旅のアルバムブルガリア・ルーマニア編

ルーマニア東北部『世界遺産・五つの修道院』


最も有名な・・・フモール修道院。モルドヴィアブルーといわれる青色がクッキリ。屋根の曲線と、建物、壁画のバランスが独特の美しさをたたえる。この木造修道院の建築スタイルはモルドヴァ様式という独特なもの。この地方を回ると、道路傍の民家などに、豪華ではないが洗練された美しさを感じる。この地の人は自分たちが「モルドヴァ人』であることに誇りを持っているようだ。


民族服の女性。非常に珍しい。駅のホームで見かけた。普段の服装は年配者以外は、世界共通のスタイル。着ているものは私たちと変わらない。


墓地入り口の門。
木造で民家と同じく木の瓦を細かく寄せて模様のように見える。木のレリーフも美しい。このあたりは旧ソ連邦のモルドヴァ共和国と共に昔はモルドヴァ公国として栄えた時期もあったが、強国にはさまれた弱小国のお定まりの運命を辿り、分割併合され、東側はソ連邦解体時に独立したものの、西側はルーマニア領のまま。最も、ルーマニアとは兄弟民族で言葉もラテン系でよく似ており、ロシア、オーストリー、トルコに支配された時代を思えば今のほうが良いのだろうが、民族独立の悲願を胸に秘めている人々も少なくないという。最も旧ソ連邦のモルドヴァ共和国側の東半分では、人口の多数を占めるロシア人が、ロシア統合を叫んで分離運動が激しく、治安も良くないらしい。世界的にもまれな単一民族国家の日本人には、この地の複雑さはとても想像できない。苦難の歴史があったようだ。


馬車はルーマニャの田舎では、良く見かける。木造の家は小振りだが奇麗だ。小さな木片をジグソーパズルのように張り合わせて、色とりどりのペンキを塗ったりしている。たまに萱葺きの家を見かけたが、手間がかかり消滅寸前。


ルーマニア西南部『世界遺産・ドナウ河口湿原』

                  ブカレストから列車でルーマニアを横断し、ドナウ河口の終着駅トゥルッチャへ。ドナウデルタの奥深く黒海に
注ぐ突端の港町スリナに向かう連絡船乗り場は、列車駅のホームの隣。


川の中から木が生えている。ウゥ?網目状の水路を縫って船は進む。


どう見ても水没しているとしか思えない家。自家用車は浅瀬にぽんと置かれている。日本のように降雨量の多い土地ではとても考えられない光景。土を盛り上げただけの泥んこ堤防(らしき)道は、一応ある。


     
 アァ小さい、小さくて見られない!何だと思います、これ。実は灰色ペリカンの群れ。ヨーロッパで唯一自然のままの、ペリカンの群生が見られる。
     桃色ペリカンと灰色ペリカンの2種類が生息しているとのことだが、私たちは運良く早朝一番で見ることができた。申し訳ないことに、ボートが近づくと
      飛び去ってしまった。始めて見る野生の大型鳥類の姿は感動もの。巨大な羽をゆったりと動かし、悠然と水中に舞い降りる姿は畏敬すら感じるほど。
       真上に来ると影の中にすっぽりと隠れたかと錯覚する。あっという間なのに強烈な印象。昔アルバトロスというあだ名の手の長い水泳選手
がいたなぁ!バタフライの泳ぎ方がそっくりだったなぁなどと思い出してしまった。




ブルガリア黒海沿岸『世界遺産・ネセバル』



私たちの部屋の広いテラスから見る黒海と隣家の屋根の上のかもめさんのご夫婦(最近鳥類にも人間界の退廃が感染し、不倫のカップル・・・なんてことはナイ、ナイ)
黒海に沈む夕日(ここは、入り江の突端なので夕日が見られる訳なのです)よるの9時過ぎですが、夕方程度の明るさ。まだまだ、下はにぎやかで、12時過ぎまで人通りが、絶えることはありません。田舎のひなびた海辺の町に過ぎないけれど、車で10分も行けば、黒海で一二を争うリゾート、ゴールデンサンズが控えている。ネセバルは日帰りで遊びに来るのに手ごろらしくリゾート中の観光客で溢れ返っている。その割に泊り客が少なく、格安中の格安で、ホテルに宿泊できた。シーズンオフとはいえ、たっぷりの昼食つきで、海が見られるバルコニーのお部屋が何と4000円弱で・・・



ネセバルのシンボル。協会の遺跡。この辺りは、古代ギリシア殖民都市に始まりビザンチン、オスマントルコの近代開始時期まで、およそ二千年間、先進文明の地であり続けた。大西洋航路が開け、地中海交易が衰えて沈んでいったとはいえ、文化の洗礼を受けた土地はどこか違う。町の匂いに華やかさがある。



民家の路地。観光客はそれほど入り込まない一角。佇まいがしゃれている



ブルガリア中央『世界遺産・プロビデフ』

プロビデフはブルガリア有数の商業都市。その町のど真ん中に、この古代ギリシアの円形劇場がある。今も夏のシーズンは公演に使われている。
@驚くなかれ、ここプロビデフはかのマケドニアの英雄アレクサンドロス大王の父フィリッポス王が愛し、発展整備させた町。生涯頻繁に訪れ、保養地として利用した。ここは、そのフィリップ王が築いた城壁が当時のまま残っている一角。残念なことに、息子の大王は関心がなく、またアジア、アフリカ制覇に忙しく放置されたというが、地理的重要性のゆえにこの町はその後のいつの時代にも、この地方の中心でありつづけた。この写真は当時のまま残る城壁跡。


