Detour 03-1 in Myanmar
Osaka〜Yangon(21st)

基本情報
●正式国名:ミャンマー連邦(UNION OF MYANMAR)
●首都  :ヤンゴン(YANGON)
●面積  :68万平方キロメートル
●人口  :4,460万人
●民族  :総人口の約70%はビルマ族。その他はシャン族、カレン族、ラカイン族など135の少数民族がいる。
●言語  :ミャンマー語が公用語。英語は、ホテルや高級レストランなどのごく限られた場所でしか通じない。
●宗教  :約90%は仏教徒(南方上座部仏教)。その他はイスラム教、ローマ・カトリック教など。
●時差  :日本より2時間30分遅れ(日本が正午のとき、ミャンマーは午前9時30分)
●産業  :農業が基盤。その他、チーク材の世界最大の輸出国、宝石類の産出国と、天然資源も豊富。



第一印象 2重か3重か何重だか知らないけれども、「なんなんだ?」 と言いたいほどこの国の通貨複雑怪奇で、これからも困らせられそう。



  私は、関西国際空港に向かうために土曜日の夜から出発して“高松発、神戸行き”のフェリーに乗船していました。
中途半端な神戸までの4時間30分。  しかも、加藤汽船には私の期待していたものがありませんでした。  『なぜ!?』『毛布と、枕ぐらいあったっていいじゃないの!』  おかげで体の芯まで冷えきってしまって、出足からちょっと心配・・・。  『病気になったら旅は苦痛でしかなくなります。』
  まだ暗いうちに、神戸港に到着。  バスを乗り継いで、三宮の駅まで。  ここで腹ごしらえ。  “松屋の牛丼”。  紅生姜を山盛り、『これで、大丈夫!?』
朝5時の神戸。  何もすることはないが、とにかく少し眠りたい。  『安心して、寝れるところは?』  

『電車の中が一番温かくて、安全かな!』
思いつくまま関空ヘ向かうJRの切符を買いいざプラットフォームへ。  まずは大阪行きの電車に乗り込みました。  大阪からは、直接関空に向かう電車があったので、迷わずそれに乗り込み、就寝。  しかし、睡眠もままならいうちに現地に到着してしまう始末。
時計を何度見ても、まだ7時。  飛行機の出発まで、あと7時間以上の時間が・・・。
『こうなったら、関空を隅から隅まで探索だ。』
しかし、疲れてあえなくダウン。  人気のないベンチで再び眠りにはいります。
Zzzzz~
 

再び目が覚め、時計を見ましたが11時、まだまだ時間が…。  
関空の地下にあるローソンに行き、最後の日本食“幕ノ内弁当”



 やっと時間が来て、けだるい体に、いつものように、けだるい出国審査。  またそれ以上にけだるい6時間30分にも及ぶ飛行時間。  最大の盛り上がりは、「現地の気温は35度」とアナウンスされた時。  機内が一瞬、「ドッ!」
ビールとワインで気分を紛らわそうとするのですが、体はハッキリと疲れを感じていました。
今日は朝早くから起きている(寝ていない)。 その上、時差の関係で今日は2時間30分いつもより余計に動かなければならない。 まあ、なるようになるでしょう。』

  何度旅行に行っても一番緊張(心配)するのは入国するとき。  『空港からの交通は?』『ホテルは?』  まして、それが夜であれば尚更のこと。  今回もやはり、前もってホテルは予約していませんでしたし、まだこの先どこに行くのかさえ決めていませんでした。  ただ、スーレーパゴタ(パゴダは寺院の意味)の近くまで行けば、なんとかなるとは思っていましたが…。



  飛行機から降りると一番に乗客を迎えてくれたのはどこかで見たことのあるリムジンバス。  一瞬それを見たとき、羽田か成田空港に着いたかのような錯覚が…。  まだ、日本でも現役バリバリで活躍中の、白とオレンジ色のリムジンバスがタロップの下で、我々を迎えてくれたのです。  ただ一つ違ったのはバスのドアが閉まらなかったということ。
ドアが閉まらないので、まだ出発しないと思いきや、急発進。  ドアから吹き飛ばされそうになっている人さえも。  ドア付近の乗客は少々つらそうでした。
歩いてもほんの2〜3分の距離なのですがリムジンバスでの送迎。  『こんな危険なリムジンなら歩くほうがまし?』  私には単なる見栄としか思えません…。

