Detour 03-6 in Myanmar
Pagan〜Ynagon〜Bago (26th)

  半分は夢の中でしたが、バスはまだ、走ったり止まったりの繰り返しをしながら進んでいるようです。  
朝7時過ぎに一軒のレストランの前に止まってMeal stop(食事休憩)。  『ヤンゴンまでもう1時間ぐらいで到着するだろう。 食事するまでないか?』と思い、コーヒー一杯で朝食をすましました。
しかしバスに乗り込んでから、ビデオが上映されるのを見た時、それは私のとんだ思い違いだということがわかりました。  今思うと、そこはPyayという街だったのではないでしょうか。  車窓からはものすごい、パゴダが見えましたから…。
もう一つ。  ここまで南下してくると、窓から見れる景色にも大きな変化を、見て感じ取れます。  今までは、見えるものはというと乾いた赤い大地だったものが、今バスの窓から見えるのは、確かに緑の大地に変わってきているのです。  その緑の正体は稲。  稲作地帯に入ってきたのでしょう。  緑の稲が一面に広がっています。  地理的にも水の便が、きっとよくなってきたからなのでしょう!  牛にまたがりながら、またある者は牛を引きながら、少年達が田んぼを行き来しています。  我々が普段頭の中でイメージしているアジアがそこにはありました。
それに比べ、ミャンマーの中北部では水を頻繁に運ぶ人々ばかりの姿を見ました。  水を樽に入れ、牛に引かせて運んでいる男達、一人ごとに頭の上に水を入れたバケツをのせて運んでいる女達。  一言にミャンマーといっても、それぞれの生活に根ざした独自の生活様式。  当たり前のことに、納得してしまいました。
  これからヤンゴンに着いてからその先のことを考え、ガイドブックを再チェック。  といっても、行き当たりばったりが私の本状。  次に行く予定の“Bago”の交通手段だけはとりあえずチェック!
  市内に一旦戻って、ラサストリートに行けば、そこからBago行きのピックアップトラックが1時間おきにでている。  料金は30〜40チャットが相場…等々。  
  やっとのこと、実に6時間も遅れてバスは2日前に出発した同じ場所、ヤンゴン郊外のバスターミナルに到着しました。  バスが停留所にはいるその前に、早速タクシーの客引きがバスに群がってきています。  
ここで、バスで知り合った2人の日本人女性とはお別れ。  大阪さんはなぜかお迎え付き。  何でも、知り合い(?)が迎えに来るそうなんです。  残った私と京都さんは、タクシーをシェアして街中へ行くことにしました。



「USドルに両替してくれる店を知っていますか?」と、京都さん。
「それならば、アウンサンマーケットに行こう。」
先日の下見が、役に立ちました。  しかも、あさって自分が両替しに来る時の予習になります。  喜んで私も同行。
  待ってましたとばかりに、アウンサンマーケットに入ったところで、
“Change money?”
知らぬ素振りで素通りしようとしましたが…。
“Good price!”
“それじゃ、FEC100ドル、両替するといくら?”
“95USドル”  ちょっと脈あり。
取りあえず、最初に彼の店に行ってみることにしました。
連れていかれた先は、実は先日と同じ場所!  という話しは、よくあることですから。
  今回は、それとは違っていました。  今度の店は、テッシュペーパーのお店。  そしてここからが、本当の交渉。  『FEC130ドルを、いくらのドルにできたでしょう?』(空港では300USドルをFEC300ドルへと、等価で交換させられたのに、再両替は安くしか交換してもらえないという話し自体バカげた話しですが…。)
粘って、125USドル。  5ドルがフイになってしまったわけですが、再両替できないのに比べたら…。
『こういうシステムをもし全部わかっていれば、強制両替もそんなに怖くはないですよね!  いくら国が強制しようとしても、“闇市場”という市場経済がここにはあったのです。  もっといえば、闇市場の経済規模は表面上の数字には決して出ないので、それがどれぐらいの規模かを計ることはできません。  がしかし、このミャンマーという国が最貧国と言われながらも、実際来てみると、そのものの豊かさに驚いてしまう。  そのギャップの部分を、補っているのが闇経済ということになるのでしょう。  だって、普通の給料20,000〜30,000円でどうやって車買うんですか?』
京都さんとは、昼食を一緒にとってそれでお別れ。  私は、バゴ行きのバスが出ているはずのラサストリートへ向かいました。  
しかし、誰に聞いてもバゴ行きのピックアップトラックはなし。
『どうして?』
『身なりのきちんとした人ならばきっと親切に教えてくれるだろう。』 と思い、あたりの人に聞いてみても、返ってくる答えは “No!”
まだあきらめず、今度は若い男性をつかまえて…。
いっしょに聞いてまわってくれましたが、それでも駄目。
『何でも、別のところにバスターミナルがあってそこに行けば、ピックアップトラックがあるとのこと。』
地図を見せ、その場所を指で示してもらうと、とてもここから歩いていけるような距離ではないということがわかりました。  『ウ〜ン?』
「車で行こう。」
「えっ?」
「ちょうどこれから、出かけるところなのでよかったら車で送って行くよ。」
なんといういい人。  そして私の運のいいこと。
助手席に座っているお母さんにその訳を伝えたところ、お母さんも喜んで行ってくれるとのこと。
突然の異国人の到来に、こんなにしてくれるなんて、かえってこっちが当惑ぎみ。  その上、ポテトチップスまでいただいて。  更には、バゴ行きのピックアップトラックまで見つけてくれて、なんと言ったらよいのか。  感謝感激、雨霰。  ますますミャンマーが好きになりそうです。


