Detour 05-2 Pusan
15th Aug.

 朝、6時過ぎ子供の声で目がさめましたが、すでに船は停泊しているようです。
ある人が言うことには、午前1時過ぎには、もう船のイカリをおろす音を聞いたいうではないですか。

どうやら、今船が動いていないのは、船が入港を待っているようなのです。それも、お役所の役人さまが出社する時間のために・・・!
ということで、博多から釜山は船で14時間かかります。でもね、本当は所要時間は6時間で待ち時間が8時間なんですよ。

 朝8時過ぎにようやく船は、動きはじめました。きっと、事務所の役人が来たという合図があったのでしょう。
『時間があるので、のんびりでもいいか。』
そう思ったら、入国審査は予想以上の人だかり。それも大半が、韓国人と日本人。(まっ、しかたないことか。)

 入国を済ましたところで、1万円分だけ両替をし釜山の市内へ繰り出していきました。2〜3日の旅行ならば、切りつめれば1万円でも充分なはずですし、出来ればこれで済ませたい・・・!
 釜山にフェリーで来る1番のメリットは市街地が歩いて行けるほどの距離にあるということではないでしょうか?
『なつかしいな!』
あたりまえですが、フェリーターミナルを出て見た光景というのは、2年前となんら変わりありません。ただ、1度だけ来た昔の記憶を頼りに歩いているだけなのですが、自分でも感心するぐらいよく覚えているから不思議なものです。
日本でいう、温泉のマーク。そうそう、丸に湯気が3本でてるマークです。韓国でそのマークを見つければ、少なくともそこは宿泊施設には間違いありません。それに大抵は、HOTELという看板もあるのが普通です。
帰りのことを考えて、私はフェリーターミナルからあまり離れていないところで宿を見つけることにしまいた。あまりゴージャスすぎず、あまり貧相でないホテル。結構難しいいんですよ、どこのホテルに入るかが・・・。
私が選んだホテルは、**HOTEL。**はハングルなので読めなかったのです。案の定、従業員は日本語はおろか英語も話せません。
でも、言葉が通じないことぐらいは旅をしていたら日常茶飯事!私の知っている最低限のハングルを駆使し、ホテルの値段と部屋を見せてもらうことに成功しました。
料金は1泊20,000ウォン。日本円にすると2000円弱。まさに、私におあつらいむきの価格ではありませんか。思わず、よろこんでしまい、それじゃあと2階の客室を見に階段を上っていくと、
『アレッ?』
2階の廊下のには、足もとになぜかしら赤いフットライトが光っています。
『もしかしたら・・・。』
部屋の中を覗くと、カーテンが赤っぽい色のせいでしょうか、外の太陽に照らされて、部屋中がピンクに見えます。
『まっ、いいか!そんなにきわどいものでもないしなあ!きっと、思い過ごしだろう・・・。』
部屋には、シャワーもトイレも装備されており、2000円にしてはお買い得!
最悪、今日の居心地が悪ければ、明日は明日でまた新しいホテルを探せばいいだけですから。
こうして、私の釜山での活動の本拠地が出来たのです。
ベッドに横になり、今からの事を考えていると・・・。
“トン・トン・トン” 誰かがドアをノックする音が!
『ほら、お出ましか?』
しかし、そこにいたのはおばあさん。しかも驚いたことに、日本語を話せるおばあさんが私の部屋に入ってきました。
実は、この人がホテルのオーナーだったのです。とにかく、これで心強い味方が出来たわけです。
 『さて、それじゃ。』
安心すると、急にお腹が空いてきました。そこで、必要最低限度の荷物だけを持つと、釜山の繁華街に出かけることにしました。


