○9月3日(月)

 7時間のフライトだが、時差がシンガポールより4時間遅れなので、まだ早暁のドバイ。

恭子も立ち直って、ヤシの並木(作り物)がフロアを突き抜けそびえ立つ、ドバイの空港を

うろつく。到着・出発の案内テレビをはじめ、そこら中がすべて文字とは思えない文字、

その下に小さく英文表示、という世界になってしまった。乗り継ぎ便の確認のため、

テレビの表示を懸命に探すが、私たちはツアーのため、「EK423便」しか知らされておらず、

飛行機の行き先が判らないのに加えて(この便はナイロビ経由隣国・ウガンダのエンテベ

行きだった。)、行き先の国の航空会社とのコードシェア便だったので、「え?どれ?これ?

あれ?、…それ、どれ?」と、こそあどのこんぴらふねふね状態にはまりこむ2人。  

やっと目的の便の表示をremark欄に何か書かれている、と思った瞬間に、判らない文字に

切り替わってしまう。しばらく見ているうちに、読めないながら慶祐、数字だけ判別できる

ようになる。(下の階の出発ゲートに表示されている算用数字と文字の表示をつきあわせて

判るようになったらしい。しかし、後日談だが、「算用数字って、アラビア数字のことじゃ

なかったか?」と指摘する人がいた。う〜ん???←さらに後日、ひょんな事から、現在の

算用数字はアラビア数字を基にできたが、違うものであるということがわかった。)しかも、

おもしろいことに、文字は右から書くので、表示も右から「便名、行き先…」と並ぶが、

2ケタ以上の数字は左から表示されていることに気づく。(日付が日本と同じ年、月、日の

順で示され、現在時刻も画面のいちばん右=秒が次々変わっているので、ソレとわかった。)

これを、日本語でイメージ表示すると、    

延遅分三零  き行ベテンエ  発分一零時零八  便四二三KE          

(EK423便  08時10分発  エンテベ行き  30分遅延)           

まさに、混フューズなのであった。それにもめげず、remarkを解読すると(英語だってば、)

delayとなっている。そこで、詳しい情報と出発ゲートを確認するため、インフォメーションへ

行くと、チャドルに眼鏡の女性が一人、四方八方から押し寄せる客に、半ば怒鳴るように

答えている。たまたま人が切れたので、チケットを見せて“遅れているんですか?”と

訊いたが、"No, on time."と言う。私の訊き方が悪いのか、それとも画面の見方が

悪いのか?  ともかく、ゲートは確認したので、チケットに記載されている搭乗予定時刻

近くになったら付近へ行ってみよう、ということにして、華やかなドバイの空港内をうろついて

みた。 早くもお土産やさんをのぞく恭子。(この人は、子どもの時から旅行イコールお土産屋、

だった。)ラクダやアラジンの魔法のランプみたいな、お土産にうってつけ、といった品々に

目を輝かす。30センチ四方くらいの小さなペルシャじゅうたんを見つけ、絶対帰りに買うぞと

心に決める。ここの通貨が何であるかも知らず、円や米ドルでいくらに当たるのかといった

ことが全く見当がつかないが、棚のチョコレートと比べて、そんなに高くなさそうだ、と思う。

 歩き回っているうちに、クレジットカードで使える公衆電話を発見、時差を考えると日本は

月曜の朝10時過ぎだとわかり、2人目配せして「やってみる?」「やろう!」ということになる。

カードを差し込み、何度か要領がわからずとまどうが、恭子、辞書を出して、「カードを抜いて

から少し待って、音が変わってからダイヤルする」という手順を理解する。相手は、恭子の

実家。いつものセリフ、「あ〜、こちらはドバイ警察ですがー」と話しかける。タイムラグも

全くなく、鮮明。双方でかわるがわる出て受話器を置いたが、クレジットの数字がどんどん

進んでいく。えーっ、どうして!? アセってまた受話器を耳に当てるが、当然切れており、

表示は“ダイヤルしてください”となっている。どういうことー!? 

