○出発まで

 「21世紀を記念して、今年の夏休みは海外へいくぞ!」と慶祐が言い出したのは、

新世紀が開けて間もない頃だった。新婚旅行で初めて海外(タヒチ)へ出た慶祐は、

海外旅行の楽しさにはまって、「ボラボラ基金」なる貯金を始めており、毎日少しずつの

ポケットの小銭が4年たち、何とか一人だけボラボラ島へ行けるくらいまで貯まっていた。

1人が飛行機に乗って、長いロープを用意し、片われを筏に乗せて引っ張っていく、という

案も出たが、じゃんけんに弱い恭子が強く反対、話はいつの間にか「どうせ同じお金を

使って行くなら、行ったことのないところへ」、そして動物の大好きな恭子と写真の大好きな

慶祐の利害が一致し、かつ全日空ハローツアーの中に、一ヶ所にずっと滞在する形の

ツアーがあったので、(アフリカのツアーは、毎日砂利道を車で500qも移動しながら回る、

というものが多い。これだと体力的にキツいし、料金も上がっていく。)若くない2人は、

満場一致で「ムパタ・サファリ・クラブに滞在するケニア9日間」に決めたのだった。 

 幸か不幸か、慶祐は巷が夏休みの時は休めないので、例年のごとく人より早く、

6月出発の予約を取った。ピークをはずすと料金が格安でとてもラッキー。時期としても、

有名なヌーの大移動が始まる頃だ! しかし、慶祐が会社に行ってみると、

去年法事がらみで日程を譲ってもらった先輩が、同じ時にヨーロッパ旅行を計画している

ことがわかり、一挙に3ヶ月遅らせて9月に行くことになった。

料金が一人あたり30,000円upだが、仕方あるまい。

 旅行の準備は着々と進んだ。恭子はパスポートが切れていたので、その申請から。

スピード写真で済まそうとすると、慶祐「10年後まで残るんだから、スタジオで撮って

もらいなさい。」なるほど、と思い、自分もビザの申請用に撮る、という慶祐も一緒に、

就職用写真で名高い、伊勢丹写真室へ。2人ともスーツを着ない仕事なので、

まるで時季はずれの七五三のようにギクシャクと歩く。

 ビザの申請で、早くもアフリカの洗礼を受けた気がした。この春からケニアはビザが復活

していて、一次ビザで一人6,000円もとる。もっぱら外貨獲得のためといわれているが、

ボり過ぎではないか。ケニア大使館のホームページ(以下HP)で、申請書のフォームが

とり出せる、と『地球の○き方』に出ていたが、このアドレス自体が間違っていて、

("kenia"とあるのでアヤしいな、とは思ったのだが…)さらにこの時点では記入見本しか

見られなかった。(帰国後しばらくしてアクセスしたらフォームもプリント可でした。)とりあえず、

申請・受領と2日必要で、かつ本人でない場合は英文の委任状が必要とのことだったので、

2人が行ける日程を工夫して出かけた。

 ケニア大使館は道路に面して国旗も出ていないし、隣は普通のアパートだし、電柱の

住居表示を見て「たぶんここだよね…」と鉄の門を閉じた家に近づくと、小さく

「ケニア国大使館にご用の方はお入りください」みたいなことが書かれているのだった。

 ビザの申請には、思った以上に人が訪れており、お客さんの分をまとめて何人分も

申請している旅行社の人が何人も来ていたが、窓口の日本人女性とは顔見知りのようで、

「あっ、こんにちは〜、お願いしまーす」という感じだった。

 申請フォームを書き、パスポートを添えて窓口に出すと、「はい、お二人で12,000円

ですね。」と言われ、現金を出すと「では、明日の午後。受け取りはどちらかお一人で

いいですよ。」でおしまい。一度は出口に向かうが、金もパスポートも取られて、受領書も

何もないので「あの、引換券とか無いんですか?」と戻るが、「えぇ。来ていただければ

わかりますから。」翌日は仕事。不安な二晩を過ごし、早速受領に行くとそのとき