  ピックアップトラックに、つめ込まれること2時間。  やっと大きなパゴダが前方に見えてきました。  
道路標識を見ても、確かにバゴタウンと書かれてあります。  しばらく行くと、右手にサンフランシスコ・ホテルという名の看板が目に止まりました。  
『取りあえず、このホテルから見てみようか!』  ピックアップトラックの最終目的地はまだ先のようでしたが、そこでトラックを降りサンフランシスコ・ホテルに。
  結局二泊することを約束に、5ドルのところを4ドルにまけてもらって商談成立。
『まあこんなもんでしょう。 パガンに比べれば内容は落ちますが、エアコン付きでこの値段は仕方ないか?』

  ここに来た一番の目的は、チャイティヨ。  “金色の大きな岩”といったほうがイメージが湧くでしょうか?  山のてっぺんにあって、たとえミャンマーに大地震が起きても、びくともしなかった不思議な岩。  それを、見るためです。
一日がかりになるので、出発は朝5時。  ホテルの近くからチャイティヨ行きのピックアップトラックが出ているそうです。
それがわかれば、ちょっとバゴの街の散歩に。
市場を通り抜けていき、印象はというと『少しさびしい市場かな?』
まだまだ時間もあるので、そのついでにパゴダ見学。  まずはシュエモォドパゴダ。 

  シュエモォドパゴダ

  ミンティーダー丘に高々とそびえ立つ高さ114メートルの大仏塔。  ミャンマー三大パゴダのひとつに数えられてるそうです。  もともとは釈迦の遺髪2本を納めるために23メートルの塔を建てたのが始まりで、その後何度も改築された結果、現在の高さになったそうです。  
『これも信仰の力。 恐ろしきは信じることなり。』
確かに、ヤンゴンのシェダゴンパゴダに比べても、充分立派。  むしろ、修理中でないぶん今は、こっちの勝ち?
人も圧倒的に少ないので、なんとなく落ち着きがあります。  そして、その静けさのなかでストゥパーの先端についている金属の飾りが風に揺らされ、独自の音色をかもしだしているそのさま。  皆さんに、その音がお伝えできないことが残念です。
  正面玄関から入ったせいもあって、そこにはあの忌わしい、“外国人は2ドル払え!”の注意書きが。
先日のように、後で呼び止められるのも癪に障るので、いやいや2ドルを払い境内へ。  カメラTaxというカメラ持ち込み料金もありましたが、相手も聞かないので何も言わず知らんぷり。  『これこそ、アホくさい。』

 シュエモォドパゴダのストゥパー

  もう一ケ所、丘の上にあって、街が一望できるというヒンタットパゴダにも行ってみました。  
今度は、自転車タクシーに乗って。  何の事はない、自転車の後ろに乗せるだけのタクシー。  そんなタクシーがここにはあるのです。
  『客を逃してはなるまい。』 そうとでも思ったのでしょうか。  お寺の中まで付いてきます。
ここでもカメラTaxを払わず黙って、カメラ持ち込んだのに、このオジさんがいては写真も撮れない。  『ウーン、残念!』
それにしても、お釈迦様の後ろで、赤や黄色や青のランプをつけるのはやめにしましょう。  そうでなくても、このヒンタットパゴダは安っぽいのですから。

  ホテルの戻って今度は食事。  ビールを飲みながら、今日の出来事を日記を仕上げています。  今まで日記を書いたことのない私が、こんなところで日記を書いているなんて…。  人間、将来のことなんて、その時になってみないと、ほんとうに何が起っているのかわからないものです。
『今日は、明日も早いしホテルでゆっくりすることにしましょう。』


  ホテルでゆっくりできるはずが…。
ホテルに入ろうとしていた時。  一人の女性が。  そういえば、さっきもあったような。
先ほどは人違いだったみたいなのですが、今度は本当。  
「日本語の勉強をしているので、会話の相手になってほしい。」 というのです。  別にあせって寝ることもないので、「OK!」
「姉も呼ぶので、ちょっと待っていて。」
3人でしばし雑談。  聞くと二人とも学生で、6人兄弟の長女と三女。  次女は日本人の男性と結婚して、現在は東京都田無市に住んでいるとのこと。  それは「ちょうど3年前。 日本で結婚式をして、バゴでも披露宴をし、それはそれは豪勢だった。」 とのことです。
『この二人も、そういう白馬の王子様をどこかで夢見ているのかな?』 最初はそう思っていました。
しかし、彼女の夢は観光ガイドになること。
話を聞くと、とにかくミャンマーには仕事がないそうなのです。  前にも言いましたが、公務員の平均給与は2,000〜3,000チャット。  民間にしても20,000〜30,000チャットでドルにすれば7〜9ドル程度にしかなりません。  
現在お姉さんはフランス語、英語、ドイツ語、日本語とガイド業を勉強中。  
これだけ所得の差が大きいと、ガイドの収入はこの国の中では、かなりいいほうに属すのではないでしょうか?
特に日本語ガイドは、“特殊技能”になるので頼む場合も料金が高いとのこと。

  部屋の戻って、出てくるはずのホットシャワーがでてきません。  更に、つくはずの扇風機・エアコンもつきません。  『一体どうなっているの? 自家発電は?』
ここバゴも、ミャンマーのほとんどの都市と同じように慢性の電力不足。  自家発電も、全ての部屋の電力を賄うほどではなく、明かりだけで精一杯。  
ここバゴでも、やはり停電しないところはパゴダだけのようでした。  闇夜に浮かび上がるパゴダは確かにきれいで、輝いています。  が、神様ならばそれをこっちに分けてくれてもいいはず!
『うらめしや!』
  おかげでこっちは暑くて眠れず、挙句の果てに窓を開けてしまったもんだから、蚊が部屋じゅうに入ってきて、体中を蚊に刺されてしまってデコボコ。  『ウー、今日も眠れない!』