| 2002年4月28日(日) @やっとの思いでバガンへ 最後に目が覚めた時には、バスは赤土に囲まれた道を走っていた。サボテンなどがあり、まるでかつてのアメリカ西部の様な情景だ。だが、暫くして同じ赤土色をしたパゴダがちらほら見え始めた。時計は午前6時過ぎ、もうバガンは近いみたいだ。 バスは無事にバガンのバスターミナルに到着した。バスを降りるや否や、サイドカー付きの自転車タクシー、サイカーの客引きに囲まれた。ガイドブックによると、目的の宿までは歩いてでも行けそうだったが、全く分からない場所なのと、200チャットという値段だったので(あとで聞いた所、は100チャットが相場の様だがまあいい)頼む事にした。それでもいつまで経ってもこの類の客引きには警戒してしまって慣れない。 サイカーの助手席に座り、いざ出発という所で肝心な事に気付いた。 バスの荷棚に大きい方のバッグを置いてきてしまったのだ。 慌ててバスに戻り、荷物をとって引き返した。寝ぼけていたとは言え、本当うっかりしていた。ミャンマーの治安の良さに気を抜いていたのだろう。 まだ朝早いので顔に当たる風が心地よい。そして、素朴でのどかな風景が心を癒してくれる。だが、長時間バスに乗っていた為、尻の痛みが残る。早く宿で休みたい。 アケミさん達と待ち合わせ予定のゴールデンミャンマーモーテルには10分ほどで到着した。フロントに入ると、人は良さそうだが少々マヌケ面の男と、宿のボスらしき恰幅の良いおばさんが笑顔で迎えてくれた。とりあえず値段を聞くと、朝食付きで4ドルだと言う。次に部屋を見せてもらう事にし、やけに色が黒くこれまた恰幅の良いまだ10代らしい男の子が部屋を案内してくれた。 鍵を開けて部屋に入ると、ベッドが2つ並んでおり、あまり清潔ではないが結構部屋は広い。エアコンもアジア独特の天井にぶらさがった扇風機もある。シャワーとトイレもあり、水しか出ないが、これだけ暑ければ問題ない。値段の安さとアケミさん達に会う事から、すぐにここに泊まる事に決め、彼に200チャットチップを渡し、喉が渇いたのでコーラを持って来てもらうように頼んだ。 しかし彼はすぐに戻って来て、 「400チャット」 と言って、200チャットを返して来た。僕は瞬時に、この宿ではコーラを売っていないのに気付いた。そして彼に500チャットを渡すと、自転車に乗って店へ行ってしまった。 僕はフロントに戻り、マヌケ面のマネージャに宿帳を書くように促された。名前、国籍、バスポートナンバー、ビザナンバー、ここまでは問題ない。その次にはバガン入域のチケット番号を書く欄があった。外国人はバガンに入るのに空港やチェックポイントで入域料を払わないといけないのだ。 しかし、一度もそんな場面はなかった。恐らく僕が寝ている間にあの外国人旅行者達は入域料を払わされたのに違いない。僕は正直に、 「まだ払っていない。ここで払えるの?」 「いや、ここでは払えない」 「そしたら払ったらまた言うよ」 彼はそれで了承したが、結局バガンを出るまで10ドルを払う事はなかった。得はしたのだが、複雑な気分である。 暫くして、若い方の従業員が缶コーラを持って帰ってきて、100チャットと共に僕に渡したが、それはチップとして彼にあげた。 ところで、 発展途上国のジュースは概して瓶が多い。リサイクルしやすいのと、中身を詰めて栓をする工程が単純だからだろう。ミャンマーでは高くても100チャットだった。だが、缶はタイから等の輸入物が多かったりして値段がかなり高くなるのだ。日本では処分しやすい缶が主流なので、時々瓶ジュースが恋しくなったりする。 部屋に戻り、一服して冷たいコーラをあおって、バスの疲れを取るために眠りに就いた。 A重い腰を動かして 眠る前は大して疲れていないと思っていたのに、ずいぶん眠った様だ。もう12時前である。エアコンを切って寝たので身体中が汗でベトベトする。まずはシャワーを浴び、デイパックにガイドブックやカメラを詰め込んで観光の身支度をした。 フロントに行くと、マネージャーと眼鏡を掛け、端正な顔立ちをした中年男がトランプをしていた。この中年男は朝に会ったおばさんの弟らしい。僕は自転車を借りて、ガイドブックに載っているレストランに向かった。 帽子をかぶって自転車を漕いでいるが、風が熱い。日本の真夏でもここまで暑くはないだろう。暫くして、バガンでもかなり美しい部類に入るシュエズィーゴォンパゴダの前にあるレストランへ入った。ガイドブックによると川エビの炒め物が美味しいらしい。朝から何も食べていなかったので、エビとラーメン、コーラを注文した。 