最初にカードの有効確認をしたところで、“有効、クレジット○○ディルハム(通貨の単位)”

と出たので、おそらくこの金額分を通話できるということなのだろうとは思っていたが、

何で切っても切れないのー、これじゃ海の家のシャワーじゃないか、じゃ、別のところに

かけるか?など、心のどこかではハマらなくてもよいパニックに自らハマりにいってしまった

自分を笑っていると、受話器を置きっぱなしにして数秒後、表示が消え、最初の状態に戻った。

 どうも電化製品(?)は苦手なので、空港内郵便局を見つけ、絵ハガキを出すことにした。

さっきの土産店で絵ハガキを2枚買い、“米ドルで”と言うと“1j”と言って、文字の読めない

コインをくれた。郵便局へ持っていって、どうせ“いくら?”と訊いても答えがわからないので、

さっきもらったお釣りのコインを出すが、当然足りないと言われ“米ドルであといくら?”と訊くと

また1j、そしてまた読めないコインをくれた。読めないので、いったいいくらだったのかは

わからないが、絵ハガキ1枚1jしない、というのは安いのではないか。ついでに郵便局前の

インフォメーションでEK423便の情報を訊くと、やはり遅れていると、チケットの集合時間を

20分遅く書き直してくれた。

   .  

 そんな風に楽しく時間を過ごすうちに、そろそろ指定のゲートに人が集まりだしたので、

私たちも向かうことにして、搭乗待合室にはトイレがないので交代でトイレへ。  

ここのトイレが、カルチャーギャップだった。個室は広く、日本の身障者用くらいの奥行きで、

床はタイル、磨き掃除の後のような、乾燥していない床である。その理由は、トイレの壁についた

シャワーノズル。最初にトイレに入った慶祐が「シャワーがついていた。」というので、

私たちのように夜中に長時間待つ人のために、トイレがバスルームになっているのかと思った

が、そうではない。元祖ウォシュレットは、ガソリンスタンドのように、握る強さによって吹き出す

水量を加減できるようになっており、思い切り握るとものすごい水圧のジェット水流が出た。

そして、なぜかノズル以外のところから水が漏れるので、壁から便器のあたりに水がたまって

しまうが、水を使う音がすると、お掃除のおばちゃんが隣の個室からモップをのばしてきて

拭いてくれる。(こっちがまだ入っている間に!)ちなみに水は、これも洗面所も温水だった。

さすが、産油国!! しかし、もっとすごいのは洗面所、そこには見慣れた「TOTO」の青い文字と、

カランには「自動」とさえ書かれていた。恐るべし、日本!! (なお、個室にはトイレットペーパーも、

二枚重ねのフワフワのものが完備されております。)

     .

