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行 事 記 録 (詳 細 - 4)
 
はにわ展見学
掲載日  03−6−20

行 事  名

 はにわ展見学 

研 究 部 会

 遺跡見学会(代表 尾田)

実 施  日

 03年6月7日(土)

実 施 場 所

 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市) 開館20周年記念展 "はにわ―形と心―"

参 加 者 数

 会員5名 (清水、須藤、西田、堀、尾田)
記  録  尾田

 概    要

 当日は、博物館展示担当者による午後2時からのギャラリートーク(展示解説)に、一般参加者約50名とともに、ほぼ1時間の見聞に参加した。
 今回の埴輪展見学では、フロアレクチュアと展示品の豊富なこともあって、埴輪の多種多様な形態や死者の祭祀様式にとどまらず、貴重な水の祭典、さらに、当時の日常生活の有様、埴輪製作の過程、地域交流の実態等が如実に理解できて、大変興味深く、また意義のあるものであった。
 
国立歴市民像博物館の全景

 当日は、博物館展示担当者による午後2時からのギャラリートーク(展示解説)に、一般参加者約50名とともに、ほぼ1時間の見聞に参加した。

 3世紀後半から6世紀終り頃の古墳時代に、列島各地で前方後円墳を中心とするさまざまな墳墓が築造され、その頂上部に死者の祭祀用の埴輪が並置された。その形式や並置の様式は、古墳の築造された地域や時代によっていろいろと変遷している。

 例えば、墳丘頂上部にぐるりと並べられた円筒埴輪は土留めや聖域を示すためのものと考えられ、弥生時代の岡山県を中心とする地域での壷とそれをのせる筒形の台座を墓に立てる風習が、その後、文様がだんだんと簡素な円筒型器台に変化するとともに各地に広まっていった。
 6世紀前半に築造され、継体天皇の墓に比定されている大阪府高槻市にある今城塚古墳から出土した埴輪群は、柵形埴輪で5カ所の区画に仕切られ、大型家を中心に蓋(キヌガサ、貴人にさしかける長柄の傘状のもの)、太刀、楯、男性、女性、武人、力士、鷹飼人、馬、水鳥等その数と種類が非常に豊富である。特に、半分腰を落とした力士立像埴輪は大変動的なものであった。
 三重県の宝塚古墳の舟形埴輪は、幟や旗様の威儀具を船中に立て、貴人の座居する区画もあり、あたかも中国・朝鮮に使する国使の座船・旗艦を想像させる。
 5世紀にもたらされた馬の埴輪も多く、三重県の石薬師古墳の馬の埴輪は、鞍を置き頭部に鬘状の変わった飾りを施している。
はにわ展のポスター

 6世紀に築造された群馬県綿貫観音山古墳の埴輪群は、多く
の人物埴輪の中心に冠や立派な帽子をかぶり太刀と大帯を付けて椅子に腰掛けた首長風の埴輪と、それに向かい合った侍女が容器を捧げたり両手をあわせているものや楯を持った武人等が配置されていて、首長とその従人の在りし日を彷彿とさせる。

 また、埴輪製作工場跡も発掘・調査されている。大阪府高槻市の新池埴輪製作遺跡からは18基の窯と3軒の粘土工作場の跡が発見されている。ここから太田茶臼山古墳(宮内庁が継体天皇陵に比定している)や今城塚古墳(考古学会が継体天皇の墓に比定している)等に運ばれている。埼玉県鴻巣市の生出塚(オイネツカ)埴輪製作遺跡で作られた埴輪は、行田市の埼玉(サキタマ)古墳群など半径30q範囲の古墳に運ばれているが、近年遠く80qも離れた千葉県市原市の山倉1号墳から製作方法や土質の近似した埴輪が発見されるなど、相当広範囲にわたる当時の文化交流が窺い知れる。

 今回の埴輪展見学では、フロアレクチュアと展示品の豊富なこともあって、埴輪の多種多様な形態や死者の祭祀様式にとどまらず、貴重な水の祭典、さらに、当時の日常生活の有様、埴輪製作の過程、地域交流の実態等が如実に理解できて、大変興味深く、また意義のあるものであった。
 
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