20分程待たされて出て来た川エビは予想以上の大きさだった。小さな伊勢エビとさほど変わらないだろう。それが4尾もあるのだ。僕はラーメンと一緒に必死になって食べた。店の兄ちゃんが殻の部分も味が付いていて美味しいよと薦めてくれたが、そこまで手が回らなかった。 ミャンマーでの初めてのご馳走を食べ終わり、勘定してもらった。エビが2500チャットで、合計3400チャット。日本円でも700円くらいなので、ミャンマーでは恐ろしく高い部類に入るだろう。だが、日本ではこんなエビは食べられないし、食べられたとしてもそれこそとんでもない値段になるから良い経験になったと思う。 自転車に乗って数十秒、まずは最初の目的地、シュエズィーゴォンパゴダに入った。入るや否や店の客引きがやって来て、駐輪代10チャットを徴収された。パゴダは土足厳禁なので、サンダルを脱いで参道に上がったが、タイルは日に焼けていてとてつもなく熱い。日陰を探しつつ、飛び上がりながら歩くしかない。そうでなければ絶対に火傷してしまう。 やっとの思いで日陰に入って足を冷ますと、10歳くらいのオレンジ色の袈裟をまとった少年僧と目が合ったのでカメラを向けた。彼は面倒臭そうな顔をしながらも応じてくれたが、撮り終わると、「マネー」と要求して来た。ポケットをまさぐると5チャットが触れたので渡すと、何も言わずにアーケード状になった廊下へ向かって行ったので、僕も少し距離を置いて後からついて行った。 そこには細々と土産物屋が並ぶが、立派なパゴダにも関わらずオフシーズンで観光客はいないし、商売っ気も全くない。時折、胡散臭い宝石を見せてくる程度だ。僕は土産物には全く興味がないので、それで問題ないのだが、これでどうにか生活している様なので不思議でならない。それでも、彼等やその子供達は笑顔で僕に笑いかけてくる。十分にお金があるのにあくせくしている日本人とはまるで対照的である。 長い廊下を最後まで歩き、元来た道を戻って、パゴダの周りを再び歩き始めた。すると、僕と同じ年くらいの日本人男性と目が合い、どちらからともなく声を掛けた。彼、寺田さんも会社の休みを利用して、今朝飛行機でバガンに着いたそうだ。仕事が忙しく、彼にとっては4年ぶりの旅、余程待ち遠しかったに違いない。 暫く歩くと土産物屋の女性2人が寄って来た。1人はおばさんだが、もう1人は化粧が濃いが結構美人である。まだ17歳だそうだ。彼女は寺田さんに、ハンサム、ハンサムとしきりに言っていたが、彼は関心がないようだった。 あまりにも暑いので、パゴダを眺めながら2人日陰で座っていると、30歳くらいの痩せ細った僧が僕等に話し掛けて来た。日本の仏教の事などをだらだらと話し合ったが、彼は思い切った様に口火を切った。 「私はマラリアで、この薬を飲まないといけません。この薬はとても高いし、遠い街まで買いに行かないといけないので、交通費も掛かります。どうか、薬代を恵んで下さいませんか?」 当然僕等は戸惑った。やはり、疑ってしまうのだ。旅をしていると何度も騙されるので、どうも猜疑心が強くなっていけない。だが、とりあえず彼の言う事を信用する事にして、200チャットずつ彼に渡した。弱った顔で感謝を言葉を述べると僧はどこかへ行ってしまった。 僕等はその後近くにある小さな洞窟に行き、ジュースを飲んだ後、夕食を一緒に食べる約束をして一旦、それぞれのホテルに戻った。 待ち合わせ時間の6時に、寺田さんは宿にやって来た。向かったのは日本食レストラン「富士」である。客は誰もいず、Tシャツ、短パンの若い男がウエイターをしていた。メニューを見るが、どれも2000チャット前後と結構高い。昨日の昼食は300チャットだからえらい違いである。僕にとっては2食連続の豪華食となる。あくまで貧乏旅行を前提としての話だが・・。 結局、寺田さんはカツ丼を、僕は肉丼を注文し、パイナップルジュースを飲みながらのんびりを料理を待った。 料理は味噌汁とお新香・キムチ付きでやって来た。キムチは完全にヤバイ臭いがしたので、食べなかったが、肉丼・味噌汁は日本で食べるよりは少し落ちるが、結構美味かった。暑くて口に運ぶのも一生懸命だが、体力をつけないと旅が出来ない。 食べ終わって外に出るが、まだ8時過ぎである。寝るにはあまりにも早過ぎるので、別のカフェに行ってジュースを飲んだ。お互い旅好きなので話は弾むが、2人とも酒が飲めないし、娯楽が何もない。9時過ぎになって解散した。だが、明日は馬車をチャーターしてバガンを本格的に観光する。 ここでも良い旅仲間が出来て良かった。 |