 本日最後の飛行機は、やはり30分の遅延。クルーも客も、黒人が増えた。 私たちの席に

大きなオジサンが座っている。"Excuse me?"と話しかけたところへ黒人のスチュワーデスさん

が来て、スワヒリ語(?)で話しかけ、席が違うことを納得してもらえたが、オジサンはひざ掛けと

シートポケットに入っていた小さな紙切れの類を持っていってしまった。(このときは、私物を

出したのだと思った。) 離陸すると、下は一面砂色の中に、屋根も真っ平らな四角い白い家が

建ち並び、道路が黒く筋状に走っている。英国風のまん丸なロータリーを、ミニカーのような車が

スムーズに流れている。少しすると、もうそれらの人工物はなく、一面の砂漠となった。風紋も

見える。全体に春霞のような煙り方なのは、天気か砂か。山々もみな白茶けた色で、緑は

存在しない。これはこれで感動的な風景だが、水平飛行に入ると、手にハンガーを持った

クルーが来て、窓のシャッターを下ろすように言って回る。眠っている客のところは、ハンガーで

下ろしていく。「もう映画かしら、でも全席モニターつきなのに、真昼から何故?」と恭子が訊くと、

「軍事上かつ宗教上の問題だろう。」と慶祐がめずらしく真面目な顔で答える。確かに、

飛行ルートを示す画面では、ドバイからまっすぐ南に下った飛行機は、海岸線まで来たところで

90°方向を変え、海岸に沿ってアフリカ大陸との接点まで進んでいる。少し緊張を感じるが、

暗くなると必然的に眠ってしまう2人であった。(3つの飛行機の中で、いちばん気持ちよく

眠れました。)

      .

 目覚めると、すでにケニア上空、こっそりシャッターを開けてみると、やっぱり大地は赤い!

大地溝帯は見えなかったけど、濃淡が地図状に拡がる中に川や池が黒く色どり、地形を無視

したようにまっすぐな道路が白く浮かび上がる。さっきまでとは全く違う、豊かな地球をイメージ

させる。  

機内食が出るが、2人ともぐっすり眠ったおかげで胃も復活し、ペロリと平らげる。慶祐、マッシュ

ルーム入りオムレツがおいしいと感動する。(しかし、帰りの飛行機でこれが三度重なり、

最後はフタも開けられなくなることには、この時は気づいていなかった。)周囲の人を観察する

余裕も出てきた慶祐、「手でご飯を食べてる人がいる。」「あの女の人、絵に描いたような

魔女の鼻だ。」「一口に黒人と言うけど、いろんな色があるんだ。」など、発見の連続。しかし、

飛行機だけで19時間、乗り継ぎの時間も含めると28時間近くもエアコンの中にいるので、

2人とも乾燥で慶祐は鼻、恭子は唇をやられてしまい、痛くて仕方がない。今回は、重量制限の

ため、命の肌水を持ってこなかったのが大失敗。

     .

 この路線の機内放送は、すべてナントカ語とカントカ語と英語のみになってしまって、サッパリ

わからんし、日本人スチュワーデスもいなかったが、特に問題はなかった。後ろの席の

ナントカ族の人が、ずっと興奮気味にしゃべっていて、時々私の背もたれを蹴っているので、

呼ばれたのかと思って何度も振り返ってしまう。  

 やがて、着陸態勢に入るが、入国カードは配布されず、近くの人がシートポケットから出すのを

見て、さっきのオジサンに持って行かれてしまったことに気づく。仕方ないので、着陸後、

降り口のところにいるクルーに“入国カードください”と言うと、ビックリした顔をされ、遠くの

方から持ってきてくれた。さらに空港建物との接点のところでボーディングパスを見せろと

言われ、慶祐、見つけられず最後になってしまう。恭子が連れであると説明し、“名前は?”と

訊かれ、通してもらう。さらに入国審査の脇で入国カードを書く羽目になったので、列の最後尾に

なるが、逆にこれが幸いして、誰も申請する人がいなくなったビザの窓口で入国審査してくれ、

初めて英語で質問された慶祐、マゴマゴしている間にまた"Name? カワシマ? OK?"と

言われて、モグモグ自分の名前を言うだけでパス!  

慶祐が荷物をピックアップしているうちに、恭子は両替に行く。100米j=7,610ケニアシリング

(KSHS)、手数料を250KSHS引かれ、都合7,350KSHSしかくれないので、しつこく“10は?”と

言うと、コインがないとかで結局くれないまま、窓口を閉めてしまった。ちぇっ、と思いながら

税関に行くと、慶祐は既に出ていた。(お酒2本持っているのに!)

手ぶらで税関を通ろうと、係の人に声をかけると、"None!?"とびっくりされる。(当たり前だ。)

ダンナを指差し、説明して出してもらう。

     .

