KWAM1招へい日本委員会作成


<要 約>
<第1部>世界に飛び立つフジ・ミュージック
  1.KWAM1(キング・ワシウ・アインデ・マーシャル1)ってだれ?
  2.ナイジェリアの伝統的ポピュラー・ミュージック「フジ」
  3.「フジ」の革命児ワシウ
  4.世界に発信される「フジ」
<第2部>ナイジェリアってどんな国?
1.アフリカの「大国」ナイジェリア
2.民族と資源を巡る複雑な歴史
<第3部>私たちがワシウを呼ぶねらい
  1.深刻さを増すナイジェリアのエイズ問題:文化を使った啓発の重要性
  2.アフリカで最大の、日本のナイジェリア人コミュニティを活気づける
  3.ワシウ来日で盛り上がろう!そして、その後

 
<要約>

1.企画の目的
@HIV/AIDS蔓延が広がるナイジェリアは、一方で、とくに南西部のヨルバ人地域を中心とし
て、ポピュラー音楽や美術の宝庫でもある。HIV/AIDSの蔓延を防ぐための予防啓発には、こ
れらアーティストの発するメッセージの活用が有効である。
A在日ナイジェリア人は約8000人の人口規模で存在しており、その多くは東京及びその近郊
に在住している。在日ナイジェリア人のHIV/AIDS予防啓発やAIDSに対するスティグマの解消
は重要な課題である。また、ナイジェリアの文化は日本にほとんど紹介されていないため、ナイ
ジェリア人が日本人と文化的な交流を行う機会はほとんどなく、このような機会を保障するきっ
かけづくりは重要である。
B上記を達成する上で、ナイジェリア(特にヨルバ人コミュニティ)で絶大な人気を誇るフジ・ミュ
ージックの「帝王」、キング・ワシウ・アインデ・マーシャルT(KWAM1)を招へいし、コンサートを
実施することが最も有効であると判断する。上記@については、来日のプロセスの中で
KWAM1とエイズを巡る対話を実現し、帰国後、国際協力の関係で別途援助を確保して、ナイ
ジェリア国内でのエイズ予防啓発メッセージソングのCD・カセットテープのリリースを図る。

2. 企画の内容
@KWAM1および彼のバンド(合計18人編成)を、日本に招へいする。
AKWAM1の単独コンサートを東京・大阪・山口など全国各所で実現すると共に、様々なイベン
トにおけるジョイント・コンサートを実現する。
B同時に、KWAM1とのエイズを巡る対話や、その他、ナイジェリア文化とふれあうことの出来
る場を実現する。

 3.企画の実施方法
@KWAM1招へい日本委員会の中心となっているのは、小島美佐(フェアトレードショップ経
営)、ガブリエル・ファイェミ(在日ヨルバ人協会幹事)、稲場雅紀(行政書士、エイズ・アクティヴ
ィスト)の3名であるが、現在、KWAM1、および、ナイジェリアの伝統的なポピュラーミュージック
であるフジ・ミュージックのファン層をボランティアとして開拓中である。
A会場設営や警備、その他に関しては、上記コアメンバー3名のネットワークを中心に開拓を
進める。また、広報宣伝やコンサート、ワークショップの実施に当たっては、上記ボランティア
志願者を中心に組織化を進め、実現に持っていきたいと考えている。

以上
 
<第1部> 世界に飛び立つフジ・ミュージック

1.KWAM1(キング・ワシウ・アインデ・マーシャル1)ってだれ?

