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2002年4月26日(金)
@関空→ドン・ムアン空港
関空発タイ航空623便は、定刻通り15時35分にドン・ムアン空港に到着した。窮屈な機内から解放される喜びと、突如やって来る外からの熱風に圧倒されながら、空港内を移動するバスに乗り込んだ。
空港のビルに入ると、もう見慣れた土産物屋が延々と続いている。ヤンゴン行きの飛行機が出発するまでおよそ2時間半ほどあったので、あてもなく店をぶらつき、それにも飽きてきた頃、セキュリティーをくぐって搭乗口でぼんやりと佇んだ。
実はここで、まだ見た事のない女性と待ち合わせをする事になっていた。
2週間前、トルコ行きのチケットが取れず、ビザ取得の関係もあって第二希望のミャンマー行きが決定した。だが、ミャンマーで思い出すのは軍事政権とパゴダ程度……、他には何も想像できなかった。だから少し不安になって、あるホームページでツアーメイト募集の掲示板に投稿し、ついでに自分のホームページも宣伝した。少しでも時間を共有出来る人がいればいいなと思った訳である。
しばらくして何通かメールが来た。その内2通は同じ時期にミャンマーに行くそうだ。1通は男性からで弟とミャンマーに行くらしいが、返事を出して以来それっきりだった。何か気を悪くする事でも書いたのだろうか……。もう1通は関東の女性からだったが、バンコク・ヤンゴン間が同じ飛行機である事が分かった。彼女、まほさんとは何通かメールをやり取りし、こちらから写真を送っておいたのでバンコクの搭乗口で見つけてもらう事になった。
僕はまほさんの顔を知らないので、ガイドブックでも読みながら彼女が声を掛けるのを待つしかなかった。後に日本人の若い女の子が座っていて目が合ったが、どうやら彼女ではないようだ。
結局、何十分待っても一向に誰も声を掛けて来ず、出発40分前になってもう諦め、少し眠った。
眠りから覚め、トイレに行った。寝ぼけた顔で椅子に戻ろうとすると、1人の女性が声を掛けてきた。僕はまほさんだと確信した。
「いやーん、写真とちがーう!」
そんな事はまあいい。とにかく会えて良かった。
搭乗までほとんど時間がなかったが、軽く話を始めた。彼女も僕も宿は予約していた。彼女は街外れの高級リゾートホテル。僕はダウンタウンの1泊10ドルの安宿(BEAUTY
LAND HOTEL U)……・。とにかく、一緒に夕食を食べる約束をした。
2人で話をしながら飛行機に乗ろうと並んでいた時、先程目が合った女の子が、まほさんに話し掛けた。
「強制両替200ドルしないといけないんですよね。私、200ドルも持ってないんですよ。何か良い方法ありますか?」
彼女の声は良く響いた。そして一発で僕と同じ関西人だと言う事が分かった。だが、まほさんのビザは両替不要のパッケージツアーのビザ、僕は国内線を利用するつもりなので、素直に200ドルを両替する旨を告げた。
「とりあえず、空港へ着いてから交渉してみては?」
という結論になり、互いの席に着いた。
Aヤンゴン到着
ヤンゴンへはあっという間に到着し、いよいよ問題の入国となった。入国審査場で係員がパスポートを回収している間、僕はまほさんとしゃべっていたが、関西人の女の子(のちに「あけみ」という名前を聞く)は、2人の若い日本人男性パッカーを捕まえ、両替をどうやりくりするか相談していた。3人共僕とは世代が違うのでギャップを感じ、彼等に声を掛けなかった。
しかし、男性の内の1人が突然声を掛けてきた。
「あのー、すみません。ホームページとかやってらっしゃいます?」
「(何でそんな事知ってるんだ??)あ、はぁー……」
「アジアン・パラダイスですよね?」
「(えっ、えぇーーー!!)はい……」
「水口(兄)です。前にメールしたのですが、返事書けなくてすみません」
そう、彼は2通のメールの内の1通だったのだ。まさか同じ飛行機とは露知らず、本当に驚いた。そして彼とは全然似ていない弟もやって来て、会えた事を嬉しく思った。
