○9月8日(土)そのA

 ウィルソン空港に出迎えてくれたのは、ガイドのイコニとドライバーのムウィタ。

イコニは世田谷の上野毛で9年間、ボクサーとして暮らしていたそうで、それは慶祐が

世田谷事務所勤務だったときと時期的に重なっており、彼は最初食べ物が合わなくて

毎食、慶祐の事務所の横にあるロイヤルホストに通っていたとのこと、「会っていたんじゃ

ないの?」といきなり話が盛り上がる。「東京の人、懐かしいよォ」といって、加藤さんの

知らなかった新宿のビル火災を「歌舞伎町のどのへん? 西武新宿の方? 懐かしい

なぁー。でも、歌舞伎町コワイね。ガキのチンピラに囲まれたことがあったよ。こっちが

身構えたらナイフ出したから、ワタシどうしたと思う? シリまくって逃げたよ。歌舞伎町、

よく行ったよ。麻雀とか…。」かなり遊んでいたらしく、鼻の下伸ばしてしゃべりまくるイコニ。

彼もフレンドリーで、いろいろな話をした。彼は、通っていた海老原ジムの会長さんを

心から尊敬していて、電話の取り方から教えてもらい、日本人に対する自然で正しい

言葉遣いをここでみっちり仕込まれたおかげで、今の仕事ができると感謝していた。

     .

 三人しゃべりっぱなしでカニボアレストランに到着、入り口にはいきなり円型に炭が

熾こされており、串刺しにした肉を焼いている。炭火のいいにおい、そして隣には今日の

メニューがあった。今日のゲームミート(野生肉)のメニューは、ワニ、エランド(やった!)、

シマウマ。シマウマに慶祐が固まった。ライオンのディナーを思い出しているのだ。イコニが

さすがに慣れた風に店員さんと話しをして、店の一番奥の席へ。「何飲む? これがここの

オススメ。」日本で聞いたら絶対この人のオゴリ、という口調でカクテルの写真も豊富な

ドリンクメニューを指さす。食事に合わせてそれにふさわしいお酒を飲む、という習慣の無い

二人(それは今日までの旅で十二分に証明されている!)なので、恭子はお店の人が

開いてくれたページのカクテルを(ただし、“あなたのオススメはこれなのね? 

何のカクテル?”とウェイターさんに英語で訊いたが、彼は何だかモゴモゴとつぶやいた後、

イコニにスワヒリ語で助けを求め、イコニが「メニュー全部できます。それもオススメね。」と

言った。その一連の様子から、ウェイターさんはメニューを手渡すとき、どうやら適当なページ

を開いて差し出したらしいと理解した。)注文し、慶祐はメニューをとっくり返しひっくり返し

してBeerの文字を探しているが、見当たらない。ビールぐらいは当然あるので、二人の注文

が決まると、イコニがスワヒリ語で注文し、最後に“ミミ、なんとか、スプライト、バリディ!”と

いうのが聞こえた。「私も一緒に食べます。」と言うので、それは大歓迎だが、飲み物は

自分で払ってよね、と思う二人であった。ジェイムスやフランシスの大げさなほめ方を

思い出して、「スワヒリ語をいっぱい覚えましたよ!」と言うと、「えっ!じゃ、私が店員と

話していることもわかる?」とアセった風に訊く。(どうもイコニの言動が嫌なオヤジっぽい

表現になってしまうが、決して本人はそういう悪い人ではない。うちとけた感じの、それは

それでいいキャラクターなのだ。)「そんなの無理ですよ。自分で冷たいビールが注文できる

程度。しかも、二人前まで。」と言って、三人で笑う。まもなく注文の飲み物が来て、三人で

乾杯。恭子の件のカクテルは、写真のものとは外見がかなり違っていて、オシャレな感じを

潔く切り捨ててある。そして、ジュースの代わりにシロップで作られているかのような、

ホテルのスイーツもそうだったが、甘さ控えめ日本人には舌に残る甘さだ。  

     .

