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Detour 07-4in Sri Lanka
Tanglle(8th)
久しぶりじゃないでしょうか、こんなに長時間寝たのは。
確か昨日寝たのは9時過ぎ。今日起きたのは8時過ぎです。きっと、少しばかり疲れがたまっていたのかもしれませんね。
とにかく、今日はね、私の生涯でもっとも大切な1日の1つになるはずです。
まだ約束の9時半までは、少し時間がありますね。
シャワーを浴びて、少し伸びた髭をきれいに剃って身をを清めました。そして、出発前にもう一度、忘れ物がないかバッグをチェックしました。
『だって、ここまで来て、忘れていったんじゃ笑い話にもなりませんからね。』
ゲストハウスで用意してくれた、コンチネンタル風の朝食をすませ、いよいよ出発です。
ほんの10分程の距離を歩き切ると、もう、少し汗ばんできました。朝9時と言えども、快晴に近いほど澄み切った空です。そして、うだる様な暑さです。
フォスター・プラン事務所
フォスター・プランのオフィスに入ると、まず紅茶が出されました。スリランカでは、何事もお茶に始まりお茶に終わると言ってもいいでしょうね。
それが終わると、すこしこの地区のフォスター・プランの活動についての話がありました。
そして、私が通された部屋は・・・、
『あれ?冷房が・・・利いている。』
空港以外では、スリランカで初めての冷房です!
部屋の中には、パソコンが数台設置されていました。パソコンのための冷房なのですよね。
この地区のフォスター・プラン、その全てのデーターはここで管理されています。
「例えば・・・」ということで、シャマリーのチャイルドナンバーを打ち込むと、私がいつ、何を送ったが全てデーターとして保管されているのが確認できます。
何だか、どこかで盗聴されているみたいで、気分のいいものではありませんが、情報管理という面では、非常にしっかりしているっていうことですよね。
とにかく、この地区についていろいろ話してくれたのですが、全部は書いてもしかたないので要点だけ。
スリランカには3つの地区にオフィスがあり、ここテンガラッタもその3つの内の1つであるということ。
また、この地区は更に細かく三つの地区に分かれていると言うことです。この事務所の管轄分だけで8000人のフォスターチャイルドがおり、スリランカ全体ではその数は20000人にも及ぶそうです。
それに対して、援助国になりうる国は全世界で15ヶ国。オランダ、ドイツの順位にフォスターペアレントの数は多いそうです。云々。
それよりも、むしろ私が気になったのは、パソコン自体かな?
ゲートウェイのパソコンが数台。他にも知らないメーカーのものがずらり。それも、ペンティアムVを使ったものもありますから、かなりその点では進んでいますよね。
ワードを開きゃ、テンプレートでフォスターペアレント宛ての手紙が即座に出来たりして、ここは想像していた以上に立派な事務所です。
活動状況の説明も終わり、ちょっとひと休みしていると、今度はこの地区の活動の状況を写した写真を持ってきてくれました。
職業訓練所、学校での指導なんてものもありましたが、それ以上に気になったのは、今までに来たフォスターペアレント達の写真でした。
「あんまり高価な物をもってきちゃいけません」と言いながら、そこにある写真には、背の丈ほどあるぬいぐるみがあったり、人形があったりで・・・
正直“えっ?”ていう感じです。
『そんな立派なもん持ってきてないよ!』
誰でも、焦りますよね。
でも、無いものはしかたない・・・。
『日本的なものの方がいんんだ!』と自分で自分に言い聞かせます。
でもね・・・、実際に渡すまでは不安ですよね。
さあ、トヨタハイエースに乗り込んで、そろそろ出発の時間のようです。
スタッフの女性一人が付き沿いとして車に乗り込んできました。私とそのスタッフ、そして運転手の合計3名で事務所を出発しました。
距離にしてみると、たった40km程度のようですが、何せ彼らの言うように道路事情が悪い。
「1時間はかかるかもしれません。」という言葉は、まんざらでたらめでもありません。
ほとんどが車1台しか通れないような、舗装も未完成の狭い道です。一台の対抗車があれば、もう一台は路肩に出て走らなければなりません。
