Detour 03-8 in Myanmar
Bago〜Ynagon (28th)

  蚊と暑さでほとんど眠れなかった昨日と違って、今日は爽快な目覚め。  『ウム〜 文明の利器、エアコン。 それと、やや古典的ではありますが、蚊取り線香、バンザイ!』

  さて、いよいよ今日は帰国の日。  しかし、飛行機の出発は夜の7時30分なので、今から夕方まではたっぷり時間があります。  正直こういうパターンは初めてかもしれません。  格安チケットを使っていると、出発時間が、早朝とか、深夜とかということばかりです。  『やっぱりANN。』 なんて感心。
  『じゃあ、何をしよう?』  考えいると、バゴに着てバゴで有名なものを一つ見忘れていたのに気付きました。  
“シュエターリャウンパゴダ” バゴー最大の涅槃仏(英語名 : リクライニング・ブッダ)が安置されていることで有名パゴダ。  今までにも、私はバンコク(タイ)やペナン(マレーシア)で涅槃仏を見たことがありますが、大きさではバンコクのものの上をいき、世界一だとか。  『とりあえず、見るだけ見てみるか!』
  朝7時から、早速ホテルを出、そのシュエターリャウンパゴダへ。  
ホテルの従業員に場所を確認。  というのも、昨日の夕方遅く、シュエターリャウンパゴダがあるだろう方向に、適当に歩いていったのですが、暗かったのと自信がなかったので帰ってきてしまっていたのでした。  
  ホテルを出ると、少しあたりの様子が違っています。  “真っ白”  ものすごい霧で、かろうじて2〜3メートル先が見えるだけ。  急に、霧の中から自転車が目の前に現れたりと、危なっかしい。  車は車で警笛を鳴らし続け、いつもに増して騒々しい朝です。  大きな道から、側道に入っていくと、やっと朝の風景が見られるようになりました。  せわしく、開店の用意をする人々や、 のんびりと、朝食を取る人々…。

  ミャンマー式カフェの様子

シュエターリャウンパゴダは、昨日降り返した地点の更に先にありました。  そこには看板があって、“シュエターリャウンパゴダ ⇒” 更に、5分ほど歩いていくと、左手にもにすごく大きな建物が現れました。
『これぐらいの建物がないと、大仏様も入れなかろうて!』  きっとこれに違いない。
  そして、ミャンマーのパゴダはこれがないと始まりません。  “狛獅子”



  ここでサンダルを脱ぎ、境内へ。  さすがにこの時間、境内は静けさが支配していました。  おみやげ物屋さんもまだ閉まっており、訪れる人の姿もまばら。  
この時、私は大変なことに気付いていました。  FECをホテルに置いたまま、持ってくるのを忘れていたのです。  外国人は、パゴダに入る時FECで料金を払うように命じられますから、FECを持っていなければ、もしかしたら境内に入れてもらえないかもしれません。  かといって、取りに帰る価値があるのやら…。

『こうなったら正面突破。』  今日は幸いロンジースタイル。  服も昨日着たままの、埃まみれのヨロヨロ服。
『ミャンマー人化計画の1週間後の成果が試されるときがきたのです。』
そこには、まぎれるミャンマー人団体もおりません。  勇気を持って正面入口から。  

『アレッ?』と思うぐらい無事に通りぬけることができ、職員も何もなかったように椅子に座ったまま。
『でも、ヤンゴンではここをパスした後につかまってしまったんだ。 油断は禁物。』  私の前にいたミャンマー人がするように、その場に座り込んで私もお祈りを始めました。
たぶんこれで、大丈夫。  やっぱり、大丈夫でした。
『これで私も立派なミャンマー人? 嬉しいような嬉しくないような不思議な心境です。』(あまり真似はしないように。)

