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まずはドバイの紹介を・・・。
UAE(アラブ首長国連邦)は、7つの首長国で構成されている。
首都はアブダビ。そして、ドバイは第二の都市。
アラブ諸国の中でも、イスラム教の戒律はわりとゆるやかだ。
私たち外国人は、お酒も飲めるし、女性でも、髪や顔を隠したりする必要もない。
また、世界各国のレストランがあり、たくさんのショッピングセンターもある。
中東のシンガポールと呼ばれることもあるくらい。
アラブと聞くと、砂漠とラクダをイメージするところだが、ハワイにも負けないビーチもある。
7つ星のホテルなんてものもある。
また、言葉は、英語が通じる。その昔、イギリスの統治下にあった為だ。
パスポートのスタンプなど、公式のものは、アラビア語だけど。
私の母の妹、叔母がイギリス人と結婚している。
いとこ(ナイスガイ)3人は、ロンドンに住んでいるが、叔母と叔父はドバイに住んでいる。
叔父は、国営のとある会社で部長として働いて、もう10年以上になる。
ドバイへ来る前、叔母たちはクウェートに住んでいた。
ドバイとクウェートでは、同じ中東の国でも、全く違うらしい。
クウェートは、戒律も厳しく、例えば、外国人であってもお酒は飲めない。
だから、叔母たちは、ドバイをとても気に入っている。
その叔母が、日本に里帰りをした時に、「ドバイに英語の勉強に来てみない?
仕事も見つかるかもしれないし。」と言ってくれたのだ。
母は、ドバイへ行ったことがない。もちろん、私もだけど。(笑)
そこで、母は2週間だけ滞在することにして、一緒に行くことになった。
これが、ドタバタ珍道中になろうとは・・・。
空港まで車で送ってもらうことになった。
出発してから15分後。
母「あっ!おサイフ忘れた!」
はい、Uターン。(笑)
ドバイまでは、まだ直行便はない。
私たちは、キャセイ航空で香港で乗り継ぐことにしていた。
乗り継ぎが悪く、4時間も待たされたのだ。
この間、ブラブラしたり、お茶を飲んだりと時間をつぶしていた。
手には、次のチケットが・・・。あったはずだった。
私「ない!チケットがない!!!」母、苦笑。
カウンターへ走っていき、事情を説明すると、再発行してくれることになった。
格安チケットでは、こうはいかなかったはずだ。
私たちは、親戚呼び寄せビザと、呼び寄せチケットでドバイに向かっていたので、
助かった。
日本から香港までは、乗客のほとんどが日本人と香港人だった。
ところが、香港からドバイまでは、わけが違った。
ビーチサンダルのようなものをはいて、大きな布袋を下げた人たち。
私たちの席は、エコノミーの一番前だった。
すぐ近くにはトイレがあった。
トイレから出てくる彼らのサンダルには、必ずトイレットペーパーがくっついている。
不思議に思って、私がトイレに行った時、理由がわかった。
水洗のシステムを知らないのだ。
トイレットペーパーは全て床に捨てられ、大変なことになっている。
時間が経つにつれ、トイレのニオイと彼らの体臭で、気持ち悪くなってきた。
フライトアテンダントの人に、席を替えてくれるように頼むと、すぐに替えてくれたのだ。
ちなみに、この便は、香港→ドバイ→バーレーンという順で飛んでいた。
ドバイに到着する頃には、ヘトヘトになっていた私は、アナウンスを聞き逃していた。
というより、バーレーンにも止まるということを忘れていた。
他の乗客が行ってから、ゆっくり降りようと思っていたら、フライトアテンダントが飛んできた。
「お客様、ドバイで降りられるのでは?」
私「はい、そうですけど?」
「もうドアが閉まりますので、急いでお下りください!!」
ゲゲ〜!!!!