 実は釜山一の繁華街は、そのホテルから歩いて5分程度しかないところにあります。ですから、値段とは裏腹に便利という面ではそのホテルは最高のところです。言い忘れまいたが、名前は美都ホテル(Mido Hotel)。機会があったら出掛けてみてください。
 『釜山って、本当に元気がある街なんですよ。』
韓国も、不況、不況と騒がれる割には、ここ釜山では不況らしき気配を街を歩いていても感じられません。むしろ、10代の若者の多さ、そしてその元気さに驚きます。
 そうそう、忘れてはいけません。朴さんに電話しないと!
近くにあった電話ボックスに入り、朴さんの携帯へ。
“ツー、ツー”
日本とは通信音が違いますが、韓国も電話の通信状況は悪くないようです。
「今どこにいますか?」
「すぐいくから、待っててください。30分して、そっち着いたら電話ください。」
30分後、再度電話で自分の居場所を伝えると・・・。アッ!
「久しぶりですね。」朴さんがやってきました。
私が釜山を観光するのは、今日が初めてだと言うと、「それじゃあ、どこ行きましょうか?新しいところと、古いところのどっちがいいですか?」
日本も韓国も新しいところはどうせ同じに違いない。「それじゃ、古いところ。」
こうして、行った先が“梵魚寺(ポモサ)”と呼ばれるお寺。何でも、韓国でも3本の指にはいるぐらい古いとか。
地下鉄の終点の駅の一つ前。小1時間ぐらいかかったところで、私たちは地下鉄を下りました。そして、駅前商店街を山のほうに上がっていきました。
「お腹空いてないですか?」
確かにそう言われれば、朝からパン1個口に入れただけで食事としては何にも食べていない。
ちょうど、そこに冷麺(レイミョン)のチェーン店があり、「冷麺はいかが?」と言われれば、昼食にさっぱりした冷麺は私としても願ったりかなったり。
数年振りに、口にする韓国冷麺でしたが“美味しかった”
ただ、冷麺にナシがはいっていたのですが・・・。韓国では季節に関係なくごく普通のことのようですが、私はサラダのリンゴや、酢ブタのパイナップル、のように違和感を感じました。
 店を出た我々は、今度はバスターミナルで梵魚寺(ポモサ)行きのバスに乗りました。韓国も今が夏休みと言うせいもあるのでしょうか、バスは満員の客を乗せて出発しました。しかし、お寺のはずなのに、若い人も多いのはなぜなんでしょうか?
山道をバスに揺られて、ものの15分もしないうちに最終ポイントに着きました。
お寺ということだけあって、多少の趣は違いますが日本のお寺とよく似た雰囲気です。
 さて、梵魚寺(ポモサ)とは15世紀に李氏朝鮮を建てた李成桂によって建てられたお寺です。(李成桂とは今の韓国のもとを作った非常に有名な人です。)そうして、この梵魚寺(ポモサ)は、壬辰・丁酉の倭乱(日本名:文録・慶長の役1592〜1598)で焼失してしまいます。現在残っているのは、後に建てかえられたものだそうです。名前の由来は、昔、ここにきれいな清水の湧き出る大きな岩があって、そこに天から金魚が水浴びをしに下りてきたという伝説から名付けられたそうです。
確かに、お寺の周りには岩もあるし水もあるしそういう雰囲気を感じさせる場所には違いありません。
お寺に続く参拝道を上りながら、朴さんはこう言いました。
「昔、ここ全部掃除したの!」
これはボランティアじゃありません。なんでも、6歳の時ここに修行にだされていたそうなのです。
「面白くないから1年で逃げた!テレビもなし、遊ぶのものもないし・・・。
大笑いしそうでしたが、本人にとっては真剣そのもの。
掃除、写経、掃除、読経。そんな日々が続けば、6歳の子供のほとんどは同じことをするのも当然でしょう。逆に1年いたことはすごいことかもしれません。
 本堂へと向かう道の昇り口には、日本と同じように手を清めるところがありました。
更に、進んで行くと。『ありました、ありました。』
韓国の特有の緑と赤と青のあわさった建物が・・・。
いくつかの門を通り過ぎ、そして階段を上りきると、やっと広場が、そしてその広場と面と向かうように、本堂、そしてあといくつかの建物がありました。
その時朴さん。「あれ、なんて書いてあるかわかりまか?」
確かに、そこの広場にはお寺には似つかわしくない垂幕があるではありませんか?
「梵魚寺は受験の神様でも有名で、受験に勝つには100回お参りしなさいもしくは、1000回お祈りしなさい。」と書かれてあるそうです。
確かに本堂へ行くと、しきりにお祈りをしているお母さん方を目にします。
『これを1000回もするのか?』
スクワット運動1000回する。もうこれは、プロレスラー並みの運動に違いありません。
他にも、日本の“絵馬”ならぬ自分の息子・娘の名前が書かれた小さな仏像が壁一面に飾られてありました。大きさによって、そしてその仏像の置かれている場所によって、細かく値段は設定されているそうで、何だかそれを聞くと、“神聖”というよりは“俗っぽい”印象が強くなってしまいます。
他にも何個か、お堂がありましたが、行われていることはさっきと同じ。
むしろ、そこに畳の間があるということのほうが、私には興味深い経験だった様な気がします。(実際は、朴さんのほうが驚いていたかもしれません。だって、1年も住んでいたのに畳の間があることを知らなかったのですから・・・!)
 更に驚くべきことには、帰る途中のこと。
いろんな門があり、その中でも“四天王”が祭られている門があるんですよ。
この門を通ると、体が清められるというような門が…。
しかし、このも四天王も“俗物化”されてます。
なんでも、四天王のそれぞれの本体が組み立てられる時、そのお腹の内側や、体の内側に、願をかける人の名前を書くことが出来るということなのです。もちろん有料で!しかもそれだけではまだ足らず、空洞の本体部にお札を入れることも出来るそうです。(もちろんこれも有料。)
さすがに、日本ではここまでするという話を聞いたことがありません。