12,000円のレシートを添えて、パスポートにビザのスタンプを押したのを返してくれた。

さらに、「大使の友人の旅行社ですから。」と、パンフレットを重ねるのも忘れなかった。

 前後して、黄熱病の予防接種。ツアーの帰途、シンガポールへの入国の際に必要との

ことで、これは電話予約して東京駅へ。こちらもかなりの人数がいて、女医さんが

「お二人一緒にどうぞ。」処置室には、ピンク色の液体の入った注射器が、大げさでなく

山積みにされている。「一応、利き手じゃない方にしましょうね。」と、迷わず恭子の方へ。

「女性からします。だって、女性は必ず男性を脅すから。ネ、見てても何ともないでしょう。」

でも慶祐が青ざめていると、「ベッドに寝てやりますか?」さすがにそれは辞退申し上げる。

帰りは大丸の最上階で慶祐のソウル・フード、ラーメンを食べて、ご機嫌が戻った。

(注:慶祐「戻ってない。『ここは水を持ってこなかった。それに、ランチなのに高かった。』

と書け。」と言っております。)

 記録的猛暑の7月、梅雨の戻りのような8月を過ごし、いよいよ出発が目前に迫った。

今さら、「何でアフリカになんか行く羽目になったんだろう…」と怖じ気づく慶祐。

その割に、何も準備をしていない。もとい、行き先はアフリカだというのに、新品のスーツ

ケースを買った。写真を撮ることを楽しみにしているのに、フィルム一本買わないので、

恭子は買い物に行くたび「ネ、あそこのカメラ屋さんでバーゲンしてるよ」「駅のDPEで

フィルムの安売りしてたよ」と水を向けるが、「まかせておけ。」の一声だけ。唯一、

新宿へ出かけ、ビックカメラを覗いたら、当時“100人に1人、その場でタダ”キャンペーン

をやっており、タダになった人がいたので今はもう出ないと思って帰ってきた、と言って

いた。…思えば、このとき気づくべきだったが、新婚旅行のとき持っていった巨大なカメラは

手元にあるし、他のものは実家にあるので取りに行かなくちゃ、とか言っていながら

動かないのにはこんな訳があった。

 出発数日前のある日、黒地に七色の文字踊るビックカメラの袋を両手いっぱいに下げた

慶祐、「ヤスカッモグモグ…」「メズラシモグモグ…」とか言いながら帰宅した。「ハイ、

恭子ちゃん、フィルム20本。」安かったの?と訊く恭子に、「ポイントで、タダ。」と得意げ。

「で、本体は“その場でタダ”になったの?」「ぅぅん、…12、万、位かな…?」うっわ〜!

それでも慶祐がゴキゲンなので、ま、いいか。慶祐、アフリカの写真集を見ながら

撮影技術のおさらいをしている。その中に、こんなものがあると便利、とレンズの座布団が

紹介されていたので、見よう見まねでタオルで作ってあげると、喜んでくれた。う〜ん、

だんだん気分が盛り上がってきた。

 そして出発前夜、慶祐は夜勤へ。恭子はパッキングに大苦戦する。荷物はナイロビから

マサイマラまでの国内線が一人あたり15sの重量制限のため、厳選した。それでも慶祐の

空ハードケースだけで5.6sもあるので、シャツやオケ(シャワーのみの部屋だったので、

慶祐の希望で100円ショップで手桶を買ってあった。)をあっちへこっちへ、恭子、夜中の

廊下で何度体重計に乗ったか…。布団に入ったのは、2時を大きく回っていた。(尤も、

早く入っても“遠足前夜”状態で同じだったと思うが…)そうそう、パッキング中に、恭子、

実家へ電話をし、留守中の植木の世話を頼む。

母が「恭子、出発だから」と半ば強制的に父に代わる。父に、「餞別やれなかったから、

帰ったら写真集を作ってやる。写真いっぱい撮ってこい。」と言われて、慶祐がカメラを

買ったのを思い出し、近くに放っぽってあった取説を見て型番を言うと、父「ほー。

30万くらい、するな。」どっひゃぁ〜!!