飛行機から空港内へは、シャトルバスで向かうのだが、もう行ってしまっていなかった。
私たちのためだけに、小さな車がやってきた。
声をかけてくれて良かったよぉ。このまま、バーレーンなんかに行っちゃったら大変だった。
ドバイの空港は、2階がガラス張りになっている。
私たちが、ターンテーブルから荷物を取ってる様子を叔母たちは見ていた。
いつまでたっても出てこない私たちが、バーレーンに行ったのではないかと、
ヒヤヒヤしながら待っていたらしい。
叔母たちと会えた時には、私はやつれきっていた。
母は、到着までの一部始終を、叔母に話し始めていた。
空港から叔母の家までの景色は、とても新鮮だった。
たまねぎみたいなモスク、白くて大きな家々、信号のない交差点。
ちなみに、ドバイの道路はイギリス式で、交差点が円形になっている。
これは、最後までシステムがわからなかった。
叔母の家に到着。
イギリス人の家には、ホーム・バーがある。
ドバイ滞在中、叔父の友人の家にたくさんお呼ばれしたが、どのおうちにもステキな
バーがあった。
私たちの部屋にも専用のバスルームがあった。
が、これがクセモノ。
お風呂についているタンクにいったん水を溜め、そこでお湯にするのだ。
だから、1回に使えるお湯の量は決まっている。
バスタブにお湯をはると、もう1回分はなくなってしまう。
お湯につかりたい時は、2つのお風呂を行ったり来たりしなくてはいけないのだ。
これはおばの家に限ったことではなく、友人の家でもそうだった。
ドバイ式なのか、イギリス式なのかは定かではない。
クリスマスの時期が近づき、ロンドンに住むいとこたちがドバイにやってきた。
彼らが子供の頃、数年間、東京の大田区に住んでいたことがある。
その当時に覚えた、数少ない日本語しか話せない。
20年ぶりくらいの再会だ。なんだか、ヤケに緊張していた。
現れた彼らは、と〜っても格好よくなっていた。
180センチを超える身長、ハーフならではの顔立ち。
いとこなのが、もったいない。(笑)
クリスマスが近づいたある日、ゴルフ場に行こうと誘われた。
クリスマスコンペがあるらしい。
叔父と叔母は出場するので、私と母には応援して欲しいとのことだった。
ドバイ・カントリー・クラブ。国営のゴルフ場だ。
どこにも、緑はない。すべて、砂や土で出来ている。
各自、人工芝のマットを持っていて、それを敷いてボールを乗せて打つ。
そして通常、グリーンと呼ばれるところは、なんとブラウンと言うのだ。
クリスマスコンペということで、叔父やチームメイトは、サンタの格好をしている。
私たちもチームカラーの赤いゴルフウエアを着せられ、プレイは始まった。
ゴルフバッグには、色とりどりのモールが巻きつけられている。
他のチームも、色を揃えたウエアに身を包み、それぞれにプレイを楽しんでいた。
こういう場面を目にすると、欧米人って楽しむのが上手だなぁと思う。
コンペの結果は残念ながら・・・でした。
叔父の友人のおうちのクリスマスパーティにお呼ばれした。
中庭には、パラソルのついた丸テーブルが6つ。
ドバイでは、ホテルからの出張サービスをよく利用するらしい。
お料理だけではなく、スタッフやテーブルなどもまとめてデリバリーするのだ。
ゲストはそれぞれドレスアップをしていて、まるで映画のワンシーンのよう。
フルコースのお料理を頂いたあと、お部屋に移り、まだまだパーティは続く。
ここのおうちのバーカウンターはお店のように長かった。
ここの息子や友人たちが、バーテンになり、次々にリクエストに答えていく。
若者達はバーカウンターの周りで、年配者はソファに座って、
おしゃべりやお酒を楽しんでいた。
私と母は、おうちの中を案内してもらった。
それぞれのおうちによって、インテリアもテイストも違う。
ただ1つ、どこのおうちでも思うことは、やたらと家族の写真が飾ってあること。
壁一面写真が貼られているおうちもある。
これは、ぜひ日本のおうちにも取り入れるべきだなぁと思った。
今度は、叔母の家でホームパーティが開かれることになった。
叔母は、ホリディ・インからデリバリーをした。
