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Detour 06-7 in Egypt
Cairo(13rd)
目を覚ますと、この2日間は決して見られなかったような景色が車窓に広がっています。
これまでは、乾いた大地しか見られなかったのですが、今目にする景色は緑でいっぱいの田んぼとうっすらと霧のかかったような景色です。これだけ見ても、アッパーエジプト(ナイル川上流地域)に比べてローワーエジプト(ナイル川下流地域)がどれだけ豊かなのかがすぐに分かります。
早朝に列車がカイロに着くと思い込んでいたのですが、実はカイロに着いたのは8時過ぎでした。
列車を降りると、早速人ごみの洗礼が待っていました。
カイロ駅
また、今日も1日あの人ごみと付き合わなければならないと思うと、正直うんざりします。
ある意味エジプトはカイロとその他で分けることができると思います。
それほど、エジプトが巨大な都市なのです。人口だけ見ると、その規模は東京にも匹敵しますからね。
『もしかしたら、迎えが来ているかな?』
そんな淡い期待をしていたのですが、そんな人どこにもいません。もし、いても分かるような状態じゃありません。それほど、駅構内には人が多いのです。
私は駅を後にすると、数日前に歩いたのと同じように、ナイルヒルトンを目差して歩き始めました。
とりあえず、今日もあのツアー会社のオフィスが私の行動の中心になるはずだからです。
『今日は、まず博物館に行って、ギザに行って、オールドイスラミックタウンに行って…忙しそうだ。』
ほんとは、サッカルだの、ダフシュールだのに行く予定を伝えていたのですが、そこまで1日で行くのは大変なことです。いや、きっと無理でしょう。
自分の思うままにテクテクテクテク。知らぬ間に“大統領官邸”の前まで来るというアクシデントはありましたが、何とか無事オフィスに着くことができました。
そして、陽気なスタッフが再び私を迎えてくれました。
大統領官邸
が、しかし、ここですぐに問題が発覚!
『なんと、契約書に今日の予定が明記されてないではありませんか?』
そこに書かれてあるのは、今日の宿泊先の“Pension Sakura one night B&B”(ベッド・アンド・ブレックファースト)という文字だけ。
念のために、持っておいた見積書には書かれてあったのですが、その文字がない。
『カイロ考古学博物館の文字も、ギザの文字も、サッカルの文字も、ダフシュールの文字もない・・・!』
いくらスタッフに説明しても、ここにアファマッドがいないことには、先方は『契約書にないことは契約してない』の一点張り。
「タクシーはつかまえるけども、料金はそっち持ちだよ。」と譲りません。
彼らが言うのも、もっとものことですけどね、私もそれじゃ何か納得できません。
『確かに確認したはずだと思ったんだけどな・・・?』
そんな私をみかねたのか、確認した方がいいと思ったのか、スタッフの一人がアファマッドに携帯電話をかけてくれました。
そのスタッフが少しアファマッドと話した後で、「アファマッドが私と電話を代わってほしい」と言っているからと電話とこっちに渡してきました。
そして、アファマッド
『そう言ったの覚えているよ。でも今日は時間がないんで、ギザだけにしたらどうだろう?もちろん、ギザまではガイドつけるから。』
私はしぶしぶ『OK』と妥協したようにその場の雰囲気を繕いました。
(最初っから、今日の予定はそのように申し出るつもりだったのですが、これでおあいこです。気分も幾分すっきりしました。
今日の予定はこういうことになりました。
これから、午前中はカイロ国立考古学博物館。そして、ギザのピラミッド見学。そして、あとはオールドイスラミックタウンです。
そして大切なこと。今日は決して欲張らないことにしました。
それは、それぞれが大切なところだからです。
さて、このとき全くと言っていいほど現金を持ち合わせてなかった私は、まずはATMへ向かいました。
今日一日だけのお金ですからそんなには必要ありませんが、全く所持金無しじゃいけませんものね。
でも、考えてもくださいよ。日本の口座のお金がエジプトから引き出せる!
なんて便利な世の中になったんでしょう。
たしかカイロを出発する日にも、そこの郵便局のATMを使ったのですが、こともあろうか行方不明!