もちろん、そこは道路という名前であったとしても、それは日本の道路というイメージではなく、単なるでこぼこ道です。その唯一の道も崩れたり沈んだりしてね。
海岸沿いから一歩内陸部に入ると、水田が見えてきました。最初見た水田は収穫後の水田、その後で見たのは成長段階の水田でした。
聞くと、スリランカは1年に2回はお米が取れるとのことです。(二期作)
そして、この辺の人々の生活の手段は農業か漁業がほとんどということです。
つまり、お金になる産業がないんですよね。それがスリランカの抱える問題の一つではないでしょうか。
更に進んでいくと、学校や小さな町が現れては消えて、現れては消えていきます。スリランカの学校は、すべて無料で制服も支給され、教育に対して、かなりしっかりとした印象を受けます。
識字率が90パーセントと発展途上国としては驚くべき率。教育システムがしっかりと機能している国といえるでしょう。ちなみに、土日は学校はお休みだということです。
『あれっ?もしかしたら、今日学校あるんじゃないの?』
『どうなっているんでしょうか・・・?』
途中の村を通り過ぎようとしていた時、フォスター・プランの職員で、この地域の担当をしているという男の人が車に乗り込んできました。彼のことを地域コーディネーターと呼ぶそうです。
対抗車線のある道から、単線の路線に、そして今度は舗装もしていないような、道へと車は入っていきました。
『いよいよかな?』
そして、急に車は止りました。
「お向かいを待つんですよ。」とレナさん(フォスター・プラン女性職員)が言いました。
そうすると、次第に何人かの人々がこっちにやって来るのが分かりました。
『とうとう、着いたんですね。』
とにかく、彼らについて行くことにしましょう。
まず家の前まで行くと、お兄さんらしき人がこっちに来て、私の首に花輪をかけてくれます。
そして、それから黄色いシャツを来た女の子がこっちに来ます。そうです、シャマリーがこっちにやってきています。
どうしていいのか分からない私は、その場経ち尽くし、一生懸命シンハラ語の挨拶の言葉を頭の中で繰り返します。
するとどうでしょう。シャマリーは急にわたしの足元で、しゃがみ込み、頭を地面につけながら何か言っているようです。しばらくして、その場に立ち上がると、私に緑鮮やかな数枚の葉を私に手渡したのです。
レナさんに聞くと、これはスリランカで大切な人に接する時の儀式のようなものだ、と言っていました。
それにしても、日本人には何か“土下座”を思わせるような歓迎の仕方で、少々度肝を抜かれます。
同時に、内心は、『てれくさい』と思いつつも、私はシャマリーの歓待を受けたのでした。
家に入ると、イスとテーブルが用意されており、私とシャマリーそしてレナさんはお互いに並ぶように座りました。
だからね、残念なことに、実際はずっとシャマリーを見ていたとういわけじゃないんですよ。
シャマリー
むしろ、我々の前の方にいた両親やお兄さん、お姉さん、そして近所のフォスターチャイルドやその親達と目をあわすことのほうが多かったですね。
結構な数の人々が私たちをとり囲むように立っており、嫌でも私の目には入ってきましたね。
みんなね、私の一挙手一踏足をじっと見ているみたいで、私の緊張の度合は高まり始めます。
『何かしなきゃ!』
私が何もしないと、沈黙がずっと続きそうで・・・。
ますます緊張してしまいます。
とにかく、先ずはシャマリーの家族の紹介をしてもらうことにしました。
資料をもとに、家族の名前と顔を確認していくと、少し落ち着いてきたからでしょうか、次第に周りにいる人の顔が少しずつ見えてきました。
父親のヤーパ、母親のモホッタラ、長男のジャナカ、長女のクリシュナ、次女のディスナは今仕事のためにコロンボに行っているそうです。そして現在コロンボで洋服関係の仕事をしているそうです。
最後に、私の左横にいるのが三女のシャマリー。これで、家族全員ということになります。
おじいさんやおばあさんもいるそうなのですが、ここには一緒に住んでおらず、別のところに住んでいるそうです。今日は、残念ながら会うことができませんでした。
とにかくね、その時家の中には結構な数の子供達がいたんですよ。
だからね、子供達用にと、日本から持ってきていたフルーツ・キャンディーを、私は子供たちに配ってあげました。
『少しは、興味がこちらから離れてくれたらね・・・。』
でも、あえなく失敗!