今回はビュッフェ形式だ。庭には、銀のフタ付きトレイがずら〜っと並ぶ。
デザートだけで、10種類はあったような。
叔父のバーには、この日だけはホテルマンが入ることになった。
私たちは、ホステスということで、日本から持ってきた着物を着た。
成人式以来の振袖だ。
なんと母は、習っている日舞まで披露するという。
テープをかけてくれる音響係は、いとこの1人がかってでてくれた。
ゲストが続々とやってくる。その度に、「キモ〜ノ」や「ゲイシャ〜」と珍しがられる。
どうやら、ゲストたちは、着物を間近で見たことがないようだ。
私の着物と母の着物の袖の長さの違いなどを質問してくる。
素材や、値段まで質問攻めにあったのだ。
母が日舞を披露する時がきた。
ゲストたちは、ビデオカメラを手に、食い入るように見ている。
余りに真剣なまなざしで見つめられて、母は途中で踊りを間違えた。
でも、初めて見る彼らに気付かれることもなく、無事に終え、拍手喝采を受けていた。
この後、私はいとこたちとクラブへ繰り出したのでした。
ドバイにもたくさんクラブがある。
ただし、日本人は全くいない。会ったことがない。
ドバイにだって日本人はいるけど、ほとんどが、奥様たち。
日本食のスーパーやゴルフ場では見かけたことがあるけど、夜の街ではないなぁ。
遊びに来ているのは、ほとんどが欧米人。
でも、たまに、アラブ人も見かける。
バーカウンターのすみの方で小さくなってお酒を飲んでいる。
イスラム教では、飲酒は禁じられているから、コッソリ飲んでいるつもりだろう。
しか〜し、白い布をかぶり、頭に輪っかをした姿は、小さくなっていても目立つ。
ある部分では、掟を守り、ある部分では、掟を破っている人なのだ。
クラブのウェイターやウェイトレスはほとんどが、フィリピン人。
私を見て、不思議そうな顔をする。
色白のフィリピン人だと思っているようだった。
トイレで列に加わっている時も、前や後ろの人たちが、不思議そうに見てくる。
よく「どこから来たの?」と聞かれた。
日本からだよって言うと、「トーキョー?オーサカ?お金持ち?」と聞いてくる。(笑)
日本ってお金持ちのイメージがやっぱりあるのね。
そこで私は、「ビンボーだよ。人によるんだよ。」と教えてあげました。
母が帰る日がきた。
叔母たちと、空港まで送って行ったが、1人で帰らせることがとても心配になった。
乗り継ぎは出来るのだろうか、待ち時間は過ごせるのだろうかと。
叔母たちが、クリスマスプレゼントにと、母のチケットをビジネスクラスに
アップグレードしてくれた。
これできっと、機内では大丈夫なんだろうけど・・・。
永遠の別れでもないのに、エンエン、ワンワン泣いてると、叔父は苦笑していた。
後で母に聞くと、隣の席にいた日本通の外人さんが、世話を焼いてくれたそうだ。
「ビール!」とベタベタの発音で言う母のリクエストを「ビアー」に直してくれたり。(笑)
大晦日。この日は、カントリー・クラブでの大きなパーティに参加した。
クリスマスパーティの時以上にドレスアップをする。
叔父はスコットランドの民族衣装、キルトを着ていた。
知ってます?正式にはスカートの下は、ノーパンなんですよ!!
また、キルトの柄は、日本の家紋のように、家によって違うとか。
叔母は黒のイブニングドレス、いとこたちもビシっとスーツで決めている。
私はというと、一昔前のアイドル歌手のようなフワフワフリフリのドレス。ゲゲ、失敗。
会場はとても広く、それぞれの席には、紙で出来たティアラとシルクハットが置いてある。
それを付けてスタンバイOK。
色々な催しもののあと、ダンスタイムだ。
私の手を取るのはだ〜れ?と思ったら、叔父の友人のおじさん!
こういう社交ダンスは初めてで、どうしていいのかわからない。
おじさんの足を踏みまくり、ヘトヘトになりながら周りを見ると、みなさんとっても優雅に
ダンスを楽しんでいる様子。
文化の違いですねぇ。
カウントダウンの為に全員がフロアに集まった。
そして、なぜだか「蛍の光」が流れ出す。
???お店の終了時間か卒業式でしか聞かないはずなのに〜???