 「ナイジェリアで一番のミュージシャンってだれ?」という質問に、多くのナイジェリア人はこう
答えます。「そりゃあ、キング・ワシウさ!」
 ブラック・アフリカのポピュラー・ミュージックの主な震源地は、大きく分けて3つあります。コン
ゴ・キンシャサの「コンゴ・ルンバ」(日本ではリンガラ・ミュージックと言われています。ミュージ
シャンとしてはパパ・ウェンバなどが有名)、セネガルとマリ(ユッスー・ンドゥールなどが有名)、
そしてナイジェリア南西部のヨルバランドです。
 ヨルバ人たちは古くから複雑な神話体系に基づく豊かな文化・芸術で有名でしたが、現代に
なって、数多くのポピュラー・ミュージックを生み出しました。その中で外国にも名前をとどろか
せているのが、ナイジェリアの軍事政権に真っ向からたたかいを挑んだ「抵抗のミュージシャ
ン」フェラ・クティの「アフロ・ビート」、そして80年代に日本にも紹介されたキング・サニー・アデ
の「ジュジュ・ミュージック」です。よくご存じの方は、最初の「ナイジェリアで一番のミュージシャ
ンって?」という質問に、例えば「そりゃあ、フェラ・クティの息子、フェミ・クティさ!」とか「もちろ
んキング・サニー・アデだよ!」という答えを想像したかも知れません。もちろんフェミも、サニ
ー・アデもそこそこ人気はあります。でも、トップミュージシャンは?と聞かれれば、「キング・ワ
シウ」になるのです。日本では無名の、この「キング・ワシウ」とはいったい何者なのでしょうか。

2.ナイジェリアの伝統的ポピュラー・ミュージック「フジ」

 キング・ワシウの本名は、「キング・ワシウ・アインデ・マーシャル1」。ナイジェリア人たちは、
彼のことを「ワシウ」、またはその頭文字をとって「KWAM1」と呼びます。ワシウは、ヨルバ人た
ちの中でも、イスラーム教徒のコミュニティから生まれた伝統的ポピュラー・ミュージック「フジ」
のトップ・ミュージシャンなのです。
 「フジ」の起源は1930年代にさかのぼります。ヨルバ人の大体3?4割がイスラーム教徒(残り
はキリスト教徒と、伝統的な神話世界の神々を信ずる人々。しかし、伝統的な神話世界はヨル
バ人の日常生活の中に深く根を下ろしている)ですが、イスラーム教のラマダン(断食月)の期
間中に、イスラーム教徒の家々を回って神への信仰を広めた若者たちがのグループがいまし
た。この若者たちは、手に手に様々な種類のドラムを持って、ラマダンの月の夜に有力者の家
などで行われるお祭りで、コーランの一節などを歌い踊り、神への信仰を広めました。これらの
グループがはじめた音楽が、「フジ」を始め「アパラ」「サカラ」「ワカ」といった様々な種類のドラ
ムとボーカル中心のポピュラーミュージックへと発展していきました。こうしてできた「フジ」の伝
統的なミュージシャンとして有名なのが、コリントン・アインラや、ワシウの師匠であるシキル・ア
インデ・バリスターです。
 では、「フジ」はどんな音楽で、どんな楽器を使うのでしょうか。
 基本的には、ボーカルと各種のドラムというシンプルな構成です。「フジ」のボーカルは、その
基本がイスラーム教の「アザーン」(イスラーム教のモスクでお祈りを呼びかける、独特の朗唱)
にあり、独特のこぶしが聞いています。また、西アフリカでよく見られる「グリオ」(吟遊詩人)に
よる朗唱の影響も受けており、歌詞はイスラームに則った内容や、祭りに呼んでくれた有力者
をたたえる叙事詩などが多く見られます。歌い手は、ラマダンの夜通し行われるお祭りで、一
晩中歌い上げるエネルギーを持っています。
 バックの演奏はこれまた迫力があります。ドラムスのメロディーラインはトーキング・ドラムで、
10人以上の人が、ヨルバ語で理解できるニュアンスを含んだ旋律を叩き出します。これは、第
2の歌詞としてのメッセージを含んでいます。低音部を支えるのはアギリボ(低音ドラム)、バタ
(セネガルやマリの「サバール」に近いドラム)、サカラ(タンバリンの形状で、木のスティックで
叩くドラム)、シェケレ(ひょうたんで出来たマラカス)で、総勢10?20人で、迫力ある演奏を展開
します。人々は、この音楽に合わせて踊りまくるわけですが、その踊りは、腰を使ったもので、
トーキング・ドラムで出される指示に従って、そこで踊っている全員が同じタイミングで腰を落と
したり、なかなか奥深いシーンが見られるということです。

