1.「ムーンライトながら」で…。
「ムーンライトながら」という列車がある。24時ちょっと前に品川を出て、朝の6時くらいに岐阜県の大垣に着く快速電車。新幹線で行けば1時間半でついてしまうところを、6時間かけていくわけだ。この列車は快速電車なので、夏や春に発売される「青春18きっぷ」を使って乗る事ができる。東京-名古屋は新幹線で行くと1万円かかるけど、普通運賃だと6000円。青春18きっぷで行けば2000円以内。だから、そのシーズンは帰省する東京の学生であふれ返る。学生はお金がないのだ。大阪や九州の人々は、大垣まで行き、そこからさらに鈍行電車を乗り継いでいく。乗ってしまえば1本で名古屋を越える事ができ、特急料金も必要のない「ムーンライトながら」のような長距離快速電車は少ない。その昔、通称「大垣行き」と呼ばれたこの電車には、そういう人々が殺到して、すし詰め状態で走っていたのだけど、現在は全車指定席となりその状況も解消された。反面、指定席券を取るのは一苦労となっているのだが、今はシーズン前であり、また今年の冬は青春18きっぷの発売もないとのことで、楽に指定席を取ることが出来る。前置きが長くなったけど、今、僕らはその「ムーンライトながら」に乗り込み、品川を出て名古屋へ向かっている。名古屋からは車を借りて、岐阜県の白川郷、飛騨高山、奥飛騨温泉郷を訪ねるのだ。岐阜県に潜む名所を巡るのが、今回の旅の目的だ。
2.夜行列車の旅について
旅の友は大学の先輩である川畑氏と、名古屋で合流する田中氏。田中氏は大阪からやってくる。川畑氏には、僕の鈍行旅情列車の旅に無理やり付き合ってもらった。なにしろ、4000円の特急料金さえ払えば新幹線で1時間半で行けるところに、寝台でもない夜行列車で6時間かけて行くわけだから、普通の人は結構嫌がるところ。でも川畑氏はノリが良いので、お願いすれば付き合ってくれるだろうとの打算があった。新幹線が嫌いなわけではない。お金の問題でもない。鈍行列車や夜行列車が僕は好きなのだ。特に夜行列車がもつ旅情はいい。深夜に出発する非日常感は旅の始まりの紅潮感を高めてくれる。夜中のひっそりとした、途中停車の駅。小刻みに停まる駅を見れば、どこにいるのかわかる旅らしいスケール感。夜が明けて明るくなったときに見える風景。感じる時間の経過。新幹線や飛行機にはそういう旅情が足りないと僕は思うんです。そんな雰囲気を楽しむことが出来れば、目的の街はすぐそこである。東京都を出て、横浜を通り過ぎ、神奈川を越えると静岡県に入る。静岡があり、浜松があり、愛知県に入る。岡崎があり、そして名古屋だ。
3.名古屋の喫茶店、華麗なるサービス。
名古屋の喫茶店文化は有名だ。朝、名古屋の喫茶店に入り「モーニング」と頼むと、過剰なほどのサービスがついてくるという。5時に名古屋に着いた僕達は、大阪から来た田中氏を電話で起こして合流し、喫茶店に入った。モーニングを頼む。トーストはバターとジャムと小倉とどれがいいかと聞かれる。「小倉?」と心の中でつぶやきながら、当然だという顔を装いながら「小倉」を頼んだ。喫茶店素人だと思われてはかなわない。あくまで冷静に「いつもの」というくらいの心持ちで「おぐら」を注文する。僕の前には、アメリカンコーヒーと、ゆで卵と、小倉がたっぷり塗られたトーストが運ばれて来た。一見、特異に見えるけれど要はあんパンだ。なかなかうまい。いや、かなりうまい。名古屋以外で、トーストに小倉を塗る文化はなかろうが、これは全国に広めても良かろう。大阪の「お好み焼きにご飯」以来のカルチャーショックであった。ちなみに、この喫茶店に入ったのは午前8時頃。到着した5時からそれまで、一件たりとも店が開いていなくて往生した。特に東京で見受けられるドトールコーヒーやスターバックスのような類の店が殆どない。なんでだろうと思っていたら、この喫茶店のお勘定を済ます時にその理由が分かる。お勘定は900円だった。3人で900円。つまり、ひとり300円。コーヒーとゆで卵とトーストで300円。ドトールやスターバックスに勝ち目はない。なるほど、名古屋に無いのではなく、名古屋に進出できないのだ。恐るべし名古屋の喫茶店文化である。
