神井戸湧水から南へ150メートルほどに有る湧水で、見た目では湧き出しているのか判らない程の小さな泉ですが、夏季には日量33トン、冬季には4トン程湧き出しています。昔はこの泉も周辺住民の生活用水として利用されていましたが、現在では利用できる量ではなく、枯渇が心配される湧水です。
この「根下南湧水」から南へ50メートル位離れた場所に湧水を見つけました(画像A・B)。ここは水量も多く付近の方が利用しているようです。
根下南湧水
県立座間高等学校の北東側交差点門にある湧水です、この湧水は昔から「神井戸」と呼ばれています。古くからこの付近の人々の飲料水や野菜など洗ったり、洗濯をしたりなど大切な生活水として使われたほか、水田の灌漑用水としても使われていました。また、鈴鹿明神の祭礼の折,御輿をかついだ若者が着用した白丁を、この清冽な泉水で洗い浄めて神社に返納するしきたりが江戸時代から現今まで続いています。
神井戸湧水
座間警察署の東側段丘下にある”心岩禅寺”境内の池奥から湧き出す湧水です。境内の池は、不動尊がまつられているので不動池とよばれています。心岩禅寺の東方台地上には縄文時代中期の遺跡が分布し、南方約100メートルには鈴鹿横穴群があることからも、この湧水は大昔から人々の生活であったと思われます。
心岩禅寺は、臨済宗のお寺で座間山(ざけん)と号します。 開山は1460年頃で鎌倉建長寺第75世悦岩興推禅師の法弟成英玉大和尚が開山し、開基は白井織部是房(法名心厳道誉、文明元年五月四日死す)で、白井氏の持仏堂を寺としたものと伝えられています、本尊は釈迦如来立象(座間市指定重要文化財)で、運慶作とも云われ、造象当時は金箔押であったが永い年月で金箔は剥落しました。尚、 白井織部是房は北相模地頭職だった人物で、法名から心厳寺と名付けられたが、後に心岩寺と改められた。
心岩禅寺湧水
座間市では、相模野台地や座間丘陵に染み込んだ雨水が、今でも市内の10数箇所で湧水として湧き出しています。昭和56年に座間市教育委員会が発行した”座間の湧水”によると、当時は62箇所程の湧水が確認されていました。都市化による涵養域の減少により湧出場所や湧出量も減少してしまいました。
現在の湧水の現況は・・・・
○座間丘陵西側の段丘崖の湧水群・・番神水、鈴鹿の泉、龍源院、心岩寺、神井戸、根下南
○座間丘陵の谷底低地・・谷戸山公園、入りの谷戸上
○目久尻川沿いの谷底低地・・大下、いっぺい屈、芹沢護岸、第三水源、目久尻川護岸
○その他の湧水・・相模川に湧き出す湧水
                                             参考資料「湧水ざまツプ」
座間の水(湧水)
Yahoo!Maps
座間神社の神水は、飲むこと・汲むことが出来ません。(私が訪問した時水はでていませんでした。)
座間神社の神水
伝説によれば約一千四百数十万年前の欽明天皇のころに座間の里に悪疫(伝染病)が流行して村人達は大変苦しみました。その時、白衣の老人(飯綱権現の化身)が現れ、山すそから湧き出る清水を使うと良い、とすすめられました。村人がそのお告げにしたがって、湧き出る水を汲んで飲み水としたところ、悪疫もおさまり、感激した人々が飯綱権現を祭ったのが神社の起こりと伝えられます。また、江戸時代の「新編相模国風土記稿」には正和2年(1313)に「飯綱権現社」を勧請したと伝えられています。さらに、明治時代の「皇国地誌残稿」には建久年間(1190〜1198)に悪疫が流行したとき、白衣の老人の教えで村人達が日本武尊を祭ったと記録されています。明治2年(1869)、飯綱神社、同9年(1876)には座間神社として改称し村社として飯綱権現と同じく防火の神である日本武尊を祭神としました。