この曲、実はスコットランド民謡らしいです。
もちろん、私と叔母は、日本語の歌詞で参加した。
そして、カウントダウンになると、山盛りの風船が落ちてきた。
ちょうど12時。みんなで風船を割り、そこらじゅうの人とキスをする。
叔母と叔父も、ハグ&キスをしていた。
いいなぁ、なんだか・・・と思っていたら、あっちこっちからキスの嵐。
あんた誰よ〜!!??と言ってるヒマはなし。(笑)
叔母たちからのクリスマスプレゼントとして、ゴルフのレッスンチケットをもらった。
叔母たちの趣味はゴルフ。休日は当たり前で、叔母は週に4日はゴルフだ。
私も、ゴルフクラブを持ってくるように言われていた。
が、とんでもないビギナーとわかり、このプレゼントにすることを決めたようだった。
連れて行かれたのは、エミレーツ・ゴルフ・クラブ。
デザート・クラシックという世界大会も開かれる、有名なゴルフ場。
日本にあるような緑たくさんのゴルフ場だ。
私のコーチはM先生。イギリス人の若くて格好いい先生だ。
しかし、日本語は話せない。
私も、ゴルフ用語の英語はわからない。
そこで、先生は身振り手振りで教え始めた。
良い例、悪い例などを体を使って表現してくれる。
外で練習した後は、室内に入り、スウィングをビデオ撮影され、それをモニターに写し、
悪いところをチェックする。
頭が動いているのとか、最後までボールを見てないのとか、恥ずかしいくらいによくわかる。
英語のレッスンとゴルフのレッスンをいっぺんに受けているようなもので、
このマンツーマンのレッスンが終わる頃、私も先生もヘトヘトだ。
家でもタオルを使った練習や素振りを宿題として出される。
でも、悪い子の私はちっとも練習をしない。
全く上達しないのは、言うまでもない。(笑)
通うことになったのは、イギリス領事館の中にある英語学校だ。
レベル分けテストの後、面接があり、試験の結果を見ながら、クラスが決定される。
私のクラスの先生は、イギリス人女性のK先生。
そして、クラスメイトはと言うと・・・。
アジア系は、私と中国人とインド人。あとは、ドイツ人やイタリア人。
アラブ人にシリア人、イラン人、旧ソ連が分かれて出来た国の人たち。
いくつもクラスはあるが、日本人はどこを見渡してもいなかった。
自己紹介が始まった。
その途端、お国柄が表れる。
アジア人は無口。そして、ヨーロッパ人たちはよく喋る。
人の発言を奪ってでも喋る喋る。
この、オリンピックかワールドカップか、はたまたミスユニバース世界大会か(それはないか)
という状況に、とても不安になっていた私。
授業が終わる頃には、明日からどうしよう・・・ということしか考えられなくなっていた。
そんな時、「一緒に帰らない?」と声をかけてくれたのが、イタリア人のCちゃんだ。
私は叔母が迎えにきてくれていたので、Cちゃんはうちに寄ることにした。
翌日からはCちゃんが朝迎えに来てくれて帰りも送ってくれるという。
Cちゃんは、イタリア人家庭でナニーをしている。
ナニーというのは、ベビーシッター兼ハウスキーパー兼家庭教師のようなもの。
同年代の友達がいなくて淋しかったらしい。
私のことを年下だと思っていたようだが、実は4つも年上なのだ。
でも、ドバイに関しては先輩。私にはとってもありがたい申し出だった。
Cちゃんの車の調子が悪い日があった。その連絡もギリギリにきたのだ。
あいにく叔父は仕事、叔母は早朝からゴルフでいなかった。
タクシーで行くしかない!と、大通りに出てみた。
ドバイのタクシーは、メーター付きのものと、白タクの2種類ある。
待っても待っても、メーター付きのタクシーが来ない。
しょうがなく、白タクを拾った。
値段交渉をする。ちょっと高いだけだったので、乗ることにした。
これがビックリ。座ったら、ドスっとはまった。スプリングがいかれてるらしい。
ものすごいスピードで走るので、ドアが取れるのではないかと思い、
ドアのロックをしようとした。窓枠についてるロックを持つと、ポロっと取れた!
しかも、スピードメーターは何キロ出しても、止まってもずっと100になっている。
ガソリンメーターは、ずっとEになっている。
終わりだ・・・。このまま天国往きだ・・・と覚悟を決めていた。
が、なんとか無事に学校に到着。
やっぱり、白タクはダメですね・・・。
今までアメリカ英語を勉強し、ハワイでももちろんそうだった。
それが一転、イギリス英語に変わった。
ある日、Cちゃんと、お買い物に行くことになった。
シティ・センターという大きなショッピングセンターがある。
このセンターのつづりが、centreになっている。
アメリカ英語では、centerなので、間違っていると思ったのだ。
得意げに、これ間違ってるよねぇとCちゃんに言うと、合ってるよとの答え。
色という単語のつづりも違う。
イギリス英語では、colorとは書かないのだ。
段々、混乱してきたぞ。
またある日、叔母とスーパーマーケットに買出しに行った。
車からキッチンへと荷物を運んでいると、おばが「ブーツからお肉を取ってきて〜」と言う。
ブーツにお肉?はい???と思っていたら、なんと車のトランクのことだった。
またまたある日、いとこが友達と電話で喋っている。
切る時に、「Cheers!」と言っているのだ。
「ねぇねぇ、なんで乾杯って言うのさ?」と聞くと、じゃあねという意味もあるらしい。
ものを取ってもらった時なども、ありがとうという意味で使うこともあるとか。
あとは、アメリカ人では、言葉の前にFワードをつけて話す人が多い。
Fワードとは、F○CKだ。
イギリス人は、BLOODYをつける。辞書を引くと、血なまぐさいと出ている。なぜだ?