  空港ターミナルは最近新しく改築されたようで、たいそうご立派。  夕日をうけて、金色の建物が益々金色にに輝いていました。  一歩ターミナルを入ると入国審査場が。  しかし、それよりも一番に私の目に飛び込んできたものは…。
その先にいる数名の職員の姿。  入国審査が終わったそのすぐ後ろで、あの忌まわしき強制両替をさせるべく我々を待ち構えていたのでした。
<強制両替というのは、ミャンマーに外国人が入国する際、300米ドルを国内通貨300FECに両替しなければならないという最低最悪の世界唯一の規則です。>
個人旅行者は、入国時に外貨兌換券(FEC)と呼ばれる、建て前上は米ドルと等価(実際はドルより低い)で再両替不可のミャンマー専用金券を300ドル分購入する義務があるのです。  つまり、『どんな貧乏旅行でも、どれほど短期間の滞在でも、最低300ドルは落としていってもらいますよ』ということである。  軍事政権らしい小癪な考えだといえます。
ミャンマーには正式な通貨としてチャットというものが存在はしますが、外国人は、食費やお土産代などを除いて、飛行機、鉄道、ホテル、入域、といった観光に関わる諸費用を米ドル(FEC)で支払わなければなりません。  それは、複雑極まりないチャットのレート、およびミャンマー国内の物価や人件費の極端な低さに原因があるようです。  もし、あらゆる支払いをミャンマー人と同じ値段でチャットで行えば、本当に一日あたり数百円の予算で十分なのです。  しかしそれでは国にとってまったくうまみがないので、観光に関わる部分にドル建ての「外人価格」を設けて、非常に割高な料金を徴収しているのです。  不思議なのはレートで、数種類が存在しています。  公定レートとは政府が望むレートであり、5チャット/ドル。  これはおよそ非現実的なレート。  でも、銀行ではこのレートでしか両替できません。  無論公定レートでは経済は立ち行かなくなるので、実際に意味を持つのは闇レートです。  闇レートとは市場レートのことであり、この時330〜340チャット/ドル。  このレートは一ケ月で数割は平気で変わるようなもので、とても不安定です。  政府は一旦は闇レートを公認していたのですが、方針転換で闇両替商たちはすべて捕まり、今やライセンスを持つ商店すら両替には手を出したがらない。  なにしろ、両替屋に両替を頼むと、うちではやっていないからその辺を歩いている誰かに頼んでくれ、というのです。  そして、その折衷案として設けられている公設両替所レートは、200チャット/ドルくらいです。  論外の公定レートよりはまともだが、それでも闇レートよりは随分と悪いといった、複雑なシステムがこの国には存在するのです。



左下からうえに
1チャット、5チャット、10チャット

右下から上に
15チャット、20チャット、90チャット







『これでは、逃れようがない。』
最近、一層強制両替が強化されたとは聞いていましたが、全くその通り。
仕方なく、本当に仕方なく、敵が望むまま300ドルを300FEC(Foreign Exchange Certificate)に両替し、これでやっと入国を許されました。



  リュックだけの私は、そのままゲートの外へ。  
最初にツーリストインフォメーションで地図をもらおうとしたら、なんと「ホテルを予約したらプレゼントする。」
『アホらしい、やめ。』
しかし、もう一方のカウンターで、駄目でもともと、「地図をほしい!」
と言ってみたら、あっさりOK!  立派な地図も手に入って、ここでミャンマーの印象度アップ。
  さて今度は、交通手段。  空港の建物の外に出て、タクシーの客引きの様子を探っていると、一人の男が…こっちにやってきます。
「市内まで3ドル」(ミャンマーでドルといえば普通はFEC。1FEC =US1ドル USドル紙幣も使用可)
初めから、“予算は3ドル”と決めていた私はそのまま白タクに。
(もっと言えば、もう少しは安くなるでしょうが、でもお互いに気分よくないと、変なところに連れていかれては困りますから。  なにせ、我々はみんな少なくとも300FECは所有しているということは誰でも知っていることなのですから。 ちなみに公務員の給料は約3000チャット=10FEC程度)
「どちらまで?」
さっき、ツーリストインフォメーションでチラット見た“ホワイトハウス”という名のゲストハウスを思い出し、それを運転手に伝え、出発。  市内まで20キロ弱、時間にして約30分の距離です。
  途中、ミャンマーで一番巨大で有名なシュエダゴォンパゴダの前を通りぬけ、次に有名なスーレーパゴダが見えたところで右折。  なかなか立地条件のよい所に、そのホテルはありました。
従業員も、「こんばんは。」 これぐらいの日本語は誰でも知っているようです。  個室、扇風機付き(バス・トイレは共同)5ドルと手ごろな値段。 
『まあ、どこもよく似たものでしょう。』 そのままチェックイン。  こうして、私のミャンマーでの滞在が始まったわけです。