結局あっちへ行ったりこっちへ来たりで、また時間ロス・・・。
更に、カメラのフィルムを買おうとしたら、・・・。
『カメラ屋さんなんて見当たらない。』
その前に、多くの店がお昼間だというのに店が閉まっている
『なんで?』
よく考えたら、今日は金曜日。イスラム教では金曜日は安息日で、お休みのところが多いとは知っていましたが、それが今日
とは・・・。
なんとか、閉店間際の雑貨屋さんでAPSのフィルムを買うことはできましたが、あんまり賢い行動ではないと自分でも反省し
たものでした。
さあ、いよいよカイロ国立考古学博物館が私をお待ちかねです。
ややピンス色の建物、一見それはエジプト式建築というよりはフランスの建築といえるかもしれません。
数多くの警備官が皆、腰に銃を携えて物々しい態度で立っています。
カイロ国立考古学博物館
『何か事件でもあったのかな?』
入り口には、X線を使った金属探知機があります。こんな機械、空港以外で見るのはさすがに初めてでしたね。
もちろんテロ対策のためなんでしょう。でも、すごい警備体制ですよ。
そして、更にすごかったのが人の多さです。観光バスが大勢の観光客を吐き出しては、次々とまた別の観光バスが観光客
を吐き出していきます。それも際限なく・・・!
ここでも、魔法のカード(国際学生証)はその威力を発揮しました。見事、半額です。
とにかく私は、さっさとお金を払い博物館の中に入ろうとしました。
だって、ぐずぐずしていると、またあとから団体観光客がやって来るから!
でも、ことは遅かりし・・・。
『げっ、もうすでに博物館の中は人だかり。』
普通の博物館なら。こんなに人でごったがえすようなことはないのでしょうが、ここは世界でも冠たるカイロ考古学博物館さすがに規模が桁外れに違っています。
だって、人をかき分けかき分け進んでゆくのですが、またそこには人だかり!
『一体、一日何人の人がここに来ているのでしょうか・・・?』
私は、右・左・中央と進むべき方向は3つあったのですが、その中でもっともすいていた真ん中の方向へ歩いていきました。
そこには、置ききれないほどの棺おけの山。(ミイラを入れてある人型のあれです。)
『実はこんなの、もういらないんだ!』とばかりに、無造作に置かれてあります。
先に行くと、今度はホルスだとか、猫だとか、ふんころがしの置物がずらり。
これらは全部全部、ピラミッドやその他の墓から持ってきたものばかりなのでしょうが、何て数なんでしょう。
そして、驚くべきは、ここに置かれている以上のものが盗難にあい、ここにはないということ。
それじゃ、それ全部集めたらきっとえらいことになりますよね・・・。
1階の展示品を見るだけでもえらい時間がかかりますが、実はこの博物館の目玉は2階にあったのです。
何も知らない私は、2階に上がると、さらに増えた客の数に驚きました。
そしてそれは、どこまで続いているかと申しますと、・・・。
“Tutankhamun”
『あれよ? もしかして、あれは“ツタンカーメン”じゃないか!』
そうなんです。その人だかりは、すべてガラス張りのツタンカーメンの部屋に続いていたのです。
それもそのはず、そこだけは入り口で入場規制がありました。
バスで押しかけた観光客も例外なく、やはりここにはやってきますから大変のことになっています。
そうして、待たされること30分。しかも、ツタンカーメンの部屋の中は満員電車なみの混雑ぶり。後ろの人に押されるようにし
て動くのが精一杯です。
そんな苦しい思いをしても、そこにある宝葬品の数々を見ていると、その苦労も忘れてしまいそうです。
そして、ここで一つアクシデントが!
電気が消えて、急に周りが薄暗くなってしまいました。
でも、不思議なことに誰も慌てたりしません。
まるで、ツタンカーメンの魅力に取り付かれてしまったか、それともカイロにあって停電は“特殊なこと”とは思っていないかのどちらかのようです。
やっと自分のところにも『ツタンカーメンの黄金のマスク』を見る番がやってきました。
あたりまえですが、全く写真と同じです。
しかし、停電の中、薄暗い室内で見る黄金のマスクは、奇妙によりいっそう輝いているようでした。
ツタンカーメンの黄金のマスク
そして、その傍らには『黄金の棺』が、また不思議な光を放っていました。
黄金の棺
それにしても、この宝物の数は一体どうでしょうか?
ルクソールの王家の谷でも紹介しましたが、ツタンカーメンは18歳で亡くなっているんですよ。
それにして、この宝物・・・。
他の王様の宝物が、もし見つかったら、きっとこの建物がいくつあっても足りないことでしょうね。
『それにしても、今現在誰がそれらの品々をもっているのでしょうね。決して、ひとみ見せびらかすことはできませんから、個人で見て楽しんでいるのでしょうか・・・?』
さてさて、いちいち説明していたら限がありませんのでこの辺で博物館の説明は終わりにします。
もし、カイロ考古学博物館について、もっと詳しく知りたいという方はこちらをご覧ください。
http://www.cairo.com
博物館を後にするその前に、ミュージアムショップを見学!あるわあるわの、お宝グッズ!