そして、オー・マイ・ガッではなく、ジーザス・クライシスと言う。
学校の帰り、Cちゃんがランチを作ってくれると言う。
Cちゃんのおうちは、ジュメイラビーチにあるヴィラで、
ゲートをくぐらないと住宅街には入れない。
ヴィラ内には、テニスコートもプライベートビーチもある。
イギリス人の叔父の家とは違い、インテリアもイタリア風。
もちろん、ランチはイタリア料理だ。
キッチンには、見たこともないようなパスタが瓶に入れられて並んでいる。
Cちゃんの作るパスタは、本場アルデンテで超うまい!
そして、量もたっぷりだ。
Cちゃんが面倒を見ている5歳の女の子Vちゃんは、いつも同じものを食べている。
パスタにバターをからめただけのシンプルパスタ。
違うものを作ろうとしても、がんとして、これがいいと言い張るらしい。
Cちゃんの説明によると、日本のお茶漬けみたいなものらしい。(笑)
ある日、お寿司を作ろうということになった。
Cちゃんがお寿司を食べたことがないというからだ。
新鮮な魚を買うなら、魚市場だということで、叔母と3人出かけた。
買ったのは、マグロ。叔父の大好物でもある。
しかし、切り身というものは存在しない。小さめのマグロそのままを買うのだ。
キッチンに、新聞紙をしきつめ、エプロンをし、準備万端。
なぜか、Cちゃんのエプロンには、「一番」と書かれていた。(笑)
叔母が、マグロと悪戦苦闘している。
私とCちゃんは、ひ〜!とかきゃ〜!とか言いながら、見ているだけなので、
スシ飯を準備することにした。
なんとか出来上がった、マグロのにぎり寿司。
それはそれは、見たこともないようなお寿司でした。
形も大きさもバッラバラ。(笑)
恐る恐る食べたCちゃんは、初わさびに悶絶しながらも気に入った様子。
タッパに、入れて、Cちゃんのボスにも持って帰ってもらうことにした。
これまた、好評だったらしい。
もちろん、叔父にも大好評。
ただし、本当の味を知っている私と叔母には・・・・・・・だった。(笑)
ドバイにも和食の店がある。たいていのホテルには入っている。
ある日、叔父の友人が食事に誘ってくれた。
そこで、とある有名ホテルの中の鉄板焼きレストランに行くことになった。
まず驚いたのが、お箸。
使い慣れていない外国人の為に、割り箸が改造されている。
お箸とお箸の間に箸袋を小さく折りたたんだものを挟み、輪ゴムで止めてある。
これで、物を挟みやすくしているのだ。
落ち葉拾いの道具の原理、かな?
そして、シェフのアクションにも驚いた。
卵が、あっちからこっちに飛ばされたり、なにしろオーバーアクション。
時に失敗して、天井にぶつかったり、床に落ちたり。
デザートにも驚いた。
杏仁豆腐と、タピオカから選べるという。
お〜い、日本食ちゃうやん!!!
そう、たいていのお店では、日本人のシェフではない。
フィリピン人が多く、なんちゃって日本食レストランなのだ。
こういうレストランのネーミングもかなりウケる。
将軍や富士などはよくあるが、鉄板焼きの店「鉄」というのがあった。
そのままやん・・・。
ドバイのカレンダーは見ずらい。
というのも、日曜日が金曜日なのだ。
週休2日の場合、木・金や、金・土が休みになる。
これは、最後まで慣れなかった。
日本で言う花金は、ドバイでは、花水と呼ぶのだろうか・・・。
砂漠でBBQをすることになった。
叔母たちの友人と4WDの車4台で出かけた。
街中から、砂漠までは1時間ほど。
ドバイの砂漠は、砂丘のようなカンジではなく、ところどころに草もはえている。
道を選んで走らなくてはならない。
柔らかいところにはまると、動けなくなるからだ。
途中、親子ラクダに遭遇した。
間近で見ると、デカイ!