  さて、ミャンマーに来て一番奇妙に感じたこと。  それは“ロンジー”と呼ばれる民族衣装を男女と問わず誰もが着けていたことでした。  ロンジーとはおよそ3メートル程の布を筒状に縫い合わせ、それを腰に巻きつけるものです。  わかりやすい言えば、ロングスカートのようなものです。  そんな中で、ジーンズにシューズといった私のいでたちは、まるで街中をタキシードでも着て歩いているかのように、全く場違いなもの。  そんな風に感じられました。
またロンジーはどのぐらい、この国では普通なのかというと、交通標識で歩道を示すところに、ロンジーをはいた人が描かれているぐらい当たり前のことなのです。  以前パキスタンでも、このようにみんなが民族衣装を着けている光景を見ましたが、東南アジアにあって、それは尚更驚きに感じられました。  『でもその方が、これからが面白そう!』
“郷にいれば郷に従え!”  それれが私の旅のスタイル。  『それじゃ、ロンジーを買いに行こう。』
ロンジーが買える場所をホテルの従業員に聞くと、返ってきた答えは「チャイナタウン」。  そこに行けば、ロンジーだけではなく何でもあるらしいのです。  従業員の言ったように、大通りをまっすぐ行って左折。  その方向に進んでいくと、ありました。  『金行です。』(金行とは金を扱うお店のこと。 チャイナタウンなら全世界中で見られます。)  そして、その店を過ぎたあたりから、しだいに辺りも少しずつにぎやかになってきました。  路上には多くの屋台が出て、なんともいえない匂いに、しばらくは意識の外にあった食欲が急に掻き立てられてしまいます。

  一見の洋服屋さんに入り、「ロンジー」  従業員も多少の英語はわかるようで助かりました。  865チャットで綿製のロンジーを購入。  本当は光沢がきれいな絹製がほしかったのですが、高くてやめ。
(タクシーでホテルに向かう途中。 運転手の言うままにFECを現地通貨チャットに両替していました。 以前にもあった様にFECが使えるのは通常観光客相手のところばかり。 普通のところはもちろんチャットしか受け取りません。 この時の交換レートは 1FEC=250チャット。)  米ドルはこの時1ドル=約120円でしたので、このロンジーは日本円で言えば400円弱ということになります。
『これで、明日からミャンマー人に変身だ!』
  1日の最後の締めくくりは食事。  ミャンマー最初の食事。  私の経験上、旅において常に最低でも一品は自分の舌ににあうものを見つけておくことは非常に重要なことです。
もっとも、食事ということに関して言うならば、東南アジアの食事は比較的日本人にとっては大丈夫なものばかりなのですが…。
もし困ったときは、焼き飯(Fried rice)。  これに限ります。  多分大きな外れはないでしょう!?
しかし、屋台を見まわって、山積の麺を見ていると無性に麺が食べたくなてきました。  麺が山ほどのっかかっている屋台に座り込み、身振り手振りで「これ一杯!」 
“天下一品”というラーメンをご存知でしょうか。  京都を本部として、全国にフランチャイズ展開をしているラーメン店。  私は学生時代からの大の天下一品ファン。  そのラーメンに少しだけ、ココナッツミルクを加えたような味。
『これはいける。』  これで50チャット(25円程度)。  ン〜大満足!

  少しゆっくりしようと思ってホテルに帰ってきたのは、夜の8時半。 『アレッ!』  しかし部屋には、黄色い非常灯が灯るだけ。  ミャンマーは慢性的な電量供給不足で、停電は日常茶飯事。  もちろん、たのみの扇風機は動くはずもなし。  聞けば、10時から蛍光灯と扇風機が動き始めるそうです。  窓もない私の部屋は、半分蒸し風呂と化しています。  その中で今、私はこの日記を書いています。
今から洗濯して、それから…。  『あ、暑い!』  一刻も早い電気の復旧が望まれます。
  最後に、嬉しいような嬉しくないような心配が一つ。  『お金がちっとも減らない。』
一週間いて、300ドル。  1日40ドルは使わなければならないのに…。  FEC再両替も出来ず、国外に出ると単なる紙くずですから。  どうにかしてよミャンマー政府さん!




  ライトアップされたスレーパゴダ