Nov.13-17, 1994
・UNESCOの下部機関である国際海洋委員会?が開催、世界海洋博覧会(1998)を主催するポルトガルがホストして第二回国際海洋会議が開催されていた。
・アルファマ地区は、17世紀にリスボンをおそった地震の後も昔の面影を残した、曲がりくねった細い入り組んだ路地の続く旧市街地。ほとんどの壁が白く、迷路のよう。住人は、少しアラブの血が入ったような顔立ちで、観光客が多い場所であるのをまったく気をかけていないがごとく、道ばたで談笑している。
・町中にそびえ立つエレベータは誰が何を考えて作ったのか。市の中心に近い通りから、急勾配の丘の上にかけて逆L字型に上る手段であり、作りたくなる気持ちは分かるけれど、実用性は低い。ただし観光名所としては、ユニークであり、印象にも残りやすくてよかったのかも。
・やたらと橋脚が細長い橋がリスボン市と川向こうの町をつないでいる。高さ200mはあるだろうか。しかもその橋脚の細いこと。日本なら、吊り橋で造るであろうところ、橋脚で支える構造になっている。地震のある国では考えられない。
・ファドに行った。現地のグレーハンウド観光ツアーでいったので、バスからの市内観光つきだったが説明はポルトガル語と訛のきつい英語。アメリカ人の陽気な中年と老年の女性2人と男女2人連れの小規模なパックで、つれて行かれたお店は、狭い路地の奥の、小汚い建物の奥で、なにか不思議な雰囲気。カラオケスナック風の絨毯敷きに小さなステージのある店に客は我々5人しかいない。これはみっけもんだったかもと期待が高まる。 しかし、甘くなかった。飲み物を注文してしばらくすると、日本人の25人くらいのツアーがなだれ込む。わいわいがやがや。すでによっている親父もいてやかましい。さらに、日本人の統率のとれた行動力なのか、料理が出されると、一斉にがちゃがちゃ騒音をたててむしゃむしゃ食べる。雰囲気を味わう店のはずが、完全にコスモポリタン軍団に多数派に支配されてしまった。しかも、料理は鱈をほぐしてオリーブオイルいためたものがメインディシュだったが、これがまずい。老年女性は、リスボン育ちだったそうで、いろいろ教えてくれたが、そのときの料理はオーソドックスなリスボンの料理ではあったが、まずい方だったそうだ。アメリカ人にまずいといわれる料理なんて。
・塩分の多い魚の干物の腐ったような強烈なにおいがしていて、服に付いたのではないかと心配するほどだった。庶民の市場のようなところでしか出くわさなかったが、その干物は結構現地では一般食だという。また、冬であったので、塩で蒸した栗を駅前で買った。茶色いざら紙でできた紙袋にいれてくれたが、これが、まずい。日本の天津甘栗を食べさせてやりたかった。しかも、2個に1個は、虫が食っており、中には2匹くらいの虫にほとんど食べ尽くされたような栗もあった。逆に日本にきている栗に使っている農薬も心配になる。
・マゼランの群像(だとおもう)?が上部にある、巨大展望台式モニュメントには、内部にエレベータがあり、あがるのは用意だが、一番上の展望台は結構風が強く、寒かった。
・川にはみ出したような水城は、リスボンの象徴的な建物の一つだが、結構階段や通路は狭く、しかも、下の階には水牢(つながれた人は水に浸かったまま過ごす。水面があがってくると水死)があり、結構おどろおどろしい感じ。マゼランのモニュメントから歩いても行けるが、ちょっと遠い。
泊まっていたホテルは、結構高級であったが、目的地である博物館までは遠かった。タクシーを捕まえてもよかったが、つまらないので、電車を使ってみた。目的地の駅名を覚えられない。