ラクダは、見かけによらず、獰猛らしい。
でも、優しい目をしてたよ。
目的地に到着。
テーブルをセッティングし、穴を掘り網を置いてスタンバイOK。
ここでお洒落なのが、ビールではなく、ワイン登場。
しかも、ちゃんとしたワイングラスも用意された。
ちょうど、夕暮れの時間。
吠えたくなるような大きな太陽が地平線の向こうに沈んでいく。
なんてロマンティックなんでしょう!
BBQは海の側というイメージがあったが、砂漠でBBQもかなりいいカンジ。
日が落ちると、今度は星空。
都会に住む私には、見たこともないほどの星の数。
仰向けに寝転ぶと、降ってきそうだった。
しかし、砂漠の夜は寒い。
昼間とは何度、差があるんだろうと思うほど。
ベテランの叔母たちは、毛布や厚手のコートを持ってきてくれていた。
それに包まって、焚き火の側にいると、なんだか遠いところに来たんだなぁという気がした。
ドバイでは、金製品がとても安く手に入る。
ゴールドスークでは、金製品のお店がズラ〜と所狭しと並んでいる。
特に、夜に行くと、目がチカチカするくらい眩いカンジ。
叔母の行きつけの1店に行った。
ここでは、数日の間に、自分の名前のペンダントトップを作ってくれる。
私も記念に作ってもらった。
その場でつけようとすると、反対だよと言われた。
アラブ語は、右から左に読むらしい。
また、いらなくなったものも買い取ってくれる。
細工とかは関係なく、グラムいくらで買い取ってくれるのだ。
ある日、Cちゃんとうちでお昼を食べることになった。
ところが、材料がなく、一か八か、サッポロ一番を作ることにした。
Cちゃん初のラーメン体験。
ズルズルっと吸うことが出来ない。また、おつゆも熱過ぎて飲めないのだ。
小さい頃に、吸うのは行儀が悪いと、食べ方を矯正されるらしく、今では吸えなくなっている。
何度か練習すると少し出来るようになったけど、テーブルの上はおつゆだらけ。(笑)
そして、イタリアでは、熱々のものを飲んだり食べたりすることが少ない為、
猫舌なのだ。
とっくに食べ終わってる私を横目に、Cちゃんとサッポロ一番との戦いは続く。
どお?と聞くと、気に入ってくれた様子。
後日、Cちゃんのおうちに行くと、色々なインスタントラーメンが買い込まれていた。
Cちゃんは、どれを食べても、あの味じゃないと言う。
見てみたら、韓国のインスタントラーメンを買ってきたようである。
日本食コーナーには、たまに韓国のものや中国のものも置いてある。
日本語も韓国語もわからないCちゃん、かわいそうに間違えちゃってました。
イラン人のクラスメイトが、先生も含め全員をおうちに呼んでくれた。
これまた見たことのない、アラブ風のインテリアがステキなおうちだ。
たくさんのお手製のイラン料理が並んでいる。
不思議な食べ物が山盛りだ。
ギョーザのようなものがあった。これはとてもおいしい。
しか〜し、おかゆのような黄色の米料理がある。
お米好きの私は、パクっと食べてみた。
す、す、酸っぱい!!!!
出すわけにもいかず、なんとか飲み込んだけど、まいりましたという味だった。
さすがに、アラブ系の人たちは食べなれているのか、おいしそうに食べていたけど。
そして、アルコールはなし。さすが、イスラム教徒のおうち。
コーラを片手に、こんなに盛り上がれるものなんだと感心。
食後、1人1枚ずつスカーフを渡された。
腰に巻けと言う。
はじまりました、ベリーダンス!
腰だけを動かす、胸だけを動かすなどの難しい中東のセクシーダンス。
総勢10数人の、ダンスレッスンが始まった。
お尻を抑えられて、「はい、上半身だけ動かして〜!」と言われる。
む、む、ムリです〜!!どう見てもタコ踊り。(笑)
いや〜、しかし、貴重な体験をしました。
1ケ月にわたり断食する習慣がある。
とは言っても、全く食べないわけではない。
太陽が出ている間は、食事したり喫煙したりしてはいけないのだ。
私たち外人も、家の中でしか食事は出来ない。
店という店が閉まっているからだ。
そして、日暮れと共に店が開く。
マクドナルドも例外ではない。
ショッピングセンターも飲食店も、日没から明け方に営業する。
夜行性の私には、とっても楽しい1ケ月だった。
そして、ラマダンが終わる日、大砲が鳴らされる。
そして1週間の休みに入る。この間に体調を整えるのだ。
時差ボケを治すようなものかもしれない。
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