 食事はまず、スープが来た。そして、大きな二段重ねのお盆に旗の立ったものが運ばれて

きて、イコニがその使い方を説明してくれる。中華のテーブルのように回転するお盆には、

下段に野菜類(サラダやマリネ)、上段にはソース(牛、豚、鶏、ゲームミート用など、

ひとつひとつそれにふさわしいとされるソースが用意されている。)を、インド料理の食器のような

金属のボウルに入れて載せてある。しかし、イコニはソースをひととおり「これが牛用、これが…」

と説明すると、「でも、塩が一番おいしいよ。私はいつも塩だけ。」と言って、自分の皿に塩を

ひとさじ入れた。慶祐は、このためにはるばる日本から持ってきたしょうゆとワサビを出した。

お待ちかねの焼肉は、牛ソーセージとイコニの大好物という豚のスペアリブ、鶏と続いてやって

きた。一切れはあまり大きくなく、スペアリブには甘い味付けがされていた。…と、奥まった席が

災いしてか、ここから次のものが来なくなってしまった。イコニがちょっと怒って呼びに行くと、

レバー、ワニ、牛、砂肝、とまた連続して来る。イコニの部族では、若い女性は砂肝を

食べてはいけない、食べられるのは父親と長男だけ、と言って何か言いたそうに恭子の方

を見ている。残念ながら、恭子は内臓系はパスなので、カーヴァー(シュラスコなので、

それを取り分けてくれるスタッフは“CARVER”と書かれたエプロンをしている。彫刻家

みたいだ!)を断り、イコニにそのココロを訊いてみたが、わざと(?)「知らない。」と言って

イヒヒと笑っている。また次の串が来るまで少し間があいたので、お盆の下段の野菜類と、

素朴な感じの全粒粉のパンをとってみたが、イコニが食べないのが納得できるような味

だった。恭子、バッグからミネラルウォーターを出して飲む。  

     .

 私たちは、食べながらもおしゃべりが途切れることがなかった。イコニは日本にいたのが

1991年までなので、懐かしい話題が出る。「三浦和義はどうしました?」とか、「豊田商事は

どうなった?」とか、その後を訊かれてもなかなか今どうしているかの情報は無いものだと

思いながら、「まだジェイルでしょう。」「それも、ジェイルじゃないかなぁ?」と、皆さん牢屋に

入ってもらった。そして、彼は去年、日本のテレビ番組でケニアの子供たち30人を引率して

日本へ行ったそうだ。何でも、三十人三十一脚のレースをするためとかで、そんなことを

やったことすらない子どもを見たこともないところへ連れていかねばならぬ彼の物語は、

語るも涙(苦労)、聞くも涙(爆笑)なのであった。彼らは、まず暮らし方を学ぶところから

始めねばならず、ケニア国内で2週間の合宿をしたそうだ。その中で例の競技の練習も

するのだが、ハタで見ている大人の方が熱くなって、“自分の方がうまいから、子どもより

自分を行かせろ”という人が続出して、説得に苦労したとか、日本でその三十人を従えて

銀座の横断歩道を渡るのに大変な思いをしたとか…。「テレビ見てくれました?」

(知らないっつーの)と彼は日本人の客を世話するたび、今後も繰り返すのだろう。

     .

 そして、またイコニが合図をして、来た来た、本日のゲームミート、エランドとシマウマだ。

期待と不安でドキドキの野生の味は、

ワニ  カレー色の表面から想像される通り、タンドリーチキンのような味だが、肉の中に

    硬いものが含まれていて、二人ともかじってしまいビックリする。(日本で飼育モノを

    食べた時には感じなかった。)川では会えなかったワニに、思わぬところで会えて

    よかったと言うべきか?

