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行 事 記 録 (詳 細 - 14)
 
神奈川宿めぐり
掲載日  03−10−20

行 事  名

 神奈川宿めぐり

研 究 部 会

 横浜探訪の会・古文書研究会

実 施  日

 03年10月5日(日)

実 施 場 所

 神奈川宿歴史の道

参 加 者

 16名 会員13名(新井、小方、佐伯、佐藤、柴田、清水、須田、須藤、砂川、
 竹内、坪井、中村、西田)  非会員3名(藤田、広脇、片平)
記  録  広脇 紀久子(1期)、 清水 和代

 概  要

県民サポートセンター→上台橋→関所跡→本覚寺→望欣台の碑→青木橋
→寺町→滝の川公園→神奈川地区センター→神奈川台場址→東光寺→神明社
→能満寺→オランダ領事館跡

 

  午前の部        広脇 紀久子(1期)

さいかち会の古文書教室で「神奈川宿ツアーに行ってみませんか」 とお誘いを受け、参加させていただきました。

神奈川宿は、慶長6年(1601年)に成立し、江戸日本橋から品川、川崎に次ぐ3番目の宿場で、中世以来の港であった神奈川湊があり、大変栄えていました。

この神奈川が一躍有名になったのは、安政元年(1854)の神奈川条約締結の舞台となり、4年後の日米通商条約で、神奈川が開港場と決められたからです。この神奈川宿歴史の道は、上台橋から神奈川通り東公園に至るおおよそ4キロの道のりで、歴史的な建物やかつて建物があった場所には、それぞれの由来を書かれたガイドパネルがあり、歩道の敷石もさりげなく工夫されていて感心いたしました。

案内はもちろん「横浜なんでも博士」の須田光彦さんです。

上台橋
集合場所の神奈川県民活動サポートセンターから歩き初めて2、3分でしょうか。「むかし、このあたりは潮騒の聞こえる海辺の道であった」ことが信じられない横浜駅の喧噪のすぐ近くに、上台橋がありました。

●神奈川台関所跡・茶屋
上台橋を渡り旧東海道を東に行くと、神奈川台関所跡があります。幕府は、安政6年(1859)外国人殺傷事件の警備のために関門や番所を設け、神奈川宿にも東西に関門を作り、ここは西の関門、ともに明治4年に廃止されました。

当時、台町の右下はすぐ海で、海側には多くの茶屋が軒を連ね、東海道有数の景勝地でもありました。歴史博物館にある「さくら屋」の再現模型を思い浮かべながら歩きました。「さくら屋」は現在の料亭「田中家」のあたりといわれています。

神奈川宿歴史の道のスタート
ガイドはいつもの須田会員
料亭 「田中家」

 大綱金刀比羅神社、本覚寺、三宝寺、高島公園

台町の坂を下る途中に、神奈川湊に出入りする船乗りたちの信仰を集めた神社が大綱金刀比羅神社です。根っこのある木に掘られた大天狗の面におどろかされました。本覚寺は開港当時、渡船場に近い丘の上にあり、横浜を眼下に望み湾内を見渡すことができると、ハリス自身がここをアメリカ領事館に決めたそうです。領事館時代白ペンキを塗られた山門は、この地域に残る唯一の江戸時代に遡る建築だそうです。

三宝寺は、慶長年間に造られた寺。当寺の住職弁玉和尚は、江戸末期から明治初期にかけて歌人として活躍し、多くの和歌がのこされています。

三宝寺の坂道を登ると高島公園です。ここは新橋?横浜間の鉄道工事に功績のあった高島嘉右衛門の屋敷跡で、望欣台の碑がありました。

金刀比羅神社の大天狗の面
本覚寺は開港当時のアメリカ領事館
三宝寺 高島公園

●寺町まわり
青木橋を渡り、当時、各国が神奈川宿に近い寺院を借り、領事館や宿舎として開港に備えての活動をしていた寺町に入ります。

甚行寺はフランス公使館、普門寺は英国士官宿舎、日蓮上人が立正安国論を書いた浄滝寺は英国領事館。宋興寺は大井戸の寺で、後にヘボン博士の施療所となったところ。成仏寺は初めオランダの領事館、後にアメリカ宣教師の宿舎になりました。浦島伝説で有名な慶運寺はフランス領事館、などとこの界隈のほとんどの寺が利用されていましたが、やがて横浜に移転していきました。

