Detour 03-4 in Myanmar
Pagan (24th)
朝6時過ぎ、眠い目をあけるとみると、そこには一人の男が。 バスはすでに止まっていました。 しかし、バスの窓から外の様子をうかがっても、バスターミナルに着いている様子はなし。 『どうして?』
「外国人はパガン地区に入る際には10ドルを払わなければならない。」 そんな説明を丁寧にしてくれます。 ここは、パガン特別区と呼ばれ外国人が入場する際に料金を徴収していたのです。 それはここだけではなく、ミャンマーにはこのような特別区が他にもいくつかあります。
いやはや熱心というか、朝の6時から、こんなところにいるとは夢にも思っていませんでした。
『もしかしたら、これは夢?』
特別区の話し自体は本で読んでいたので、『やっぱりきたか。』 という感じでしたが、こんな場所でこんな時間に徴収されようとは…。 これでは逃れようがありません。 仕方なく、料金10ドルを払い、開放された私達。 そうして、再びバスは動き始めました。
本当のバスターミナルはその少し先にありました。 バスが到着するやいなや、ホテルの客引き達がバスに群がってきます。 それぞれが、自分のホテルの名刺を差し出しながら料金や場所についていろいろ説明し始めます。 そして面白いのは、必ず決まったように彼らが、“このホテルは最高です”とか“ローケーションも最高、従業員も親切”とか日本語で書かれたノートを見せてくるのです。 なかなか、英語を話せる日本人は多くないので、きっと彼らが、日本人を安心させるために考え出したものなのでしょう。 が、もしあなたがこれを見たらいかが思うでしょうか・・・?
この客引き達は、自分が契約したホテルに客を連れていくことができればホテル側からマージンをもらえるのです、それがインセンティブに。 私自身は、『ホテルはどこ行っても似たようなもの。 あとは運しだい。』 といつも思っていますが、バスの隣席になった栃木君(名前は知りませんが栃木出身ということで)が聞いたところによると、“New Park Hotel”がいいらしいのです。 それじゃと、私もそれに便乗することに。
馬車に揺られて、わずか5分。 バスターミナルからそんなに離れていないところに、そのホテルはありました。 料金を聞いてみると、ドミトリー(相部屋)は3ドルだがベッドが満員。 個室なら4ドルでエアコン付き、ホットシャワー付き。 大満足で、いや驚き。 ヤンゴン離れるだけで物価もかなり安くなっています。 今それが、身を持って実感できます。 もっと期間の長い旅行ならば、1泊4ドルでも満足できず、きっと他のドミトリーを探したことでしょう。 もちろんシャワーは水だけで充分。 1〜2ドルのもっと安いホテルもあるそうですから。 しかし、今回はどっちかというと強制両替のためお金が余っている身分。 迷わず“New Park Hotel”に決定。
しかもそれだけではなく、イングリッシュ・ブレックファースト付き。 『パガン最高!』
そういえば、ここパガンは以前行った“アンコール・ワット”の町と、なにか雰囲気が似ているような気が…。
しかしアンコール・ワットと比べると、ここはゲリラも出ませんから安全ですし。
朝食とホテルへのチェックインを済まし、ここに連れてきてくれた客引きに一つ質問。
「Mt. Popaに行きたいのだけれども、どうしたら行けるのか?」
Mt. Popaはパガンから、約50キロ離れたところにある仏教寺院。 ロンリープラネットという英語版のガイドブックを初めて見たときに、私が最も興味を引かれたのが、このMt.
Popaとあとで行こうと思っているチャイティヨだったのです。 しかし、50キロともなるとバスで行くか、タクシーを借り切らなければなりません。
聞くと、「行き帰りで、20ドル。」
『ちょっと高いかな。 値切れるものなら、値切ろうか。』 "Discount
Please!"
少し考えていると、あっさり「15ドルでOK!」
それならばということで、とりあえず荷物だけを部屋に置き、すぐ出発。 栃木君も、よかったらということでタクシーに同乗。 料金は私持ち。
『一人でも二人でも料金は一緒なので、話し相手がいたほうがいいか!』
ミャンマーの道路事情は、主道に関していうならば、ほとんどは舗装がなされています。 ただ、日本のような舗装は想像しないで下さい。 もっと問題なのは、自動車が左右すれ違うのにもかかわらず、道路の舗装部分はほぼ一車両分だけだということ。 お互いに対向車がいないうちは、舗装道路の真中をゆうゆうと進むことができますが、しかし対向車が来たならば、舗装のされていない路肩に車半分をだして走らなければならないのです。 小さな車同士ならまだしも、トラックとバスとなると、一層悲劇です。 したがって、この時なのです。 もっとも揺れがひどいのは・・・。
私達が乗ったタクシーは、トヨタ・マーク2。 日本でも高級な種類の車で道中は快適でしたけども、もしサスペンションが弱い車であったならば50キロの距離も一層長く感じられたことでしょう。
いくら進んでいっても、窓からは干からびた大地が相変わらず見えるだけ。 しかし、どこから来たのか、そこには確かに人もいます。 本当に何もないようなところで、多くの人々が生活しているのには、私だけではく栃木君も不思議に思っているようでした。 しかし、間もなくその疑問も明らかになります。
急にタクシーがとまり目の前に見えたものは、牛を使ってなにかをひいている子供とおじいさん。(写真左)
 
重要だったのは、そこでひいていたもの自体というよりは、むしろそのあたり一面に植えられていた椰子の木。 それが彼らの生計を支えていたものだったのです。
運転手の説明を聞くと、椰子の木に傷をつけ、そこから出てくる樹液を採取して、それを煮詰めて砂糖を作っているのです。 勧められて、口に含んでみると、なんだか懐かしい砂糖菓子のよう。 一方で、樹液を醗酵させて、お酒にもしていました。 これは私には“スッパイ”の一言。 私には不向きな味!? 砂糖菓子のお土産をもらって、再びMt.