みんな、アメ玉を手に握り絞めたまま、まだこっちを見ています。
“見られている”と言うより、私にはむしろ“にらまれている”ようにさえ感じられます。
『えーい、どうでもなれ!』
今度は、日本から持ってきたお土産を渡してあげることにしました。
最初は写真から。
この日のために、用意してきたんですよね。
私の写真。私の家の写真。私の町:高瀬町の写真。倉敷美観地区の写真。松山道後温泉の写真。京都の写真。姫路城・名古屋城・熊本城の写真。雪(スキー)の写真。和服(着物)の写真。新幹線の写真・・・。
今までに撮ってきた写真を、この日のために選別して一冊のファイルに入れてきてたんですよね。
そしたら、やっぱり女の子なんですよね。
そのファイルの中でも、着物の写真に特に興味を持っているようでした。他の子供たちも、その写真を見るために少しずつ、こっちに近づいてきました。
『やった!これで少しは子供たちの注意を散らせた!』
さらに、空港で『舞子さん』というポストカードを用意していたんですよね。そっちのポストカードも見せてあげると、シャマリーは一段とその小さな目を輝かせ始めましたね。
「あんまり高価なものは不公平(近所の妬み)になるのでしないように!」と聞かされていたんで、両親とお兄さんにはボールペンを、そして二人のお姉さんには、十二一重を着た女性が描かれている純日本式のハンカチをプレゼントしました。
さてさて、シャマリーには・・・。
まず、桃の節句にちなんで、小さな小さな雛人形。(実際は、それは縁結びのお守りだったので、シャマリーにも、将来すてきな男性とめぐりあえることを願っての“お守り”だ、と伝えてもらいました。)
そして、次に用意したのは“手すきの千代紙”と折り紙の本。
いい気になって、「よかったら、今から折り紙を折るからね!」言ったもんだから・・・。
鶴を折ろうとしたんですよ。でもね、久しぶりでうまくいかない。
日本で練習してきたんだけども、・・・。
もう、大汗もんですよ!
またみんなが、また、“じっー”とこちらに注目し始めたのが、痛いほど分かります。
悪戦苦闘とはこのことです。
でも、なんとか完成することはできたんですよね。
これで、何とか面目だけは保てましたかね!
苦心の折り紙
あとはね、私のことなどやシャマリーの学校のことなどを聞く時間になりました。
そう、思い出しました。今日は私のために学校休んでくれていたんですよ。(うれしんだけど、いいのかな?)
そうそう、この時、少し昨日練習したシンハラ語が役に立ったんです。
自分の名前をシンハラ語で紹介し。
挨拶し、みんなのの名前を聞いたり、年を聞いたりしてあげました。
こんなことでもね、その場の雰囲気がガラット変わることがありますからね。
私たちだって同じでしょ、カタコトでも日本語を話そうとする外国の人に、よい印象を持つのと同じです。
今度は、シャマリーが周りに急かされてではありますが唄を歌ってくれました。
意味も何にも分からない唄なのですが、紛れもなく“私のため”に歌ってくれている唄なのです。
か弱い声で一生懸命歌ってくれています。
「・・・・」
言葉に出来ません。
レナさんにその唄の題名を聞くと
“To find my mother.”(母を探して)
そんな題名だったと思います。
大体の歌詞も教えてもらいました。内容はほぼ題名の通りです。
単に嬉しいというより、むしろ感動の一言につきます。
“To find my mother.”
そして、実はもっと胸が熱くなったことがあります。
それは、その後食事が出された時のことでした。
『多分、食事はあるだろうな!』
正直、最初からそうは思っていました。
レナが、「家族の皆さんが歓迎を示して食事を用意してくれています。」といって、昼食の時間の運びとなったのですが、その時のこと。
右の手の方にあったテーブルの上にかけられた新聞紙がとられたんですよ。
もちろん、彩り鮮やかな食事は最初に私の目に飛び込んできました。
でも、それ以上に私の目に飛び込んできたものがあったのです。それは・・・、私が出した手紙です。
手作りの食事
去年の年末に広島に行った時、気にいって買ったグリーティングカード。
それがそこに、飾られていたのでした。
(写真でわかりますか?)