 自動ドアを抜けると、出迎えの旅行社の人たちがプラカードや客の名前を書いたボードを

掲げている、お決まりの風景。ANAのロゴを探すが、急に、髪をきれいに編み込んだ小柄な

女性が「カワシマさま?」と寄ってきてくれ、「私、ガイドのアンジェラです。こちらへ。」と人波を

かきわけていくのについていった。車には、ドライバーのサイモン、手早く荷物を積み込み、

空港を後にする。   

車内で、「ようこそケニアへ」という注意書きをもらい、早速ツアーについている市内観光へ。

ナイロビの市内では、激しい交通の中、人が道を渡る。丁度、お昼どきで、人々が工場から

出て、道ばたでお弁当をひろげているのだという。空港の周りは、工場(トタンとファイアストン

タイヤとのこと)ばかりなので、24時間の空港の騒音に文句を言う人はいないそうだ。車は、

日本の大衆車がほとんどで、左側通行なので、日本を走っているようだが、クルマはよく見ると

結構傷んでいる(私たちの乗っている車は内側からドアが開かず、慶祐、アフリカを感じた瞬間

だったという。「日本なら直してあげられるのに」というセリフを何度聞いたか。)し、歩道は

真っ赤な土、街路樹にはカラスならぬハゲコウが留まっている。(ハゲコウは、その名の通り、

ハゲたコウノトリ。この二つは、都市に進出して同じ役割を果たしていると想像がつく。)

カラスの留まっている木もあるが、このカラスも『魔女の宅急便』に出てきた、胸の白いカラスだ。

工場地帯を過ぎると、大きな平屋の建物がいくつかあり、「飲み屋さん」とのこと。そして、その

すぐ脇にはスラムが連なる。慶祐、「こんなにすぐそばに電気も水もないスラムがあるなんて…」

と驚いている。3年前に爆破され、新築中のアメリカ大使館などを見ながら、車は少しずつ

郊外へ。

きれいな花がいっぱい咲いており、アンジェラは「あれはインポミアの種類ですね。あれは、

ランタナですね。」と、さすがに詳しい。2人が腰に下げている電子蚊取りを指して、

「蚊、怖いですか?海岸と湖にしかいないですよ。それに、ソレ(電子蚊取り)はあまり効かない

ネェ。」と言う。蚊はスゴく怖いし、いないというのも信じられないし、効かないと正面切って

言われては、ミもフタもないではないか、とちょっとムッとして話題を変える。

彼女は割と聞きやすい日本語を話すので、どこで覚えたのかと訊くと、日本人のルームメイトと

暮らしたことがあって覚えただけで、日本には行ったことがないと答えた。

いろいろ話のツカミを考えているようで、時々突拍子もない話題をふってくる。例えば、

「日焼け止め、持ってきました? 無いと、真っ黒になっちゃいますネー、私みたいに。」と、

オチまで用意している。

     .

 そんな話をしているうちに、恭子、道端にネコの死体を見つける。長い手足で黄色い体に黒い

ぶち、長い尾は逆に黒地に黄の縞がある。興奮して、「今の、ジェネット、今の死んでた、

ジェネットキャットでしょ!?」と叫び、たまたま書類を確認してよそ見をしていたアンジェラが

「え、どれですか、歩いてますか?」そうこうしているうちに、車はカッ飛んでいるのでもう

はるか彼方。アンジェラがサイモンにスワヒリ語で訊いて、サイモンが後ろをちょっと振り返り、

何か一言。するとアンジェラ、「普通のネコ。」

違う違う、普通のネコより大きかったもん、いくらアフリカ人の目がよくたって、1qも2qも

離れた路上に横たわってるネコなんか見えるはずないじゃん、ぜ〜ったいジェネットだ、と

信じたい恭子だが、いくらケニアでもこんな都市部にワイルドキャットがいるはずもないか、

と一応自説を取り下げた。

     .

