深名線

2002年5月2日探訪

深川〜名寄 121.8キロ<1995年9月3日廃止> 
  旭川のホテルを7時に出発して、旭川鷹巣インターから道央道を利用して深川に向かう。深川インターを下りて、国道233号線を深川駅方面へ。7時40分、正面に深川駅が見える道道47号線との交差点を右折し、一旦、旭川方面に戻り、市道9丁目線を左折して、深名線跡を辿る道程に入る。
  畑地の一本道を北上し、道がやや登りに差しかかったところに、線路が道路と斜めに交差していたらしき跡がある。その後、深川市開進地区で、道道875号線にぶつかり、右折する。このあたりから、路盤跡が右側に並行するはずだが、見つからない。このあたりに深川を出発して最初の駅だった、円山駅があったはずだ。
  道道875号線は、2年程前、旧道から新たに付け替えられた道路で、旧道への案内看板を過ぎると、いかにも新しい作りの多度志トンネルをくぐる。このトンネルは、深名線の多度志トンネルを拡幅して、再利用しているということだが、多度志側の坑口横には、深名線の多度志トンネル坑口が入り口を塞がれたまま残っている。深名線の多度志トンネルが完全に再利用されたわけではないようだ。
  そのまま道道を進むと、道道98号線にぶつかる。このあたりの道は、新道付け替え時に深名線の路盤跡を利用して直線化したようだが、路盤の痕跡は見当たらなかった。ただ、道端の空き地に、枕木が積み上げられてあった。
  道道98号線を左折して、多度志方面に向かう。右側に路盤跡が平行しているはずだが、農地と区別がつかない。しばらく走ると、多度志市街地が近づいてきて、道道の不思議な標識が目に入る。「多度志→」とだけ書かれた標識である。多度志駅が現役の頃は、0.8キロと表示されていたものを、駅と距離の部分だけ消してそのまま使用されているので、こんな変な標識になってしまっている。
  その標識に従い右折すると、突き当りが多度志駅跡である。数年前までは駅舎も残っていたらしいが、撤去されて、今はただの空き地となっている。
  かつての駅前通りを走ると、国道275号線とのT字路交差点に出る。深名線は、国道に沿って走っていた。かつて、ここから宇摩までの国道は、踏切ごとにクランク状に曲がっていたらしいが、深名線廃線後、改修されて、直線化され、踏切の名残は一切なくなっている。そのため、路盤跡らしきものは、途切れ途切れにしか、判別することができない。
  国道は左側に雨竜川を見ながら走る。かつては右に深名線が走っていたはずだ。鷹泊の市街地を過ぎ、しばらく走ると、幌加内峠に差し掛かる。路盤跡は国道の右側より、大きなカーブを描いて峠に迫っていたため、国道からは見ることができない。
  未だに残る国道275号線の鷹泊跨線橋を渡り、峠のサミットを通過して下りになるところで、幌加内町に入る。深名線は、国道の左側を、幌加内トンネルで峠のサミットを越えていた。
  峠を下り切り、幌加内の盆地をしばらく走ると、幌加内の市街地に入る。ここは沿線最大の市街地であり、高校もある。この市街地のはずれに幌加内駅はあった。駅舎は、バスの待合室や地域の集会所として利用されていたが、2年前、失火で焼失してしまい、今は、跡形もなくなっているらしい。跡地を見るつもりで市街地に入ったのだが、見当たらず、駅を出てすぐの路盤跡だけを見て、再び、国道を北上する。
  このあと、路盤跡は、雨竜川を渡るまで、国道に着かず離れず並行して走っていた。やがて、山が迫ってきて、雨竜川が右側に寄り沿う頃、道路から神威川橋梁が見える。
  神威川橋梁のすぐ朱鞠内側に、ワーレントランス橋と呼ばれる第三雨竜川橋梁が現れる。国道を走っていると、線路がカーブしているので、運転席からはほぼ正面に捕らえられるので、、見逃すことはないだろう。道路から第三雨竜川橋梁を見て、幌加内側を振り返ると、先程の神威川橋梁も見渡すことができる。
  ここから路盤跡は国道の右側に沿って走る。第三雨竜川橋梁を出てすぐ左には、あたりの景色には不似合いなほど近代的な「道の駅政和温泉ルオント」という温泉施設がある。周囲に一軒の民家もない所にある、異様に近代的な建物だが、皮肉なことに、駐車場は車で一杯だった。
