Kemal Ataturk
今のトルコ人はこの方のに絶大な信頼をもっている。イスタンブールの空港・大通りにも彼の名前が使われており、お札もみんなアタテュリュクの肖像画。彼の悪口をいう人には罰金か懲役の刑まで待ち受けているという…。もう亡くなって何十年となるのに今のトルコの人の尊敬の的となっている人
19世紀末期、トルコからの使節団を乗せた船が和歌山県沖で沈没し、当時の串本町にいた漁民から手厚い保護を受け、そこから日土関係が始まったのは知ってのとおり。その時、日本からの使節団でトルコの子供達に日本文化(日本語?)を教えて欲しいと派遣された男がいたがいた。若き日の山田寅次郎である。彼はトルコの子供達に日本の文化を教えた。そこにいた生徒の中に未来のAtaturkはいた。
時は下って第一次世界大戦。オスマントルコはドイツに加担し、連合国側に破れ、セーブル条約に調印する。それはアンカラをのぞいた殆どのトルコ領を連合国で分け合うというトルコにとっては屈辱な条約だった。そのときに立ち上がったのが大人になった(笑)Ataturk。彼は軍事才能を使い、ギリシア軍を撃退。また連合国内でのすれ違いを利用し、彼らを離反させ、遂にはトルコから連合国軍を追い出した!!!(すごい!!)その後、トルコ側の主張に見合ったローザンヌ条約が結ばれた。その後、スルタン制は廃止され、Ataturkは初代大統領になったのだ…!
彼が大統領になってトルコは他のイスラム帝国とは違った国家になっていく…。Ataturkは政教分離を唱え、憲法もイスラム法からイタリア法へ、一夫多妻、アラビア文字、トルコ帽、チャドル着用を廃止し、代わりにアルファベット、西洋暦、婦人選挙権を導入した。これはAtaturkのトルコをもっと近代化した国にしようという意思によって生まれたのだろう。
因みに彼が政策を行っていく上でお手本にしたのが日本の明治維新。彼の寝室には明治天皇の肖像画が貼られていたらしい…
こうした様々の功績により彼は国会からAtaturk(トルコ尊父)という称号を与えられた。1938年に亡くなったが今でもトルコ国民の支持を一番多く受けている人だろう…。

トルコの紙幣はみんなこの方です!
next
|