きっかけ

学生時代、英語が大嫌いだった。
そんな私を変えたのは、ハワイだった。生まれて初めての海外旅行。
入社1年目の夏だった。

ハナウマビーチに行った時のこと。
この日は、やけに風が強くて、持参したゴザが何度も何度も吹っ飛んでは、あらららと
取りに行く始末。
すると隣にいたロコのおじさんが、自分の靴やら荷物やらで飛ばないようにしてくれた。
親切なのか、下心あるのか(ゴメンなさい)、わからないまま「ありがとう」と言ってみた。
数分後、真っ黒に日焼けした女の子たち2人がやってきて、そのおじさんと、
ペラペラペラ〜っと英語で話し始めた。
そして、私達に、「このおじさんは、知り合いなの。安心してね。」と言ってくれた。
彼女達は関東から留学で来ていた。
そして、シュノーケルを貸してくれたり、おじさんとの会話の通訳をしてくれたりと、
とても親切にしてくれた。
そろそろ帰ろうとしていたら、おじさんが、「乗っていくかい?」と言ってくれた。
彼女達の通訳によると、ドライブしながら島を案内してくれるということだった。
みんな一緒なら大丈夫ということで、お言葉に甘えることにした。

おじさんの車にぎゅうぎゅう詰めになって、ドライブは始まった。
途中、色んなところに止まっては、説明をしてくれるおじさん。通訳をしてくれる彼女たち。
そして、ただひたすら、へぇ〜とかほぅ〜とかうなづきながら喜んでいる私と友人。
また、おじさんは、私達全員にアイスやジュースを次々とおごってくれる。
初めてのハワイの味に、またまた喜ぶ私と友人。
そんなドライブが終わる時、彼女たちは連絡先を教えてくれた。
「困ったことがあったら、いつでも連絡してね」と。
おじさんと彼女たちに、お礼を言い別れた。

この時、思った。英語を勉強しようと。
お礼の言葉さえ、通訳が必要だった私。「Thank you very much」しか言えない私。
本当は、もっともっと言いたいことがあったのに。

帰国後、すぐに本屋に走った。
そして、ゲットしました。中1の英語のドリル!
基礎からやり直そうと、猛烈な勢いで勉強し始めた私。
そして、順調に中2、中3と進んでいき、ついに高校レベルまで理解できるようになった。
ところが、机に向かっているだけでは、聞いたり話したりは出来ないわけで、
今度は英会話スクールに通うことにした。
そこは月謝は安いけど、人数がやたら多く、また、長年通っている人がしきっていて、
新入りの私に発言の機会はほとんどなかった。
その前に、先生の言ってることが全くわからなかったんだけど・・・。(笑)
その後、いくつかのスクールに通い、ハワイにも毎年行っていた。

ある日、イギリス人と結婚しているおばが、里帰りしてきた。
話していると、「英語の勉強をしに来てみる?」と言ってくれたのだ。
「うまくいけば、仕事も見つかるかもしれないし。」とのオマケ付き。
ちなみに、イギリスにではなく、ドバイにだ。
おじの仕事の都合で、10年以上ドバイに住んでいる。
詳しくは、ドバイ編にてお話します。
ドバイに行く前に、生きた英語に触れたいと思い、ハワイへの短期留学を決めた。


準備

思い立ったが吉日の私。すぐに会社に退職届を提出した。
ハワイやドバイに行くと聞いて、驚きながらも温かく送り出してくれた同僚や上司。
1人でも淋しくないようにと、テディベアをくださった上司もいました。

まずは、いつも利用していたエイビーロードから、学校をチェック。
そして、ある英語学校に決めた。
その学校と提携している代行会社に申し込み、出発日が決まった。
航空券は、マイルが貯まっていたので、無料。
その分、コンドミニアムは贅沢をしようと決めていた。
初めての一人暮らし、しかも、ハワイ。
これは自力で予約した。カリフォルニアにある管理会社にFAXを送り、初めての海外送金。
あまりの手数料の高さに驚いたことを覚えている。
予約したのは、444ナフアの1ベッドルーム。1ケ月2100ドル!!!
今思えば、贅沢でした。(笑)
代行会社から送られてきた書類の中に、1枚の紙が。
イミグレで見せてくださいと書いてあった。
これが後々、大変なことに・・・。