シマウマ  いろいろな人のHPに「かたい」「まずい」と書かれているが、ヘンな店の

    ビフテキよりよっぽどおいしい。臭くもない。慶祐は、切り分けられた部分が

    よくなかったのか、「硬くて脂っこい」と言うが、少なくとも脂身はゼロである。

エランド  ムパタのジェイムスが言っていたとおり、おいしい!シマウマより柔らかい。

    臭みもなく、今までケニアで出てきたどの牛肉よりジューシーだが、イコニの言う

    ようにソースはヘンな味で、三人とも塩こしょう、そして慶祐おススメの

    わさびじょうゆで堪能した。

今日はこの三種だったが、イコニに「どの野生肉が一番おいしいか?」と訊くと、即座に

ガゼルだと言う。「ガゼルの脚(もも肉)をかたまりのまま塩で焼いて、こんなの(フォークと

ナイフ)でなくてかぶりつくのが最高。もー、ウレシイね。」と身振りつきで話してくれた。

 恭子はもう少し食べられる気がしたが、慶祐の顔がどんどん暗くなっていくので、旗を

降ろして終了。残ったしょうゆをイコニにあげようとすると、「お客さんにもらって家に

いっぱいある。」と断られてしまった。  食後はアイスクリームとフルーツポンチのデザートが

出る。イコニは虫歯が痛むので、アイスは食べられないのだそうだ。そして、慶祐が

注文できると言っ(てしまっ)た“チャイ・ンビリ・モト”。イコニが、「私も紅茶だから、私の分も

注文してください。」と言うが、“”が出てこない。アフリカの優雅な午後に、あんなに勉強

していたはずなのに、どこへ置いてきてしまったのか。ANAのおでかけダイヤルの人が

言っていた、関空発別ルートの四人は、私たちの二、三隣のテーブルについていた。

彼らのガイドさんは水だけ注文しているようで、席にはついているが食事はしていない。

イコニが近づき、四人のパスポートと飛行機のバウチャーを預かっている。彼らはこの後、

私たちのナイロビ初日のコースを回って、空港に来るのだ。エミレーツ航空は、ダブル

ブッキングがとても多く、リコンファームしていても早い者勝ちでしか乗れないそうで、

私たちのコースは食後は空港に直行するスケジュールとなっており、それを引率する

ガイドさんが他コースの彼らの分もチェックインするためなのだ。最終行程表をもらって

以来、私たちは、18:15まで半日も空港にいるのはもったいないし、ケニア入国以来ドア

ツードアで街に一歩も足を下ろさないのが残念なので、最終日のガイドさんに別料金で

いいから街へ連れていってもらう交渉をしようと考えていたが、ウィルソン空港に着いて

イコニに会った時にそれは無理だとはっきり断られていた。ということは、アンジェラの

言ったとおり、私たちはもうお土産を手に入れるチャンスがない、ということだ。(来た時、

ジョモ・ケニヤッタ国際空港の寂れ方を見ていたので、空港の売店は全く期待していな

かった。)本場のコーヒーを、豆のまま欲しくてずっと探していたのだが、どこでも挽いた

ものしかなくて、とイコニに話すと、「ここにも売店があるから」と言ってすぐ手配してくれた。

思い出して、国境でのカワモトさん事件の話をすると、イコニ、大受けして「ガイド仲間に

教えてあげよう。」と言う。そこで、「私たちはカワシマだけど、スワヒリ語に“シマ”は何か

意味はないか?」と訊いてみた。イコニはしばらく宙をにらんで考えてから、「特に、ない。」

と言った。さっきの砂肝のときと言い、何となく《言わない方がいい》というニュアンスを

感じたのは気のせいか。 満腹で下も向けない状態で、レストランを出た。この建物の

右半分はレストランで、左半分がショーハウスになっており、以前ナベサダさんがステージ

に立ったこともあるのだそうだ。催事予定が貼り出されていて、日本映画の夕べ

(「雨上がる」がメインらしい。)が目玉になっている。感心したのは、毎週常設のステージ

のポスター。いずれもこのハウスのイメージキャラクター、ライオンを擬人化したイラストの

表情が、とてもいい。(例えば、ロックライブでは、ヘビメタしたライオン君が、たてがみ

振り乱してギターをかき鳴らしている。)そして、並ぶ文字は全て手描きのレタリングで、

ときにスペルを間違ったところに紙を貼って直したりしている。ムウィタが車を持ってきて、

イコニと関空組のドライバーさんとで関空組の荷物を私たちの方の車に乗せ替えている間、

近づいてきたネコ(しつこいが、普通のネコだ。)におべっかを使ってみるが、実にあっさりと

無視され、しつこく触ろうとしたら走って逃げられてしまった。ケニアの動物は、家畜も野良も

野生も皆唯我独尊のようだ。  

     .