 最初の訪問先は、カレン・ブリクセン博物館。カレン・ブリクセン(ペンネーム:アイザック・

ディセーネン)がケニアに住んでいたときの住居をそのまま博物館として開放している。

カレンは地元の人の誇りらしく、あたり一帯の地名が「カレン」だそうだ。同じ飛行機で

着いたらしい別の日本人カップルが一組あり、そちらを案内していた男性(ドラマ「ルーツ」の、

成長したクンタ・キンテにそっくりだ!)に近寄っていったアンジェラ、何か話して、「この人、

私の会社の先輩、よく知っているので一緒に行きます。」と言う。彼の名前を知りたくて、

胸の名札を見ると、その社名のバッジには漢字二文字、恭子、一瞬、引く。

…出発前に、いろいろな資料、本を集めたり、多くの人のHPを訪ねさせていただいたりして、

“現地の旅行社は見た目は似ていても、よく選ぶように。日本語のできるスタッフが多いが、

その分日本人客が多すぎて、車の整備が追いつかないまま、というようなところもある”として、

時に名指しされていた会社なのだ。アンジェラは会社の先輩と言ったけど、さっきもらった

しおりには何かアルファベット3文字が書かれていたような気がするし、(そう思ったから

安心して、何の頭文字だったのか、3つの文字自体も覚えていなかった。)それとも彼らは

フリーで、いろいろな会社から仕事をとっているんだろうか、など不安と疑問が渦巻く。しかし、

とりあえず彼らとは車は別だし、今は地上だし、もう建物に入って合流してるし、彼の日本語が

とても聞きやすいので、「ま、いっか。」(思えばこれがアフリカ最初のハクナマタタ

(=no problem)だった。)とついていった。  日本人4人の中で、カレンの著書『アフリカの

日々』を読んでいたのは 恭子だけだった。恭子はあまり興味が湧かなかったので、出発の

やっと一週間前になって図書館で検索し、家から遠い中央図書館で見つけて、通勤の往復に

ようよう読了していた。内容は思ったより面白かったし、何より館内には本に登場する人たち

の写真が多く展示されているので、「あぁ、この人!こんな顔だったの!」と親近感が湧く。

館内には映画(『愛と哀しみの果て』−−これも、誰も見ていなかった。)の撮影用の調度と、

カレン本人が使っていたものが、それぞれふさわしい部屋のふさわしい場所に置かれている。

面白いなと思ったのは、カレンは北欧の人なので、家具がとてもデコラティブなのだが、

例えばテーブルは本物が残っているが椅子は撮影用に作られた、というような組み合わせ

の場合、撮影用はあえて似て非なるデザインで作られているのだ。ちょっと見には同じように

見えるが、直に見ると全く異なるのは、映画のデザイナーの心意気か。さらに、本物として

展示されているものの中にも、カレンがケニアを去るとき売り払ったものだが、後に所有者

(=買った人)が国に寄付するという形で、ほぼ100年後の今日、元の位置に置かれて

いるというのも、人々のカレンに寄せる思いを表すようで、外国人の、全く無関係な私たちにも

心温まる思いがする。あまり期待していなかった訪問先だが、楽しくなった。  それにしても、

この博物館、「大切なので中の写真はダメです」というわりに、ガイドの2人が「これは

どうしたこうした」と、そこら中をさわり、引き出しを開け、道具を動かす。台所では並べられた

いろいろの器具の使い方を訊いた恭子に、学芸員(!?)まで呼んできて、使い方を実演する

サービスまで!(ちなみにそれは、バターボールを美しく模様をつけて丸める道具でした。)