4.世界遺産 白川郷
白川郷は世界遺産だ。茅葺き屋根の家は合掌造りと呼ばれ、その合掌造りの家が立ち並ぶ。その姿はまるで「日本昔ばなし」の世界。日本でこれほど古来の姿を守っている村は無かろう。だから世界遺産なのだ。確かにそうなのだけど、世界遺産という称号を与えられた白川郷は、既に立派な観光地であった。村で唯一の道路に沿った合掌造りの家は全て土産物屋であり、そこで売られているものは、他の観光地で売られているものとそう変わりはない。「白川郷」と書いてあるちょうちんなどである。まわりには名古屋から来たらしき婦人会の団体が「みゃーみゃー」言いながらゾロゾロとそぞろ歩いている。正直な気持ち、ちょっと興ざめであった。この日はあいにくの雨であり、また田圃も刈り取られた後で、風景も寂しかったせいかもしれない。春や夏のように青々とした稲穂がなびいていたり、秋のように金色であったり、また冬の銀世界の中にある白川郷は、また素敵な表情を見せるような気がしたが、あいにく今はそのうちのどれも無い。しかし、そんな中で目を引いたのは茅葺き屋根を流れ落ちる雨粒であった。こんな頼りない藁が雨から家の内部を守ってくれるのは、その繊維の方向のおかげである。雨は藁にそって下に落ちてゆく。藁に沿って落ちてゆく雨の雫はとりとめも無くキラキラと流れ続けていた。うまいこと出来ている、と感心しつつも、その奇麗な光景に少し見とれる。雨で残念ではあったけれど、この光景を見ていると雨の日で良かったとさえ思えるのであった。
5.飛騨高山、いい街の予感
飛騨高山では名物のひとつ、高山ラーメンを食う。僕らは白川郷から、宿泊地の奥飛騨温泉郷に向かっていた。その途中に飛騨高山はある。飛騨高山は、明日じっくり観光することになっていたのだけど、通り道だっていうんで、宿に行く前に名物をいっちょ食ってみるかということになり、観光案内所のお姉さんが好きだと言うラーメン屋を教えてもらってそこに行った。僕は博多生まれ博多育ちであり、ラーメンの味にはうるさい。かなりうるさい。うるさいので、よく「うざい」と言われる。東京で醤油ラーメンを一度もうまいと思ったことが無い。そういう好みの持ち主である。しかしながら、高山ラーメンはうまかった。僕らが行ったのは「桔梗屋」というそば屋。高山ではラーメンと呼ばずに「そば」と呼ぶ。「そば」と言えば中華そばのことであり、普通のそばは「日本そば」とわざわざ呼ぶほどである。年越しそばは中華そばを食う。そういう文化である。飛騨高山がどういうところかまだ分からないけれど、そばは確かにうまかった。麺は細い縮れ麺。スープは鶏ガラを使いつつ、豚骨も入っていたと思う。なんだか「懐かしい」味だ。昭和の味っていうか、飾りっけのない、幸せな味がした。
その後、古い町並みが残る通りへ足を伸ばしたのだけど、ここもまたすばらしかった。漆黒の木造2階建ての建物が並ぶ「古い町並み」。統一された様式が織り成す純和風の佇まいは、江戸時代から続いているのであろう根拠ある美しさがあった。それは京都出身の田中氏をして「京都にもこんなのない」と言わしめたほどである。天気はあいにくの雨だったけれど、その雨がよく似合う町並みでもあった。僕らは雨の中、軽く散歩をしながら店を覘いて回ったのだけど、そのなかでちょっといいものに出会った。造り酒屋で出会った「生酒」。瓶詰めの際に熱加工をしない酒。風味が損なわれず、酒本来の味が活かせる一方、保存期間が極端に短いため普通の流通には乗せられない貴重な酒。僕は日本酒派ではないのだけど、これはうまい。ひとまず、今日の晩酌用に一本買って飛騨高山からさらに山奥、奥飛騨温泉郷に向かう。飛騨高山は、ちょっとヤバいところかもしれない。街並も良いし、食い物はどれもこれもうまそうだし。そんな予感と期待を残しながら。
6.本日の終着駅、奥飛騨温泉郷。