  しばらく国道を走ると、政和の集落に入る。右側にホクレンGSの看板が見えると、その奥に政和駅跡がある。この駅舎は、廃線後、この地に営農のため移住してきた家族の住居として利用されていたが、2年程前に、その家族が町内の他の地に移動してからは、空き家となっており、現在は物置として利用されているようだ。まあ、どういう形にしろ、駅舎が残っているのは嬉 しいことだ。ただ、駅前ロータリーにある開基70周年記念モニュメントは、それ自身の錆と集落の寂しさが相まって、何か哀れを誘っているようだ。
  国道に戻り、政和の集落を抜けると、再び、周囲に民家がない地帯を走る。しばらく沿うような道を走ると、ぱらぱらと数軒の民家が現れ、苫前町から来る国道299号線と交差する。国道299号線との交差点は、幌加内方面と朱鞠内方面とで、Y字の交差点になっている。ここからしばらく国道275号と299号の重複区間となる。添牛内橋で雨竜川を渡り、重複区間終点の北星で国道275号線方面に左折して朱鞠内に向かう。
  左折してすぐに、初瀬尾跨線橋を渡る。ここで、今まで国道の左に並走していた路盤跡が右側に移る。またもや周囲に民家もない道を走る。朱鞠内トンネルをくぐると、すぐに深雪橋を渡るが、右側に、橋梁部分が撤去され、橋台だけが残る深名線の橋跡が見えた。
  しばらく走ると、両側にパーキングがある。朱鞠内駅の少し手前だ。路盤跡側のパーキングに駐車して、路盤跡に上ると、当然レールは撤去されているものの、バラストはきれいに残っている。朱鞠内駅跡のほうを眺めると、路盤上に重機があるのが見えた。
  パーキングを出て国道を走るとすぐ、朱鞠内の市街地に入り、左に真新しい郵便局、その後右にホクレンGSが見えると、その奥が朱鞠内駅跡だ。
  噂では聞いていたが、以前に残っていた駅舎やホームはすべて撤去され、構内はきれいな更地となって、駅舎があったとなりに、何か不釣合いなバス待合室が建てられていた。
  深名線は深川〜名寄間を直通する列車がなく、直通するとすれば、すべてこの朱鞠内で乗り換えとなっていた(豪雪地帯のため、ダイヤの乱れを最小限にとどめるための処置だったらしい)。かつて、乗り換えのために長時間待機し、廃線後も一度訪れて、待合室にあった駅ノートに記入し、荒れたホームにたたずんで在りし日の深名線を思った、あの朱鞠内駅は跡形もなく消え去っていた。廃線の駅舎など無用の長物であるということは否定しないが、思い出の多い駅舎がなくなっている現実を考えると、廃線跡を巡るという行為が何か虚しく感じてしまった。
  気を取り直し、再び車を走らせる。国道から左折して、朱鞠内湖畔へと行く道道528号線(蕗の台朱鞠内停車場線)に入る。しばらくの上り坂の後、平坦部に入ると左側に、宿泊施設「ふれあいの家・まどか」が現れる。その手前の林道を入っていくと、朱鞠内から分岐し、日本海側の羽幌に向けて建設が進められ、ほぼ完成しながら、列車が走ることなく、工事が中断された『名羽線』の路盤跡や築堤が残っているらしい。今回は時間の都合で行けないが、時間があれば行ってみたいものだ。
  しばらく、白樺の林の中を走り、周囲が開けてくると右側に朱鞠内湖の看板が現れる。そこを右折すると、路盤跡と交差する。かつては湖畔駅手前の踏切だったところだ。すぐ右側にパーキングがあったので、そこに車を停め、周囲を散策する。現役時の湖畔駅は、名寄方面に向かって左側に片面のホームと小さな待合室があるだけの駅だったが、廃止後、数年間はそのホームだけは、鉄骨の枠だけの姿で残っていたらしいが、すでにそれも撤去され、かつて駅が存在していたという名残は全くなくなってしまっている。
  湖畔駅を出ると、深名線は、道道とも離れ、北母子里までは朱鞠内湖と宇津内湖の間の原生林の中を走っていた。途中、白樺、蕗の台という、廃線前に廃止となった仮乗降場があった。それらを探訪すべく、道道528号線を北母子里に向かい車を走らせたのだが、この道道528号線は11月から6月の冬期間通行止で、そのことは分岐点の標識にもあったが、今年はことのほか雪解けが早く、もしかすると開通しているかもしれないと思ったが、やはりしばらく走ったところでゲートが閉まっており、通行は不可能だった。
  仕方なく、来た道を戻り、国道経由で北母子里駅を目指す。









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