 空港までは、またおしゃべりに花が咲く。サファリの内容についてはあまり話題に

ならなかったが、恭子、最後の「もう雨季かしら?」を問うと、「たぶんそうだ。自分たちが習った

ジオグラフィーと今は変わってきている。」と言った。恭子は気さくで優秀なローカルスタッフに

感激したことを伝えたくて、「ケニアの人は皆いい人で素晴らしい。」と言うと、イコニが急に

強い口調で「それは違うね。日本人も同じだけど、悪いことする人もいっぱいいる。」と言うので、

少し驚いて何とか説明しようとしたが、急に思いついて、「私が言いたいのは、ホスピタリティー

のこと。」と言うと、表情を崩して、「あー、最高でした?ありがとうございます。」と言った。

アンジェラも、ケニアの生活の話をしていて、「来年大統領選なんでしょ?」と訊くと、急に

鼻にシワを寄せて、「モイ大統領はネ、日本語と同じ。もう、いい。」と言った。この国も、

暮らす人にしてみれば様々な困難や問題を抱えているのだろう。話題を変えて、「日本に行って

まだ日本語がわからないときの日本人の対応は冷たかったでしょう?」と訊いてみると、

思った通り、ほとんどの人が無言で、顔の前で手を振って逃げたという。日本語で話しかけても

同じ反応だったと笑って言うので、「日本人はシャイだからね。英語で話しかけられて、

立ち止まる人はまずいないでしょ。」と重ねて言うと、「でも、最近は45%はハローと

言うネ。わかる?50%はいかないのヨ。だんなさんについて来ているから。」彼の

言ってるのは、海外で暮らす日本人で、英語にたじろがない人、という意味のようだ。

海外で暮らしていてもそんなものか、と日本人の英語アレルギーにびっくりする

(と同時にしゃべれない自分に安心する)。イコニは続いて、日本で電車に乗っていた

ときの話をした。前の席にかわいい幼児連れのお母さんがいたので、「かわいいですネ。」

と言って頭をなでたのだそうだ。すると、その子が「ママ、しゃべった。人間みたい。」と

ビックリして言ったのだという。思わず笑ってしまった恭子に、イコニは「そのときね、お母さんも、

周りの人も、皆笑ったよ。あなたみたいに。だから私、言った。『どうして笑いますか。私、

人間ですよ。あなた、どうして笑った。』って、みんなに言ったね。でも、みんな何も言わない。

シカトしてた。」としっかり恭子を見て言った。最初、恭子はイコニがなんでこんなに気色ばんで

いるのかわからなかった。だから、「日本人ってみんな同じ顔をしているからね。人間と日本人は

同じ意味、とその子は思っているんだよ。」とさらりと言ってしまった。しかし、話が進む中、

突然「足を踏んだ者は、踏まれた者の痛みはわからない」ということに気づき、彼らネグロイドは

傷つけられてきた長い歴史の中に今もいるのだ、ということがわかったとき、自分の軽率な

ヘラヘラ笑いを大いに恥じた。後悔した。しかし、そのときはもうすでにイコニはにこやかに

他の話題を口にしており、結果的に恭子は謝ることをしないまま、彼と別れてしまった。

     .

 さて、空港の乗客入口に車を乗りつけると、ムウィタとイコニに慶祐も手伝って、全員の分の

荷物を二台のカートに山積みにした。建物の入口は小さな扉で、その扉をめざして色々な

国の、色々な格好をした人々が列をなして大混雑になっていた。イコニはAEROTECHと

背に書かれた人をつかまえ、彼の先導で列を無視して中へ入ろうとするが、インド系と

思われる人に猛抗議されて、やはり列の後ろへ。こんどはエミレーツの女性職員に

話しかけ、交渉するがやっぱり並べと言われ、私たちに肩をすくめて見せる。そうこう

するうち、玄関に横付けにしてある車をどかせ、と(当然の)クレームをつけられ、慶祐は

「すみませんが、ちょっと荷物押してください。」とムウィタの押していた(多いほうの)

関空組の荷物ばかりのカートを持たされてしまった。列と言っても、日本のようなきちん

とした列ではなく、子どもたちのみならず大人も始終出入りしているので、たかがカートを

押すだけでも四方に目を配らなくてはならない。慶祐は、長旅を見越して強力な酔い止め

薬をのんでおり、すでに眠さとのどの渇きでこの頃から不機嫌モードに入っていたので、

「なんでこんな…あっ、sorry…ぶつぶつ…sorry」とつぶやいている。やっと狭い

入口につくと、そこにはすぐX線の荷物検査機があり、(でもここのベルトの流れは

えらく速い。)出てきた荷物には航空会社ごとの検査済みシールで封印していく。

(正確には、その航空会社のシールをくれるので、自分で荷物の口に貼った。係の人が

自ら封印していられない程、流れが速いのだ。もっとも、それでも外はあの行列なのだが。)