旅立ち

母は、いきなりドバイに行くとばかり思っていた。
おばが、「ドバイの夏は暑いから、秋か冬にいらっしゃい。」と言ってくれていたからだ。
ハワイ行きの準備も全て整ってから、母に話したのだった。
もう引き返せないようにしておけば、反対はしないだろうと踏んでいたのだ。
おばのところなら安心でも、ハワイに、しかも1人でとなると反対されると思っていた。
ところが母は、反対しなかった。
「結婚はいつでも出来るけど、勉強は若いうちにしといた方がいいよね。それにお母さんは、
若い頃に自分のしたいこと出来なかったから、あんたには自由にさせてあげたい。」と
言ってくれた。もう号泣・・・。

出発の日、空港まで送ってくれた母。
出発ゲートのところで、泣きながらずっと手を振ってくれていた。
すぐ帰って来るってばと言いながら、またもや号泣・・・。


機内にて

初めての1人旅。
これからのことを考えると、眠れるはずもなく、何度も何度もシュミレーションをしていた。
イミグレーションでは代行会社からの紙を渡す。→シャトルバスでコンドミニアムに行く。→
そこの1室にある管理会社の部屋で手続きをする。→学校へレベル分けテストを
受けに行くという具合に。
隣に座っている女の子2人は、楽しそうにガイドブックを見ながら予定を立てている。
それを横目に見ながら、ひたすら緊張していた私。


恐怖の入国審査

私の番がきた。
審査官「1人?」私「はい。」審査官「観光?」私は例の紙を渡した。
審査官「ペラペ〜ラペラペ〜ラ」私「?????????????」
ピコ〜ン!!
遠くから女の人が走ってくる。
通訳の人だった。「別の部屋で審査を受けるので、こちらへ」と言われ、別室に連行された。
なんなの?何が起こっているの?ええ〜!!??
別室には、眉間にシワをよせた銀ブチめがねの怖そうな審査官がいた。
私は通訳のおばさんにいきさつを話し、おばさんはそれを審査官に話している。
その間も、審査官はジロジロこっちを見ている。
だんだん、腹が立ってきた。あたしが何したって言うのよ〜!!
代行会社の言うとおりにしただけじゃないのよ〜!!
まだ英語で怒れなかった私は、通訳のおばさんに怒りをぶつけてみた。
なんとか穏便に済ませようとするおばさんは、審査官には通訳しない。(笑)
ちなみに、学生ビザが必要な留学と、そうではない留学がある。
通う日数や時間数によって、違うらしい。
私の場合は、ビザがいらない留学だった。
あんな紙見せずに、観光だと言い張っていれば良かったと後悔してもすでに手遅れ。
手荷物も全部チェックされ、なんとかパスポートにスタンプを押してもらったのは2時間後。
まったく、予定がめちゃくちゃじゃないのよぉ。
でも、無事に入国できた私は、さっきまで怒りをぶつけていたおばさんにお礼を言った。
「何度も来ている独身女性にはチェックが厳しいのよ。」と言っていた。
やれやれ。


急げ!ワイキキへ

シャトルバスになんて乗ってる場合じゃない!急げ〜とばかりにタクシーに飛び乗った。
私「急いで〜!」運ちゃん「あいよ〜!」
驚くべきスピードでコンドミニアムへ到着。
私「ムリ言ってゴメンねぇ。これ取っといて。」運ちゃん「お安いご用さ。ありがとよ〜。」

急いで管理室に向かった。押しても引いてもドアが開かない。
ええ〜!!遅かったから?なんでなんで?
とジタバタしていたら、ドアの横には、インターホンが。
あっ、これね・・・。
ぜぇぜぇ言いながら現れた日本人の女の子を、驚きながら迎えてくれた管理人さん。
事情を知ってかわいそうだと思ったのか、たまたま空いていたからなのか、
一番いい部屋にアップグレードしてくれた。
カギがないとエレベーターも行かない最上階のペントハウス。
カギをもらって部屋に行ってみると、まだ掃除中だった。
でも、学校に試験を受けに行かないといけない私は、ハウスキーパーさんにムリを言って、
荷物を置かせてもらうことにした。
チップを渡したら、受け取らないキーパーさん。
それでもムリやり渡し、筆記用具と書類だけを取り出し、
ダッシュで学校へ向かったのだった。


