うどん。なんだろう、この「うどん」という言葉に秘められたパワーは。例えば「ちょっとうどんが食いたくなったから香川に行ってくる。」というのが、無茶と知りつつもやや成立してしまうパワフルさ。「ああ、うどん食いに香川に行ったんだ。わかるよ、その気持ち。香川のうどんは本当にすごいらしいね。」って言いそうになる。一度、神戸牛がどうしても食いたくて、東京からヒッチハイクで神戸に行ったことがある。浮いた交通費で肉を食う算段であった。神戸牛は高いからね。これは、我ながらオツな作戦であったが、しかし神戸牛に比べて、香川のうどんの方が、その目的のみのためにご当地を訪れるのに、ふさわしいパワーをもつと僕は思う。それは「うどん」という名前自体の力強さか、はたまた香川県に名物がうどんくらいしかないからなのか。うどんごときにという、うどんへの軽視と、その軽視をひっくり返すほどのショッキングうまさからか。いや、たぶんうどんという数百円のもののごときに航空券を買って行く馬鹿らしさが一番だろう。とにかく香川のうどんは、僕たちが知っているうどんとは、まったくの別物らしいという「いいつたえ」は昔から耳にしてきた。そのいいつたえこそ、僕らが香川へ足を運んでしまう理由に間違いない。僕もそろそろ確かめに行っても良いのではないか。そんなことをたまに考えていた。
そして気がつくと、僕は高松空港にいるわけだ。うどんを食いにきたんだ。レンタカーを借りて、市街地へ向かう。途中の風景といったら、あまりに平凡で退屈だ。世の中の退屈という退屈を集めたような風景が、無意思に、だらしなく続く。東京より少し早めにやってきた「夏」が入道雲を作り、林からはせみの鳴き声が聞こえる。このささやかな「夏の先取り感」が、せめてもの救いだ。道沿いには、昔見なれていたはずの水田と昔ながらの建築様式を守る民家が続く。それ以外にはほとんど何もない。うどん屋を除いては…。ナッシングバットうどんショップなのである。何もないわりには、800mおきくらいにうどん屋がある。それのみのおかげで、「香川に来た」という感じがする。村上春樹のエッセイ集「辺境・近境」の「讃岐・超デイープうどん紀行」のなかには、香川県に関するこんなエピソードが紹介されている。他の町から転勤して来たサラリーマンが、終業後に「1杯どうだい」と誘われて、ついて行ったらうどん屋だったというものだ。微笑ましいこと限りない。データによると、香川県人は一週間あたり4杯のうどんを食べるそうである。それだけうどんが日常に密着した香川のなかでも名店と呼ばれる店は絞られる。今回は、この村上春樹の「讃岐・超デイープうどん紀行」を参考に、彼がたどったうどん屋を覗きにいくという、めちゃめちゃ有りがちな企画なのである。では、さっそくいただきます。