現在この辺は、かつての海辺の寺町を彷彿させる松並木もきれいに整備されています。このあまり広くはない寺町に、英語やフランス語やオランダ語が飛び交っていたことでしょう。当時を想像しながら散策するのはすごく楽しいでした。

 滝の橋
神奈川宿の中心地で、橋の江戸側が神奈川本陣、反対に青木本陣があったところ。

滝の川には河童の伝説があり、現在の滝の川公園にはそこかしこに河童がいました。

この辺りで丁度12時、お食事タイムを取ることになり、。私たち(藤田、片平、広脇)3人は、午後からガイド3期生の研修会があるため、ここで失礼する事にしました。

須田さんの丁寧なお話ぶりにすっかり魅了され、「須田さんの説明で、大塚歳勝土を回ってみたいね、(真似すれば)私たちも少しはうまくなれるかも」と話し合っておりました。本当にありがとうございました。

甚行寺 普門寺
宋興寺の大井戸とヘボン博士の施療所の記念碑
成仏寺はオランダの領事館、後にアメリカ宣教師の宿舎
浦島伝説で有名な慶運寺はフランス領事館
滝の川公園にはそこかしこに河童が
 
  午後の部      清水 和代

何かのお話ではありませんが、9:00am集合してから神奈川宿11ヶ所の探訪を完遂し、お昼の腹ごしらえを済ませたころには、5名くらいの隊員が一人また一人と減り、少しスリムな集団になりました。

東神奈川駅近くの15号線交差点、左手にノースピア方面を見て、神奈川のお台場をめざします。安政6年5月(1859年)、勝海舟設計により26,000u(8,000坪)に伊予松山藩が築造、万延元年6月(1860年)竣工、明治32年に廃止と説明がされていますが、平成の現在は裏は鉄道の操車場、付近の土中に埋もれており、石垣の一部を残すのみ。背高く生い茂る秋草の間からMM21、ランドマークタワーを遠くに仰いで、

神明宮を目指しもと来た道を戻ります。正安元年(1299)の勧請ともいわれ、境内を流れていた“上なし川”が“かな川”の語源といわれていますが、その痕跡は見つかりません。こちらの別当寺でかつては同一境内にあり、後に神仏分離令で今日に至る

能満寺に移ります。海運山と号し、古義真言宗に属します。正安元年(1299)内海新四郎光善というこの地の猟師が海中より霊像を拾い上げ、娘に託して霊像のことばにしたがってこの寺を建立したと伝承されています。本尊は高さ五寸(15cm)木造座像の虚空蔵菩薩で海中より出現したと伝えられています。

隊は、一見の価値あり――の有形文化財・板碑を確認すべく、笠ノギ稲荷神社へと向かいます。天慶年間(938〜947)に稲荷山の中腹に創祀され元寇にあたっては北条時宗より神宝を奉納されていると社伝にあるそうです。元禄二年(1689)に山麓に移され、霊験ますますあらたかとなり、社前で、通行する者の笠が自然に脱げ落ちるということから笠脱(カサヌギ)稲荷大名神と称され、後に笠ノギ稲荷神社と改称されたとのことです。明治二年に現在地に遷座されました。問題の板碑ですが、境内の一角に保存されていました。形態は東部を三角形とし、その株には二条の深い切り込みが施され、身部は枠線によって長方形に区画されています。上位には阿弥陀を表す種子キリークが、中位には天蓋、下位中央には六字名号「南無阿弥陀仏」の梵字が彫り刻まれています。本碑に見られるような変形五輪搭を刻す板碑は特異で貴重な中世の資料であるとのことです。

深い緑に覆われたお社を出て、大通りに面した良泉寺を訪ねます。開港当時、諸外国の領事館に充てられるのを嫌い、本堂の屋根をはがし、修理中であるとの口実で幕府の命令を断ったと言われています。午後の日差しも心なしか傾いてきたような気がします。

最後に、史跡オランダ領事館跡まで行きましょうということになりました。《神奈川砂子》によると長延寺の跡とのことですが、今は、京浜急行の線路わきの広い公園になっています。史跡碑を確認して探訪も終了です。

余談ですが、よく歩いた自分をほめたい、との感想です。“そのうち、内容は付いて来るもの”と隊員の方よりのお言葉あり、百聞は一見に…というのもいつもながらの感想です。
神奈川のお台場
神明宮
笠ノギ稲荷神社
良泉寺
史跡オランダ領事館跡
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