| ○9月10日(日) 日本、それも関東に台風15号が直撃しているので、揺れるかもしれないと放送されるが、 ほとんど意識なし。本当に接近して、「ただ今、右前方に台風の白い大きな雲がご覧 いただけます。」と操縦室からの案内もあったが、ちょっと外を見て「うん?白い。」でまたすぐ バタンキュー。「めったに見られないぞ!!」と脳は思っているが、体の方が実力行使して、 貴重な体験を棒に振ってしまった。機長さんの本当に上手な操縦で、定刻にほんの少しの 遅れでスムーズなランディング。入国して、帰りは予定通り、立川行きのリムジンバスの チケットを買う。出発まで一時間近くあるので、慶祐は待ちかねた日本のビールに舌つづみ。 ただし、預けていた荷物が2つ、さらに増えているので、機嫌は超悪い。 バスの列では、 私たちの前にいる女の子が、係の人に「玉川上水駅」と言っているので、係員さんに訊いて、 玉川上水までに変更してもらう。台風の中、バスは順調に進み、(と思う。2人とも、バスでは 一番熟睡していたので、気づいたら立川市内だった。)玉川上水駅南口へ。モノレールで 一駅移動し、慶祐は車を取ってくるが、ただそれだけでシャツが半透明になるほどの豪雨 だった。アフリカでも一ヶ月早く雨季を呼び、日本では台風か。恭子、雨女ぶりを如何なく発揮。 なつかしい我が家へ帰り、慶祐は早速トイレへ。「びっくりする程、出た。」じゃ、今までは 何だったの。ベランダのアスパラが、朝顔のように柵にからみついて伸びていてびっくりする。 実家と会社に電話をし、感謝と無事を伝える。慶祐は「心配していないよ。」という実家の ドライな反応(その実、とても心配していたのは、出発前に訪ねたときによくわかっていた。 こういう言い方でテレを隠すのは、親子そっくりだと思う。)に、しょげる。恭子は会社に かけると、出勤中の6人が交替で全員電話口に出るので、一人ずつ違う話をし、慶祐は あこがれの中国姉ちゃんと直に話せて、ニコニコ。片づけをしたり、洗濯機を回しておいて、 とりあえず食事に出た。ラーメン命の慶祐だが、今日は「だしのきいたものが食べたい。」 ということで、うどん屋に行くことに。やっぱり日本人であった。
○9月11日(火) 恭子は早速出勤、慶祐はこの日の夜勤から社会復帰した。その夜中、旅行記を書き始めた 恭子に、慶祐から電話が入った。「恭子ちゃん、大変だ、どこでもいいからテレビつけてみな! アメリカで飛行機が大爆発しているぞ!」急いでテレビをつけてみると、ワールドトレード センターに二機目のハイジャックされた飛行機が飛び込んだ直後だった。何のことだか、 ビルが崩壊する実況中継を見ていても理解できなかったが、自分たちが本当に無事に戻って くることができたことを、心から感謝した。そして、翌日出勤した恭子は、中国姉ちゃんから 海外渡航禁止令を発令されてしまった。というのは、恭子はこのところ、海外へ出ると、何か 大きな事件が起こることが続いており、友人とハワイから戻った日は、やはりバスの中で うとうとしながら、「まったく、日本の道は込んでいて嫌になっちゃう」と話し合い、新宿まで 6時間近くも乗っていただろうか。駅から家に電話すると、第一声は「どこにいるの!? 無事だったの!?」だった。平成7年3月20日、この地下鉄サリン事件を皮切りに、インドネシア に行くと作家遠藤周作が死んでしまったり、韓国のときは社内で法定伝染病が発生しており、 帰るなりその対応に追われたりと、「嵐を呼ぶ女」と言われていたのだ。今回は、本当に 文字通り台風の中を帰ってきたが、逆に「この程度でよかった」と皆が胸をなでおろした 翌日の出来事である。「世界の平和を守るため、日本にいてください。」と真顔で言われて しまった。 被災者の本復復興と、犠牲者への衷心よりの祈りを捧げるものである。
○その後 慶祐は、ちょうど20本撮ったフィルムを早速現像に出したが、できあがってきた写真は、 あまり良くなかった。アフリカのあの不純物の何も混じっていない、まっさらな色を出す ために、とわざわざ腕に信頼のおける専門店に出したのに、とても間の抜けた感じに 仕上がってきた。主に恭子が使っていたフルオートの方が、(カメラワークは別として) 美しい色が出ている。一フライト当たり二度ずつ、合計片道10回にも渡るX線が良く なかったのか。防御バッグを二重にすればよかったか…と悩むが、2台のカメラの フィルムはごちゃ混ぜだった。アフリカの紫外線に、カメラがだまされてしまったのだろうか。 フィルターを偏光のものにすればよかったか。もう一人行けるほどの投資をしている慶祐が 思い悩む日が続いた。そんなある日、カメラメーカーから フィルターの保証書が郵送されて きた。見るなり部屋に駆け込む慶祐。箱から取扱説明書を取り出し、ひとこと「やられたー。 白黒用のフィルターだった。」やられたのではない。あなたがマヌケなのである。
また、慶祐は次の休みには日曜大工センターに出かけ、砥粉と紙ヤスリ、ニスを買ってきた。 臭いマサイのライオンクラブを磨いて、ニスを塗って臭いを封じ込めるのだという。休日を 何日か使ってきれいにサンドペーパーをかけ、 ひび割れを砥粉で埋めた。時々クンクンと 嗅いでいるが、牛の臭いはせず、いぶりくさい臭いである。ニスを塗ると、臭いは全くなく、 ライオン用のクラブというよりは、ゴルフのウッドのようになった。肩たたきとして愛用して いくと言っている。 ジャンボブアナの歌は、時々思い出したように歌っている。(頭のところだけ) 図書館で、アラビア文字の書き方、読み方の入門書をみつけ、借りてきた。 仕事の待ち時間に勉強するんだと言って持ち歩いている。 そして、会う人ごと、時には 道端のカラスにも“ジャンボ!”と叫ぶ慶祐である。 帰国数日後、加藤さんからメールをもらった。10月は、日本に一時帰国するという。 加藤さんのいるときでよかった。 そして、ほぼ1ヶ月後、アメリカが軍事力行使に出て、ケニアに外務省の「観光旅行延期 勧告」が発令されてしまった。9月に行かせてもらって、本当によかった。 世界平和を祈るばかりである。 |