学校にて

コンドから学校までは、走れば3分。
これまたぜぇぜぇ言いながら受付へ。
最初に言った言葉が「何でなんですか!」
これには、受付のMさんもビックリしていた。(笑)
事情を説明すると、隣の部屋にあった代行会社に話をしに行ってくれた。
とりあえず、試験を受けてくれと言われ、教室へ。
ハワイに到着してから色んなことがあって、パニック状態だった私。
それでもなんとか筆記試験とリスニングの試験、それに校長先生との面接を済ませた。
その後、受付へ行くと、ひらすら謝られた。
そして、後日、この話題は学校中に広まっていた。
先生にも「君かい?大変な目に遭ったのは」と声をかけられ、
おかげですぐに顔を覚えてもらえた。
良かったのか悪かったのか・・・。


やっと一息

試験が一緒だったHちゃんと一緒に帰ることにした。
Hちゃんは、少し前にハワイに到着したとのこと。
お互いに友達がいなかったので、すぐに打ち解け仲良くなった。
そして、うちに寄ってくれることになった。

部屋にいると、チャイムの音。
さっきのハウスキーパーの人だった。
手には、コーラの6本パックが。
チップのお礼にと持ってきてくれたのだ。
人の優しさに触れて、なんだか、一気にほんわかした気分になった。
さてさて、気を取り直して、思う存分楽しみますわよ〜!


炊飯器

私は、何がなんでも白いゴハンがないと生きていけない人。
しか〜し、この部屋には炊飯器がない!!
立派な食器洗浄機もあるし、使う予定のないミキサーまであるというのに。
しょうがない、鍋で炊いてみるか。
初めチョロチョロ中パッパの歌を思いだし、そのとおりにやってみた。
すると、カチンコチンのゴハンが現れた。ガ〜ン!!
そか、水を多くすればいいんだ。
今度は、ジュクジュクのゴハンが現れた。ガガ〜ン。
しょうがない。これは人生の先輩に聞くしかあるまい。と、家に電話をしてみた。
そういえば、到着したこと報告してなかったしね。(笑)
母は、電話代を気にし、かけなおしてくれた。
そして、教えられた通り炊いてみると、あら不思議。おいしゴハンが現れた。


ホームシック

ゴハンを食べた後、ラナイへ出てみた。
アラワイ運河を挟んで、ゴルフ場とその向こうには家の明かり。
ものすごい夜景が見える。
激動の1日を終え、1人でいると、なんだかものすごく淋しくなってきた。
さっき、家に電話したのもあるかも。
初めての1人旅、1人暮らし、鍋でのゴハン(これは関係ないか)、何もかもが初めてで、
ちょっとおセンチになっていたのかもしれない。
と思っていたら、急に睡魔が襲ってきた。
そういえば、機内でも一睡もできず、いったい何時間起きていたんだろう。
今まで見たこともないような、大きな大きなベットでおやすみなさい。


コインランドリー

ヒマでしょうがなかった私は、Hちゃんに電話してみた。
Hちゃんは、コインランドリーに洗濯をしに行くとのこと。
それじゃあ、うちにおいでよ〜と誘った。
うちには、洗濯機と乾燥機が装備されていた。
もちろん、水道・電気・電話は料金に含まれていたのだ。2100ドルだもんね。
Hちゃんも喜んで来てくれた。
洗濯をしている間、お喋りしたり、食料品の買出しに行ったりと楽しく過ごし、
Hちゃんが、洗濯物を入れた紙袋を下げてやって来るのが習慣になった。
家では洗濯なんてしたことのなかった私も、物珍しさからか楽しくてしょうがなくて、
毎日毎日洗濯をしていた。
うちの洗濯機は、毎日フル活動だったような気がする。

