旅のひとりごと
7月のひとりごと
| 幸せについて再び思う 〜レコンピオ〜 パキスタンのフンザによく似た地、レコンピオで、 フンザで考えたことと同じことを考える。 幸せって、ナニ? 私の考える幸せは、 フンザで考えたことと変化はない。 幸せって、瞬間的なものだと思うのよ。 楽しいと感じる瞬間、心地よいと感じる瞬間、ラッキー!!って思う瞬間、 そういったものたちが幸せを構成する要素になるんじゃないかなって。 そしてその、瞬間の積み重ねが、 幸せな状態を作り上げるのだと思う。 だから私は、 幸せな瞬間をたくさん感じていたい。 小さなことでも、当たり前のようなことでも、 『幸せ』と感じられる心を、持ち続けていたい。 そう、幸せは、心の問題なんじゃないかと思う。 自分を『不幸だ』と思う人は、 面白くないことが続くから、不快な状態が続くから、 不運が重なるから『不幸』なんじゃなくて、 幸せを感じ取る心を持ち合わせていない、 不運な境遇を呪う心は持ち合わせているのに、 小さな日々の幸せに気づかない、 その心の乏しさが『不幸』なんだと思う。 『毎日ボランティアをやって、 ダイアダンの子供たちに何を感じるか? どうして毎日通ってくるのか?』 2週間ほど共にボランティアをやってきた台湾の学生が、 去り行く間際に私に聞いた。 私は考え通りに答えた。 『私には、子供たちを幸せにする。なんてことはできない。 ただ一日のうち、ほんの一瞬、誰か一人にでも「楽しい」と感じてもらえたら、 私の前で笑ってもらうことができたら、 私は今日ここにいる意味があると信じることができる。 ここにいる子供たちは決して不幸じゃない。 親代わりのシスターがいてマーシーがいてたくさんのボランティアがいて、 食べるものも寝る場所もある。 決して不幸な状態にあるわけではないと思う。 だからもう少しポジティブな感情を、私は求めたい。 彼らに喜んでもらうことが、 私たちの存在意義だと思う。 彼らに笑ってほしくて私は来るんだ。 彼らの笑い顔が見たくて毎日くるんだよ。 簡単に言えば、彼らのことが好きなんだけどね。(笑)。』 本当はね、彼らが幸か不幸か、なんて私には判断できない。 彼らはそんなこと考えてないしね。 だから、笑顔で判断するしかないんだ。 笑ってくれれば、 あ、今この瞬間は、この子は幸せな状態にあるんだって、 思うことができる。 瞬間でいいんだって、私は思う。 継続は難しいし、ずっと、ずっと、が、できないことはわかってるから、 一瞬でも、HAPPYな感じを、味わってほしい。 カルカッタの街で悩んだことを思い出す。 人に物を乞うこともせず、 ぼろぼろの服を着て、年老いた男性に手を引かれて歩く子供。 彼らの後姿はあまりに悲しくて、 『幸せじゃない』ことを物語ってた。 彼らは『楽しい』と感じて笑うことはあるのだろうか。 『心地よい』と感じる場所は、あるのだろうか。 私はせめて彼らに一瞬の『幸運』を受け取ってほしかった。 でも彼らは何も乞わず、うつむいたまま通り過ぎてしまった。 私は子供の悲しい背中に我慢ができない思いだった。 子供の悲しい背中は、 大人のそれよりも孤独だと思う。 貧富の差が激しいインドでは子供でもよく働かされる。 朝から晩まで働きづめの子供たち。 怒鳴られ、なじられ、こき使われる。 遊び盛りの子供たち。なのに彼らは働いてる。 彼らには『幸せ』なんてたいそうなものじゃなくていい、 『楽しみ』を知ってほしいと、 『喜び』を感じてほしいと、切に思った。 そして山を見ながら考える。 不公平だ。と。こんな不公平はいやだ。と。 笑わない子供がいるなんておかしい。 遊ばない子供がいるなんておかしい。 子供には未来がないと。希望がないと。 彼らに必要なもの。 愛とか優しさとか、そんなきれいごとじゃないと思った。 与えられるものではない。