A右上の@写真の城壁を見上げると、その上には
19世紀後半の民族復興期の民家が建っている。



Bこの写真がAの正面玄関。とても美しい富豪の屋敷の数々がよく保存されている。


ブルガリア北西部『世界遺産・リラの僧院』

 ブルガリアを代表する「世界遺産」、リラ村のリラの僧院。私たち日本人にはロマンティックな名前に聞こえるが、映画や小説とは何の関係もない。(少なくも私は知らない。ついついスタンダールの「パルムの僧院」や、フランス映画の「リラの門」を連想してしまうけれど)

 オスマン・トルコ時代にブルガリア正教の総本山として、また聖地としてブルガリア人の信仰の砦となり、一時は500人以上の修道僧が祈りの生活を送っていたそうだ。共産党政権時代は皆無、今は数人の僧が居住している。期待に違い、観光客が毎日押しかける観光名所なので、清浄無垢とか神秘性的な雰囲気はない。

 ここの、巡礼者用の僧坊で宿泊できるため、物好き夫婦の私たちは1泊したのです。シャワーはないけれど、シンプル清潔で、最終バスが出てしまい翌朝始発バスが到着するまでは、降るような蝉や野鳥の鳴き声に包まれ、時折聞こえる巡礼の婦人たちが歌う賛美歌に聞き惚れました。
  

《田舎から巡礼に来ていた、裕福そうではない中老年の3人の婦人のグループに会いました。
物見遊山に過ぎない無信心の観光客である私たちと同じ宿泊料を払い、祈りをささげ、バケツと雑巾を持ち歩いて聖具を拭き清め、たくましい農婦の外見からは想像しがたいソプラノの美しい声で賛美歌を歌う姿を見ていると頭が下がる思いがする。今も信仰が生きていることを感じた。》
私たちが泊まった僧坊。ゲスト以外に上の階に数人の修道僧が生活している。



僧坊が四角く、大聖堂を取り囲む。


大聖堂のドームに描かれたキリスト。



そもそもの発祥の地。リラ村に一人の高名な僧が隠遁し、小さな小さな庵で
祈りと思索の日々を送ったとの事で、歩いて3時間ほどの場所に復元された
庵と、廃墟のあとが残っている。教えてくれた親子と記念写真。


岩をうがち石を積んだらしき、廃墟のあと。

リラ村にて


リラ村を散歩していると、元気のよい少年少女に会った。11歳のマルティンとエリザベスで、同い年のいとこ同士。二人ともソフィアに住んでいるが、3ヶ月の長い夏休みを祖父母の家ですごすのだという。英語が達者で、母国語と同じように話す。空手を習っているそうで、日本人に興味があるらしく、家に招待された。美人姉妹の、アントアネットさんとエレナさんが母親で自家製ブルガリアヨーグルトや蜂蜜、葡萄などご馳走になり、自家製地酒をお土産に頂いた。静かでのどかなリラ村の夢のようなひと時だった。

農家の外壁。自分が撃った鹿の角や土器のつぼを飾っている。1階は農具や収穫物の保管庫。2階が生活スペース。2階のテラスが広々とし自然に包まれ気持ち良い。



ブルガリア首都『ソフィア』


オスマン・トルコ時代の威容を誇るモスク。今も多くの近隣の信者が、毎日礼拝に集まる。老人達が息子や孫に抱えられながらも、日々のモスクでの礼拝を欠かさない姿に接するとイスラムが生活に深く根を張っている様子がうかがえる。
ブルガリアは今も多くのトルコ人が住み何かと圧迫を受けているようだ。旧共産党政権末期にはブルガリア姓への改名を強制され、多数の亡命者を出した。民族・宗教には温容とされるブルガリアでも、問題がない訳ではなさそうだ。
ユダヤ教のシナゴーグ。古代ギリシャ時代からユダヤ人は住んでいたが、特に大航海時代に、スペイン・ポルトガルのイベリア半島のキリスト教徒に大迫害を受けて、宗教に寛容なイスラム教徒のオスマントルコ帝国に移住したユダヤ人が非常に多かった。
 モスクはスカーフ、長袖、長ズボン着用なら自由に入れたが、シナゴーグは門が閉ざされていてだめだった。異教徒も自由に見学させてくれるという雰囲気ではなかつた。


ビザンツ時代のキリスト教会。1600年前の現存する最古の教会だそうだ。中に入って見学できる。周囲はソフィアの行財政の中心地。

アレクサンドルネフスキー寺院
。ブルガリア人は、露土戦争にロシアが勝利し、ブルガリアが解放され独立できたことに感謝し、ロシアの英雄の名前をつけた寺院を建立した。以来ロシアとの関係はおおむね良好で、旧ソビエト時代はソ連邦の一員と見做されたほど。荘厳な白亜の巨大な教会である。
今は西側諸国とも関係良好で、他のバルカン諸国と違い無傷と言って良い。、暴力沙汰や急激な変化を嫌い、改革にも時間をかけるブルガリア式は見習うべき点が多いと思う。歴代の政治家は、派手でも、有名でも、人気者でもないが、有能な人が多かったようだ。
脇の公園にひっそりと立つ、ロシア正教の教会。小さく、可愛らしく、玩具か、絵本の中の絵のよう。
 ソフィアは歩いて小1時間の距離で、実にさまざまな宗教の教会・寺院に出会える。

                                                                                                                        

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