3.「フジ」の革命児ワシウ

 ワシウは、「フジ」の帝王と呼ばれていますが、彼の「フジ」はどのようなものなのでしょうか。
ワシウも「フジ」の伝統的な枠組みに習って、イスラーム教の教えや、有力者をたたえる歌など
を歌っているのでしょうか?
 もちろん、そういう要素もあります。でも、それだけではありません。ワシウは「フジ」の革命児
なのです。
 ワシウが育ったのは、人口千数百万人を数えるアフリカ最大の都市ラゴス。その中で、ワシ
ウは当初、コーランの一節を歌い上げる伝統的な「フジ」の歌手として訓練されました。しかし、
1984年に彼がリリースしたアルバム「タラゾ・84」の音楽世界は、伝統的な「フジ」の体系を完璧
にうち破るものでした。これまでのゆったりした「フジ」のリズムは、ラゴスの若者たちのエネル
ギーを反映するようにアップテンポになり、その歌詞には、同じく若者たちがラゴスの都市文化
の中で生みだしたスラングが大量に盛り込まれていました。ワシウはこのアルバムによって、
「フジ」をイスラーム教徒のコミュニティから解き放ち、ラゴスの、そしてヨルバ人の都市文化が
生みだしたポピュラー・ミュージックとして、まったく新しく作り直したのです。「タラゾ・84」はラゴ
スの若者たちによって熱狂的に迎えられ、ワシウはラゴスの、ヨルバのヒーローになりました。
さらにワシウは、これまでドラムとボーカルだけだった「フジ」にキーボードやサキソフォンを持
ち込み、ポピュラー・ミュージックとしての質を格段に向上させました。
 「フジ」の革命児ワシウ。ヨルバ社会は彼を放っておきませんでした。ワシウはその後「ナイジ
ェリア音楽賞」、そして96年にはアフリカの最優秀ミュージシャンに選ばれました。1994年、ヨル
バランドの古都イバダンの王は彼に、音楽の王という意味で「キング・ワシウ・アインデ・マーシ
ャル」の名前を正式に与え、2001年、ラゴスの王キング・アデインカ・オイェカン二世は彼に「ラ
ゴスの黄金の子ども」(Olu-Omo)の称号を与えたのです。革命児は、その成功によって、ヨル
バの伝統社会にもたたえられることになりました。

4.世界に発信される「フジ」

 ワシウによって、イスラーム教徒の伝統音楽から、ナイジェリアの都市文化を代表するポピュ
ラー・ミュージックへと大きく変貌を遂げた「フジ」。ワシウは「フジ」の帝王として、最近ではナイ
ジェリアだけでなく、アメリカ合州国やイギリス、ヨーロッパツアーを展開しています。
 また、「フジ」は先進国のクラブシーンにも直接的に大きな影響を与えています。同じくナイジ
ェリアが生んだ偉大なミュージシャンで、97年にエイズで死去したフェラ・クティの音源が数多く
現代のクラブ・ミュージックのサンプリング・テキストとして用いられていますが、「フジ」は、より
直接的な影響を与えています。「フジ」で使われる様々なドラムのコンビネーションは、現代クラ
ブ・シーンの最先端である「ドラムン・ベース」を作り出したサンプラーたちに大きなヒントを与え
たといわれており、実際に「フジ」の音源を活用してアルバムを作っているミュージシャンたちも
います。ヨルバ人のイスラーム・コミュニティというローカルな場が生んだ「フジ」は、まさにワシ
ウによって作り替えられ、世界へと飛び立ったのです。

<第2部> ナイジェリアってどんな国?