ただ、値段は定価がついていいて安心は安心ですが・・・、それにしても値段は高い。
結局いつものことですが、文字通りミュージアムショップの見学となってしまいました。
そして、それも終わると博物館を後にしました。
近くのサンドウィッチ屋さんで簡単な昼食を済ませ、再びオフィスに戻っていきました。
もちろん、目指すはギザのピラミッドです。
朝の約束通り、ギザまでのタクシーとガイドは用意してくれていました。
というよりは、その時仕方なく用意してくれたんですけどね。
初めてこのオフィスに来て、ギザに行った時と同じガイドが私についてくれました。
ガイドといっても、英語も充分ではなく、どちらかと言うと私の見張り番的なかんじの彼でした。
『まっ、契約にないところに無理に行ってもらうんですから、この際あまり贅沢は言わないことにしましょう。』
だって、機嫌でも損ねたら大変ですからね。
とにかく今回は、無事にスフィンクスに出会えることが最大の目標なのですから。
『今度こそ、迷わないでくれ!』
『そして、これも大切なこと。閉館時間までについてくれ!』
前通ったの全く同じ道を今回も進んで行きます。
そうすると、1件2件とパピルスショップが現れ、そしてそのうち辺りはパピルスショップやパピルスミュージアムだらけになってきます。
そこまで行くと、そこはもうギザなのです。
今回は違う道のところからピラミッドに近づいていきました。
そして、実はこれが、正解だったのです。
数え切れないぐらいの大型観光バスの群れ、そして観光客の群れ・群れ・群れ!
そしてそして、何よりも、写真で見る、映像・画像で見るピラミッドそのものの姿がそこにあったのです。
『うわ〜!』
思わず、唸ってしまうほどです。
タクシーが停まってしまうのを待つのももどかしくて、一瞬停車している隙に、私はタクシーから降りて、スフィンクスに向かって歩きはめました。
『1時間後に帰ってくるから!』とだけ言い残して・・・。
ギザのピラミッド No,1
ギザの3大ピラミッドが一度に視界に入ってくる風景もすごければ、その前に鎮座しているスフィンクスも迫力満点です。
フフィンクス
右の方向に歩いたり、左の方向に歩いたり、近づいてみたり、遠ざかってみたり、どこから眺めてみても、絵になる風景なん
ですよね。
おかげで、同じような写真をいっぱい撮ってしまいました。
ギザのピラミッド No,2
それから、ぐるっと、その辺りを歩いていると、あることに気がつきました。
それは、『ほんの少しのところの違いだった』ということです。連日来た場所と今いる場所が、すぐ側なのがよく分かります。
あの時、あの道をあと2〜30メートル歩いていたら・・・と悔やまれます。
『まっ、でも、とにかくここに来れただけでもよしとしなければいけませんね。』
残された時間は、夜のライトアップのために設けられた、近くの観客用のベンチに座り、ただ“ぼっー”とスフィンクスやピラミッドを見ていました。いや、この光景をしっかりと目に焼き付けようとしていました。
そして、時間を超越した、この不思議な瞬間を楽しもうとしていました。
ギザのピラミッド No,3
考えてみると、今まで間、実に何世紀もの時間がここにはあったのです。
『人間は長い時間をかけて、進化していて当然なはずなのに・・・。実は、人間そのものは変わっていない、いや、むしろ後退しているのではないか?』
『確かに、物理的には豊かな世の中になりましたが、物理的に満たされているぐらい精神的にも満たされているのでしょうか?』
『いつまで経っても、つまらない争いごとがなくならないのはどうしてなんでしょうか?』
『さあ、この辺で帰ろうかな?』
『いくら見たって、100%満足できるものでもないし、来たければまた来ればいいや!』
そう思うと、なんだか、今日までの観光地を見逃してはなんらないという、セコセコとした考えが吹っ切れてきました。
もうね、あのオフィスにもう用はないし、あとは気の向くまま歩いていけばいいのですから!