幸せな状態は、 彼らが自分で作り上げないと。 自分の手でつかまないと。 じゃあどうすればいいか。何ができるか。 『学校』 私が行き着いた先はそこだった。 『先生』という存在。 遊ぶ場所、学ぶ場所。友達のいる場所。 自分が存在する国、街、しくみ、 今自分が置かれている状態、 差別や理不尽なものの裏にあるもの、正体、 そういったものも、彼らには知る権利がある。 学ぶ機会を、彼らは与えられなきゃいけない。 子供のころからの無知が、彼らを不幸な状態の中に置き去りにしてる。 この世に、自分の置かれている状況に、 改善の余地があること、 それを知ることが、自分で幸せな瞬間をつかみ、 今よりも幸せな状態へ導くきっかけになると思う。 私は誰のことも幸せにすることはできない。 でも、楽しみを見つけること、 喜びを感じられる心を育てること、 そんな手助けは、できるんじゃないか。 そのために何をすべきかは、 まだしばらく試行錯誤が続きそうだけど。 幸せって、漠然としすぎていて、 その捉え方は人それぞれだと思う。 でも私は、 小さなところから積み上げていくことのできるものだと、 希望をこめて、思う。 |
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| 他人との距離 〜デリー〜 市バスに乗ったら、 車掌さんが男の人をどかして私を席に座らせてくれた。 バスは短時間の間にどんどん混んできて、 あっというまにぎゅうぎゅう詰めになった。 そして、私の席の前に、子供がひょっこり顔を出した。 50代くらいの女性と一緒だった。 苦しそうな子供が気の毒で、 私は席を譲ろうかと思ったけど、 慣れない旅行者が立っているとみんなが気を使うので、 私はインドの慣習に従ってひざをぽんぽんとたたき、 『私の上に座りな。』と合図をした。 すると子供は見知らぬ私のひざの上に、 何のためらいもなく乗ってきて、 私はその、人と人との距離の近さがなんだかとても嬉しくて、 人の多すぎるこの国では、 人と人とが片寄せあって、 自分のスペースを分け合いながら暮らしているんだということを実感し、 インドの人の中に流れる温かいもの、 時にはぎょっとするほどのフレンドシップは、 人との身近な、密接なかかわりによって培われているんだと納得した。 日本人から発せられる冷たさは、 そんな人との密接なかかわりを避け、 自分の居心地のよい環境に踏み込んでくる見知らぬものは排除しようとする、 その国民性から来ているのだと思った。 もちろんそれは悪いことではなくて、 自分のペースを守ろうとする、 それが許される環境にあるのだから、それはそれでいいと思うし、 自分もまさにそういう日本人であることを自覚している。 でも、じかに触れた見知らぬ子供の体温は温かく、やわらかく、 こんなのもありだな。 そう思った。 |
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| 祈る 〜ブッダガヤ〜 ブッダが悟りを開いたこの地へ、各国の僧達がやってくる。 ブッダの心に触れようと、 あるいはブッダのような悟りを自分も得たいと、 ブッダが瞑想修行をし、悟りを開いた菩提樹の木の下で、 彼らは祈りをささげる。経を読む。瞑想する。 その姿は凛としていて美しい。 この穏やかで美しい佇まいが得られるならば、 私も仏道に入りたいと、本気で思った。 この地にやってくるのは僧たちだけじゃない。 若者たちもやってくる。 この地には瞑想センターが乱立している。 そこへ、若者たちが押し寄せる。 何を求めてやってくる?私は何を求めてやってきた? 心の平和。peace of mind。 気づいた若者がやってくる。 何かが足りないと。 物質的に恵まれていようとも、どこかが貧しいと。 自分の中に埋められない空白があることを。 心の平和。