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行 事 記 録 (詳 細 - 15)
 
三渓園 菊花展
掲載日  03−11−28

行 事  名

 三渓園 菊花展

研 究 部 会

 横浜探訪の会

実 施  日

 03年11月9日(日)

実 施 場 所

 三渓園外苑及び内苑

参 加 者

 会員5名 (石田、小野寺、須田、砂川、竹内)
記  録  小野寺 孝二

 概  要

 鶴翔閣→菊花展会場→旧灯明寺三重の塔→松風閣→東慶寺仏殿

 →矢篦原家住宅→旧灯明寺本堂→白雲邸→臨春閣→月華殿→天授院

 →聴秋閣→旧天瑞寺寿塔覆堂→蓮華院

 
  第40回 三渓園菊花展 見学会                 小野寺 孝二 
 菊といえば、澄み渡った秋空が連想されるが、当日は生憎の曇天。 しかし、入園して例の大池に浮かぶ ”ノリトリ舟” と ”三重の塔” を見て、気持ちは晴れ晴れとなった。この情景は、何度見ても見飽きない一幅の絵であり、原三渓翁傑作の一つである。

 さて、お目当ての菊花展は、横浜菊花会などの協力で3つの広場(正門藤棚、大池、燈明寺前)に10棟の展示小屋が作られ、900鉢を越える大小各種、色とりどりが展示されていた。馴染みの厚物、管物、懸崖作り、懐かしい古典菊も並んでいた。初めて見る ”一文字” は、一重の大きな花弁が14〜16枚放射状に並んでいて、家紋のオリジナルと聞いた。懸崖には ”静岡型” というのがあった。これは頂点を霊峰富士になぞらえて、下方は沢となって下る様に作られていた。花の付き方もさることながら、太い茎は見えない様に仕立てねばならないとの事であった。作り方にも3本立、7本立、又福助、ダルマ作りとあって内容の多様さに驚かされた。話によると、この展示の為には1年1ヶ月前から苗の手当て、培養土の準備、そして審査の日が決まると、当日花が7分咲きになるよう、又高さ、姿勢、病気、肥料の残り具合など細かな心配りに苦労し、又楽しさを味わうとのことである。本年の審査は、既に2日前に終っていて、県知事賞、市長賞、三渓園園長賞などの表示が掛かっていた。厚物の県知事賞の受賞花は、大きさ、形、色全てが、これが菊かと思うほどの見事さであった。

 引き続き須田さんの解説で、外苑・内苑と一巡りする。ご存知の如く三渓園は、原富太郎(三渓)が精魂傾けて作庭」した名園である。広大な敷地に国指定の重要文化財が10棟、横浜市指定が3棟。一番古い燈明寺の三重の塔は550年前、室町時代建立の当園自慢のシンボルである。本会で9月に実施した ”観月会” のメインでもあった。ラウトアップされ浮かび上がったシルエットは、脳裏に深く刻み込まれたことだろう。外苑のもう一つの目玉が ”矢の原家” である。わが長沢家と同じ江戸中期建築の合掌作りである。左半分が全て畳敷き、式台が付いて立派な書院作りが客間となっている。欄間には、舞扇が彫られていた。右半分は純然たる農家作りで ”うまや” もあるが、土間は意外と狭い。これは山岳地帯の為屋内作業が少ないからという事であった。これに反して2階は物置き場や養蚕に使われ、やたらと広い。又一日中薪を燃やし続けているので物皆煤けて黒光りしている。

 予定の3時間が過ぎたが昼食後内苑に向かう。ここでの目玉は ”臨春閣” である。紀伊家初代の夏別荘で350年前に建立された。池のほとりに第1屋〜第3屋の3棟が連なって建てられている。11の部屋の名称は、各部屋の障壁画の画題によって名付けられ、例えば ”鶴の間”、”住之江の間” という具合である。襖絵は殆どが狩野派の筆に依る。”臨春閣” は8月初旬より2週間特別公開されるが、通常でも部屋の中は外側から見ることは可能。それにこれからの紅葉にマッチするその名も ”聴秋閣” なる数寄屋作りがある。12月中旬まで特別公開されるので間近に内部を眺める事が出来る。また同時に背後の渓谷遊歩道も公開されるので、逍遥しながらキャンバスに納まった、苔むした檜皮葺き、映える紅葉、彼方の三重の塔の絶景をお楽しみ戴ける。紅葉の見頃は12月5日近辺ときいている。里心ついたのは3時をかなり回った頃であった。   以上

追記
 須田さん、5時間を越える解説、どうもお疲れ様でした。有難うございました。三渓園には歴史や文化、それに原三渓さんの人となりが染み込んでおります。皆さんも折を見てご来園下さい。梅・桜・蓮など四季折々素敵な花もお待ちしています。

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燈明寺の三重の塔
展示小屋の一つ
懸崖作り
7本立