カイロ市内に戻ると、いったんPension Sakuraに戻りました。
荷物を最小限にし、再び街に繰り出すためです。
しかも、今度はカイロ・イスラミックタウン。オールド・カイロと言ってもいいかもしれません。
国際都市カイロ。その中にあって、色濃くイスラムの影響を残している部分が、そこなのです。
もしかしたら、アラビアンナイトの物語の中に出てきそうな、商人や店と出会えるかもしれません。
そこに行く前から、私の心はもうすでに高まり始めています。
そして、はやる気持ちを抑えながら、“それがあるはずの方向”に向かって歩き始めました。
やめとけばいいのに・・・。
ほんの少しばかり、散歩という気持ちもあったから歩いたのですが、それが大誤算。
道が分からず立ち往生。
めぐりめぐって、また立ち往生。
道行く人に聞けども、事態は好転せず。
本来は歩いて20〜30分のところに、一体何分かかったことでしょうか?
それでも、最後には目的地に着けてしますから、これがあとで第2の災難になります。
ここイスラミック・カイロは、世界遺産になるぐらい重要な場所であるだけでなく、それ以上に市民の生活の場所でもあります。
歴史を感じさせる建物や数え切れないぐらいの商店が建ち並び、人々が行き交う。ここは非常に活気に満ちた空間です。
悪く言えば、壊れそうなぐらい(実際一部は壊れている)古い建物と、入り組んだ家や商店。そして、それに輪をかけるように並ぶ出店。まともに歩くことさえできません。そして、いつスリにあっても分からないぐらい人でごった返しています。
文章で説明するのには、私では未熟ですが。東京のアメ横の様子を思い浮かべてもらえば、少しはイメージが近づくかもしれません。もちろん、イスラム様式のアメ横です。この際、イス横とでも言いましょうか・・・。
オールド・イスラミック N0,1
とにかく、ここがイスラミック・カイロだということは分かったのですが、何もかもがごちゃごちゃしすぎて、地図を見ても本当の正確な位置がわかりません。
そんな時一人の青年が私に話し掛けてきました。
「英語の勉強をしたいんで、お話してもいいでしょうか?」
これは、よくある詐欺の手なんですよね。
でも、最初から疑っちゃ、もし善意の申し出であれば申し訳ない。
そこで、しばらく話をしてみました。
それによるとこんな感じですかね。
『自分はカイロ大学の学生で、カイロのことをもっとよく知ってもらいたい。一口に、イスラム教と言うと、いろんな誤解もあって、自分は悲しい思いをしている。だから、よく知ってほしいんだ。お金もいらないし、何かを買わせるつもりもない・・・。』
そこまで言うんじゃ、断れなくてしばらく一緒にイスラミック・カイロの街を二人で歩くことにしました。
まず、近くにブルーモスクがあるということで行ってみることにしました。
確かに、青いタイルで装飾されたモスクではありましたが、なにせそこは古いモスクで、そのタイルの青さよりも、崩れて露出した壁の生地の色の方がむしろ印象的でした。
そして、その後は・・・。
「もっと、面白いところに行こうか?イスラミック・カイロの本当の魅力がわかる!」
『そりゃきた!』
でも、面白そうなので、彼についていってみることに。
オールド・イスラミック N0,2
「一歩通りを入るだけで、古い町並みが残っているでしょ。」
「あの出窓も、昔作られたの出窓ですよ。」
オールド・イスラミック N0,3
「あれが、ランプ屋さん。ラマダンの時に使う大切なランプ。あっ、あそこでは、箱を作っている!ちょっと覗いてきましょうか?」
そしたら、延々と作り方からデザインまでいろんな話をされ、最後には「どれが気に入りましたか?」
『ハハハ、やっぱり!』
「そりゃ、やっぱり物売りじゃないか!」と怒った振りの私。
でも、「いいえいいえ、買えって言っているわけじゃありません。でもすごいでしょ。」と懲りない彼。
一件目はそれで終わりました。そして、また一件。
「いらない!」
そして、また一件。
「買わない!」
仕舞には、しだいに二人とも無言に・・・。
そして、頃を見計らって、「もういいから、いいかげんにしてくれ!もう説明はいらない!」
すると、彼の態度も急変。
「それじゃあ、ガイド代よこせ!」
とそれじゃ、チャイを飲ませろとか、コーラーでも飲ませろだとか言ってくるではないですか。
『あ〜、あほらし!』
無視して、彼に背をむけて歩いていこうとすると、
「日本人は最低だ!クソ野郎!ケチ!」
とか言っているのが、聞こえてきます。
お返しに、「そうだ最低でケチなやつさ!お前もだよ!」と言って、私はその場を去りました。
自分でも、冷静な自分が怖い瞬間でした。
さて、楽しい(?)経験をさせてもらいましたが、だいぶ時間が遅くなってきました。
そうそうここに来た目的の、古いモスクを見ることと、エジプト最大のスーク(バザール)に行くことです。
モスクと言っても、ここにはいっぱいあるのですが、古いものでは西暦1000年以前に建てられたものが今でも残っています。
(改修はされていますが・・・。)
日本でいうと、平安時代末期の建物と言うことになりますね。一方、スークの方は1300年末だそうです。
とりあえず、何とか迷路のような商店街を抜け、この地区でも最大級のフセイン・モスク、970年に建てられたという権威のあるアズハルモスク、そしてエジプトで最大のスーク、ハーン・ハリーリーがある場所に到着しました。
とにかく、人のすごいこと!