そうこうしている内に、まほさんと僕の入国手続きが完了し、強制両替の所に移り、僕はしぶしぶ200ドルを両替した。残りの3人は係員3人にそれぞれ2ドルずつワイロを渡して50ドルにまけてもらったそうだ。早くこんな制度なくなればいいのに・・。
荷物検査が終わると、1人の若いミャンマー人が僕の名前が書かれたカードを掲げて待っていた。そう、予約をしておくと空港まで迎えに来てくれるのだ。初めての国はとても不安なので、このサービスはとてもありがたい。ここでまほさんとは一旦お別れし、僕はまだ宿を予約していない3人を宿の従業員、ウェイリンと待った。
10分ほどして3人がやって来て、全員が僕と同じ宿に泊まる事に合意し、4人で迎えの車に乗った。
もう外は真っ暗だったが、一国の首都だけあって大きな建物が立ち並んでいる。初めての国で車から見る街並みほど新鮮なものはないものだ。暖かい風を肌で感じながら無事に宿に辿り着いた。
まずはそれぞれの部屋に入った。僕の部屋はエアコンがしっかり効いていて、シャワーとトイレの付いたシンプルだがとても清潔な部屋だった。これで10ドルならまあ合格だろう。
部屋でまほさんを待っている間、あけみさんがやって来た。話によると、彼女の部屋だけ停電していて居場所がないそうだ。ベッドに腰掛ける様に促し、これから始まる互いのプランについて話をした。共通しているのは2人ともバガンには必ず行くと言う事だった。
B街を散策
暫くして1Fのロビーへ下りると、まほさんと水口兄弟が椅子に腰掛けて歓談していた。僕は20FECをフロントでチャットに両替してもらい、夕食に出掛ける事にした。
しかし時刻はもう10時過ぎており、店はほとんど閉まっていた。なす術がないので、とりあえず、街の中心部となるスーレーパゴダへ足を運んだ。すると、焼き鳥の屋台や路上カフェなどが並んでいた。だが、初めての国は不安が付きまとう。英語は通じるのか、安いのか、美味いのか、腹は壊さないか……。
スーレーパゴダまで行き、もと来た道を引き返すと、屋台で1人の男がスープらしき物を飲んでいた。そこには何か具が入っているが真っ暗で全く分からない。明かりを近づけて貰うと、豚肉らしい事が分かった。僕は屋台の男にいくらか聞いてみた。答えは、
「ワン・ハンドレッド」
100チャットと言えば日本円で20円もしない。僕は耳を疑った。たまたま背後には日本語を話せるミャンマー人が僕等を観察していたので、彼に値段を聞いて貰う様に頼んだ。答えは、
「ヒャクチャットです」
だった。間違いないので、僕は2つ注文し、みんなで分けて食べた。初のお買い物である。スープはかなり脂っこいが、味は悪くはない。だが、これだけでは腹はふくれない。僕等はスープを平らげると次の店を探すべく、店主に別れを告げた。すると、ずっと黙っていた彼は立ち上がり、両手を合わせて丁寧に、
「サンキュー」
を言った。ミャンマー人って良い人達なのかもしれない。
「さて……」
僕等5人が席を立つと何十人ものミャンマー人達が一斉にこちらを見ていた。どうやらかなり好奇心旺盛らしい……。
まだ腹が減っていたので、僕等は普通のレストランを探した。すると次にインド料理屋にぶつかった。まほさんが、
「ここ去年ミャンマーに来た時に行きました。ガイドブックにも載っている有名な店よ」
と言う訳で、その店に入り、全員チキンカレーを注文した。日本のドライカレーに骨付きチキンが乗っていた。普通に美味しかった。料金は、スープとサラダ付きで450チャット。
時刻は11時半になっていた。日本では午前2時だ、さすがに眠い。宿の前でまほさんと別れ、同じ宿の4人は朝9時に宿のレストランで待ち合わせをする事にして互いの部屋に戻った。
初日からこんなにたくさんの仲間が出来て良かった。エアコンを切り、眠りに就いた。
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