 建物を出ると、とても広い庭に、コーヒーの木や黄色い縦縞のある竹や、大きなポイン

セチア、巨大なサボテンなどよく手入れされている中を、色とりどりの小鳥が飛び交い、

とかげが走り回っている。どうしてこんなに植物がデカいのかというと、(誰もその理由を

尋ねてはいないのだが)この時代は当然トイレがおまるなので、このコヤシが良いから、

とのこと。さらにアンジェラは「ナイロビの土は黒くて植物に良くないので、田舎から赤い

土を運んできて植えています。カレンのコーヒー農場が失敗したのも、土が黒くてダメ

だから。」と言うが、私たちには充分赤く見える。

 『アフリカの日々』の中で、カレンの恋人が非業の死を遂げ、2人の大好きな地に葬る

感動のシーンがあるが、この地名「ンゴング・ヒル」のンゴングとは拳のことで、

小さな起伏を連ねた丘の姿が拳の背のようだからなのだそうだ。

…しかし、これを日本語にすると「げんこつ山」なことに気づいてしまい、吹き出してしまう2人。

お天気が曇りで、げんこつ山を確認できず、それだけ心を残して、ジラフセンターに向かった。

     .

 ジラフセンターは写真で見たままの建物だった。木造の餌付け台には、大きなキリンが

すり寄っており、数人の観光客が歓声を上げている。階段で日向ぼっこしている本物の

「普通のネコ」の横を通り、バケツに入ったペレットをとってキリンの方へ。すごく大きいので

ビックリ。顔だけで私たちの上半身くらいの大きさだ。近くで見ると、ラクダに似ている。

アンジェラが「このキリンは右の目が見えないので、左側からあげてください。」と与え方を

実演してくれる。1pほどの小さなペレットを一粒ずつ、キリンはチャウチャウと同じ色の

青黒い長い舌を出して巻き付けるようにして口の中に取り込んでゆく。正に偶蹄目、という

舌の動きと粘度の高いよだれ。左手に握ったペレットが無くなっても、キリンは人の手を

長い舌で巻き込むようにしてねだる。ペレットの入ったバケツは、空になると係員がまた

いっぱいにしていくので、観光客はあげ放題だ。客がいなくなるとキリンも遠ざかるが、

係員がバケツを叩くと、パブロフのキリンで寄ってきて、係員からまた餌をもらえる。

慶祐とキリンのツーショットを撮ってあげようと思ってファインダーを覗くが、顔がデカい

のと慶祐がビビっているので入りきらない。慶祐は基本的にコワいので、ひとつかみの

餌を、腕を精一杯のばして与えている。キリンも長い舌を精一杯のばして受け取ろうとする

が、あと一歩で届かず落ちてしまうものもある。キリンは樹上の葉しか食べられないので

落ちた餌は拾えないが、キリンの足下にはかわいいイボイノシシがいて、しっぽをふりふり

拾い歩いている。イボイノイシの第一印象は、想像していたより小さいな、ということ

だったが、アンジェラは「ここのは太っていて、野生のものより5割増で大きい。」と言った。

(あとでできあがった写真を見ると、野生のものはすぐ逃げてしまうこともあって小さく見え、

ジラフセンターのものは、堂々とポーズまでとっていた!)  ここのキリンはロスチャイルド

ジラフ(ウガンダキリン)という種類で、他のキリンとの違いは、アンジェラによると

「白い靴下をはいて、礼儀正しい。」ここには、いろいろな事情から保護が必要になった

8頭のキリンが研究目的で飼育されており、観光収入でまかなわれているとのことで、

餌の缶の横にも入場料とは別の寄附を求める箱が置いてあった。放されているキリンに

大小はあるが、すべてメスで、唯一いるオスは、1歳半くらいまでの仔を殺してしまう習性

があるので、隔離してあるのだとか。さらに今妊娠中のメスがおり、今いちばん小さい仔が

8ヶ月だというから、オス君は当分ここには加われない見込みである。  

     .