どうしたら得られる? 心の空白。どうしたら埋められる? 私は祈ること、祈る姿を目にすることで、 少なくとも心の一部に平和が訪れた。 『祈る』という意味もやり方もわからずとも、 手を合わせ、静かに目を閉じてみるだけで、 一瞬静寂と安らぎが自分の中に入ってくるのを感じる。 目を開けたとき、不思議と満たされた感じがする。 『目を閉じる』 その行為自体に意味があるんじゃないだろうか。 目の見えない人の嗅覚や聴覚が優れてくるように、 ひとつの能力をあえて抑えると、奥に秘められていた能力が顔を出す。 さらにもうひとつ能力を抑えてみる。 『聴く』ことを遮断する。 ひとつずつ『無』に近づくことで、五感の奥にあるもの、 『六感』が現れてくる。 それが『悟り』の根本にあるものなんじゃないか。 僧たちは『祈り』という行為の中で、その六感・悟りを得ようとする。 菩提樹の木の下で、ブッダの気配を感じながら、 ブッダと自分とを重ね合わせ、 いったい何人の僧が彼らなりの悟りを得たかはわからないけど、 きっと少し満たされて、喜びを感じ、さらに精進しようと思うのじゃないか。 そして私は彼らの姿を見ただけで、 少し心が浄化された気になった。 単純すぎると思われるかもしれないけど、 人を感化する、そんな静かな威力が、 僧たちの祈る姿にはあった。 この地で求めたものが、私は手に入れられた気がする。 |
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| 何もない町、なんでもある街 〜カリンポン・ガントク〜 『カリンポンへ行く』と言ったとき、 いったい何人の人に『何もないよ』と言われたことだろう。 実際に訪れてみて、その意味はわからないでもなかった。 でも、何をもって『何もない』とするかは、 人それぞれだなあ・・・と思った。 私からみたカリンポンは、何もかもがある町だった。 小さな町にもかかわらず、 教室数も多く、校庭も広いきちんとした学校がいくつもあった。 文房具屋さんも多く、教育が行き届いているのは豊かな証拠だな・・・と感じた。 野菜が豊富で市場がにぎやか。 花も、犬も、人も、雲も、生き生きとしている。 人々が声をかけあう。寄り道をする。仕事の合間にちょっと抜け出す。 生活が垣間見える。 そして、『祈り』が生きている。 町の中にあるいくつかのゴンパ(仏教寺)では、 誰もが皆、手順を守り、丁寧な祈りを捧げている。 彼らの培ってきた文化や習慣が、凛として存在している。 青空に向かって風に揺れるチベットの5色の旗が象徴するように、 大地に根付き、自然と共存し、彼らは生きていた。 たとえそれが時代に取り残されたように見られようとも、 多くを求めず、それでいて必要なものは備わっている。 余所者に対しても温かく、かといって馴れ馴れしくもない、 距離感の程よい、居心地のよい、穏やかな町。 唯一ないもの。それはツーーリスト向けのレストラン&バー。 カリンポンの後に訪れた街、ガントク。 シッキム地方の入り口であるこの街へくるのが、私はとても楽しみだった。 ガントクを絶賛する人は多い。 それは『何でもある』から。 たしかに何でもあり、それは私を失望させた。 おしゃれなバー&レストラン、インターネットカフェ、快適なホテル、 そしてそれらと並行するようにヒマラヤの山々が間近にそびえ、 丘の上にはひっそりとゴンパもある。 とても居心地のよい、快適な街だと思った。ツーリストにとって。 ただ唯一ないもの。いえ、見えなかったもの。 人々の生活、文化。 私の求めていたもの。見たかったもの。知りたかったもの。 大昔からの歴史、伝統、 そういったものが息づいていると思っていたシッキム地方の州都、ガントク。 ツーリストタウンとしての顔が、素顔のガントクを覆い隠してしまっている。 