しかし、驚いたのが、洗濯が終わったよ!乾燥が終わったよ!と知らせてくれる
ブザーの音。
やたらデカイ!!
これには慣れることなく、いつも飛び上がっていた。


初授業


私はとりあえず、1ケ月未満の短期クラスに入った。
担任は、G先生。クラスメイトは、私を含め6人。
このクラスには教科書はなく、毎回先生がプリントを配ってくれた。
日本での英会話スクールは、週に1回1時間というようなものだったので、
1日に4時間も英語漬けなのは、初めてだった。
G先生は、全身を使って授業をしてくれる。4時間中笑いっぱなしという、楽しい授業だ。
50分に10分休憩があり、いつも駐車場があるフロアの喫煙コーナーに行っていた。
G先生も、毎回ここに来る。私のクラスの生徒は、禁煙者も喫煙者も、
いつもここでG先生とふざけていた。

日本では、職業も収入も年齢もバラバラな生徒たち。
でも、ハワイが好きで英語を勉強したいという共通項がある。
そんな私達が友達になるのに、時間はかからなかった。
授業中も盛り上がるだけ盛り上がり、受付のMさんから注意を受けることもしばしば。
それぐらい楽しい授業だった。


トイレ

この学校のトイレは、カギがないと行けない。
受付で、カギ貸してくださ〜いと言うと、30センチのさしについたカギを渡された。
日本では考えられないことなので、驚きまくった。
そして、さすがアメリカ!と妙に感心してしまった。
たまに、カギが出払っている時がある。
そんな時は、トイレのドアを叩きながら、「誰かいる〜?開けて〜」と叫ぶと、
中にいる子が開けてくれるのだ。


殺人事件

ある朝、学校へ行く準備をしながら、ローカルニュースを見ていた。
私は、この番組が好きだった。アロハシャツを着たキャスターたち。
マグカップのコーヒーを飲みながら、時には叩き合って笑っている。
日本では考えられないフレンドリーなニュース番組だった。
すると、見覚えのある風景。殺人事件の話題だ。
なんだろ〜?と思いつつ、学校へ向かうことにした。
外に出ると、警察の人、テレビ局の人がわんさかいた。
道を挟んだ向かい側のアパートには、黄色いテープが張られていた。
え?やっぱり、ここだったのね〜。(汗)

学校へ行き、G先生に言うと、えらく驚かれた。
そのアパートに住む売春婦が、殺された事件だよと言われた。
そして、まだ犯人は捕まっていないと・・・。
ひえ〜!!!えらいこっちゃ!!!
クヒオからアラワイに向かう道は、とても暗い。人通りも少ない。
この先、どうすりゃいいのよ〜!!!と怯えていると、
クラスメイトで二人暮しをしている子たちが、ボディガードをしてくれることになった。
と言っても、可愛い女の子2人なんだけどね。
夜遊びに行った時は、通り道であるうちのコンドまで送ってくれた。
これは本当にありがたかった。
しばらくは、このニュースから目が離せなかった。
ある日、犯人が捕まったと聞いて、心からホッとしたのを覚えている。


ホームパーティ

クラスの子たちと、よくホームパーティをした。
場所はいつも、私の部屋。
みんなステューディオにステイしていたので、一番広いのがうちだったからだ。
ホントに広い。1人ではもったいないくらいだった。
洗面ボールは2つあるし、ラナイは6畳くらいあった。
驚くことに、ラナイには、ソファまであったのだ!
そして、大きなテーブルにはイスが6つ。
キッチンとリビングの両方からラナイに出ることも出来た。
そして、リビングにはドレッサーにソファに食卓。
ビデオまであった。よく、近所のレンタルビデオ屋で日本の番組のものを借りて見てたっけ。
みんなで材料を買い込み、分担してお料理して、ワイワイ言いながら食べた。
時々、隣の部屋から壁を叩く音。すいません、騒ぎすぎました。(笑)
特に盛り上がったのが、じゃんけんとグッパ。
出身地はみんなバラバラ。じゃんけんやグッパもバラバラ。
ゲームの順番を決める段階で、大いに盛り上がる。先に進まない。


クラス替え

入ったクラスは楽しかった。でも、ちょっと物足りない気がしてきていた。
短期クラスでは、主に旅行英語を教わっていた。
もう少し、上のレベルを目指してみたかった私は、受付のMさんに相談してみた。
Mさんは校長やG先生と話し合い、私は通常クラスに入ることを許された。
ありがたかったのが、G先生も、クラスメイトたちも、私が違うクラスに行っても、
今までと同じように接してくれたこと。
新しいクラスでも友達の出来た私は、一粒で二度おいしいってことことだわ!と思った。