半睡眠の慶祐も必死になってスーツケースをピックアップし、またカートに積み込む。

相変わらずブツブツつぶやいている。エミレーツのカウンターには客が一人もおらず、

イコニが私たちはベンチに座っているよう指示して、チェックイン手続きに行ってくれる。

エミレーツの横はロイヤルブルネイ航空で、大勢の人が列をなしている。この列の人々の姿は、

ひげの男性とチャドルの女性ばかりだ。小学校低学年ぐらいの女の子も、彫りの深い

エキゾチックな顔立ちにチャドル。そして、素足にゴムサンダルだ。

私たちのベンチの隣にいるのは、ケニアのリッチファミリーだろうか。コロンとした顔立ち&体型

の幼い姉妹は、フリルのたっぷりついたドレスで、ヨーロッパのデビュタント風

(というよりは日本の花嫁さんみたい)だ。慶祐は自分たちの荷物がちゃんと成田行に

チェックインされているかが心配で、ずっとイコニの手もとを見ている。イコニが「これと

これか?」と違うのを示すので、「グレーのハードケースと紺のスポーツバッグ!!」と

遠くから声をかけるが、イコニがうなずいて係員が次々とタグのシールを貼りつけて、

一団の荷物をラインに流してしまったので「大丈夫かなぁ」とますます不安が募る。

ここではナイロビ→ドバイと、ドバイ→シンガポールのチェックインをするので、かなり時間が

かかったが、途中、イコニが二人のところへ来て、「飛行機はこういう形で、」とヘンな卵形を

描いてみせる。何のことかと思ったが、わざわざ席の希望を聞いてくれるためだった。

(カニボアレストランでは、関空組の一人が「この二人(自分たち夫婦)は、必ず一緒にして

ください。席はISLEで。」と私たちのテーブルまで言いに来ていた。)私たちは、できれば

二人が並んで座れるように、あとはおまかせします、と言うと、「オッケイ!」と元気に

うけおってカウンターに走り、ボーディングパスを手渡してくれた。 「後は何もありませんから、

中に入った方が免税店もありますしね。」と言って、車を停めてきたムウィタと一緒に

出国審査まで送ってくれた。ふと思い出して、「イコニのンゴングを見せて」と頼んでみた。

おかしな顔をするので、ボクサーの友人から聞いた、ボクサーは拳の峰がつぶれて

なくなってしまうと言う話をすると、「オレはもうジジィだから。」と照れながら右手を握って

見せてくれた。彼の拳も、まっ平だった。

     .