車は飛騨高山を出て、1時間弱ほどで奥飛騨温泉郷に到着した。奥飛騨温泉郷は、日本でもトップクラスの温泉湧出量を誇る。大分の別府、由布院、に次いで日本で3番目の規模を誇るのだけれど、交通アクセスが何しろ悪い。なので、他の温泉地のように人が溢れているような事は無い。最近はようやく高山の方まで高速道路が通ったから、まだ良いけれど、それでもここはまだまだ秘境なのである。東京からだと長野県の北アルプスをこえてこなければ行けない。関東、関西、中部、どこから来ても秘境だ。秘境だからこそ、変にこなれていなくていい。温泉って日本のスローライフの原点みたいなところがあって、純日本風の娯楽だと思うのです。熱い風呂に入る文化なんて日本にしかないし、だから露天風呂がこんなに色んなところにあるわけで、それは絶対に洋風ではなくて和風が絶対いいわけです。温泉に浸かった瞬間に「ああ、日本人で良かったぁ・・・」と思うのは、決して間違いではないわけです。だから、変に大衆化され過ぎていない、日本古来の生活感が残る、ここ奥飛騨のようなところにある温泉こそが、正解のような気がするのです。実際に、ここ奥飛騨温泉郷はものすごくいいところだったのも確かである。
7.僕らもそういう年齢に差し掛かり。
僕達の宿は、奥飛騨温泉郷の中でもこじんまりとした福地温泉というところにあった。この福地温泉は、その素朴さから人気が高まって来ていると言う。宿には僕達以外に宿泊者はいないようだった。食事までの時間があったので、早速高山から買って来た「生酒」を開け、飲みながらいろんな話をした。今回の旅の友のひとり、川畑氏は、現在建築設計事務所勤務だが、来月からついに独立されるとのこと。社会人年次は僕と同じだけど、僕と違って彼には手に職もある。忙しい中にも色んな人に会いに行って、人のつながりを作ったそうだ。その結果、社会人4年目にしての独立。まったく頭が下がる思いである。成功を心から祈りたい。彼は学生時代からとにかく手と口のよく動く人で、常に喋っているか、なにか作業をしているか、もしくは酒を飲んでいるかである(今は酒を飲んでいらっしゃる)。常人じゃまねのできない緻密さと粘り強さがあり、変態的な模型を作り上げる。一度、レンガ造りの近代建築模型をお作りになった時に、カッターで入れる切れ目を全面に施し、レンガ模様を再現したこともあった。素材であるスチレンペーパーに、定規とカッターでレンガ模様を刻み込んで、それを素材に模型を作ったのだ。彼にかかれば、一枚のスチレンペーパーが、どんな精密なプラモデルよりも精密な模型に生まれかわるのである。こういう人がやっぱり最初に自力で生きていくすべを得てゆくんだなぁ。瓶が空いた頃に食事が出来た。
8.福地温泉で満足度は頂点である。
僕達の宿は、決していい宿ではない。男3人の旅。宿に関しては、寝られればいいという程度の、一泊8000円程度の宿。それでも、宿の食事では3切れの飛騨牛が出て来た。飛騨牛。こいつは今回の旅で食さねばならないもののうちのひとつ。安い宿なので、申し訳程度に出て来た飛騨牛であったが、はたしてこの飛騨牛がまた美味い。明日、高山に戻ってまず食わねばならぬであろう。既に酔っぱらっている僕達は、夕食を平らげて、近所別の宿にもらい湯をしにいった。福地温泉内であれば、どこの風呂にも入れるという券を宿のおばさんにもらったのである。さっそく、一番高そうな宿「元湯長座」へ浴衣姿で向かう。
「元湯長座」は昔の豪農の家を移築したという、本格的な木造建築である。僕らの泊まっている宿の2〜3倍はする。しんと静まりかえる夜の闇の中で、明かりに照らされた建物はいかにも良さそうな雰囲気を醸し出していた。実際、ここの温泉は相当に良かった。僕もいろいろな温泉に行ったけれど、軽くトップ3に入る実力である。夜だったのがまた良かったのかもしれない。酒が回っていたことが良かったのかもしれない。どちらにせよ、その泉質と雰囲気の良さに、僕は謝り倒すしかなかった。ごめんなさい。もう許してください。満足度は頂点である。山間の気温は氷点下であったが、体は十分にあたたまり、宿に戻ると皆あっという間に眠ってしまった。岐阜県は何やら侮れないどころか、すごいところのような気がしてきたのであった。
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