
「よくタバコ吸うわね。止めなさい」
「そんなに吸ってないよ。何の本を読んでるんだい?」
マユラの脇に何冊か積み上げられた分厚い本は、ELLE等といったファッション雑誌のタイ語版であった。マユラは、1冊僕に渡してくれたが、女性雑誌だし、タイ語で何が書かれているか全く分からないので、パラパラとページをめくった後、彼女に返した。
「それじゃあ、この雑誌の星占い見てあげる。あなたの誕生日はいつ?」
「5月15日だけれど」
マユラはコホンと咳払いをして、雑誌の占いコーナーをゆっくりと読み出した。
「あなたはとっても素晴らしい運命的な出会いをします。ですが、その相手には恋人がいるか、バージンではないでしょう」
僕は思わず吹き出してしまい、向かいのムスリム兄ちゃんは、アッハッハと大爆笑した。
「一体それは誰のことなんだ?」
「さあね」
マユラがとぼけた顔をした。
しばらくして夕食が運ばれて来た。ほとんどの乗客がそれぞれ食べ物を持ち込んでいたが、僕とマユラは何も持って来ていなかったので注文しておいたのだ。見せてもらったメニューは、定食が3種類。その中にはタイの誇る世界3大スープのトムヤンクンが付いている定食があったので、トムヤンクンを食べた事のなかった僕は迷わずそれにした。一方、マユラは別の定食を頼んでいた。値段は130バーツ(約550円)とタイの物価から見て非常に高いが、ご飯に野菜と海鮮類の炒め物、そしてトムヤンクンの豪華3点セットだった。
「いただきます」
日本語でそう言ってから早速トムヤンクンを口にした。口に含んだ瞬間、酸味と辛さの効いた旨みを感じたが、飲み込もうとした瞬間、
「ゴホッ、ゴホッ!」
と咳き込んでしまった。それは2度目も同じ事であった。のどを通ると咳き込んでしまうのである。向こうの方からもやたらに大きな咳が聞こえてきたのでのぞいてみると、U君がトムヤンクンを悪戦苦闘しながら飲んでいた。
「そんなに辛いの?」
マユラが無表情で話し掛けてきた。
「辛い辛い。タイ人はいつもこれを平気で食べているのかい?」
すると彼女は自分のスプーンで僕のトムヤンクンをすくって飲み、ウンウンと頷いて、
「丁度いい、おいしいわよ」
どうやら日本人は、他の人種に比べて辛さに慣れていないようだ。
食事もまだ途中の所で、マレー鉄道に乗った記念に写真を撮ろうと思い、マユラにシャッターを押してもらった。そして、この旅を楽しいものにしてくれた彼女に感謝の意味を込めて、彼女の写真を撮った。その際、彼女は手で髪を整え、服装を正してカメラの方に向いた。
「後で写真送るから住所を教えてくれる?」
そう言ってメモ帳とボールペンを彼女に渡した。
「いいわよ。それより、ペナン島に来たら是非うちへ寄ってちょうだい。ここに電話番号書いておくから」
「ありがとう、寄らせてもらうよ」
食事が終わると、僕はマユラに日本語の数の数え方を教えて上げた。お姉さんが日本人と結婚しているらしいので、日本語に少し興味があるようだ。1から10まで教えると、彼女は何度も聞き返して、一生懸命にメモを取っていた。
「それでね、ベストは日本語で『いちばん』と言うんだ」
「イチバン?」
「そう、イチバン!」
そう言って僕は右手の人差し指をピンと立てた。マユラはその言葉が気に入ったらしく、その後の会話でも人差し指を立ててやたらと、
「イチバン!」
と言っていた。
やがて夜が更けると、マレー鉄道の従業員はベッドを組み立て、マユラが二段ベッドの下段、僕が上段に横になった。ベッドは少し狭かったが、クーラーの効きは程よく、カオサンロードの安宿よりは遥かに快適に眠ることが出来た。
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