この地に住まう人々がどんな生活をしているのか、 何を食べ、子供たちはどこで遊び、何を生業としているのか、 私は見て取れなかった。人工的で、華やかな街。 そう、私もこんな街が好きだった。 そして、そんな人になりたかった。 『何でもある人』 華やかで、人をわくわくさせる人。 人の求めるものに敏感で、ニーズに応じて姿を変える。 常に新鮮で刺激的。 でも私は少し変わったのかな・・・ 表面に特別なものは表れていなくていい。 心の中に信ずるものと守るべきものがある。 ほんわりと温かさを感じてもらえる、 そんな、カリンポンのような人に、なりたいなあ・・・ |
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| カルマ 〜ケチェパリ湖〜 前世にも来世にも興味はない。 私には今が一番大切だから。 そんな風にずっと言ってきた。 でも、今を大切に生きることで未来は変わる。来世も変わる。 来世に無関心であっても、 来世に生まれてくるのも『自分』なんだ。 そのことを意識するだけで、少し生き方が変わった。 日々の、一瞬一瞬のあり方が変わった。 そんな先のことだけじゃない。 一歩先に待ち構えているのは自分が行ったことの結果。 原因があるから結果がある。 結果は必ず原因と結びついている。 日々のよい行いは必ずどこかで実を結ぶ。 他人に与えたものは必ず自分に返ってくる。 痛みであろうと、喜びであろうと。 それが、カルマの法則。 グルリンポチェが法力で作り出したという聖湖、ケチェパリ湖でのこと。 私は、とてもとても、無茶をした。 大昔、高僧が瞑想修行を行ったという山の上の洞窟に、 一人で出かけていった。 いくつかの情報を得てから行ったのだけど、 結果として私は道を失い、遭難した。 危険な道をいくつも乗り越えてきてしまい、 もう後戻りはできないところまできていた。 朝早く出てきたから暗くなるまでに間があったのと、 雨の降る気配がなかったことが救いだった。 右も左もわからぬまま、数時間、山の中をさまよった。 足を踏みはずし、 何Mか滑り落ちたときにとっさにつかんだのは、水が通る細いパイプだった。 竹のような木で出来たパイプで、 一見してそれとはわからないけれど、 中からは水の走る力強い音がした。 私はしっかりそれを掴み、足場のあるところまで何とかよじ登った。 さあ、また歩き出さねばと足を踏み出した瞬間、 下のほうで水しぶきが上がった。 私が体重をかけすぎたせいで、パイプのつなぎ目が外れてしまったようだ。 どうしよう・・・。 直しに行くのは危険だった。 このまま行ってしまおうか。 でも待てよ。 このパイプは村と村をつなぐ、あるいは水源と村とをつなぐ、 唯一のパイプ。 もしもこのままにしておけばこの先にある村にはきっと水は届かない。 人々はどんなに困るだろうか。 水の絶えた原因を突き止めるためにここまでくるのは大変なことだ。 自分のしたことは時分で処理しなくては。 私は恐る恐る草に足を埋めながら坂を下り、 水浸しになりながらパイプを繋ぎなおした。 繋いだパイプはそのまま私の命のつなぎ目だった。 もしもあの時パイプを放っておいたら自分は助からなかっただろうと、 なぜか確信している。 再び歩きだし、10分もたたないうちに、 どこからか、かすかに、人の声が木々の間から流れてきた。 『HELLO!!』 あらん限りの声で叫んだ。 『YES!?』 叫び声が帰ってきた。 ふもとの村の、週に一度だけ山に木を切りにくるという男性によって、 私は救い出された。 宿を出てから7時間。 私はぼろぼろでくたくただった。 山を降りたところで、 顔なじみになったチャイ屋のおじさんがあったかいチャイで私を迎えてくれた。 先に下山していたさっきの男性から私の話を聞いたらしい。 チャイ屋のおじさんは、私の顔を興味深そうに観察し、 いくつか質問をした。 