白虎隊

 幕末の動乱の中、会津藩主松平容保は京都守護職に就くこととなる。これが会津藩の悲劇の始まりであったのである。会津藩は新撰組とともに朝廷を守るため京の治安維持に活躍するが、時は尊王攘夷の動きとなり、討幕をこころみる薩摩・長州藩(新政府軍)との戦いが始まった。いわゆる約1年半にわたる戊辰戦争である。
会津藩には年齢によって朱雀隊・青竜隊・玄武隊、それに15歳〜17歳の少年で結成された白虎隊があった。また白いはちまき、なぎなたで戦う中野竹子を筆頭とした女性たちから成る娘子軍も最前線で活躍した。
 白虎士中二番隊に出動命令があり、激戦と敗走の中、悲劇が起こった。
「あぁ、お城が燃えている」少年たちは息をつめるようにじっと城を見つめた。実はこの時まだ燃えてはおらず、城下から立ち上る炎と煙、降りしきる雨のせいで、燃えているように見えたのであった。少年20人はもうこれまでと落胆し、涙とともに自刃した。その中で一人命を助けられた飯沼貞吉によって白虎隊の最後の様子を知ることができたのであった。しかし、彼は生前白虎隊士の墓に参ったことはなかったという。一人だけ生き残ったことが悔やまれたのであろう。飯盛山に葬られた白虎隊士の墓には今も線香の煙が絶える事は無い。
 1ヵ月後、松平容保はついに降伏を決意し、鶴ヶ城は明け渡された。会津の戦いはあらゆる明治維新の戦いの中で最大のものであった。会津藩の人々はその後、青森県斗南に移され、廃藩置県によって若松県、福島県となった。


新撰組とは?
近藤勇、土方歳三、沖田総司らの浪士で結成された京の治安を守るパトロール隊である。
新撰組の名がいちやく有名になったのは1864年6月に起こった池田屋事件である。