2001.9月
思いがけずアフリカへ・・・
〜ラスト・ミニット〜
ラスト・ミニット(最後の数分)と呼ばれる、超安売りツアーをご存知ですか?
これは募集をしたものの定員に満たなかった出発直前のツアーを人数限定で破格の値段 でお客に提供しようというもの。次女を訪ねてドイツのフランクフルトに滞在していた時、このラスト・ミニットを見つけてきた娘にいきなり「とにかく安いんだから!チャンスよ、行かなきゃソンよ!」とたきつけられてアフリカのチュニジアへでかけることになった。「チュニジア?え、どんな所?カスバの女?ん?カサブランカか、ライオンもいるのかな?あ、サハラ砂漠があるよね?たしか……」コワイくらい情報も知識もない。
4つ星リゾートホテルに7泊8日、毎日朝夕2食付、それに往復の航空運賃を含めて一人約6万円也。確かに安い…、わかっているのはそれだけだ。なにしろラスト・ミニットだから出発は明日だという。迷っている時間はない。で、翌日親子3人はドイツを飛び立ち、2時間と30分でアフリカ大陸に着陸した。チュニジアといっても正確には地中海に浮かぶジェルバ島というリゾートが私達の滞在先だった。地中海の海はブルーだと想像していたがそこの海は鮮やかなエメラルドグリーン。真っ青な空と真っ白な建物が目にしみる。ヨーロッパ人がバカンスで好んで訪れることで知られるとても美しい島だった。あちらの人のバカンスは最短でも2週間。特に名所を飛び回るわけでもなく、食べ歩きをするでもなく、お土産屋巡りをするでもなく、ひがな一日プールサイドやビーチに寝そべって本を読んだりまどろんだりしている。ホテルの中ですべて用が済むからほとんど皆ずーっとホテルのどこかににいるわけで、泊まり客同士、自然と顔見知りができ毎日笑顔で挨拶をかわす。酔って騒ぐ人も皆無、時間がゆったりと流れ、そこは静かで心休まる本物の大人の世界だった。
〜サハラ砂漠〜
そんな中に混じっていてもやはり我々は日本人。なかなかじっとしてはいられず、早速サハラ砂漠ツアーを申込む。ジェルバ島からフェリーでアフリカ大陸に渡り、日帰りバスツアーでサハラ砂漠にまで行くことができる。道中、野生のフラミンゴや蜃気楼を見た。「わあ、ほんとにここはアフリカだ…」、胸にジンときた。そしていよいよサハラ砂漠。青い空と黄金色の砂漠が果てしなく続く。らくだの背で揺られながら夢をみているようだった。風紋は目の前でその形を変える、粉のように細かい細かい砂はわずかな風にも反応する。裸足になって熱い砂を踏みしめると大地からのエネルギーをもらったような気がした。「あれがオアシス、あの方向にずっと進むと先はアルジェリアです」そう聞くと遠いところへ来たんだなあと、また胸がジンとする。二度と来れないかもしれない…そう思いながらサハラの砂をすくって持ってきた。各地の砂を集めているが、とびっきりのコレクションができた。黄金の粉のようなサハラの砂。宝物である。
あのアメリカでの同時多発テロがおこった9月11日を迎えたのはそんな旅のさなかだった。突然飛び込んできた英国のBBC放送が流し続けるTVニュースにくぎ付けになった。これがテロであり、アフガニスタンのイスラム過激派が関わっているらしいと分かってから、心中は穏やかでなくなってきた。ここチュニジアはまぎれもなくイスラムの国。しかし、ここの人々は熱心で穏健なイスラム教徒であり、あくまでも温厚で人なつっこい。チュニジア人がこの事件をどんな風にとらえていたのかを聞くことはできなかった。リゾート地だったせいかあれほどのニュースが絶え間なく流れているにもかかわらず、ホテルの中のゆったりした平和ムードは全く変わらなかった。
唯一アメリカからきていた夫婦だけはさすがに心配そうに見えたが、「電話でニューヨークにいる息子家族の無事が確認できたから大丈夫。予定通り旅を続けるわ」と超然としていた。「こんな時だからこそ、パニックにならないことだね。こんなことでへこたれていてはテロリストの思うつぼ。早く普通の生活に戻ることが大切だね」とブッシュ大統領のスピーチをそのまま実践しているようなアメリカ人夫婦だった。「そうよね、そうよね」と私も思った。テロは世界中どこで起こるかわからないし、いつ我が身に降りかかるかわからないけれど、いたずらに不確かな情報に惑わされることなく、冷静に判断することが大切だと…。