『なんで一人で行ったんだ?』 『もしも途中で雨が降ってきたらどうするつもりだったんだ?』 『もしも熊が出てきたらどうするつもりだったんだ?』 『もしも男性に出会わなかったらどうなってたと思う?』 『わからない。 私にはきっと、どうすることも出来なかった。 私はすべてを天に任せるしかなかったと思う。 神が私を選べば私は生きて帰れるし、 この世に必要ないと思われれば死んでいただろう。 でも私はまだ生きてる。 多分、まだこの世でやるべきことがあるのだろう。』 『君はラッキーだ。 君は何かに守られてる。』 『そう思う。 助けてくれた彼と、自然に存在するあらゆるものに、 感謝の祈りをささげてくる。』 夕方、人気のなくなった湖に、 疲れた足を引きずって祈りに行った。 土下座して頭を下げた瞬間から、 たまっていたものがどっと噴出した。 怖かった。不安だった。 でも私は生きて帰ってきた。ありがとう。 多くのものに守られて、まだ命はつながっています。 私一人の力では何も出来ない。生きていけない。 ありがとうございました。生き延びさせてくれて、ありがとうございました。 生きとし生けるものすべてに、ありがとう。 神は私を選んだんじゃない。 判断を下しただけ。 小さな行為の一つ一つを誰かが見ている。 そしてその報いは必ず来る。 今回私に来た報いは、 私のした行為に比べてあまりに大きいものだった。 だからその分感謝で埋めなければ。 感謝の心と行為で、どこかに返さなくては。 報いるべき義務があるから、神は私を生かしておいた。 試されている。 そんな気がする。 私の意識を変えた、大きな大きな出来事だった。 |
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human being 〜カルカッタ〜 ストリートに物乞いがあふれてる。 それが彼らの生き抜く手段、 均等に働く機会を与えられない彼らにとって、 唯一できることが、他人に物を乞うことだと思うから、 出来るだけ邪険にはしないように心がけてきた。 重いハンディキャップを背負っている人達には小額のお金を寄付したし、 クッキーを持ち歩いて、お腹を空かせた人たちに配ったりした。 でも私が寄付する時々の寄付が、 実際には何の解決にもなっていないこと、 ただその場しのぎであり、私自身の逃げであることも承知していた。 そして時々うんざりした。 外に出ることが億劫になったりもした。 これだけの物乞いを放置している政府にも、 知らぬ顔で通り過ぎる豊かなインド人にも、 無視も出来ない、きちんと向き合うこともできない自分にも、 腹を立てたりした。 でも、どんなに人に疎ましがられようとも、 彼らは生きている。 物を乞うことによって生きる意志を表し、 何かを恵んでもらえれば喜び、 何も得られなければ悲しい顔をし、 時にはこちらに罵声を浴びせ、 感情を持ち、自分の命をなんとか守ろうとしてる。 それは救いのように、私には思えた。 私を本当に悲しく、苦しく、切なくさせ、 いらだたせ、悩ませたのは、 人目のつかないところで、 いや、人目につこうとつくまいと、 自分が在ることが可能である場所で、 (その場所さえ、自分で選んでいるとは思えない) ぼろぼろの服を着て、ぼさぼさの頭をして、真っ黒な顔で、体で、 悪臭を放って放心してしゃがんでいる人たち。 その『物体』となっている人たちに、 私は大きなショックを受けた。 ホームレスが多いと言われる駅を見に行ったときだった。 彼らには人間としての感情も、生きようとする意志も見受けられない。 寿命が尽きるのをただ待っているように、 まるで植物のように静かに存在している。 そしてそのもっとも悲しい事は、 彼らの多くが、まだ若いと言うこと。 その静かな佇まいは、逆に強いエネルギーを発し、 彼らが待っているような死が、 まだまだはるか先のほうにあることが見て取れること。 