新しいクラス

新しい担任はT先生。G先生とは違って物静かだった。
教科書に沿って、淡々と授業が進んでいく。
T先生は、「宿題は・・・」と言い始めると「ええ〜!」とみんなに言われ、
「じゃあ、なしにします」という気の弱さだった。

このクラスには、学生ビザを取得し、本格的に留学してきている子たちが多かった。
看護婦さんだった子、旦那さんを置いて来ている子、30歳を過ぎてから、
英語に目覚めて来てる子などなど、色々な子たちがいた。
お役立ち情報もたくさん、教えてくれたのだ。
例えば、ハワイの風邪は、ハワイの薬でしか治らないなど。
ハワイの風邪は、日本の風邪よりひどく、咳をすると、血が出ることは当たり前とか。
1つ1つメモを取りたいくらいだった。


校長の誕生会inスナック

前の担任G先生と、その時のクラスメイトで、タイ料理を食べに行くことになった。
私には、初めてのタイ料理。
出てきた、黄色カレー・緑カレー・赤カレーを食べてみた。
この信号機のようなカレーたち。絶品なのは緑カレーだった。
うま〜い!でもから〜い!!!
でも、どうしてもトムヤムクンは好きになれなかった。
酸っぱいの?甘いの?辛いの?え???という味。
どうやら、シンプルな味が好きみたい。(笑)

その後、G先生行きつけのスナックへ。
ハワイにスナックなんてあるの〜?と思ったら、あるんですねぇこれが。
日本人だか日系人だかの夫婦がやっているスナック。
なんだか妙にホッとして落ち着く雰囲気で・・・。(笑)
そこにいました、校長先生。
そう、彼もまた常連さんだったのです。
首からレイを下げ、見つかった!というカンジでテレてました。
ここにはスナックらしく、カラオケもあって、校長はプリティウーマンを歌ってた。
G先生は、ガンガンのロックを。
みんなで校長の誕生日を祝ったけど、実はお邪魔だったようで・・・。(笑)
今もあるのかな、あのスナック。あったら、また行ってみたいな。


ボヤ騒ぎ

ある日、授業中、ボヤ騒ぎになった。
受付のMさんが、避難して〜!と叫んでいた。非常ベルも鳴っていた。
いつもの休憩場所に避難することになった。
本来なら、階段でいくべきのところを、面倒なのでエレベーターに乗った。
振り向くとT先生も乗っていた。あらら。いいの?(笑)
どのクラスの子たちも非難しに来ていた。
外を見ると、何台もの消防車が集まってくる。
T先生は、「消防車って、ファイヤートラックではなく、ファイヤーエンジンって言うんだよ」と
課外授業までする始末。
本当にどこかの部屋でボヤが起こっていたのに、みんなやたらのん気だった。


卒業

卒業の日がきた。
T先生は、ポラロイドで写真を撮ってくれ、下の白い部分にメッセージを書いてくれた。
最後の授業では、了解をもらってビデオを回させてもらった。
クラスメイト1人1人から、メッセージももらった。
そして、驚くべきことに卒業証書までもらったのよ〜ん。
授業が終わって、最初のクラスに遊びに行くと、そこの子たちも全員同じ卒業の日だった。
なぜだか、蛍の光の合唱になり、そして大撮影大会に。(笑)
受付のMさんは、「次に来る時は、直接電話しておいでね。」と言ってくれた。
当たり前よぉ。もう別室行きはこりごり!


卒業パーティ

この日は、先生たちを招いてのホームパーティだった。
今まで以上に豪華な料理が並んだ。大きなテーブルには10数種類のお料理。
G先生はビールを、校長先生は、お洒落にシャンパンを持参して来てくれた。
たくさん思い出話をし、みんな、しこたま飲んで笑った。
ここでも記念にビデオを回していたが、校長先生のお尻、写ってます。(笑)
もちろん、G先生のも。
なんで、アメリカ人って、すぐにお尻出すんでしょう?謎。