2004年2月から3月にかけて、約1ヶ月旅をした。
ヤンゴン
シュエダゴォンパゴダ 寝台列車
ビューティランド・ホテルに2泊。日本人が多く、いろいろ情報が入る。観光にも便利。駅まで徒歩数分。マンダレー行きの寝台列車手配。下がその列車。広いが古い。外国人料金についてだが、私の考えは先進国の観光客は甘んじて受け入れなければならないかなと考える。ミャンマーは最貧国なのだ。それでも、荒んだ雰囲気はなく、住民もしなやかな印象だった。
ヤンゴンからマンダレー行き寝台列車の車窓の風景..
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1日の野良仕事を終えた若夫婦と子供が牛車に乗って家路に付く。
若妻は、胸をはだけて、赤子に乳を含ませている。私の子供のころは、日本中どこでも見られた光景だ。
のんびりと、踏み切りで列車が通過するのを待っている。
のどかな、田園風景に心がいやされる。
この後、旅行中何度か体験した、ミャンマー名物「揺れる列車」の、最初の洗礼を受ける。寝台に横になると、たてゆれが怖い。
前後、左右、回転、ひねり、およそあらゆる種類の、揺れを体験した。
マンダレー
民俗伝統人形劇の復活をはたした老師匠と、弟子の若者たちに感心した。
バガン 世界遺産。カンボジャのアンコールワット、インドネシア・ジャワ島のボロブドールと並ぶ東南アジア三大仏教遺跡の一つなので,ミャンマー観光には欠かせない。飛行場もあるので、ヤンゴンやインレー湖から
フライト便が多数ある。
馬車を雇って、2日間パゴダ巡り。
私たちの馬車(おばあさんの白馬です)と、御者さん。
バガンは、 広大な平原に数千ともいわれる無数のパゴダが点在しているちょっと見慣れない不思議な風景。。朽ちかけた古いパゴダの中にも仏像が納められ、花が供えられている。
ポッパ山からメイッテーラへ
ポッパ山の山頂で、若い人たちと旅するバックパッカーのおば様と出会う。ヤンゴンから夜行バス、1泊6ドルの部屋に止まるという猛者。体力と精神力が強靭でないと。
ポッパ山からメイッテーラへ行く道路は、カンボジャでしか出会ったことのないようながたがたの悪路。
日本の中古マイクロバスに身動き出来ないほどぎゅうぎゅう詰め。別料金で助手席に3人掛けで乗せてもらう。途中パンクし、助手の若いお兄さんが大汗かいて奮闘し、応急処置してふもとの修理屋まで何とかもたした。乗客は、降りて見物。
メイッテーラ
メイッテーラは第2次世界大戦中ビルマ戦線の激戦地。戦後大勢の旧日本兵や遺族が訪れた。私たちが泊まった非常に古いホテルには、85歳前後の老人2人が宿泊していた。九死に一生を得た、メイッテーラの生き残りの方たちだった。
毎年この季節に戦友会の人々と訪れているという。乾季に水不足で困窮している近所の村々に井戸を掘って寄付し、すでに7井達成したという。子供に遺産を残しても兄弟げんかをするだけ、今の日本は駄目だとお怒りのかくしゃくとした御爺さんも、さすがに年には勝てず、宿のスタッフの話では今年が最後という。メイッテーラは飛行場がない。バガン、インレー湖どちらからくるにしても、大変ながたがた道路を、おんぼろパンク自動車で何時間も揺られなければ、来れないのだ。若い者でも音をあげる。余程の思いがなければ、毎年来れるような所ではない。
カローからインレー湖
標高1320メートルのカローは、涼冷な気候からイギリス人の避暑地として開発された。今も鄙びた山間の、トレッキング基地として人気がある。地元の人はセーターに皮ジャンパーを着て寒がっている。私たちには適温で、暑さ厳しいところを旅した身には、生き返る思いがした。2日間休んで、インレー湖へ。
インレー湖も高原にあり、涼しい。珍しい片足こぎ漁法で知られる。水耕野菜の栽培も盛んだ。