横になっているブッダを眺めながら、ぐるっ〜と境内を一周。  改めてその大きさに驚きます。

  シュエターリャウンパゴダ
スリーサイズならぬ、そのブッダの体のサイズは全長が55メートル、高さ16メートル、耳の長さ1.2メートル、口の左右2.3メートル、まつげの長さ2.3メートル、足の大きさ7.7メートル。  その圧倒的な大きさ、愛嬌のある顔立ち。  この仏像は一見の価値があります。  正面から見て左側、ブッダの枕の部分には釈迦の一生を表した絵がはめ込まれています。  ブッダの背中、そのマットにあたる部分には、さらに絵が描かれています。  その解説ミャンマー語はいいのですが、英語も描かれてあったり、一体いつできたのものだったのだろう?
また、変わったところでは涅槃仏の両端に、仏教が入ってくる前から信仰されている「ナッ神」という神様が立っています。
  しかし、ブッダの色使いのせいでしょうか、“ヌベーッ”という感じを受け、『むしろ今では大きさで2位にはなっていますが、バンコクの涅槃仏の方が凛々しいかな?』 私の勝手な感想です。
 ブッダの枕です
  足の裏が一番派手

  ここで、ちょっと体に変化が。  腹痛か?  いや、単にトイレに行き忘れただけにお腹が痛くなってしまっただけ。  『トイレは?』(トイレという語は、そのままトイレで理解してもらえるので便利でした。)
その場にいた人にトイレの場所を聞くと、丁寧にトイレのあるその場所まで連れていってくれ、逆にちょっと恥ずかしい。
トイレに入ろうとすると、
「……………」(ミャンマー語)
トイレ料金が必要?  また「……………」
そして、「フォリナー?」 やっと、外国人だとわかってくれたみたい。
改めて、完璧なミャンマー人化計画に “ニヤリ”
「フォリナー 25チャット」といって、トイレの鍵を開けにいきます。  たいていのところでは、トイレ料金はあっても5チャットが相場。  『おいおい、こんなところにきてまでボルのかよ。 人の弱みにつけ込んで!』
でも、トイレの中に入ってみるとビックリ。  きれい、清潔そのもの。  なんとなんと、トイレットペーパーがある!
(東南アジアでは、トイレの後始末は“水”。  原始版ウォシュレットが普通です。  少しぐらい水がついてたって、お尻を2〜3回振れば、それで充分。  紙より清潔かも?  逆に、紙は使ってもトイレに流せません。  観光客の多いところでは、習慣で紙をトイレに流してしまって、トイレが詰まってしまって大変なことになっている場面を数え切れないぐらい見てきました。  もし、東南アジアにいく機会があったら気をつけて。)


  再びブッダを眺めること、10分。  いくら見てもそれ以上の事は起るはずもなく、リタイア。  やっと開店の準備を始めた、おみやげ物屋さんに行ってみることに。  適当な小物を見繕って、取りあえず買い物も終了。
しかし、観光化が遅れているせいもあって、どこに行っても大したおみやげ物はありません。  残念といえば残念。
  さあ、もう一度ホテルに戻って身支度をして、後はヤンゴンに戻るだけ。



  部屋に戻る前に、従業員に写真を撮ってもらって、これでロンジーにサンダルというスタイルともお別れ。  そこではいささか特異なジーンズとスニーカーというスタイルに変身です。

  サンフランシコ・ホテル

  チェックアウトするその時まで、ヤンゴンまで列車で行くのか、エクスプレスバスで行くのか、それともピックアップトラックで行くのか決めかねていました。  しかし、ホテルを出て最初に声をかけたピックアップトラックの運転手が、「ヤンゴンに行く。」 と答えたのを聞くと、『まっ、これでいいか!』
面倒なのでピックアップトラック決定。  車の助手席があいていたので、そこの乗り込むとピックアップトラックは過ぎに動き始めました。  
この時、最後になってわかったのですが、助手席に一人で乗るのと、荷台に乗るのでは料金は4倍も違うそうなのです。  でも、助手席に二人いれば、料金は半分なので荷台席の倍の料金で済むそうです。  ラッキーだったのはこの時、後から一人客が助手席に座ってきたのですが、少しの区間だけ。  料金は、それで本来の半分。  非常にゆっくりでき、ラッキー。