Popaに向かいます。
また途中でタクシーは停車。 今度は日本の企業によって椰子の木を植林された場所に。 看板には、企業の名前とか、地方自治体の名前が書かれてありました。 また。そのほとんどは、日本からの援助によるものみたいです。
植林地帯
そしてそこを抜けると、また何もない大地が現れましたが一つだけ変化が・・・。 “山”
山らしきものが遠くに2〜3個見えてくるようになったではありませんか。 時間的にも1時間はゆうに過ぎていますから、『もうそろそろかな?』という期待も高まってきます。
山道を入って、ポパ村に到着。 『いよいよだな。』 心が、そわそわしはじめるのが自分でもわかります。
もう一度山道に入ってそこを抜けた時。 それは唐突のことでした。 その雄大な姿を我々の前に見せたのです。
写真で見た通り。 いや、現物はそれ以上の迫力をもって我々に迫ってくるようです。
Mt.Popa
空中庭園とでも言えばいいのでしょうか? ぽっかりと空中に浮かんだお寺がすぐ見の前にあります。 神様の忘れ物のようにも思えます。 丸い岩の上にお寺が乗っかかっており、一層奇妙な感じ。
思わず驚きの声を出してしまい、それを聞いていた運転手も気を利かせて、車を道の脇に止めて「写真撮ったら?」
まさに、そびえ立つ要塞。 これが見れただけでも来たかいがあったというものです。 もちろん、山頂にも上ることはできます。 登山口といえばよいのか、お寺の入り口と言えばよいのか? 門のところで私と栃木君を降し、運転手は下の『ヤンゴン レストランで待っているから。』
「出発の時間は?」
「Up to you!」(あなたしだい!)
それじゃ、いざ登山開始。 そこには、普通の階段ならば二段分はあろうかという巨大な階段が続いています。
『どうも、登る女性や子供のことは考えていないらしい?』、『それとも、これも修行か?』 などと、考えながら先を急ぎます。 参拝道には初め、おみやげ物の店が軒を連ねていましたが、あえて足を止めるほどのものではなく、気持ちは山頂に。 サルが飛び回るその中を進んでいくと、そこにはハシゴが。 これを登りきれば、いよいよ山頂のようです。
ハシゴを登りきると、そこはもう別世界。 下が一望できるベンチに座り、乱れた呼吸を整えます。
改めて下を見ると、多少の霞がかかっており、まるで仙人気分。
そこには、あとからあとから建て加えられたのでしょう、いくつかのお寺の建物や金ピカ仏像。 お寺の中では、熱心にお祈りを捧げている人々の姿が見られました。
こんな私でも、少々神聖は気分に浸ります。 改めて、ベンチから下の方を見下ろすと、すぐ下で数人が、石に水をつけながら、その石を砥石のようなもう一方の石にこすり付けていました。 石を磨いでいたといった方がいいのかもしれません。 そして、その削り粉(実際は水に浸かっていましたが)を体の色々な部分に塗りつけていたのです。 『具合の悪いところに線香の煙をかけるとよくなる。』 そんな風景は日本の、お寺でも見られる風景ですが、まさにその別バージョン。
  
その後もしばし、境内を探索。 『しかし、お祈りするわけでもなし。 もう降りようか?』
『あれっ、栃木君がいない?』
境内をもう一度見まわしても、どこにもその姿を見つけることはできず、一人で下山。
下山途中で、“お掃除一家”発見。 “Donation for sweeping” お寺をお掃除しているから、寄付をお願いします。 こんな意味なのでしょう。 もっとも、他にもいろいろな人々がいましたが、この一家は他の人々とは少し違っていたので紹介します。 ほうきで掃除するだけならだれでもできます。 しかし、この一家はお父さんと子供たちが一緒に歌を歌って聞かせてくれたのです。 『なんとも言えない、いい気分!』
私も心ばかりの寄付をして、ついでに写真をお願い。
Sweeping family
やっぱり、栃木君は下のレストランでのんびりとコーヒーを飲んでいました。
『すぐ帰るのかな?』 と思っていると、運転主は、「今から食事をするので、ちょっと待ってて!」
また近くの店を、ぶらり。 大した物がないのは、どうもミャンマー中どこでも同じみたい。 小ぶりのキーホルダーを12個、200チャットにまけてもらって購入。 『強いて言えば、買えるのはこれぐらいかな!』
後は近くの屋台で、思いつくままのコーンやたまねぎを揚げたものやら、スパゲッティーのような麺やら、名前はどれも知りませんが、ミャンマー語の勉強付きの軽い食事。
ここを離れる前に一つ大発見。 写真で気が付いたかもしれませんが、ミャンマーの人のほとんどは顔になにか塗っているのです。 最初は“日焼け止め”か何かかと思っていました。 実はそれはタナカという木だったのです。 タナカの削りカスを水で溶かし、体に塗っていたのです。 私もここで、体に塗ってももらいましたが、実に“スーッ”という感じが心地いいんです。 ちょうどメンソールを塗ったような感じでしょうか。 しかも、それが乾いてからも、その涼しい感覚は途切れることはなく、暑い国にとって非常に便利なものです。
タナカを売っているお店
帰り道は、さすがに疲れがでたのか車の中で居眠り。 正午頃でした、ホテルに戻ってきたのは。
バスの疲れと午前中の疲れを少しでも癒すべく、4時間だけ昼寝することに。 あとは、起きてからのこと!