 二人に思いを込めて“ツタオナーナ(Good byではなくSee youの意)”と手を振り、

振り返るといきなり出国審査のブースだった。客は私たちだけ。係員に二人いっぺんに

パスポートを渡すと、先に恭子に返し、慶祐のを持ったままカバーのクリップをつまんで、

日本ではいくらするのか?”と言う。恭子、ついに来たなと思い、“友達からもらったもの

だから知らない。”と言うと、“オレも友達じゃないか。何でくれないのか。”と言う。

このときはもう、パスポートは返してもらっていたので、無視して行こうとすると、慶祐は

すでに依怙地モードに突入しており、クリップを無理矢理ひきちぎると“present!!”と言って

渡してしまった。逆に驚く係員。恭子は非常に腹立たしい。(恭子も酔い止めをのんで

いるので、不機嫌であることに変わりはない。) お土産がまだ揃わないので、免税店へ。

目の前の店は改装工事中で、とりあえず左に行くと小さな土産物屋があって、その先は

また工事中の店があって、行き止まりになっている。客は見当たらず、白人の男女の

店員が座っている。慶祐は大荷物(カメラ、象のブックエンドと結局飲まなかったウィスキーが

一本入っているので、大きなスポーツバッグがパンパンになってしまった。)なのと、本来

こういう雰囲気(外国人に話しかけられたらどうしよう、と思っている)が嫌いなので、

店には入ってこない。店内を隅から隅まで見る恭子に、店員が何のかんのと話しかけてくる。

見てるだけ〜”と無視するが、最後のチャンスでお土産探してます、というオーラを

発しているのは間違いなく、“音楽はどうだ。ジャンボジャンボだ。”と言ってかけたのが、

ジャンボブアナのテープだった。慶祐が欲しがっていたので呼びに行くと、慶祐は

CD”と言って、会計は恭子に任せて品物を持ったまま出ていってしまった。

恭子は迷いに迷ってとりあえず必要なお土産を買って外に出ると、全身で「つまらない」

を表現した慶祐がいて、「トイレにも行きたいのに、ずっと立っていたらターバンの人に

入信しないか?一緒に祈ろう”って勧誘されちゃったじゃないか!」と、大変なご立腹で

ある。ハイハイ、お待ちしていますから、思う存分出してきてください、と慶祐をトイレに

送り出し、そのスキに買い込んだお土産(主に石細工)を慶祐のバッグに移す恭子。

慶祐は、「隣で手を洗っていたオヤジに名前訊かれた。」とまた不機嫌になって出てきた。

いつまでもトイレの前にいても仕方ないし、探検に行こう、ということでさっきの入国審査

の通路をこんどは右の方に行くと、なんと沢山の免税店が並んでいる。どうやら、横長の

空港で、飛行機の駐機場ごとに出国審査のゲートがあるらしい。私たちの通ったのは、

建物の一番左のゲートだったのだ。客も多く、店ごとの品揃えも若干ではあるが違って

いる。目を輝かせてお店めぐりをする土産店フリーク恭子と、その後をベンチからベンチへ

むすっとしたままで移動する慶祐。木彫りや皮製品が気に入るたびに慶祐に声を

かける恭子だが、「置くところが無い。」「どうせ持って帰るのはオレなんだろう。これ以上

持てないじゃないか。」慶祐はすでにレッドゾーンというか、立つのも座るのもイヤ、

という眠いけど寝られない昼寝前の子ども状態になってしまったので、搭乗待合室が

オープンしたところでそちらへ移る。ゲートもあるが、それはくぐらず、同性の係員が

実際にボディーに触ったり、あるいは探知機をかざしたりしてチェックする。慶祐、探知機

にポケットを指摘され、“candy”と言う。アルミパックのアメを持っており、「ひっかかるに

決まっている。」とエバっているが、わかっているなら最初からかばんに入れておけば

いいのに。中に入ると、南向きのガラス張りの部屋で、えらい暑い。2人とものどが

カラカラになった。しばらくすると、係員が“EK422便はこちらへ”と誘導し、隣の待合室を

横切って、2つ先のゲートに駐機している飛行機に案内している。なんだか、最後まで

ポレポレなアフリカ。ハクナマタタ。

     .

 EK422便は満席、なるほどダブルブッキングもさぞや多かろう、という感じだ。

イコニの配慮で、私たちは最後尾の二人掛シート。前はイタリア男っぽい白人と、中国系の

女性のカップル。出発する前からシートを倒して抱き合っている。通路を挟んで斜め前は

黒人の少年。初めての飛行機らしく、頭からすっぽりひざ掛けをかぶり、その上からヘッドホンを

して、いつもキョロキョロしている。最後に乗り込んできた黒人のキャリアウーマン風のお母さん

は、通路を挟んで一人と自分の前に一人、とバラバラにしか席を取れなかったらしく、

二人の子どもを座らせて、荷物をしまったり子どもの世話をしたり忙しい。そして、何かを

するごとに床にゴミをバラバラ落とし、自分ではまったく構わないので、クルーが二、三度

通り過ぎては声をかけ、拾っていく。それらを見て、不機嫌に輪のかかる慶祐。

いよいよ離陸、赤い大地よ、クワヘリ(Good by)。雲が多く、すぐ見えなくなってしまった。

結局、大地溝帯もケニア山も見ることは叶わなかった。機内食にもいいかげんウンザリ

しているので、大して欲しくない。しかし、席が最後尾なので、スチュワーデスさんがここまで

来たときには、すでにメインが一種類しか残っておらず、そう言われると違う方が

食べたかったのに、というあさましい気持ちになる。私たちのシート近くにいるスチュワーデス

さんは、小柄な東洋人なので、よかった日本人だ、と思ったが、飲み物の注文を英語で

訊かれたので、ありゃ、とがっかりする。どうも、この方と我々の波長が合わず、乾ききって

いたので“水が欲しい、できれば残っているボトルごと(この席で最後だし、水の残りも

底の方3・4cmになっていた)もらえないか”と頼んだが、“今日は満席なのでごかんべんを。

とあっさり断られてしまったし、飲み物リストに“当エアラインお勧めのシャンパンカクテル

とあったので、それを注文したのに何とか言って缶ごとセブンアップをくれたりした。

(これは、こっちの英語のせいかも?)しかし、2人とも睡眠欲しか感じなくなっていたので、

このまま熟睡してドバイに到着した。