 さらにその先には、建築中のお寺がありました。
朴さんいわく、「屋根瓦にも名前書きますよ。」
そこで、私も挑戦。5000ウォン、日本円で約500円払えば屋根瓦に自分の軌跡を残せる!
『この8月15日という大切な日に何かしら出来ること。』そう考えると、『ぜひ、書かなければ!』そう感じたのです。
2000 8/15 Koichi Ando Kagawa,JAPAN」
ほんのちっぽけな、記載でしたが、私の心がこれからもここにあると思うと嬉しくてなりません。

 お寺の入り口に戻ってきた時、ふっと人の気配に気付きました。それも、大勢の…。周りを見渡すと、人人人!
梵魚寺のすぐ側を流れている小川の岩場にいるはいるは。大勢がそれぞれお弁当を手に、そして岩場にはりつくように涼を楽しんでいるのです。
売り子さんまで登場しているぐらいですから、かなりの人がそこにいるんではないでしょうか。私の視界に入る限りでは、人が見えないところはありません。
あのバスの混雑は、ほとんどがここが原因だっのではないでしょうか。
その後、私たちはバスに乗り先ほどの地下鉄の駅まで戻ってきました。


「今度はどうしましょうか?」
「博物館なんてのは?」
私にとって、どこに行ってもなんとなく行ってみたくなる場所、それが博物館なのです。
そこで、釜山博物館とUNセメタリー(国際連合墓地)へ行くことになりました。『いつもは一人で行く博物館も、地元の人がいっしょなら、また違った意見が聞けるかもしれません。』そう思うと、いつもより楽しみです。
 地下鉄とタクシーを乗り継ぐと、釜山市内を移動するのに、そんなに時間はかかりません。その上、日本と比べたら交通費のなんと安いこと!
 博物館に行ってみると、料金所には貼り紙が!
『しまった、今日は光復節で休みなんだ!』
でも、人は建物の中にいますし、門も開いてます。『なんで?』
その貼り紙は、今日が光復節なので“料金は無料”ということが書かれてありました。
『ラッキー!』
初日から、どうやら順調なことばかりです。
 釜山博物館も、やはりどこの博物館であるように原始の時代の資料から始って、それから近代へと移り変わっていました。
でも、面白いのは、その国が文明を持ち出してからなのだと思います。それまでは、明確な差は全くありませんから。
韓国もやはりその点では同じでしょう。中でも、李氏朝鮮の時代になると、独自の文化や文字(ハングル)が誕生して興味が引かれます。でもでも、もっと興味を引かれるのは1900年に入ってからでしょう。大国の間の中で、犠牲になった国、韓国。特に日本の統治下になってからの、当時の様子は、まるでここが日本の博物館であるような錯覚に私を陥らせるほどです。
そして、時期的なものもあるのでしょうか。“戦争と学校”というテーマで、当時の教科書や生徒の書いたノートやらが展示されていました。もちろん生徒は全部韓国の人です。また、女の子の制服としてセーラー服も展示させており、何だか妙な気分になったのものです。
もうしばらく現代へと進んでいくと、朴さんも大喜び。
『あっ、これ使ったことある!なつかしい!』
人のせいにしてますが、実は私にしても懐かしい物ばかり!
感情的に“近くて遠い国”と言われて久しい韓国と日本なのですが、文化の面では、韓国と日本はかなり近い存在になるのでしょうね。
ひと通り博物館を見終えると、今度はUNセメタリーに向かうことにしました。向かうといっても、それは歩いてものの5分。ここから、すぐそこのところにあります。玄関で、「あと20分で閉館ですよ!」ということを聞かされて、これまた『ラッキー!』
とにかく、ここまで来て閉まっていないことに感謝。
敷地内に入ると、更に墓地へと向かう入り口のすぐ横に、記帳のためのノートがありました。
ペンをとり、Koichi Ando Japan 8/15”と書きました。
多分、私たちは今日最後の訪問客になるはずです。
そして、そこには数多くのここに訪れた名前が記されてありました。その仲には、日本から来た人の記帳も時期柄多いように感じました。
『いったい、彼らは何を考え、何を思いここに来るのでしょう・・・?』
 そこを抜けると、芝生地帯が広がり、それぞれの墓標がそこに埋め込まれていました。国ごとに、時代ごとにして・・・。
大きく言えば、ここは第二次世界対戦と朝鮮戦争で犠牲になった人の共同墓地といえるでしょう。
アメリカ、イギリス、アーストラリア、タイ・・・戦争でなくなった様々な人の出身の国旗が掲げられています。もちろん、そこには日本に旗はありません・・・。
時間は限られていましたが、ゆっくりと墓標を眺めていくと、23、25、21、25、24・・・。すべて、これらは亡くなった人の年齢です。
どれだけ、戦争によって無残にも若者の命が失われたことか!
平和な墓地だけに、いっそう物悲しく感じてしまいました。
『戦争って、一体なんなんだろう?』
いつの時代も、損をするのは国民ばかり。そして、指導者のエゴだけでこれが行われることもあるのですから、たまったもんじゃありません!
 5時の閉館時間に間にあうように、私たちはUNセメタリーを出ました。これで、とりあえず今日の予定は終了です。