アラームが鳴る、その少し前に目が覚め、再び行動開始。
『まだ、時間もあるしな! 自転車をただで貸してくれるっていってたっけ。』
『エーヤワディー川を見に行こう。 今から行くと、夕焼けのエーヤワディー川が見れるかも?』
ただ、エーヤワディー川を見たくって、あてもなくオールドパガンと呼ばれる旧市街へ。(11〜12世紀頃に栄えた都。 現在は寺院遺跡で有名、街の中心はニャウンと呼ばれる新市街に移行。 私が泊まっているホテルも新市街にあります。)
私が借りた自転車は“HERO”という名前の中国製自転車。 乗り心地は、心地というものから遠くかけ離れたものでした。 『ホテルから3キロ、いや4キロ以上はあったかな?』
茶焼けた大地に小さなレンガを積み重ねただけの、名もないパゴダが次々と現れては、消えていきます。 この地区だけでも大小1,000以上のパゴダがあるといいますから、最初のパゴダを見つけた時こそ感動しましたが、そのうち『アッ』、程度にも思わなくなってきていました。
オールドパガン
しかし、今度は前方に金色の何かが見えてきました。 今まで見てきたものは、レンガのものばかり。 金色のものは…なし。

それが、アーナンダ・パゴダ。 このオールドパガン地区で一番有名なパゴダだったのです。 しかし、そこにも寄らずに通りすぎただけ、まだ先へとペダルをこいでいきます。
『もっと先には、もっとすごいものがあるんじゃ?』
それともう一つ。 さっきから、この道はエーヤワディー川と平衡に走っているだけで、エーヤワディー川の姿を見ることができません。 『どこかに川に出る道はあるはずなのだが…?』
“Gawdawpalin Pahto”という比較的大き目のお寺に行ったところで、Uターン。
『これ以上先に行ってもいっしょ。 もう一度戻って、少し大きめの道を川に向かっていってみよう。 そうすればエーヤワディー川にあえるかも?』
結果大成功。 そこにはエーヤワディー川を臨むことができるお寺があり、絶好のビューポイントとなっていました。 しかも、まだ日が高いとはいえ、霧があったせいか周りがうっすらと赤くなっており、夕暮れの様相をかもし出していたのです。
エーヤワディー川
始めて見るエーヤワディー川の姿に吸い込まれそう。 パガンはエーヤワディー川にとっては、河口というよりはどらかというと上流にある街。 向こう岸が見えないぐらいい大きな川というわけではありませんが、その雄大な川の流れに時の流れを忘れて、見入ってしまいました。 川には遊覧船、車や荷物を運ぶフェリー、はたまた運送船までも…。 タイのチャオプラヤー川、ベトナムのメコン川に比べれば、まだまだ未開拓で、エーヤワディー川は落ち着きを感じます。
エーヤワディー川から見たパガン
しかし、よかったのはここまで。 帰りは一苦労。 自転車のペダルをとめるビスが外れて、ペダルがガタガタ。 石でビスを打ち打応急措置。 外れては打ち、外れては打ちの繰り返し。 それにも負けず、懲りずに寄り道。
アーナンダパゴダ
もちろん、来る時に見たアーナンダパゴダにも。 ミャンマーのパゴダはそのほとんどで、パゴダに登ることを禁止しています。 その分物足りなさは残りますが、『破壊されずにこのままの姿のまま、残ってくれるほうがいいのかな!』かな?
夜はホテルの近くのレストランへ。 “Puppet Show”と呼ばれる人形劇を見ながら、今この日記を書いています。 人形劇は人形劇なのですが、日本の人形劇よりも手先の動きだけは数段繊細な動き。 これはアジア独自の特徴といえるかもしれません。 人間が実際に踊るダンスでも、一番大切なのは体の動きとういよりは、手先の動き・表現だといわれていますから。
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