もちろん、手紙が届くのはあたりまえのことですが、それが大切に置かれているってことが何よりも嬉しく感じました。
ほんとに嬉しくて、少しでも気を抜くと涙がこぼれてしまいそうです。
実際のところ、食事が美味しい美味しくないというよりも、胸がいっぱいで、味は覚えていません。
でも、とにかく「ラサイ」(美味しい)とか「ンガク・ラサイ」(とても美味しい)とばかり繰り返し言っていました。
そして、お腹いっぱい食べてあげる、それが私流の食事の礼儀です。
食後は、さらに二つ引出の付いた和風の箱を作ってあげました。お兄さんと二人で一緒にね。
ただし、これは“難しすぎた!”
一応形にはなりましたが、実用性という面では全くの失敗作でした。
和式たんす作成中
「さっ、この辺で Memorial Plantingにしましょうか?」とレナ。
時計を見ると、あれっ、知らない間にかなり時間が過ぎています。
『でも、なんだろう?』と思いつつも、家の外に出ると、そこにはヤシの実と掘られた穴が用意されていました。
ヤシの実
記念植樹のことなんですね。
アジアの人達にとってヤシの木は非常に有用な植物なのです。
捨てるとこるがないほど、ヤシの木やその実を有効利用するそうです。
そしてこの木は、私が今日この場を離れたあとも、ここにずっといて、シャマリーを見守っていれるんですよね。
もちろん、植樹なんて私には初めての経験です。
そして、最初で最大の植樹かもしれませんね。
同時に、こうも思いました。
『この木が大きくなった時、またここに来れたらな!』
記念植樹
いったん家の外に出た私たちは、そのままみんなで記念写真を撮ることにしました。
シャマリーの家族と私、そして集まってくれた人達と。
(もうこの時間には最初ほどの人はいませんでしたが。)
シャマリーの家族
近所の人たちと
もう私には、残された時間はあまりないのでしょうが、少しだけ家の周りも見学させてもらいました。
家の裏には井戸があり、水田が広がっていました。バナナやオレンジの木もありました。
 
自然に囲まれ、人間が生活する環境としては最高なのですが、お金を媒体とする資本主義においては、かなり厳しい生活かもしれません。特産品もなければ、作ったものを自分で輸送する術も持たない。
発展途上国の、それも地方の抱える、最大のそして致命的なデメリットですよね。
また、ここには電気が通っていません。
台所の様子
家の様子
家は写真で分かるように立派に見えても、電気がないということは、電気がある所に比べるとすべての面において時間的な制約を受けることになります。
仕事する時間も、勉強する時間も限界がありますからね。(話では、自家発電はあるそうですが、どの程度のものかは分かりません。ガソリン代金もばかなならないしね。)
いよいよお別れの時が近づいてきました。
家で取れたオレンジをごちそうになり、これで今日の予定は終了です。
もしかしたら、もう会えることはないかもしれません。
でも、今日はそれ以上に貴重な経験をさせてもらいました。
もともとは軽い気持ちで始めたフォスター・プランです。
でもね、こんな自分でも“人のために何かが出来る。人の役に立っている。”
そう思うと、『ここに来てよかった。』、『実際にシャマリーに会えてよかった。』と思わざるを得ません。
きっと、彼らも私に感謝してくれていることでしょう。
でも、それ以上に私はこの家族に感謝しています。
そして、これをお別れの言葉に代えさせていただきます。

“アユーボワン”(さようなら)
車は、地域コーディネーターを朝乗せたところで降ろし、一路タガラッタに戻りました。
そう言えば、途中でこんな建物がありました。
“Nakamura School”
 
レナさんによると、彼(彼女)が日本で何をしているのは分からないそうですが、日本人の中村さんという人が30000ドル(現在の為替で350万程度)の寄付をし、そのお金で建てられた学校だそうです。
実際は、そのお金で二つ分の建物を建てたそうですから、ここはその半分でしかありませんがね。
考えても見てください、凄いことですよね。
他にも名前は忘れましたが、今度は女性の人です。
その人の寄付金で病院が造られたそうです。そういう話を聞いていると、ものすごく気持ちが暖かくなりますね。
そして、日本人であることに誇りを感じます。
フォスター・プランのオフィスんに戻るとジェイさんお迎え、そして今回の訪問についてのレポートを書かされました。
「なるべくみんなにも分かるように、英語で書いてください。」
『そんなに急に言われてもね・・・。』
とにかく素晴らしい経験が出来て感謝しているということを書き留めたつもりです。
これで、日本人では3人目の訪問だそうです。
ボランティアする気持ちはあっても、なかなかここまで来るとなると日本人には少し難しいのかもしれませんね。
そして、帰り際には記念品をいただきました。
『まさか、支援している立場のものが何かをいただけるなんて、夢にも思っていませんでしたから、それは驚きでもありましたし、喜びでもありました。』
記念品授与
最後に所長のジェイさんからこんな質問がありました。
「フォスター・プランに提案はありませんか?」
簡単なようで、でも、すぐには答えられない質問でした。
『電気を通してあげてください。』でも、それは必ずしも、この地域の人々の生活にプラスになるとは限りません。じゃあ、一体・・・?