1.アフリカの「大国」ナイジェリア

 キング・ワシウを生んだナイジェリアという国は、どんな国なのでしょうか。
 アフリカ大陸西岸、ギニア湾の一番へこんだところに、ナイジェリアはあります。隣国カメルー
ンと共に、ナイジェリアはワールドカップ・サッカーによく出場する国として知られており、オリン
ピックでは優勝したこともあります。
 ナイジェリアは、面積は他のアフリカ諸国に比べてそれほど大きいわけではありません。しか
し、人口は1億数千万人を数え、アフリカで最大。西アフリカの2人に1人、アフリカ全体の5人
に1人がナイジェリア人であるといわれています。
 これらの人々は、一つの民族にまとまっているわけではありません。圧倒的に多様な、大小
合わせて300に上る民族に分かれています。その中でも、とくに大きい民族が、北部のハウサ
人、南東部のイボ人、南西部のヨルバ人で、この3つを合わせるとナイジェリアの人口の6割を
越えるといわれています。この3つの民族は、それぞれ、全く異なった民族的伝統を有していま
す。ハウサ人の多くは熱心なイスラーム教徒で、かつてはフラニ人とともにこの地域にイスラー
ム国家を作り、独自のイスラーム法学を発展させていました。一方、イボ人はもともとは王国を
つくったりはしませんでしたが、アフリカの中で最も進取の気性に富む民族といわれ、早々にキ
リスト教に改宗、商業界・産業界にいち早く進出しました。ヨルバ人は、古くから独特の複雑な
神話的世界を発達させ、ナイジェリア南西部に数多くの王国を作りました。アフリカの造形とし
てヨーロッパの美術界にも大きな影響を与えた青銅像を作り上げたのは彼らヨルバ人です。ヨ
ルバ人の中には、ヨーロッパの奴隷貿易により、奴隷としてブラジルやカリブ海世界などに連
れていかれた人々もいます。彼らはそこで、独自の宗教や文化、音楽を開花させました。
 このように、3民族をはじめ、数多くの民族はいずれも言語や宗教、文化的伝統が全く異なっ
ています。ヨルバ人の政治指導者オバフェミ・アウォロウォはこれを評して、「ナイジェリアは南
西部と南東部ではドイツとアイルランドくらい違う。南部と北部を比べれば、ヨーロッパと中国ほ
どにも違う」と述べています。このように多種多様な民族が一つの国に統合されているのは、イ
ギリスの植民地支配のためです。ナイジェリアは1960年に独立しましたが、その多様性・複雑
性をうまく一つに統合していくことはきわめて難しく、独立後の歴史は苦難に満ちたものでし
た。

2.民族と資源をめぐる複雑な歴史

 ナイジェリアの現代史を複雑にしたもう一つの要因が「石油」です。ナイジェリアにはナイジャ
ー川(ニジェール川)という大きな川が流れており、その最下流のデルタ地帯で石油が大量に
産出します。現在、ナイジェリアの石油産出量は世界第8位です。
 複雑な民族関係、および石油産出によって生み出されるマネーを巡る争奪戦……これがナ
イジェリアの現代史をきわめて複雑なものにした二つの大きな要因です。60年に独立してわず
か7年で、ナイジェリアは大きな戦争を経験します。「ビアフラ戦争」です。北部のハウサ人を中
心とする勢力の支配と石油資源の搾取に対して、東部のイボ人の軍事指導者が「ビアフラ共
和国」として独立を宣言。連邦軍はイボ人の周辺に住んでいる少数民族を味方に付けてビアフ
ラ共和国を包囲し、再統一しましたが、最終的に100万人もの戦死者・餓死者を出す事態に至
りました。死者の多くはイボ人でした。
 その後、ナイジェリアでは、80年代に一時的に文民政権が誕生したものの、クーデターで倒さ
れ、軍事政権が続くことになります。とくに90年代のナイジェリアは、独裁的な軍事指導者サ
ニ・アバチャによる支配により、八方ふさがりの状態に陥っていました。アバチャは、南部の石
油産出地帯で民族運動・環境運動を展開していたオゴニ人の作家ケン・サロウィワを処刑する
などの暴政を行い、ナイジェリアは国際的にも孤立しました。しかし、アバチャは98年に急死。
その後、情勢は急展開し、99年、オルセグン・オバサンジョが選挙で選ばれた民政大統領とし
て就任、議会制民主主義国家へと生まれ変わります。その後も、北部各州がイスラーム法を
州法として採用するなど、オバサンジョ政権への揺さぶりをかけるなど国内情勢は安定しませ
んが、オバサンジョ政権は腐敗の追放や治安の改善に努力しており、アフリカの民主的政権と
して徐々にその信頼性を固めています。1億数千万の巨大な人的エネルギーと資源を持つこ
の国は、本来、大きな可能性に満ちた国なのです。

