原付でツーリング、その5


 次の日、早朝に目が覚めたのですが、眠いのでチェックアウトぎりぎりまで寝ていました。
 友人と連れ立って、市内のマクドナルドへ。朝昼を一緒に食べました。

 さて、これからの予定は…僕は九州まで2号線を走りたかったのですが、どうやら彼は広島の市内観光をして、土産を買って高松に帰りたいようです。
 僕は、あと2、3日は時間があったので、何としても九州まで行くつもりでした。
 んじゃあ、ここで別れるかということになり、僕は2号線に向かって南へ、彼は市内観光へ向かいました。

   実際のところ、僕は一人になってほっとしました。まあ、元々僕が自分勝手な人間ということもありますが、彼とは少し考え方が違ったのでしょう。何よりマクドナルドに入る手前の交差点で、彼が2段階右折をしなかったことに少し腹を立てていました。どうでもいいことかもしれませんが、あんなんで警察に捕まったのでは情けなさすぎます。
 道交法自体がもう古くなっているんでしょうが、一応規則は規則です。違反したら捕まえられます。言い訳しても、ポリさんは許してくれません。

 さて、僕は2号線西行に戻ります。下関までは、250km余り。原付にはちょっと遠い距離ですが、何とかなるでしょう。
 広島市内では、あまり交通マナーがよくありませんでした。気を付けながら、2号線まで辿り着きました。

   ここからは海岸沿いを走行しました。うーん、実に気持ちがいいです。宮島を左手に見ながら、そして海の風を体で感じながら走りつづけます。

   そうして、山口県に入りました。中学校の修学旅行で、秋吉台に来て以来です。地図を見ると、少し秋吉台は遠い。今回は九州へ上陸したいので、脇道にそれるのはやめて、ひたすら2号線です。
 とは言え、岩国市でいきなり”錦帯橋”を見るために寄り道しました。橋を渡るとお金がかかるので、もちろん見るだけです。この時、観光バスからぞろぞろと観光客が降りてくるのを見て、なんだかぞっとしました。
 もちろん僕も観光客に違いはないのですが、団体でぞろぞろ、というのはあまりいい光景ではありません。おいらはやっぱり小人数か一人だな、と改めて思いました。

   途中で通り雨にあいました。夏とはいえ、雨が降ると少し寒い。カッパを着ると暑い。どうしようもありませんが、風邪をひくとどうにもならないので我慢しつつ走りました。
 そして、日も暮れようとする頃、下関は壇ノ浦までやってきました。壇ノ浦というと、最後の源平合戦が行われた場所です。さらには、幕末長州藩が外国船に向かって、大砲で攻撃したところでもあります。あっけなく長州藩は負けてしまいましたが。
 壇ノ浦で見る夕日、というのは情緒にあふれ、どういうわけか心に響きます。ここまで走ってきた疲れがあるのと、歴史に自然と思いを馳せるからでしょうか??

 とまあ、感慨にふけるのもいいのですが、今夜の宿泊場所を確保しなくてはなりません。一応寝袋は持っていましたが、一日走った疲れと、排ガスで真っ黒になった顔を何とかしたいので、下関のYHに電話しました。
 が…やはり夏、一杯でした。仕方なく、ここから一番近い北九州のYHに電話。ここは空いていました。んじゃあ、北九州を目指すか、と関門トンネルの人道にエレベーターで降りていきました。通行料は20円。

 そして、とうとう九州に上陸しました。ここから北九州YHへ向かいました。距離としてはそれほどではないのですが、初めての土地を薄暗い中で走るというのは不安です。あちこち迷いながらも、なんとかYHに辿り着きました。
 北九州市は友人から聞いていた通り、交通マナーは最悪でした。何より驚いたのは、ガソリンスタンドで”給油禁止ナンバー”というのがあったこと。結局金を払わない人がいるのだそうです。極悪です。僕はそんなことをするはずもなく、きっちりお金を払いました。

 YHの風呂では、徹底的に洗いました。顔と首筋は真っ黒で、汚れが落ちるまで三回も洗いました。ようやくきれいになって、風呂上りにビールを飲みました。
 その日、同宿だった人と色々話をして、いつの間にか11時過ぎになっていました。消灯時間だったので、そそくさとベッドにもぐりこみました。朝までぐっすり!

 次の日、福岡市内でラーメンを食べてから、再び北九州に戻り、フェリーに乗って神戸まで帰りました。もっとツーリングはしたかったのですが、福岡市内に出る途中で大雨に降られ、意気消沈してしまったので、そのまま帰ることにしました。

 今となっては、ツーリングと呼べるかどうかも怪しいのですが、この辺りに現在の僕のルーツがあるのでは?と思います。


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