現金化できる作物の指導、道路の整備、工場誘致・・・。
どれにしたって、実際にここに住んでみないと、本当に彼らのためになるかどうか分からない問題ばかりです。
結局、私は具体的な提案は何も出来ませんでした。
ただ、「子供達が一生懸命頑張れる環境を造ってあげてください。」
ただ、そう言いうのが精一杯でした。
お世話になった職員の皆さんにお礼を言うと、それで事務所を後にしました。
ジェイさんと記念撮影
「イス・トゥティー」(ありがとう)
 
『ふう〜!』
一歩オフィスから外に出ると、外はとっても暑かったのですが、気持ちの中はとてもすがすがしい風が吹いているようでした。
さあて、これで今回の旅の大きな役目は終了です。
パーッと泳ぎにでも行きましょう。
インド洋が昨日からもうお待ちかねです。
ホテルに帰ると、なにはともあれ海パン一丁になって海に出かけていきました。
『やった!3年振りの海外の海だ!』
去年も一昨年も、計画はあったのですが、時間の都合であきらめざるを得なかったので、嬉しさはいつも以上です。そういえば、インド洋、インド洋・・・って考えたら、もう10年振り以上になるかもしれません、インド洋で泳ぐのはね!
タンガラッタの海岸
早速、浸水式!
少し泳ごうと思いつつ海に入ったのですが、波に押し返されあえなくダウン。
あまりの海の激しさに、海水浴ではなく浜辺での水遊びを強いられました。
でも、これものんびりしていいもんですよ。
波が激しいということは、逆に考えれば砂浜の砂はキメが細かくて、上質ということですからね。
スリランカのビーチは、別名“黄金海岸”とも呼ばれているのです。海岸の砂が砂金のように、光り輝いているからだそうです。
しばらくは、浜辺でトドになっていました。
ゴロゴロゴロゴロその辺を横になってね。
しばらくするとね、また“Help us!”っていうのが聞こえてきたんです。
そして、昨日同様お手伝いしてきました。
何がなんか分かりませんが、スリランカ版「わっしょい、わっしょい!」というのが面白くてね。それに、旅行中は運動不足気味ですからね。
 
《1時間経過》
昨日と、同じくらいたくさん魚が網の中から現れてきました。

でも、誰も手を出しません。
上空には、カモメやカラスがおこぼれを狙って飛び回っています。
でも、誰も手を出しません。
しばらくして、ボスなる人がやってくると、それからは小さな“競り市場”の様相になってきました。
もちろん、共同で手伝っていた人にはそれなりの、現物支給(魚)があります。
ボスはボスで取れた魚の競りをし、現物支給(魚)を受けた人はそれを、また他の人に転売する。
そんな光景が見られました。見ているだけでも、丁度いい時間潰しになります。
 
更に、そのあとで町中に行けば、さっきの人達がさっきの魚を売っているではありませんか!