 
<第3部> 日本にワシウを呼ぶねらい

1.深刻さを増すナイジェリアのエイズ問題:文化を使った啓発の重要性

 私たちはなぜ、このナイジェリアという国から、キング・ワシウというミュージシャンを日本に呼
んでこようとしているのでしょうか。
 理由は大きく分けて二つあります。一つは、ナイジェリアで深刻化するエイズ問題について、
民間レベルで適切な支援が出来ないかと考えたことです。
 アフリカの各地で、今、最も大きな問題となっているのがエイズです。ボツワナを始め、南部
アフリカ諸国では、HIV(エイズを引き起こすウィルス)に感染している人が成人(15?49歳)で
30%を越すという状況に陥り、経済自体が崩壊の危機にさらされています。ナイジェリアは、そ
こまで厳しい状況ではありませんが、それでも成人の感染率は5.8%に達します。ナイジェリア
は一億数千万人の人口大国であり、感染者の割合は低くても、人数は350万人で、一位の南
アフリカ、二位のインドについで三位です。北部の一部には感染割合の少ないところもあります
が、全般に、ナイジェリアでは、HIVは都市から地方にまで行き渡っており、すでに一般の人口
の中にも浸透している状況です。これ以上のHIVの蔓延を防ぐことが急務となっています。
 幸いなことに、ナイジェリアでは、99年の民政移管後オバサンジョ政権の下で早急に「エイズ
緊急行動計画」が策定され、外国や国際機関の支援もあって、地域コミュニティにおけるエイ
ズに関する活動は急速に盛り上がってきています。現在、ナイジェリア全土でエイズに関わっ
て活動しているNGOは合計200以上に上っています。
 HIVはセックスによって伝播しますが、コンドームの使用など、セイファー・セックスによって感
染を防ぐことが出来る病気です。問題は、すでに感染した人々の治療や
ケアをどのようにしていくか、そしてもう一つは、これ以上の感染をどのように止めるかです。
 人々がエイズについて関心を持ち、HIVに感染しないように自らの行動を変える上で、政府の
政策、有名な人物のことば、文化的手段はきわめて重要です。政府は、エイズの存在を認め、
適切な政策を行うこと、患者・感染者への差別は許されないことをはっきりと表明することで、
国民に安心感と指針を与えることができます。社会的に有名な人物は、エイズについて適切な
態度をとることを言葉で示すことで、社会のロールモデル(模範)となることができます。また、
もし自分が感染していれば、「この人もHIVに感染していたんだ」ということで、患者・感染者に
勇気を与えることができます。そして文化的手段は、人々にわかりやすく、受け入れられやす
い方法でエイズに関するメッセージを伝えることができます。こうして、社会全体でエイズと向き
合い、エイズを隠したり、怖がったりせずに社会の中に位置づけていくことができれば、エイズ
対策は成功を収めます。タイ、ブラジル、ウガンダでは、そうしたプロセスによって、エイズの広
がりをくい止めることが出来ています。
 ナイジェリアから二つ西隣の国、トーゴ共和国では、国連開発計画(UNDP)のコーディネイト
により、国内の画家や彫刻家、デザイナー、ラップミュージシャンなどが参加して、「芸術vsエイ
ズ」というプロジェクトがすでに進行しています。トーゴの首都・ロメの大きな建物や、ガーナとの
国境を走る街道には、トーゴの画家たちが描いたエイズ啓発のための巨大な壁画が掲げられ
ています。ストップ・エイズを旗印とした、ラップミュージシャンによるジョイント・コンサートも行わ
れました。多くのミュージシャンや芸術家を輩出しているナイジェリアでも、芸術によるエイズ啓
発活動ができないはずはありません。
 また、キング・ワシウはナイジェリアのトップミュージシャン、彼の言動には、多くの人々が注
目しています。彼が「エイズ」をメッセージとして発することができれば、多くのナイジェリア人に
とっての意識改革になるでしょう。

