呑み座の会話

fujiko会会員募集

5月23日午後7時30分。新宿にて毎月定例fujiko会が行われた。
fujiko会とは何ぞや?基本は呑んだ暮れの集まりなのだが、
その他に自然系のお仕事を実践もしくは考えている人たちが集まって有意義にみんな揃って呑んだ暮れる会。
近年、環境NGOと呼ばれるところの同一化傾向が見受けられる。
各団体の創設者と呼ばれる立場の方たちは、その考えを明確に表現し顔がわかるのだが、NO.2およびそれ以下のメンバーに考えの明確さが見受けられず、
それでもネットワーク作りに躍起になってしまったもんだから、みんな同じ顔になった印象を受ける。「俺がやってやる!」という熱気、独自性の匂いがさっぱり無くなった。
世の中に対して小さくともムーブメントを起こすということは、無味無臭では無理。熱意の伝わってこないものに誰が顔を向けるだろうか。
このfujiko会の将来的なビジョンは他業種の人たちが集まり、呑んだ暮れ、
結果何か宿題なり何なりを持って帰られる場にしたいと考えているなんて書いたら「また思いつきで無い事無い事言ってる!」と言われそう。
ちなみにこの「fujiko」とは一会員のキャンプネームで僕の立場は事務局。現在のプール金は銀座ライオンの金券およそ8000円分。入会希望者はご連絡を。
2002年05月27日 15時21分38秒

間隔差・感覚差

大学生の頃、体育会所属していてこんなことを思いました。
「なんでOBとか先輩とか気を使わないかんのじゃ」
年代の差はもちろん、先輩後輩という感覚が僕にはわずらわしい以外の何物でもなかった。

あれから5年ほど時が流れ、今の僕はその世代間のコミュニケーションがたまらなく楽しい。
前項の「知恵」という側面で言えば年上の方から得られるものは計り知れないし(これに関してはまた今度じっくり)
なにより年齢に関係無く、その方が一生懸命生きてきた話、経験はまるで「プロジェクトX」
中島みゆきの歌が聞こえてきそうです。

とある人の言葉を借りれば、僕は基本的に人が好きなのです。だから話を聞いてると相手に呼応し尊敬、畏敬してしまいます。
皆さん、本当に一生懸命生きてらっしゃいますよね。

そう考えると。最近の理解に苦しむ事件の容疑者たちの、そういった「一生懸命生きてきた話」を一度でも聞ける機会があれば・・・あるいは何かが変わったかもなんて思ったりします。
2002年05月22日 17時17分57秒

情報の時世と蓄積

ビジネスツールとしても生活能力としても「情報を活用する」能力が求められますよね。
一体、この「情報」って何を指してるんでしょう。
例えば仕事に関連したニュース、業界専門誌あるいは新聞なんかがありますね。あとはまぁ環境白書みたいな資料なんかもそれに当たるんでしょうか。
これに意識すると「情報」が新しいコトに片寄っている気がしませんか?「情報」=新聞・ニュースになってませんか?
その時々の状況だけが情報でしょうか?何かに追いかけられているように見えるのは気のせいでしょうか。

個人的なんですが、今、人の話を聞くことがとても大切なことに思えます。大切で楽しくってとても必要に思えるんです。
その対面している人が見聞きしてきたことを自分の言葉で語る姿はとても魅力的です。僕もそうあろうと心がけています。
僕は「情報」というと新しいコトに加えて、こういった人の見聞きしてきたこと「経験則」とでも表現するんでしょうか?人の話から得られるものも十分当てはまると思っています。
「活用する」という点ではむしろよっぽど「経験則」のほうが役立ちますしね。
最近知ったのですが、この「経験則」は「知恵」と表現されるようですね。

そういえば先日、瀬戸内寂聴さんがこんなことおっしゃってました。
「今の世の中、氾濫した情報を整理するには知恵が必要なんですよ」
2002年05月22日 16時36分13秒

東京の空のもとから

日記を公にするというのはいささか、どうかと思うんですよ。正直な話。要は独り言ですからねぇ。
でもこれ。考えてみるとメリットもあるんです。

 (1)意外とこの独り言が世の人にウケが良い。
 (2)僕の表現欲が満たされる。

お酒を呑んでいるといろんな話が聞けます。この話が僕的に結構、公にする必要があるんじゃないかなって思うんです。
んで人に話すとウケもいい。こりゃ、もうちょっと目に見える形にして伝えてみる価値があるのかなって思ってます。
聞いた話を僕なりに噛み砕いて、この日記に表そうと思ってます。かなり私見も入るので自己満足も得られるし。
2002年05月22日 15時46分51秒


私のホームページへ|