時は1999年6月11日、場所はまたまたアメリカ。
今回のトラブルは少々こみ入ったものだった。アメリカ人の友人を訪ねる恒例の一人旅の途中。ミズーリ州のスプリングフィールド空港を飛び立ち、セントルイスで飛行機を乗り換えてアトランタに向かう予定だった。順調にいけば3時間後にはアトランタ空港で、2年ぶりに親友・キャロルと会えるはずだった。天候も良し、スーツケースも預けたし、もう心はアトランタに飛んでいた。定刻にテイクオフ。飲み物が配られ、少しウトウトしたころ、機内アナウンス。
“そろそろセントルイスへ着くのかな…” しかし、そのアナウンスは「さ、もう着きますよ!テーブルを元の位置に戻して!間もなく着陸でーす、セントルイスへようこそ!!」という風ではなかった。「悪天候、スプリングフィールド、多少の遅れ、給油」という単語が耳に飛び込んできた。
“ハア?なに?どうしたって?”
とたんに不安になり機外へ目を移す。どうもこの飛行機、Uターンしたらしい。広い空、下界は見渡すかぎりの大地で目標になる物もないからUターンだったかどうかわからないけれど私の行きたい所へ向かっていないことだけは確かだった。そこへまたアナウンス。今度は、全身を耳にする。「セントルイス付近が悪天候のため着陸できません。別の空港への着陸を試みましたが、上空で待機している飛行機でいっぱいです。当機の燃料も不足してきました。それで、スプリングフィールドに引き返します。そこで給油をして天候の回復を待って再びセントルイスへ出発します」というのだ。
“セントルイスには一体いつ着けるのだろう, 乗り継ぐヒコーキには当然間に合わないだろう、あー、どうなるんだ、キャロルはアトランタ空港で「キョーコが来ない、オウ、ノー」とため息つくんだろうな”
ここで我に返ってまわりを見回す、やっぱりアメリカ人達は動揺の色すら見せない。目が合うとわずかに「フーン」と口をへの字にまげて肩をすくめる程度。微笑みさえ浮かべている。こんな状況には慣れっこになっている、そういう感じだった。無事に着陸してくれれば文句は言わないよ、という余裕があった。
スチュワーデスに聞いてみると「この悪天候で私たちと同じように沢山のヒコーキが降りられないでいる、だからあなたの乗り継ぎのヒコーキも当然遅れている、ゆえに、あなたはそのヒコーキにのれる可能性がある…」という。なるほど、わずかに希望があるらしいことはわかった。
スプリングフィールドに舞い戻り、給油を始めた。40分もかかるという。だいたいヒコーキって燃料満タンにして飛んでるんじゃなかったの?わずか2時間飛んだだけで、燃料足りません…なんて、そんな頼りない、心細いことでどうすんの?と筋ちがいの怒りがこみあげてくる。
待つこと1時間、やっとセントルイスの天候も回復し再びテイクオフ。
結局セントルイスへ着いたのは予定より2時間半の遅れ。空港内も混乱を極め、人のあいだを縫って歩くのがやっとという状態。この点わたくしども日本人は、雑踏には慣れておりましてスイスイと大きいアメリカ人達の隙間をすりぬけてアトランタ行きのゲート目指してひた走る。インフォメーションボードに“アトランタ行き、間もなく離陸”の文字。間一髪、間に合ったのだ。あのスチュワーデスの言葉は正しかった。ありがとう、ありがとう。
アトランタ空港ではキャロルが心配顔で待っていてくれた。「あー。これでひと安心、フー、おなかすいたあ、なにか食べに行こうよ」とのんきなことを言い合いながら手荷物を受け取りに。ところが、待てど暮らせど私のスーツケースが出てこない。何たること。ここまでやっとたどり着いたのに…そこでハタと思い当たった。セントルイスで間一髪アトランタ行きに間に合ったのは、私だけ。わたしの大事なスーツケースの乗り継ぎは間に合わなかったのだ。
翌日になってやっとスーツケースは無事私の手元に戻ったのだが、旅先でスーツケースを無くすという事は、まるでハダカにされたも同然であった。以来、最低限必要なものは機内に持ち込むことにした。考えてみると緊張と不安がいっぱいの海外一人旅。そうとわかってはいるものの、時が経ってみると
「旅にトラブルはつきものよ。それがまたエキサイティングでいいのよね!!」
まだまだ懲りてはおりません・・・