鉄道にも乗りたかったのですが、乗るには予約が必要だし、絶対に外国人料金が必要な乗り物なのです。  料金は、ミャンマー人の4〜5倍。  『あほらし!』

最大の誤算は、ピックアップトラックが街中に行かなかったこと。  空港近くのバスターミナルまで。  ここで、もう一度バスに乗り換えなければなりません。  

ダウンタウンの目印である“スーレーパゴダ”。  スーレーパゴダ行きのバスを探せ。
スーレーパゴダ近辺には、バスの停留所もあり、街中へ行くかなり多くのバスがそこを目標としているようでした。
思いの外、簡単にバスを見つけることができ、ラッキー。  料金も15チャット(4〜5円)と驚くほど安くて、2倍ラッキー。  ここでもバスは、日本製。  しかし、跡形がないぐらい改造したり古いもの。
“お降りの方は、このボタンを押してください。”“バスカードご利用のみなさまへ。” よく見ると、そんなことが書かれたシールが貼られているのがわかります。  それで、やっと日本製なのがわかる程度です。
  音もすごいが、排気ガスはもっとすごい。  『後ろの車は、はたして前が見えるのだろうか?』  ちょっと言い過ぎかもしれませんが、真っ黒な煙をはきながら、バスは進んでいます。  『こんなんじゃ、環境問題はなくならない。 コストのこともあるけれど、世界中で考えないと。 中国も、インドも、他のアジアも全部環境よりも、産業育成で大変なことになっています。 同時に、多くの人口を抱える国々なのですから。』



  街中に着くと時間はもう1時ごろ。  もう、これで最後の食事になるかもしれません。  以前に行ったレストランに入ってビールと軽い食事を注文。  残りの半日、し忘れたことはないか最終チェック!
さて、ビールについて一言。  私の一番のお気に入りは、“マンダレービール”というなの国産生ビール。  これが非常に美味しかった。  そして、一杯75チャット(70円程度)という料金も嬉しかった。

  やってきました、3度目のアウンサンマーケット。  今度が初めて用事。  正面入り口を入っていくと、前にあった少年に再会。  彼の紹介のもと、ほしかったサンダルツリー(白壇)でできた獅子の置物を購入。
また、ぶらり。
そして、今ミャンマーで一番人気があるという女性シンガーのカセットを購入。  また、ふらり。
残りの仕事は、残るFECをUSドルにするということだけ。  151FECをいくらにできるか?  最後の最大の仕事です。
まず、一昨日京都さんと来た時に両替したテッシュの店に。  しかし、今日はレートがよくないので商売はしないそう。  他の店はのきなみ、手数料として10ドルが必要だというし…。  『こんなことなら、あの時両替しておくんだった。 今日まで待つ必要もなかったのに。』 と後悔。
最終的に、手数料7ドルで決着。  『ハァ、ちょっと後味が…悪い結末。』

  まだまだ時間はあります。  『4時半過ぎに空港に行けば充分でしょう。』  
そう思いながら街中をゆっくり歩き始めました。  ゆっくりと、今日までここ一週間でみてきたものを反芻するかのように、そしてこの光景を目に焼き付けておこう、とするように。
『あまり来る機会があるとも思えませんし、もし来たとしても、今度来た時は他のアジアの諸国と同じように、変化の波に押し潰されてしまって、今のような姿はもしかしたら見ることが出来ないかもしれません。  先進国からの文化の流入によって、面白みのない国になってしまうかもしれませんし…。  ロンジーだって今は大多数ですが、将来は少数派になってしまうことだってあるかもしれません。』

  “水”はみんなのもの,水がめ!

  アウンサンマーケットから、スーレーパゴダを通り、ヤンゴン川沿いへ。  先に進むに連れ、コロニアル風(イギリス植民地時代の建物の様式)の建物が増えていきます。

そして、それがヤンゴンの歴史なのです。  また、最近の出来事の後遺症としてその建物の崩壊があります。  大地震が起り、潰れていないまでもヒビが入ったり、ビルが傾いたり。  でも資金面で、折り合いがつかないのかそのまま、もしくはまだ工事中というものが多くありました。  それは政府機関だって同じ。  銃を構えた番人がいたので少しは威厳を感じましたが政府官邸、それも相当くたびれた印象を受けただけでした。
最後に見たのはヤンゴン川。  ヤンゴン川は泥の川。  泥でにごった茶色の水が流れる川がそこにはありました。  エヤワディーを見た私にって(ヤンゴン川もその支流なのですが。)興ざめ以外の何もでもありません。  川沿いに公園には、外国人侵入禁止の看板。  余計腹立たしく感じて、その場を離れました。

  ヤンゴン川

  さて、やっと4時を過ぎました。  『少し早いかもしれませんが、そろそろ空港に向かうことにしましょう! 空港は、エアコンも効いているはずですから。 いささかここは暑すぎます。』

“さて今度は、どこに行こうかな?”