『そろそろ焼肉食べに行きましょうか?』
朴さんは気を使って私にこう言ってくれました。
今回は、焼肉無しの旅行にしようと思っていたのですが、私としてもこう言われると断るわけにはいきません。
何でも、学生時代によく行った“安くて美味しい”店に連れていってくれるそうですから、喜んでそれに便乗することにしましょう。
 その店は西面(シンミョン)と呼ばれる、釜山でも若者に人気のある繁華街からすぐのところにありました。そうそう、そこから歩いて1分も離れていないところには釜山1のディスコもありましたっけ。
 時間は6時過ぎ。まだ夕食には早いのか、店内にはおばさん連れ一行がいるだけです。
注文はすべて朴さん任せ。
『どうやら、ここは豚肉のほうが美味しいのかな?』
その後も、その日は豚中心の焼肉となりました。確かに、後からの客も豚肉を注文していたようです。
それから1時間が経ち、一人の男性が我々と合流してきました。それがチョさんです。チョさんとは朴さんの友達の友達。ということで日本に留学経験もある人です。しかも、それが私のすぐ近所。

何と“きくや”に1年ほど住んでいたという縁。ちなみに、この“きくや”とは、私の勤めている会社のすぐ前にある学生専門の下宿屋さんのことです。
私と会うと、チョさんは3年振りだというのに、見事な日本語を話すではありませんか?
『ちょっと待てよ。3年前といえば、ちょうど私が香川に戻ってきた時だぞ。もしかしたら、その時どこかで会っているかもしれません。』
そう考えると、何だか不思議な感じがしますよね。
今は貿易会社で働いているのですが、韓国内の就職事情も良くないため、身分は契約社員だということです。
『こんな能力のあるひとが職にあぶれているなんて…。』
それに比べ日本は、たとえ失業率が5%を超したって、まだまだのんきなものです。
『とにかく、また日本に来たい!』と言っていましたし、『行くつもりだ。』と言っていましたので、今度は日本で再会したいものです。
そうこうしていると、8時が過ぎていました。
「そろそろ、ここを出ようか?」みんなそういう気持ちになっていたようですし、第一お腹がいっぱいでもうこれ以上食べれません。
勘定を済ませると、何と3人で飲んだ食ったで2000円程度。

『これまたびっくり!』
焼肉屋さんを出てから、まだ時間も早いので、「コーヒーでも飲もうか?」そんなチョさんの誘いに、我々は若者でいっぱいの繁華街にまた戻っていきました。
韓国っていがいとどこに行っても喫茶店が多いんですよ。いわば、昔の日本と同じというところでしょうか
コーヒーの値段も程々で、何だか非常にゆっくりできる所です。
そうして、1杯のコーヒーを飲みほし、そこで我々は解散となりました。
 実はその後も、チョさんは私をホテルまで送ってくれました。私としては『絶対大丈夫』という自信ちがあったのですが、彼にしてみれば外国人ということもあり心配だったのでしょうね。結局、無下に断るわけにもいかず、チョさんにホテルまで付いてきてもらいました。
“コリアン・ホスピタリティー”
これまでも何度かお世話になりましたが、韓国人の客人をもてなす心、いつもながらありがたい限りです。
『皆さんも、機会があれば、そして見知らぬ人には尚更気を使ってください。』
それがすべて、その人の日本の印象となるのですから!