 観光客がさっきの日本人カップルと私たち以外いなくなってしまったので、恭子は思う存分

キリンを観察。慣れてきたので、ペレットを巻きとる舌に合わせ、手をキリンの口の中に

入れてみた。舌の動きから想像したとおり、ウシと同じで上の前歯がないから大丈夫。

しかし、慶祐が横で青くなっているので、餌付け台を降りて石けんの用意された水道で

手を洗い、横の茶店でケニアの初ティータイム。慶祐はコーヒー、恭子は紅茶を注文。

評判どおり、ケニアのコーヒーと紅茶はとてもおいしいので、2人ともご機嫌。さらに、

ここのテーブルクロスやクッションはキリン柄、食器には一点一点違う野生動物のプリント

がされていて、とても素敵な雰囲気だった。 アンジェラは店の人と話し込んでいたが、

さっきのクンタキンテ氏がこちらにも気を遣ってくださって、(情報の真偽はともかく、彼の

ホスピタリティーは素晴らしかった。後日、マサイマラからの飛行機を降りてきた私たちを

目ざとく見つけて、「お帰りなさ〜い」と声を掛けてもくれたのだ!)「あっちに亀がいますよ。

この池にも魚がいますよ。オー、赤い魚、カワイイねー。」と教えてくれたので、すっかり

落ち着いてしまった慶祐をせき立て、カメの柵の中へズンズン進むと、たまたま工事中だった

ので、そのペンキを浴びてしまったらしく、白い模様つきのカメさんだった。

     .

 パンフレットに載っていた観光コースはこれですべて終了。しかし、やっぱりパックツアー

なので、この後お土産屋巡りがちゃんと組まれていた。恭子はこういう店では買い物しない

ことに決めているし、何たってまだ今着いたばかりだし(恭子のお土産物屋好きは、両親に

「買うのは最後」とキビしくシツケられていた。)一番のネックは、明日の飛行機の15s。

すでにギリギリなのは成田で実証済みだ。アンジェラは、「ここでしかお土産買うこと

できないです。帰りは時間ないし、荷物制限?あれは、今飛行機大きいから大丈夫です。」

と言って、とうとうお土産屋が集中している二階建てのマーケットに連れて行かれてしまった。

2人だけのツアーなので、今まで時間に制約がないのはとても良かったが、こういうときは

逃げ道もないので、仕方なくここでお土産を仕入れることにした。 そうと決まれば、じっくり

観察。いろいろあって、タヒチよりお土産には困らない。すかし彫りの素敵なお面があるが、

一番小さいものでも10,500KSHS(日本円で17,000円以上)もするので、あきらめる。慶祐、

キリンやチーター、象をかたどった革製のしおりが気に入り、会社の人に配りたい、と

大量購入すると言うので、恭子得意の“いっぱい買うから安くして”攻撃をかけたが、

sorry”の一言のみ。9,000KSHSの象の木彫りのブックエンドを追加しても目を伏せて

sorry”だけ。がっかり。アンジェラが「ここは定価なのでマケない。」と言っていたが、

こんなにしっかりしているとは。車に戻ると、アンジェラ「お客さま、英語話せるじゃない

ですか。私、いらないね。」とお世辞を言う。彼女の手にはいくら入れてあげられただろうか。

     .

 いささかゆっくりしすぎたか、今日のホテルに着いたときには、あたりは暗くなっていた。

ケニアの最高級のホテルで、昨年(2000年)、当時の森首相が宿泊した、というグランド 

リージェンシー ホテルは、作りが2人のお気に入りの(でもつぶれちゃった)札幌テルメと

そっくりだ。ロビーで明朝の打ち合わせをしてアンジェラと別れ、とりあえず423号室へ

案内してもらって、慶祐、チップ初体験。肉体的かつ精神的に疲れきっている慶祐、寝る。

恭子はさっき買った絵ハガキ11枚を書く。英会話のメンバーが主な先なので、みんなが

持ち寄ることを考え、違う内容で書く。

     .