その後も、町をブラブラしていたら、ホテルの従業員が私を見つけて声をかけてきました。
「どこ行くの?」
「散歩!」
「お土産買うんなら、いとこの所で買うといい、安くなるから!」
しかし、こんなのは大体どっかでグルになっていたりしているものです。
でも、私はそれを承知で付いて行ってみることにしました。
私は、いらなきゃ買わない自信がありますからね。
結論から言うと、そこで、値切って値切って小さな象の置物とポストカードを何個か買いました。
でも、やはりというか・・・。
(その後、定価のある政府経営のお店に行ったら、私が買ったよりも割安なもの、割高な物の両方がありました。
うーん複雑な心境です。)
とにかく、その場ではいい買い物が出来たと思っていました。そして、彼にもお世話になったことですし、一緒に夕食を食べに行きました。
ほんとのスリランカ・カレーを経験するためにね。
スリランカの“カリー”が日本の“カレー”と違うのは知っていました。
でも、私の認識の中では、スリランカのカリーはインドカリーとほぼ同様のものであると思っていたのです。
でも、それともまた違うんですよね。
もっと、カレーぽくないというか・・・。どちらかというと、スパイシーなスープといった方がいいかもしれません。
どちらにしても、直接スープをすするんじゃなくて、ご飯に混ぜて食べるという方法は同じですがね。
スリランカのご飯はものすごくパサパサなんで、少々汁気のある物を混ぜた方がやはり美味しくいただけます。
そして、口当たりはそんなに辛いという感じはないのですが、そのうち体の中から熱くなってきて、汗がどんどん出てきます。
もともと汗かきの私が、そんなもん食べたらどうなるかどうなるか・・・、想像できますよね。
あんまり、私が辛さでつらそうに見えたからでしょうか、彼はココナッツを細かくしたものを別に注文してくれて、「ココナッツ食べながら、カリー食べなさい。」とアドバイスしてくれました。
最初はそうしてましたが、もう面倒なんで、最後はご飯とカリーとココナッツ全部混ぜて食べていましたけどね。
これも、いい経験でしょう。
この食事は、飲みものもあわせて二人分で98ルピー(日本円で120円程度)でした。安いでしょう!
このように、スリランカではどこで何を食べるかによって、数倍物もの違いが出てくるんですよね。
(これは日本でもいっしょか!)
ゲストハウスに帰ったら、ゲストハウスの主人がいました。
当たり前ですけどね。この辺のゲストハウスは、どっちかというとペンションという方が分かりやすいかもしれません。ゲストハウスの中に家がある、いや家の一部をゲストハウスとしていると言った方がいいですかね。
子供や犬や猫はホテル(家)の中を走り回っていますからね。
それはそれで楽しいんですよ。
さて、それで少し3人で話す機会があったんですね。
『スリランカの人が望んでいるもの。』
まず、日本行きのビザでしょうね。
スリランカには日本びいきの人が多いんです。そして、同時に、日本で働くことを夢見ている人も多いのが実状です。もちろんそれは給料がいいからです。
「日本人のサラリーはいくらだ?」
そんな質問を、この訪問中に何度となく受けました。
ちなみに、スリランカの平均月収は、日本の一日の日当ぐらいです。6000〜7000円ぐらいでしょうか?
もちろん、日本以上に所得差(貧富の差)が存在するのも事実です。
逆にいうと、お金持ちはものすごいお金持ち、貧乏な人はものすごい貧乏ということです。
そして、彼らが望んで行くもののもう一つ。
それは、“日本の物”です。
スリランカは、行って始めて知ったのですが、とにかく町中、国中、“日本の物”であふれています。
これは、東南アジアの国々にも言えることですが、もしかしたらそれ以上かもしれません。西欧人はスリランカのことを“Little Japan”と呼ぶそうです。車を見てもバイクを見ても、電化製品を見ても、ここは日本製品であふれています。同時にスリランカの人々は憧れているんですよね。
日本という国と日本製のものにね。
「中古車を輸出できないか?」
「車でなくても部品、エンジンベルト一つ、ハンドル一つでかまわないんだ。」
とにかく、なんでも日本製のもんなら十分商売としてなり立つらしいいんですよね。
「関税官に親しい人がいるから。No Taxだ!」
そんなことさえ言ってきます。
やはり、日本てそういう面じゃ素晴らしい国ですよね。
価格競争、品質競争の結果、西欧諸国の製品・韓国の製品を一掃したそうですから。
「帰ったら、調べてみるよ!」って、その時は言いましたが・・・どうしようかな?
Sarath Guest House
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