夕方のお祈りのためでしょうか、巨大なモスクが大勢の人間を、飲み込んでは吐き出し、飲み込んでは吐き出し、そしてそれが尽きることはありません。
機会があれば中に入りたかったのですが、とても、異教徒の私が入れるような雰囲気ではありませんでした。
フセイン・モスク
外にはカメラやスピーカーもつけられた近代的なフセイン・モスク、それにたいして、1000年以上前の威厳さを保つアズハルモスク。これが、カイロの持つ楽しさを表しているような気がします。
アズハルモスク
さて、ハーン・ハリーリーの方はと言いますと、とにかく店が多い。その上、迷路のように道が入り組んでいるため、一度見逃しは店に再び出会えることは、不可能じゃないかと思うほどです。
『あっ、さっきの店の方が安かったな!』
なんて、さっきの店を探しても、その店はわからない。
『じゃあ、やっぱりあの店でいいか!』
と思っても、今度はあの店がわからない。
『まっいいか!あんなもん、どこの店でもあるから!』
と思うと、今度はその商品がどこにもない・・・。
かといって、あきらめていると、またその商品に出会える。
なんだか、不思議で奇妙でおかしな場所です、このハーン・ハリーリーは!
ただ、一つだけ言えることは、1日や2日じゃ何にも分からないということだけですかね。
足を棒にしながら道に迷いながら、何とか目的のお土産も、安い値段で買うことができました。
でも、もう一度あの店に行けと言われても、無理でしょうね。
オールド・イスラミック N0,4
さて、もうたっぷり日も暮れて8時になろうかとしています。
『さあ、帰ろうか、歩いて!』
『ぼちぼち歩いて帰ったら、ちょうどいい時間になるだろう。』
私の頭の中には、そんな考えがあったのです。
すたこらせっせ、すたこらせっせ。
30分以上きたところで、『あれっ?』
『あれれれれっ?』
地図とコンパスを取り出して、『あれっ、あれれれれっ?』
『何てことでしょう、全く逆の方向に30分以上も歩いてきている・・・。』
と言うことは、30分歩いて戻って、ふりだしからやり直し!
『は〜っ!』
ここに来る時、少し迷いましたが方向感覚だけは確かだったので、今回もそれを信用したのに。
自信が過信だったようです。
仕方ない、歩いて戻ることにしました。
『でも、本当に来た道を戻っていいものだろうか?』そんな新たな心配を胸にして・・・。
さっきのハーン・ハリーリーまで戻ってきたものの、確かあるはずの地下鉄の駅も見つからず、バスにも乗れず。
やはり、ここからもホテルまで、また歩く羽目になってしまいました。
今度こそは、地図とにらめっこしながら・・・。
そうして、ホテルに着いたのは10時過ぎ。
なんと、2時間以上も夜のカイロをさまよっていたことになります。
逆にいうと、カイロの治安はそんなに悪くないと言えるでしょう。ただし、入っちゃいけない場所もあるようですが。
“トントントン”
Pension Sakuraから出てきたのは、モハメッドでした。
律儀に、彼は私のホテルまで来てくれて、最後の契約を確認してくれたのです。
『明日の飛行機で帰るんだよね。明日の飛行機の時間は10時40分だから、2時間前8時40分に空港に着けばいい。それ
じゃ、明日の朝8時にここに迎えに来るから。』
今日は朝から、少しばかり契約に振り回されましたが、契約しておいていいこともあるものです。
タクシーつかまえて、行き先伝えて、料金交渉してという一切の煩わしさはもうないのですから。
黙って、時間通りに出発の準備を済ますことができれば、もう出国したのも同然なのですから。
今日は同室に香港へ帰ると言う人が泊まっていました。
彼らの出発は、午前3時だそうです。
それに比べると、私は充分睡眠もとれて、恵まれているといえるでしょう。
お迎えのタクシーも来ることだしね。
『さっ、ゆっくりシャワーでも浴びて寝ることにしましょう。今日も、また歩き疲れました。』
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