 夕食は6時半からというので、少し前に降り、フロントで11枚のハガキを出す。切手が

一枚40KSHSと聞いていたのに、全部で550KSHSとられる。カギのついた手提げ箱の中に

ハガキを入れておしまいなので、“切手は? 日本とアメリカにはいつ頃着くの?”と訊くと、

エアメール扱い”のシールを見せ、“エアメールの係が今はいないのでできない。

After a week or 10days.”と言う。英語力がないので意味がわからないが、係が一週間後

に出勤してくるとは思えない(思いたくない)ので、私たちが帰る前には着く、と理解する

ことにした。(結果的には、ここで出したのが一番早く所要5日で日本に着いたようだ。

どこを経由してきたのだろう。)  

そうこうするうち、6:45になったのでレストランに行くが、客もスタッフもいない。奥から

走り出てきた女性が、夕食は7:00からだというので、ショッピングアーケードでも見て

時間をつぶそうと歩き出したが、アーケードの方は薄暗く、そちらへ向かうとガードマンが

近寄ってきた。そのままアーケードに入るが、なんと店はジュエリーショップを除いて、すでに

全て閉店している。ホテルまでケニア時間か。なるほど、ガードマンが見張りに来るほど

閑散として薄気味悪いような雰囲気なので(外部にもつながっているので、治安的に

不安だった。)そそくさと戻るが、ロビーには他に見るものもなく、ひとまず部屋へ帰る。

 7:30になったので、中庭から下を見てみると、コックさんが正装した男性の一団

ビュフェの料理のふたを開けながら説明をしているので、企業の研修会ご一行

(「首相」が「サミット」に出席したとき泊まった、というインターナショナルな「ビジネス」の

イメージが抜けなかった。)が夕食にきたんだ。ケニア人も日本の農協ご一行さまとおんなじ

じゃないか、と思いつつ、われわれもやっと食事にありつける…、と下に降りていった。

レストランに着くと、入口に正装のスタッフがいて、“もう夕食ですか?”と訊いた。案内された

席につくと、笑顔の素晴らしいウェイター氏が、飲み物の注文にきたので、慶祐は当然

「ビール!!」おいしいと噂のタスカーがきたが、慶祐には一口サイズだ。風呂上がりの日本人

そのままの一気飲みで、あっという間になくなってしまったので、ウェイター氏びっくりして

他に何か?”と訊くと、慶祐満面の笑顔で人差し指を1本立て、“one more!”ウェイター氏、

二度びっくり。(このレストランの脇にバーコーナーがあり、これは4階からは見えなかったの

だが、お客はここでお酒を楽しみながら食事の準備が整うのを待っていたのだ。これで、

今までわからなかった部分全てに納得がいった。ちなみに、正装の一行は、今日の料理に

ついてレクチャーされているホールスタッフたちであった。)

えっ、ビールまだ飲むの?”と言って、笑顔で持ってきてくれるが、どのように食事に

導入していいのか戸惑っているのがありあり。慶祐も、明るい笑顔とちょっとしたひと言で

接してくれるのが、逆にバカにされているように感じるのか、あずましくない様子。英語が

よくわからないのでうまくコミュニケートできないが、何とかスープを運んでもらい、ビュフェに

行こうとするとウェイター氏がとんできて、“オードブルから始めますか、サラダからに

なさいますか?”と案内に立ってくれた。お料理を説明してくれるが、それぞれの前に置か

れたカードに書かれている(=材料と料理方法程度)とおなじくらいしかワカラナイ。

ようようテーブルに戻ったころから、夕食客が入って来はじめた。こっそり聞き耳を

立てていると、“食前酒にシェリー、何があるのかな?ウン、それはグラスでいい。

そして次はワインを。デザートの前に私はこれこれ、彼にはそれそれを。”という感じで、

さすがスマートである。(答えはもちろん“Yes,sir.”)お料理自体はおいしかったが、

こういう場に不慣れなド日本人は、ほうほうの態、といった状態。最後に夕食代も請求された

ビルが回ってきたので、明朝アンジェラに交渉してもらうことにして部屋にチャージして

もらって退散する。