ハワイにいても、本来のハワイ人の生活を知るチャンスがない。博物館で見る昔のハワイアンの生活ではなく今の生活は、垣間見ることはあってもなかなか触れることのできない部分だ。
ところが今日、思いがけなくその一端に触れるチャンスが与えられた。
Mさん(私の日本でのフラシスター)が、「ハワイを知るのによい機会だからハワイアンの葬儀に一緒に来てみません?」と誘ってくれたのだ。Mさんは年間数回ハワイに来てフラを勉強している。尊敬するフラの先生の弟さんの葬儀だというのでホノルルに来ていた。Mさんはハワイアンの生活習慣をよく知っているから葬儀に私を誘うことに抵抗はなかったらしいが、私は正直のところ、びっくりした。
その方が亡くなったのは2ヶ月ほど前で、その遺灰を彼の故郷のカイルアの海に船を漕ぎ出して沖に撒くのだという。それが葬儀なのだそうだ。
いくら好奇心旺盛の私だって、見も知らない人の葬儀に出て、しかもその灰を海に撒く所に居合わせるなんてとてもできそうにない。「でも、ちょっと、私は。。。」とお断りした。
ならば、その前日に会いましょうということになって、夕方私はMさんのホテルを訪ねた。運がよければ彼女が尊敬してやまないフラの先生に会わせてもらえるかも知れないという期待もあった。運良く、フラの先生もそこにいらしてニコニコ出迎えてくださり「さあ、キョーコ、Mさんとみんなで○○へ行きましょう」とおっしゃる。○○ってどこ?と思いつつ、促されるまま車に乗せられてついたところは、カイルアという美しいビーチで知られる町。そこはなんと、お通夜の席だった。
日が暮れてから参加したそのお通夜はカイルアビーチの近くの民家で開かれていた。そのお家では、庭に自前のテント(葬儀社は介在していない)が張られ何十人もの家族と思われる人たちが明日の葬儀の用意をしていた。短パンにTシャツ、ゴムぞうり姿の人ばかりで黒の服に身を固めた人なんて誰一人いない。私も黄色のヨットパーカー姿だったから内心ほっとした。
子沢山のせいもあるし、結婚が早いから親戚の多いこと!紹介されても、全く名前を覚える気にもならないほど人数が多い。第一ハワイアンネームは覚えるのが難しい。
そのうち皆が手をつないで輪になり故人のお姉さんがお祈りを始めた。「・・・故人のすばらしかった一生を讃えて・・・アーメネ(ハワイ語でアーメン)」・・ちょっと、しんみりしたのはそのときだけだった。
その人々の集い自体があたたかくて、悲しくなくて、死者の生涯を褒め称えるために大家族が集って、飲んだり食べたり、ウクレレで歌う人あり、フラを踊る人あり(私も大喜びで踊った)、とまるでお祝いのパーティのよう。勿論大声で笑い騒いでいる。
心地よい風に吹かれながら、見上げると澄んだ空に大きな星がまたたいている。
ああ、私は今、ハワイのど真ん中にいる!そう思った。
その雑踏の中、中央のテーブルに誰かの小さい写真があった。簡単に飾られた写真は今日のお通夜の主役だとあとで判った。そういえば祭壇なんてどこにもない。写真の横には小さい箱。ここに遺灰が収められているという。故人は51歳の若さで昨年11月ごろ亡くなった。。とのこと。私もその方のお写真に手を合わせて「こんにちは、はじめまして。。」と声を掛けたものの、向こうも見知らぬ日本人がなんでここに??と思っていらっしゃるかもしれないと思い、ちょっとおかしくなった。
宴もたけなわのころ、家のなかでは沢山の人が明日の葬儀のルアウ(ハワイの宴会)ための料理を作っていた。家中に料理の材料が山のように運び込まれていて、お店を開くのかと思うほどの量だった。
「日本からお呼びしたプロが上手に作ってくれるわよ」と冗談を言われながらMさんと私は巻き寿司つくりを手伝うことになった。用意されていた具は人参をくたくたに茹でたもの、ハワイ製たくあん、相当固めに戻して煮たらしく、お味がついていなさそうな干ぴょう、醤油に浸したツナ、真っ赤な得体の知れない粉末。
赤い粉末はえびの粉だということだった。日本人二人は一応は主婦。「さあ、作ってみよう!」と張り切ったが3本ずつを巻いたところでクビになった。ハワイ人の巻きかたと、根本的に違う。あちらのやり方は、出来る限り沢山の寿司飯を積み上げ、具を巻き込むのだ。具は真ん中におさまる様に。。などとは考えてはいない。パンパンに膨らんだ巻き寿司の両端には、真っ赤なえびの粉がすりつけられ、「コレで端の醜い部分が隠されるでしょう?きれいでしょう?」という。「もっと沢山具を入れて、ぎゅうぎゅうに巻く!!」といわれたが、出来なくてあえなくクビ!おかげで私たちは大喜びで宴に戻り本場のルアウを楽しんだ。
今日はリゾート地としてのハワイではない部分を垣間見ることが出来て感動的な一日だった。
今はきれいな故郷カイルアの海から天国へ旅立たれた故人のご冥福を祈りつつ・・・
楽しいハワイのお通夜