Guam

February 1976

 

・卒業旅行という言葉は、私が大学に通っていた頃にだいぶ一般化してきたような記憶があります。私の最初の海外経験でした。

・ウインドサーフィンと当時呼ぶ人が多かった、ボードセイリングを楽しむ目的で、友人2人と出かけたのでした。熱帯の珊瑚礁に守られた海は遠浅で波もなく、風も安定していてオールラウンドしか乗ったことのなかった私にとって最高に遊べる場所の一つでした。ただ、ボードから落ちたときになまこを踏むことが多くてかなわなかった。(当時のグアムのビーチは黒いなまこと緑の藻がやたら多かった。)

・スペースシャトルの爆発シーンがビーチから戻り、部屋で始めてみるCNNニュース(だったと思う)で飛び込んできました。もしかすると生中継だったかもしれない。打ち上げ前、女性飛行士の生徒たち(そのフライトのクルーの一人は、教師から選ばれていた)やその他の飛行士の家族が大勢で見守るシーンが流れ、ゆったりとした中継風景だったのが、秒読みで0を過ぎ、十秒過ぎ頃におこった大爆発に、最初は何がおこったのか認識できずにほうけた顔をしていたあと、猛烈に鳴き始めた人たちをかなり長時間に渡りカメラは追っておりました。

・パシフィックオーシャンクラブは入場すれば後は無料でインストラクターがいろいろなスポーツを教えてくれる。インストラクターはフィリピン人が多かったように記憶している。日本では滅多に見られない(当時)ような、真っ白い、Tバックの水着を着た日本人女性がいたので声をかけたが、無視される。わざわざグアムにきて派手な水着で楽しんでいるところをじゃましてしまったようだ。仕方ないので、ウインドサーフィン三昧で楽しんだ。夕飯は何かインストラクタ−達によるショウを見ながら楽しみ、閉園直前まで楽しんだ。

・藤田タモンホテル(タモンはビーチの名前)は、当時野球の巨人軍がグアムで合宿をする際に使うことでそれなりに知られていたが、実際の部屋は決してすばらしいものではなかった。まあ、男同士で泊まるには十分だったが。

・アメリカらしいものをと話し合い、大きいステーキに挑戦。1ポンドという奴を頼んだところ、幅よりもあつい細長い固まりに興奮したものだった。しかし、楽しいのはそこまでで、味の方は...。大枚はたいたのに。昼に食べたビーチの東屋で焼いきながら売っていたハンバーガーの方がよっぽどおいしかった。

・気さくな女性(当時の私にはだいぶ年上に見えたが、おそらく30歳くらい)とビーチで出会い、話がはずむ。現地にすんでいるとのこと。車でシューティングセンターにつれていってくれることに。夕方、待ち合わせの場所にフィリピン人らしい旦那が。ちょっとやばいかなと思ったが、気にせずお任せしたところ、単なる親切なひとだったようだ。シューティングセンターからどれくらいバックマージンをとっていたのかは不明だが、変な観光客用ツアーでいくよりだいぶ安くあがった。

・ハレー彗星が接近していた。南の方なので日本でよりよく見えると聞いていたので探したが、あまりよくわからなかった。なんとなくあれかなっていうものを見たような気がする。70年に一度しかみれないチャンスだったのに、今思うとなぜ双眼鏡を持っていっていなかったのだろう。くやしい。

 

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