2.アフリカで最大の、日本のナイジェリア人コミュニティを活気づける

 もう一つの理由が、日本のナイジェリア人コミュニティです。
 日本には、数千人のナイジェリア人たちが住んでいます。これは、アフリカ各国の中で最大の
数です(二位はガーナ)。にもかかわらず、日本人とナイジェリア人との間の文化的交流はほと
んど行われていません。また、ナイジェリアは日本との関係が歴史的に浅かったため、ナイジ
ェリアの文化が日本に紹介されるなどといったこともほとんどありませんでした。そのため、ナ
イジェリア人たちは日本に住んでいてもナイジェリアの文化を身近に感じることができず、寂し
い思いをしています。
 エイズの問題も同様に深刻です。日本では、エイズの問題への関心は一般に低調で、日本
に住んでいる外国人のところには、エイズに関する情報はなかなか届きません。結果的に、エ
イズについての適切な知識が届かず、感染した人々はコミュニティからも排除されて、絶望の
うちに亡くなっていく、というケースも存在します。
 そろそろ、ナイジェリアと日本の市民レベルでの文化的交流が盛んになってきてもいい頃で
す。ヨルバ人たちは「在日ヨルバ人協会」を設立し、熱心にミーティングを重ねつつあります。
日本人とヨルバ人のジョイントでワシウを呼ぶことが出来れば、日本とナイジェリアの市民レベ
ルでの交流を促進するよいきっかけになると思います。

3.ワシウ来日で盛り上がろう!そして、その後

 このような趣旨から、私たちは、ナイジェリアのトップミュージシャン、キング・ワシウ・アイン
デ・マーシャル1を日本に招へいし、まずは日本でコンサートを実現することによって日本のナ
イジェリア人コミュニティを活気づけ、日本人とナイジェリア人との市民レベルでの交流を実現
しようと考えています。そして、来日期間中にナイジェリアのエイズに関する意見交換をワシウ
と積極的に行い、帰国後、ナイジェリアでワシウに、エイズに関するメッセージを込めた数々の
歌を収録したCDやカセットテープを発売し、全国に供給してもらおうと考えています。それは、
ワシウというトップミュージシャン、そして「フジ」という伝統的ポピュラーミュージックという文化
的手段を活用した啓発活動であり、ナイジェリアにおけるエイズ問題への取り組みにおいてき
わめて画期的なものとなることはまちがいありません。
 また、先にも述べたように、ワシウが作り替えた「フジ」は、現代のクラブシーンにも大きな影
響を与えている、強いインパクトを持つポピュラー・ミュージックです。ラゴスの都市文化と日本
の都市文化を結ぶことによって、日本の音楽シーンにとっても大きな活力が与えられることでし
ょう。
 私たち「ODUA:ワシウ招へい日本実行委員会」は、ナイジェリア物産のフェア・トレードショッ
プを営む小島美佐およびガブリエル・ファイェミと、ナイジェリアを訪問しエイズ問題の深刻さと
エイズに関わる人々の熱意とを知った稲場雅紀の3人で結成されました。ワシウは、ナイジェリ
アのトップ・ミュージシャンであり、日本でのコンサート実現にはかなりの困難が予想されます。
私たちはまだ3人で、ドン・キホーテのような気持ちでいます。ナイジェリアの音楽をこなよく愛
する皆さん、現代のダンス・ミュージックにより大きなインパクトを求める皆さん、エイズに関心
を持つ皆さん、日本にワシウのコンサートを実現させよう!という私たちの強い思いにぜひ、共
感と協力を寄せて下さい!!




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