いつまでそうしてるつもりなのよ。 私は発狂しそうになった。 立ちなさいよ。歩きなさいよ。せめて人に物を乞いなさいよ。 目をちゃんと開きなさいよ。現実を見なさいよ。 悔しいと思いなさいよ。欲を出しなさいよ。生きようと思いなさいよ! とにかく悲しくなった。 顔立ちのとても美しい男の人がいた。 でもその目はどこかを見ているようで、どこも見ていないようで。 五体満足でまだ若くて美しくて、 なのになんでそんなカッコでしゃがんでるの? どうしても、どうしても、見過ごすことは出来ないと思った。 私は一人の女の人、 人混みを離れ、一人でしゃがんでいるまだ若い女の人の前でしゃがみ、 視線を合わせた。 身振り手振りで話しかける。 食べ物欲しい? 女の人は黙って両手を差し出した。 私は持ってきたパンをその手の上に載せた。 着るものは? 再び女の人は両手を広げた。 彼らに食べ物や小額のお金を寄付することは、 その場しのぎに過ぎない。 でもそれは、ひとつのコミュニケーションの手段ではあると思った。 人と触れ合う機会が大事なんじゃないかと思った。 彼らが生きてる人間であることを、 周囲が認めなくちゃいけない。 自分が生きた人間であることを、 彼ら自身が認めなくちゃいけない。 かれらは『生物』ではない。人間なんだから、 誰かの食べ残しを、汚い手でむさぼり食べているのはおかしい。 人間であることを、思い出して欲しかった。 人として、生きて欲しかった。 私がその後にした事が、 彼らのためになったのかどうか分からない。 とてもとても中途半端で、無意味なことだったようにも思う。 ものを食べる前には手を洗うように、 たまには顔も髪の毛も洗うように。 そう説得してパンと一緒に配った石鹸のいくつかは捨てられてた。 新品ではなかったけど、一応洗濯して清潔だったはずのサリーは、 1週間後には悲しいほどぼろぼろになっていた。 彼らには寝床もなく、そのままの格好で寝るから、 汚れるのも破れるのも早いんだ。 彼らに会うたびに課題の多さに愕然とした。 彼らの辿ってきた悲痛な人生の前に、 私はあまりに無力だった。 それでも私は、彼らの前で足を止めたことに、 ほんの少しだけ、満足した。 マザーハウスには、 奉仕活動の一環として『ステーションワーク』というのがある。 ボランティアの選ばれた代表者が、 グループで毎朝大きな駅へ出向き、 ホームレスの中でも特に問題の多いホームレス、 ・・怪我を負っている、ハンディキャップがある、病気である、 あまりに汚い子供達・・・ をマザーハウスの施設に連れて行ったり、病院へ運んだり、 汚いホームレスにシャワーを浴びさせたり、食料を配ったりしている。 そうして何人かが、 『人の住む場所』へと戻っていくことが出来る。 でもそれだけじゃだめなんだよ。変わらないんだよ。 インドの人々が、そこに住まう人々が気づかないと。 意識を変えないと。 とくに上に立つ人がきちんと目を向けないと。 インドには物乞いがつき物。それがインド。 物乞いやストリートチルドレン、それがインドの風物詩。 そんなのおかしいでしょ?ありえないでしょ? 自分を見世物にして生きるしかない、そんなの悲しすぎるでしょ? みんな無視してないで、人を人と認めようよ。 みんな生きてるんだよ。 社会を変えていくのは大変だと思う。 でも、どんな些細なことでもいいから、手をつけてみようよ。 一部の人や外国人に任せてないでさ、 自分の国を、州を、よくしていこうと思ってよ。 何も持たず、ただ座っている汚い人たちも、あなた達と同じ人間なんだよ。 物乞いも、人間の姿をした生物に成り下がってしまった人たちも、 たんなる風景じゃないんだよ。 なんでみんな知らん顔で通り過ぎるの? おかしいんじゃないの? 本当に苦しい。 叫んでも叫んでも届かない。 それがインド。 |